【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

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マーガレット

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 数分前の、親友から乙女な趣味に目覚めたと勘違いされたくない俺の行動が阿保らしく思える程に堂々とした答えだった。環の方がよっぽど乙女だ。
 とはいえ気になる。花言葉なんて発想がなかった。そこに至る前に邪魔をされてしまったため、マーガレットと言う可憐な花の基本情報しか抑えることのできていない俺にとって、どんな些細な情報でも脳内に刻み込みたかったのだ。

 体を抑え込む腕の中で身じろぐ俺の意図を汲み取ったのか、環がわずかに力を緩めた。体を反転させ、寄りかかる俺の腹部を抱えなおした環が意地悪く目を細める。

「そんなに気になるんですかぁ」
「うっぜぇ。そうだよ、気になるよ!」
「あら、素直」

 揶揄うことに余念のない環の顔を押しのけ、スマホを持つ腕を引き寄せた。
 どうやら複数の花言葉があるらしく、画面には様々な言葉がずらりと並んでいる。恋占い。心に秘めた愛。真実の愛。信頼。真実の友情。私を忘れないで。

「真実の愛なんてあざみくんはロマンチストでちゅねぇ」
「お前に言われたかねぇよ」
「誰かに送る予定でもあるんですかぁ?」
「ねぇよ。あるわけねぇだろ、んなもん」
「ふぅん」

 俺には彼女はいない。それは今現在に限った話ではなく、この世に生を授かってから16歳に至るまでの間、誰かと交際をした経験は一度もない。欲しいと思ったことはもちろんある。思春期を迎えた頃から、クラスメイトとの恋愛に関する話題が上がることが増えると同時にに、1回くらいは誰かと付き合ってみたいよな、と考えたことは1度や2度ではない。しかし、それ以上に予測不能な幼馴染と過ごす時間の方が楽しいと結論付けてしまうため、そういう関係になることがなかった。成長期を経て体格差が生まれてからというものの、触っただけで壊れそうな女子を見るたび、そっと距離をおいてしまう。その点、環は頑丈だ。多少乱雑に扱ってもびくともしないから気を遣わなくていい。

「んだよ、その顔」

 三日月形に歪んだ目を睨み返した。
 
「別にぃ?」
「言っとくけど、お前も同類だかんな」
「俺はできないんじゃなくて作らないんですー」
「できないヤツはみんなそう言うんだよ」
「はいはい、そうですねぇ」

 俺の言葉にダメージを負った様子もなく、のらりくらりとかわす環に顔が歪んだ。俺を見下ろす目は相変わらず楽し気に細められている。
 
「うっぜぇ……。つーか課題はどうしたんだよ。さっさと写せ」
「もう終わってるよ」
「は」

 机を見れば、2人分の課題が几帳面に並べられていた。終わったというのも本当らしく、プリンントの1番下まで解答欄は埋まっている。上から下までどこを切り取っても走り書きの乱雑な字ではあるが。
 
「じゃあ、とっとと帰れ」
「えぇ、もうちょっと遊ぼうよぉ。寂しくて死んじゃうよぉ」
「勝手にくたばっとけ」
「ひっど! もう絶対帰らないからね!」

 そう言った環は腕のみならず、脚まで回してしがみついてきた。「絶対帰んない!」と息巻く環にさすがに焦った俺は拘束から逃れようと手足をばたつかせた。けれども離れない。どころか、より一層ぎゅうぎゅうと絞めつけてくる。

「ちょ、離せ!」
「やーだー」
「は、な、せ!」
「遊ぶって言うまで帰んないからねー」

 ごく普通の、どこにでもあるような一軒家。の2階の奥の部屋。窓は通りに面しており、覗けば道行く人が見える。きっと、この子供じみた言い合いも漏れ出ていることだろう。かつて隣に住む老夫婦が朝の挨拶がてら和やかに放った言葉が脳裏に再生された。
「お友達と喧嘩はだめよ」
 目じりのシワを深くして、幼い俺に言った言葉だ。その前日は、環と初めて大きな喧嘩をした日だった。理由は覚えていない。きっとゲームのコースを選ぶ順番を間違えただとか、母親が用意したお菓子の大きさが違うだとかくだらないことがきっかけだろう。契機となった出来事なんて今はどうでもいい。重要なのは、高校生になってもなお、こんなくだらない言い争いをしていて、しかもそれが近所に聞こえているかもしれないということだ。
 
