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春の予感
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「おーはーよ!」
背中に衝撃がぶつかる。肩にのしかかる重みのままに折れ曲がった体を覗き込むは気怠さを感じない笑顔だ。目元にくしゃりと幸せの皺を刻む環とは対照的に、俺の眉間には深い筋が走っていた。
「……はよ」
聞こえるか聞こえないかの狭間。気を抜けば朝の喧騒に飲まれてしまいそうな小さな唸り声が零れる。住宅街を駆け抜ける小学生。早足に進むヒールの音。住宅街を抜けた大通りから聞こえる交通音。一つ一つはなんてことないものも集まれば騒音となり、覚醒しない体に重く響く。
「元気ないなぁ」
「んで、そんなに元気なんだよ」
朝はだるいものだろ。心の嘆きは声に出さなかった。出すほどの気力が湧いてこなかったのだ。日中と変わらぬ元気のある方が異常で、こっちが普通だとあくびを噛みしめた。口内に空気がたまり、一瞬音が遠のく。遅れて目頭に溜まった水分を瞬きで目にいきわたらせ、環を横目で見た。
「いつもに増して眠そうじゃない? 夜更かしでもしたんですかぁ」
「ちげぇ」
嘘だ。本当はした。昨日拾った花のことを調べているうちに、気が付けば時計の針が頂点を超え、2周していた。調べるといってもネットに書かれた情報には限度がある。似通った内容のサイトを開いては閉じ、また開いて。スマホが燃えるように熱くなり、マーガレットの文字がゲシュタルト崩壊する頃には、属科目や和名に英名、日本に渉るきっかけまで諳んずるまでに至っていた。
再びこみ上げた睡魔を押し殺さずに放つ。滲んだ視界に入った環が垂れた目じりをさらに下げて楽し気に笑う。
「戸田せんの授業で寝ちゃだめだよ」
「あぁ」
組んだ肩の重みを感じながら曖昧に頷く俺の脳内には、厳つい顔の数学教師が浮かんでいる。浅黒い肌にとってつけたような角刈り。生徒指導とバスケ部顧問を兼任している戸田は、生徒から最も恐れられているといっても過言ではない。風紀検査の担当が戸田であると発覚した暁には、その情報が瞬く間に学年中へと知れ渡り、校則違反の隠蔽に走る。にも拘わらず、不合格率は断トツだそうだ。授業中の居眠りなどもってのほかで、ばれようものなら2つ隣の教室にまで轟く怒声を浴びせられ、ペナルティとして大量の課題が課される。入学直後、よそ見をして窓の外を眺めていただけの生徒に、異教徒を見つけた異端審問官さながらの怒りをあらわにした戸田の姿は忘れることがないだろう。クラスが団結するきっかけといえば聞こえがいいが、実際は戸田の情報網の精度が上がっただけだ。
その戸田が担当している数Aから今日の授業は始まる。
「お前はいつも元気だよなぁ……」
授業中寝たらどうしよう、と言う学生らしい悩みを持つこともなさそうだ。有り余る清涼感のタブレットを大量摂取し、目や鼻が寒くなることもなければ、爪の先で摘まんだ三日月が手の甲に列を成すこともないのだろう。何とも羨ましい。
世間で交わされる睡魔撃退法の殆どは効果がない。覚醒するのは一瞬で、瞬きを3度ほどすれば目の開きはすっかり元通りだ。体を動かすのが一番だろうが、俺の通う高校は体育以外の授業中の運動は認められていない。中学の頃に試してみた、ノートに只管眠くないと書き連ねる行為は、暗示も相まって効果があると思ったのだが、ミミズを大量生産して終わったため、あの程度の運動は意味がないのだろう。そも、その程度で目が覚めるというのならば、授業中に迫りくる睡魔と格闘する必要もないのだが。
とにかく、一度訪れた睡魔を撃退する方法はなく、忍耐力を試される日々だ。先進国らしく、もう少し最新技術を活用できればいいのだが。優秀な科学者たちは、過剰な睡眠欲を他人に明け渡す方法を今すぐに開発するべきだ。俺の中で暴れ狂う睡魔を環に渡すことができれば、いつ見ても元気いっぱいの環とのバランスとよくなるだろう。
寝ぼけ眼であくび混じりの相槌を繰り返す俺を気にもとめず、ころころと代わる代わる話を進める環を見て、もう一度しみじみと「元気だなぁ……」と呟いた。
「まぁ、それが取り柄だからね。あざみが寝そうになったら起こしてあげるから任せて」
「席遠いだろ」
「大声で名前呼んであげるー」
「やめろ」
