【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

文字の大きさ
6 / 65
春の予感

1

しおりを挟む
「おーはーよ!」
 
 背中に衝撃がぶつかる。肩にのしかかる重みのままに折れ曲がった体を覗き込むは気怠さを感じない笑顔だ。目元にくしゃりと幸せの皺を刻む環とは対照的に、俺の眉間には深い筋が走っていた。

「……はよ」

 聞こえるか聞こえないかの狭間。気を抜けば朝の喧騒に飲まれてしまいそうな小さな唸り声が零れる。住宅街を駆け抜ける小学生。早足に進むヒールの音。住宅街を抜けた大通りから聞こえる交通音。一つ一つはなんてことないものも集まれば騒音となり、覚醒しない体に重く響く。

「元気ないなぁ」
「んで、そんなに元気なんだよ」

 朝はだるいものだろ。心の嘆きは声に出さなかった。出すほどの気力が湧いてこなかったのだ。日中と変わらぬ元気のある方が異常で、こっちが普通だとあくびを噛みしめた。口内に空気がたまり、一瞬音が遠のく。遅れて目頭に溜まった水分を瞬きで目にいきわたらせ、環を横目で見た。

「いつもに増して眠そうじゃない? 夜更かしでもしたんですかぁ」
「ちげぇ」

 嘘だ。本当はした。昨日拾った花のことを調べているうちに、気が付けば時計の針が頂点を超え、2周していた。調べるといってもネットに書かれた情報には限度がある。似通った内容のサイトを開いては閉じ、また開いて。スマホが燃えるように熱くなり、マーガレットの文字がゲシュタルト崩壊する頃には、属科目や和名に英名、日本に渉るきっかけまで諳んずるまでに至っていた。
 再びこみ上げた睡魔を押し殺さずに放つ。滲んだ視界に入った環が垂れた目じりをさらに下げて楽し気に笑う。

「戸田せんの授業で寝ちゃだめだよ」
「あぁ」

 組んだ肩の重みを感じながら曖昧に頷く俺の脳内には、厳つい顔の数学教師が浮かんでいる。浅黒い肌にとってつけたような角刈り。生徒指導とバスケ部顧問を兼任している戸田は、生徒から最も恐れられているといっても過言ではない。風紀検査の担当が戸田であると発覚した暁には、その情報が瞬く間に学年中へと知れ渡り、校則違反の隠蔽に走る。にも拘わらず、不合格率は断トツだそうだ。授業中の居眠りなどもってのほかで、ばれようものなら2つ隣の教室にまで轟く怒声を浴びせられ、ペナルティとして大量の課題が課される。入学直後、よそ見をして窓の外を眺めていただけの生徒に、異教徒を見つけた異端審問官さながらの怒りをあらわにした戸田の姿は忘れることがないだろう。クラスが団結するきっかけといえば聞こえがいいが、実際は戸田の情報網の精度が上がっただけだ。
 その戸田が担当している数Aから今日の授業は始まる。

「お前はいつも元気だよなぁ……」

 授業中寝たらどうしよう、と言う学生らしい悩みを持つこともなさそうだ。有り余る清涼感のタブレットを大量摂取し、目や鼻が寒くなることもなければ、爪の先で摘まんだ三日月が手の甲に列を成すこともないのだろう。何とも羨ましい。
 世間で交わされる睡魔撃退法の殆どは効果がない。覚醒するのは一瞬で、瞬きを3度ほどすれば目の開きはすっかり元通りだ。体を動かすのが一番だろうが、俺の通う高校は体育以外の授業中の運動は認められていない。中学の頃に試してみた、ノートに只管眠くないと書き連ねる行為は、暗示も相まって効果があると思ったのだが、ミミズを大量生産して終わったため、あの程度の運動は意味がないのだろう。そも、その程度で目が覚めるというのならば、授業中に迫りくる睡魔と格闘する必要もないのだが。
 とにかく、一度訪れた睡魔を撃退する方法はなく、忍耐力を試される日々だ。先進国らしく、もう少し最新技術を活用できればいいのだが。優秀な科学者たちは、過剰な睡眠欲を他人に明け渡す方法を今すぐに開発するべきだ。俺の中で暴れ狂う睡魔を環に渡すことができれば、いつ見ても元気いっぱいの環とのバランスとよくなるだろう。
 寝ぼけ眼であくび混じりの相槌を繰り返す俺を気にもとめず、ころころと代わる代わる話を進める環を見て、もう一度しみじみと「元気だなぁ……」と呟いた。

「まぁ、それが取り柄だからね。あざみが寝そうになったら起こしてあげるから任せて」
「席遠いだろ」
「大声で名前呼んであげるー」
「やめろ」

 窓側から3列目、前から4番目。教室のほぼ中央の席の俺の隣の隣の隣。身を乗り出して右隣を覗き込めば見えないこともない場所に環はいる。その距離で夢見心地の人間を起こす程の声量を出せば、時代遅れな怒り方をする教師の逆鱗に触れることは間違いない。巻き込まないでくれ。ただでさえ半分閉じた目を指摘されないか肝を冷やしているというのに。