「わぁったよ! 遊ぶ! 遊べばいいんだろ!」

 湧いて出た羞恥心に、後先考えずに叫んだ。叫んで、あぁこの声も聞こえていたらどうしよう、と焦った。そんな心境を知らずに「やりぃ」と顔を綻ばせた環は、離すと言っていたはずの手足をそのままに、俺の首筋に顔を埋める。堪らず、抗議の声を上げた。

「いや、離せよ」
「なんで?」
「遊ぶなら離すっつったろ」
「あはは! 遊ぶって言うまで帰んないって言ったんだよ。あと、俺はこれだけでも十分遊べてるよ」

 からからと笑い声をあげる。一方で、自分の顔がぐにゃと歪んだのが分かった。
 
「はぁ!? ずりぃだろ、それ!」
「えぇー」

 離せとだけ考えていたせいか、環の言葉が正確に思い出せない。遊びの対価が解放だった気もするし、帰宅だった気もする。どちらにしろ、離すべきではないだろうか。仮に遊ぶと言うまで帰らない、だった場合、もう帰るべきだろう。ドタバタと体を動かしても意味はなく、体力を奪われるくらいならと抵抗を諦め、体を預けた。

「なぁ、帰るんじゃねぇの」
「そんなことよりさぁ」

 そんなことより?
 顔を顰めた。眉間のあたりに薄っすらと溝を刻んだ俺の顎を掴んだ環の手により、後ろを向かされる。無理に動こうとすれば衝突しそうな距離と、数秒前の和やかさが去った真剣な顔に一層力が入った。
 
「俺、花に負けたの?」
 
「、はぁ?」

 何を言われるのかと身構えていた身体から力が抜ける。溜息と呆れの混じった声も出た。そんなことか、と前を向こうとした顔は、その動きを阻まれた。添えるくらいだった掌が、顔をつぶす勢いへと変わっている。環の瞳に反射する、潰れて頬に押し出された唇を突き出す顔がなんとも間抜けに違いない。

「おい、はなへ」
「熱心に調べちゃってさぁ」
「ちはい」
「心境の変化? それとも誰かの影響?」
「どっひでもいいらろ」

 上手く話せない。覚えたての言葉を使う幼子のようなつたない話し方がもどかしい。花に興味を示す俺に、やたらと興味を持つ環の問答が右から左へと通り抜ける。とにかく、この情けない状況から脱却したい。
 
「なぁ、どっち?」
「はなへって」
「あざみ」

 おふざけの延長戦であることを忘れさせる真剣な眼差しに貫かれた。心なしか、体に絡みつく力が増した手足とトーンの下がった声にいたたまれなさを感じ、視線が右にずれる。外れた視界に環が入り込む。逃がさないと言わんばかりに距離が近づき、亀のように首をすくめた。
 
「べ、つに。ひょっと見はけて、綺麗だなって思っただへ、だし」
「ふぅん?」
 
 全く信じていない。嘘ではないというのに。訂正するとすれば、”ちょっと見かけた”ではなく”大事に拾い上げて保管している”であるが、大したことではない。たぶん。
 
「ほんほだよ」
「のわりに顔真っ赤じゃん」
「なっ!」

 予想外の方向から飛んできた指摘に熱が上がる。それが、より一層嘘をついているように見え、堪らず放った「嘘じゃない」という叫び声もうまく言えずに首まで熱くなった。

「どーだか」
「ほんほだっへ!」
「あっはは、タコみたーい」

 「ぴゅー」と気の抜けるような掛け声に合わせて頬が潰れる。のめりこんだ頬肉が歯に食い込んだ。静けさは消え、いつもの何も考えてないような顔と声でからからと笑っている。

「ひゃ、な、しぇ!」
「えー、何言ってんのか全然分かんなーい」

 公園を駆ける子供のような笑い声。体を掴んで離さない環の腕を掴み、地面を蹴る。緩んだ腕の隙間を体が滑り、頭頂を頬にのめり込ませる。……はずだったが、不発に終わり宙を掻いた。好きなようにするだけして、ぱっと手足を開いた環が流れるように机上のプリントを掴む。ぐしゃりと音を立て皺が寄った課題を乱雑に鞄に突っ込んだ環は、勢いそのまま鞄を肩にかけた。

「じゃ、俺帰んね」
「え、遊ばねぇの」
「あら、渋ってたくせに遊びたいんですかぁ? 可愛いでちゅねぇ」
「は!? とっとと帰れ!」

 床に転がるクッションを掴み投げる。もちろんそれが当たることはなく、「じゃぁねぇ」と間延びした声とともに出ていった環が後ろ手に閉めたドアにぶつかって落ちた。
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