【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

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サクラソウ

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「はい。この前言った環が好きな漫画」

 体育祭の振り替え休日を挟んで迎えた火曜日の放課後。環にバレないように抜け出した空き教室で柳田と向き合っていた。差し出した紙袋の中身はもちろん、体育祭での約束通り、環の趣味かもしれない漫画だ。何冊ずつ貸すべきか考え、キリがいいからと4巻まで持ってきた。空き教室を選んだのは、環から逃れるためだけではない。漫画は不要物だと生徒手帳にしっかりと示されている手前、堂々と渡すことは憚られたからだ。数学教師兼生徒指導の戸田に見つかろうものなら即反省文だ。いや、その前に怒りの鉄拳か。女子生徒である柳田はともかくして、俺には容赦のない拳が降り注ぐだろう。現代社会に広がる体罰防止の声は彼のところまでは届くことはないのだ。
 教室の外から漏れ出る喧騒に耳を傾けつつ、期待に満ちた瞳で俺を見上げる柳田に紙袋を手渡した。

「ありがと~! 読む。読みます。頭に叩き込みます」
「そんなにグロいシーンとかはないけど、しんどかったら言って。内容伝えるくらいはできるから」
「何から何まで……本当にありがとう」
「全然。このくらいしかできないし」

 ふいに、手癖でスラックスのポケットに突っ込んでいたスマホが震えた。続け様に2回、3回。取り出せば、ロック画面に表示された環のメッセージが目に入った。「あざみ」「今どこ?」「今日図書委員じゃないよね?」連投されたメッセージを開くことなく、柳田に詫びを入れる。

「ごめん、環が探してるっぽい」
「あぁ、いいよ行って! ごめんね、わざわざ」

 快諾した柳田にもう一度ごめんと伝えようとして、はたと動きを止めた。俺の脳内には、先日言われた言葉が浮かんでいる。
「だって小田原くん、いっつも水野くんと一緒にいるから」
 正面に立つ柳田は、己の恋心を吐露した時、確かにそう言っていた。環以外に仲の良い同級生は、この高校に進学していない。そのため、特に意識をしていたわけではなかったが、高校に入学してからというものの、環とばかり過ごしてしまっている。仮にいたとしても、環以上の関係ではないため、余程のことがない限り行動を共にするわけではないのだが。そんな流されるように環の隣をキープしていた自分の行動は、親友の恋路を邪魔しているのは明確だ。一瞬の逡巡の後、紙袋を片手に首を傾げる柳田に俺は口を開いた。

「一緒帰る?」
「……へっ」
「環と。2人でもいいし、3人でもいいし」
「きょ、今日!?」
「うん。今日っていうか今からだけど」

 再びスマホに通知が届く。「何してるの?」の連絡に「ちょっと待ってて」と素早く返す。これ以上長引くと環がへそを曲げるかもしれないと、目を白黒させる柳田の返事を急かす様に視線を投げれば、勢いよく首を振られた。

「や、や! 無理だよ、ハードル高い!」

 てっきり、「いいの!?」と飛びつかれるとばかり思っていた俺は、正反対の返答に目を瞬かせた。譲る気満々だったからより一層、拍子抜けした気分だった。初めは遠慮しているのかと考えたが、目尻を赤く染め、ぶんぶんと首と両手を振っている様子を見るに、そういうわけでは無さそうだ。腑に落ちない部分はあるものの、当事者ではない俺が強引に推し進めるのは違う。「そっか」と短く返し、教室を後にしようと回れ右をすれば、むんずと腕を掴まれた。何事かと振り返れると、顔を赤くした柳田が視線をあちこちへ逃がしながら恐る恐る口を開く。

「今日は無理だけど、いつかお願いすることは、ある、かも」

 カタコトの小さな声で伝えられた要望に思わず笑みをこぼした。

 この2人はいずれ付き合うのだろう。まっすぐな柳田の想いに環が応えて、俺はそれを一歩下がった場所から見守る。2人が喧嘩した時は仲裁役を買って出よう。「環も悪気があったわけじゃないよ」「柳田さんは環のことを想って言ってくれたんだろ」仲裁なんてしたことがないが、きっとこんな感じだ。それで、仲直りした2人を見て、胸を撫で下ろす。「よかったな」と隣の環と笑い合って……。
 脳内の映像がぷつりと途絶える。環がいるのは柳田の隣だ。近い将来実現するであろう未来の自分の隣には誰もおらず、ぽっかりと空いている。その未来図に、不意に寂しさを覚えた。長らく埋まっていた隣席。同じ人をずっと座らせていたそこに、座り続けてもらえる保証はない。その逆も然りで、自分が座らせてもらえる時間にも限りがある。この恋が成就すれば、その席の所有権は俺ではなくて柳田に移ってしまう。

 ……あぁ、それは、ちょっと嫌だな。

「水野くん……?」
「え? ……あぁ、もちろんいいよ。協力する」

 慌てて首を縦に振った俺のスマホが再び震えた。メッセージの受信を知らせる断続的なものではなく、継続的なもの。2人で学校をサボって行った海の丸く切り取られた画像。その下に表示された環の一文字。

「あ、ごめん。電話来た」
「いいよいいよ、出てあげて。ありがとうね、わざわざ」
「読み終わったら教えて。続き持ってくる。じゃあ、また明日」
「うん、また明日」

 嬉しそうに紙袋を握るクラスメイトに背を向け、幼馴染のもとへと歩き出す。その頃には、胸の内に芽吹いたかすかな違和感も、すっかり消え去っていた。
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