「あ、そーいえば。お昼どうする? 学食行く? 購買で何か買う?」
「購買で買うけど今日図書委員の当番だから一緒に食べない。つか食べれない」
「え、次の当番来週じゃなかった? てか月木じゃなかった?」
「受験で抜けた3年の穴埋め」
「えぇー! そんなの他の人に押し付けよぉよー!」
「あほか」

 体育祭実行委員になると意気込んでいた環の傍らで、できるだけ楽な、例えば副教科の連絡係のようなあってもなくてもいい、クラス全員に役割を与えるためだけに作られた責任のない係を勝ち取ろうとした俺は、同じ思惑のクラスメイトとのじゃんけんに負けに負けて図書委員と言うなんとも面倒な係に任命された。
 おかげで毎月第2月曜日、第4木曜日の昼休みと放課後、大して利用客のいない図書室でぼんやりと空虚な時間を過ごしている。最初は環も同行することが多かったのだが、話に花を咲かせているとペアの3年生から冷ややかな視線と私語厳禁という厳しい注意がすかさず飛んでいたため、今ではすっかり寄り付かなくなった。今考えてみれば先輩の注意は最もで、むしろその状況で上級生を無視してペラペラと話を続けていた環のメンタルの強さが異常なわけではあるが、静かに見つめ合うわけにもいかず、他の奴といろと俺が口酸っぱく言いつけたところでようやく寄り付かなくなった次第である。環のこともあって初めはペアの3年生から疎まれていたが一人静かにカウンターで過ごしていれば、次第にそれもなくなった。
 そんな訳で、課題以外にすることない図書室で毎度なぜあの時パーを出してしまったのか、1人後悔の念に駆られる次第である。夏休みが明け、3年生は受験に専念できるようにと係から抜け、今月から第3火曜日も駆り出される始末だ。
 はっきり言って、面倒である。規律を重要視する堅苦しい3年生から開放されるのはありがたいが。

「そういうわけだから、昼は他当たれよ」

 しかし、決まったことだ。うじうじしていても仕方がない。例え、他の図書委員がいかにもな優等生ばかりだったとしても。のこり半年の辛抱である。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

【完結】後悔は再会の果てへ

関鷹親
BL
日々仕事で疲労困憊の松沢月人は、通勤中に倒れてしまう。 その時に助けてくれたのは、自らが縁を切ったはずの青柳晃成だった。 数年ぶりの再会に戸惑いながらも、変わらず接してくれる晃成に強く惹かれてしまう。 小さい頃から育ててきた独占欲は、縁を切ったくらいではなくなりはしない。 そうして再び始まった交流の中で、二人は一つの答えに辿り着く。 末っ子気質の甘ん坊大型犬×しっかり者の男前

【全10作】BLショートショート・短編集

雨樋雫
BL
文字数が少なめのちょこっとしたストーリーはこちらにまとめることにしました。 1話完結のショートショートです。 あからさまなものはありませんが、若干の性的な関係を示唆する表現も含まれます。予めご理解お願いします。

楽な片恋

藍川 東
BL
 蓮見早良(はすみ さわら)は恋をしていた。  ひとつ下の幼馴染、片桐優一朗(かたぎり ゆういちろう)に。  それは一方的で、実ることを望んでいないがゆえに、『楽な片恋』のはずだった……  早良と優一朗は、母親同士が親友ということもあり、幼馴染として育った。  ひとつ年上ということは、高校生までならばアドバンテージになる。  平々凡々な自分でも、年上の幼馴染、ということですべてに優秀な優一朗に対して兄貴ぶった優しさで接することができる。  高校三年生になった早良は、今年が最後になる『年上の幼馴染』としての立ち位置をかみしめて、その後は手の届かない存在になるであろう優一朗を、遠くから片恋していくつもりだった。  優一朗のひとことさえなければ…………

才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。

誉コウ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。 その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。 胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。 それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。 運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

先輩のことが好きなのに、

未希かずは(Miki)
BL
生徒会長・鷹取要(たかとりかなめ)に憧れる上川陽汰(かみかわはるた)。密かに募る想いが通じて無事、恋人に。二人だけの秘密の恋は甘くて幸せ。だけど、少しずつ要との距離が開いていく。 何で? 先輩は僕のこと嫌いになったの?   切なさと純粋さが交錯する、青春の恋物語。 《美形✕平凡》のすれ違いの恋になります。 要(高3)生徒会長。スパダリだけど……。 陽汰(高2)書記。泣き虫だけど一生懸命。 夏目秋良(高2)副会長。陽汰の幼馴染。 5/30日に少しだけ順番を変えたりしました。内容は変わっていませんが、読み途中の方にはご迷惑をおかけしました。

処理中です...