窓側から3列目、前から4番目。教室のほぼ中央の席の俺の隣の隣の隣。身を乗り出して右隣を覗き込めば見えないこともない場所に環はいる。その距離で夢見心地の人間を起こす程の声量を出せば、時代遅れな怒り方をする教師の逆鱗に触れることは間違いない。巻き込まないでくれ。ただでさえ半分閉じた目を指摘されないか肝を冷やしているというのに。
「あ、そーいえば。お昼どうする? 学食行く? 購買で何か買う?」
「購買で買うけど今日図書委員の当番だから一緒に食べない。つか食べれない」
「え、次の当番来週じゃなかった? てか月木じゃなかった?」
「受験で抜けた3年の穴埋め」
「えぇー! そんなの他の人に押し付けよぉよー!」
「あほか」
体育祭実行委員になると意気込んでいた環の傍らで、できるだけ楽な、例えば副教科の連絡係のようなあってもなくてもいい、クラス全員に役割を与えるためだけに作られた責任のない係を勝ち取ろうとした俺は、同じ思惑のクラスメイトとのじゃんけんに負けに負けて図書委員と言うなんとも面倒な係に任命された。
おかげで毎月第2月曜日、第4木曜日の昼休みと放課後、大して利用客のいない図書室でぼんやりと空虚な時間を過ごしている。最初は環も同行することが多かったのだが、話に花を咲かせているとペアの3年生から冷ややかな視線と私語厳禁という厳しい注意がすかさず飛んでいたため、今ではすっかり寄り付かなくなった。今考えてみれば先輩の注意は最もで、むしろその状況で上級生を無視してペラペラと話を続けていた環のメンタルの強さが異常なわけではあるが、静かに見つめ合うわけにもいかず、他の奴といろと俺が口酸っぱく言いつけたところでようやく寄り付かなくなった次第である。環のこともあって初めはペアの3年生から疎まれていたが一人静かにカウンターで過ごしていれば、次第にそれもなくなった。
そんな訳で、課題以外にすることない図書室で毎度なぜあの時パーを出してしまったのか、1人後悔の念に駆られる次第である。夏休みが明け、3年生は受験に専念できるようにと係から抜け、今月から第3火曜日も駆り出される始末だ。
はっきり言って、面倒である。規律を重要視する堅苦しい3年生から開放されるのはありがたいが。
「そういうわけだから、昼は他当たれよ」
しかし、決まったことだ。うじうじしていても仕方がない。例え、他の図書委員がいかにもな優等生ばかりだったとしても。のこり半年の辛抱である。
背中に衝撃がぶつかる。肩にのしかかる重みのままに折れ曲がった体を覗き込むは気怠さを感じない笑顔だ。目元にくしゃりと幸せの皺を刻む環とは対照的に、俺の眉間には深い筋が走っていた。
「……はよ」
聞こえるか聞こえないかの狭間。気を抜けば朝の喧騒に飲まれてしまいそうな小さな唸り声が零れる。住宅街を駆け抜ける小学生。早足に進むヒールの音。住宅街を抜けた大通りから聞こえる交通音。一つ一つはなんてことないものも集まれば騒音となり、覚醒しない体に重く響く。
「元気ないなぁ」
「んで、そんなに元気なんだよ」
朝はだるいものだろ。心の嘆きは声に出さなかった。出すほどの気力が湧いてこなかったのだ。日中と変わらぬ元気のある方が異常で、こっちが普通だとあくびを噛みしめた。口内に空気がたまり、一瞬音が遠のく。遅れて目頭に溜まった水分を瞬きで目にいきわたらせ、環を横目で見た。
「いつもに増して眠そうじゃない? 夜更かしでもしたんですかぁ」
「ちげぇ」
嘘だ。本当はした。昨日拾った花のことを調べているうちに、気が付けば時計の針が頂点を超え、2周していた。調べるといってもネットに書かれた情報には限度がある。似通った内容のサイトを開いては閉じ、また開いて。スマホが燃えるように熱くなり、マーガレットの文字がゲシュタルト崩壊する頃には、属科目や和名に英名、日本に渉るきっかけまで諳んずるまでに至っていた。
再びこみ上げた睡魔を押し殺さずに放つ。滲んだ視界に入った環が垂れた目じりをさらに下げて楽し気に笑う。
「戸田せんの授業で寝ちゃだめだよ」
「あぁ」
組んだ肩の重みを感じながら曖昧に頷く俺の脳内には、厳つい顔の数学教師が浮かんでいる。浅黒い肌にとってつけたような角刈り。生徒指導とバスケ部顧問を兼任している戸田は、生徒から最も恐れられているといっても過言ではない。風紀検査の担当が戸田であると発覚した暁には、その情報が瞬く間に学年中へと知れ渡り、校則違反の隠蔽に走る。にも拘わらず、不合格率は断トツだそうだ。授業中の居眠りなどもってのほかで、ばれようものなら2つ隣の教室にまで轟く怒声を浴びせられ、ペナルティとして大量の課題が課される。入学直後、よそ見をして窓の外を眺めていただけの生徒に、異教徒を見つけた異端審問官さながらの怒りをあらわにした戸田の姿は忘れることがないだろう。クラスが団結するきっかけといえば聞こえがいいが、実際は戸田の情報網の精度が上がっただけだ。
その戸田が担当している数Aから今日の授業は始まる。
「お前はいつも元気だよなぁ……」
授業中寝たらどうしよう、と言う学生らしい悩みを持つこともなさそうだ。有り余る清涼感のタブレットを大量摂取し、目や鼻が寒くなることもなければ、爪の先で摘まんだ三日月が手の甲に列を成すこともないのだろう。何とも羨ましい。
世間で交わされる睡魔撃退法の殆どは効果がない。覚醒するのは一瞬で、瞬きを3度ほどすれば目の開きはすっかり元通りだ。体を動かすのが一番だろうが、俺の通う高校は体育以外の授業中の運動は認められていない。中学の頃に試してみた、ノートに只管眠くないと書き連ねる行為は、暗示も相まって効果があると思ったのだが、ミミズを大量生産して終わったため、あの程度の運動は意味がないのだろう。そも、その程度で目が覚めるというのならば、授業中に迫りくる睡魔と格闘する必要もないのだが。
とにかく、一度訪れた睡魔を撃退する方法はなく、忍耐力を試される日々だ。先進国らしく、もう少し最新技術を活用できればいいのだが。優秀な科学者たちは、過剰な睡眠欲を他人に明け渡す方法を今すぐに開発するべきだ。俺の中で暴れ狂う睡魔を環に渡すことができれば、いつ見ても元気いっぱいの環とのバランスとよくなるだろう。
寝ぼけ眼であくび混じりの相槌を繰り返す俺を気にもとめず、ころころと代わる代わる話を進める環を見て、もう一度しみじみと「元気だなぁ……」と呟いた。
「まぁ、それが取り柄だからね。あざみが寝そうになったら起こしてあげるから任せて」
「席遠いだろ」
「大声で名前呼んであげるー」
「やめろ」
窓側から3列目、前から4番目。教室のほぼ中央の席の俺の隣の隣の隣。身を乗り出して右隣を覗き込めば見えないこともない場所に環はいる。その距離で夢見心地の人間を起こす程の声量を出せば、時代遅れな怒り方をする教師の逆鱗に触れることは間違いない。巻き込まないでくれ。ただでさえ半分閉じた目を指摘されないか肝を冷やしているというのに。
「あ、そーいえば。お昼どうする? 学食行く? 購買で何か買う?」
「購買で買うけど今日図書委員の当番だから一緒に食べない。つか食べれない」
「え、次の当番来週じゃなかった? てか月木じゃなかった?」
「受験で抜けた3年の穴埋め」
「えぇー! そんなの他の人に押し付けよぉよー!」
「あほか」
体育祭実行委員になると意気込んでいた環の傍らで、できるだけ楽な、例えば副教科の連絡係のようなあってもなくてもいい、クラス全員に役割を与えるためだけに作られた責任のない係を勝ち取ろうとした俺は、同じ思惑のクラスメイトとのじゃんけんに負けに負けて図書委員と言うなんとも面倒な係に任命された。
おかげで毎月第2月曜日、第4木曜日の昼休みと放課後、大して利用客のいない図書室でぼんやりと空虚な時間を過ごしている。最初は環も同行することが多かったのだが、話に花を咲かせているとペアの3年生から冷ややかな視線と私語厳禁という厳しい注意がすかさず飛んでいたため、今ではすっかり寄り付かなくなった。今考えてみれば先輩の注意は最もで、むしろその状況で上級生を無視してペラペラと話を続けていた環のメンタルの強さが異常なわけではあるが、静かに見つめ合うわけにもいかず、他の奴といろと俺が口酸っぱく言いつけたところでようやく寄り付かなくなった次第である。環のこともあって初めはペアの3年生から疎まれていたが一人静かにカウンターで過ごしていれば、次第にそれもなくなった。
そんな訳で、課題以外にすることない図書室で毎度なぜあの時パーを出してしまったのか、1人後悔の念に駆られる次第である。夏休みが明け、3年生は受験に専念できるようにと係から抜け、今月から第3火曜日も駆り出される始末だ。
はっきり言って、面倒である。規律を重要視する堅苦しい3年生から開放されるのはありがたいが。
「そういうわけだから、昼は他当たれよ」
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