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サクラソウ
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俺と環の心を掴んだ例の漫画が柳田を虜にするのに、そう時間は掛からなかった。今週はバイトのシフトが多いから読むの遅くなるかもという言葉の通り、はじめに貸した4冊を読み終えたのは翌週だった。丁度1週間後の火曜の夜。「面白すぎて一気に読んじゃった」と連絡があり、翌日に続きを渡した。今度はその日の内に読み終えたようで、当日の晩に連絡が来た。続けて貸した3冊を読了したのは木曜日。週末だからと多めに持ってきた6冊の漫画をいれた紙袋が、俺の掌に食い込んでいる。
当初の目的は恋の協力であったが、自分が好きなものを肯定されるのは気分がよく、いつの間にか布教のような形になってしまっている。結論から言うと、どちらも成功だ。バイト代が入ったら単行本を買うのだと柳田が豪語していた。環との関係も良好だ。最新話に到達するまではファンとは言えないという柳田は、漫画の話こそしていないが、「移動教室だるいね」「明日提出の課題やった?」というなんてことない世間話をするようになっている。幸いにも、柳田の斜め後ろに俺の席があるため、授業間の短い休み時間に会話をしても違和感はない。そこに環が合流するという形で、3人で会話を弾ませている。柳田の目論見通り、俺を足掛かりに環との自然な交流を重ねることができている。
そんな2つの成功を前に、俺は上機嫌で通学路を歩いていた。いつもは耳障りだとさえ感じる小学生のはしゃぎ声や、憂鬱そうなサラリーマンの溜息も気にならない。手に持っていた紙袋の中身が、しっかりとした重さの6冊の漫画でなければ、ぶんぶんと振り回していたところだ。振り回す代わりに、指先で振り子のように揺らす。前後に揺れるおもりに合わせて、喉から軽やかなメロディを流した。
「おーはーよっ」
背中に突進された衝撃で、つんのめった俺は体勢を立て直し、振り返った。
「おはよ」
いつもであれば「うるさい」だとか、「重い」といった言葉を、眉間に皺をよせてあくび混じりにぶつけているところだが、今日は機嫌がいい。転びかけたことにまるで気づいていないように、にこにこと挨拶を返した。そんな俺の様子に呆気にとられた環は、一拍の間動きを止めた。
俺は朝が弱い。出会った当初、小学生の頃はそんなことはなく、むしろ誰が一番早く登校できるかクラスメイトと競い合っていた。しかし、学年が上がるにつれてだんだんと寝起きが悪くなり、今となっては立派な寝坊助へと変貌を遂げている。週末遊ぶ約束をしたはずの俺が集合場所に来ず、何かあったのかと家に押し掛けた環を、寝ぼけた眼を擦りながら出迎えたことは1度や2度ではない。そんな寝汚い俺が朝から上機嫌であることは、環にとってそこそこの衝撃だったらしい。軽い足取りで離れていく俺の肩を掴み、体を半転させた。
「今日、めっちゃ機嫌よくない?」
「そう?」
「そうだよ。そうでしょ。何かいいことでもあったの?」
「別に~」
訝しげに顔を覗き込む環を置いて、1人で歩き始める。そんな釣れない俺の肩に、いつものごとく腕を回した環は頬をふにゅと潰した。無理やり合わせられた目を正面から覗き込まれる。
「ねぇ、気になるじゃん。教えてよ」
「やだ」
「何でぇ!?」
冬休みに入る頃には教えなくもない。そんな言葉を心の中で呟いた。その頃にはきっと、この幼馴染と素直なクラスメイトの仲は今とは違う形になっているに違いない。そして、俺のおかげだぞと小突いてやろう。近い未来に思いを馳せ紙袋を揺らすと、環の脚に当たったようで「いてっ」と声が上がった。
「あ、ごめん」
「ん-ん。てかこの前から気になってたんだけど、それ何?」
環の視線が紙袋に向く。紙袋の中から見えるのはアパレルショップのつるりとした黒のショッパーだ。校則違反に厳しい教師からの目眩しを兼ねている。自然に仲良くなりたいと聞かされた手前、その中身を馬鹿正直に伝えるわけにいかず、鼻歌を止めた俺は目をくるりと回し、とぼけたように首を傾げた。
「あー……荷物?」
「何の?」
「何でもいいだろ」
「よくない。今日何も教えてくんないじゃん」
不満気に唇を尖らせた環が俺の肩に凭れ掛かる。駄々をこねていただけの声が、甘えたようなものになった。顔を覗き込めば、眉を在らん限り下げた庇護欲を掻き立てられる顔をしているのだろう。そうすれば教えてもらえると分かっているのだ。しかし、今回は自分1人の問題ではない。俺が口を滑らせることによって影響を受けるのは柳田だ。心が折れるなんて事態は必ず避けなければならない。思わず口を割ってしまいそうになるその顔が視界に入ることがないよう、顔を逸らしてその体を押し返した。
「おいおい言うって」
「おいおいっていつ?」
「おいおい」
「ねぇー」
「ほら、早く行くぞ。電車乗り遅れる」
放っておけば延々と聞き出してきそうな環の腕を掴み、引っ張った。納得した様子はないが、大人しくなった様子の環を見て胸を撫で下ろす。
数分前まで上機嫌に揺らしていた紙袋の取っ手をギュッと握りしめる。しばらくは、過敏になっているだろうから慎重に行動しよう。そう決意を込めて。
当初の目的は恋の協力であったが、自分が好きなものを肯定されるのは気分がよく、いつの間にか布教のような形になってしまっている。結論から言うと、どちらも成功だ。バイト代が入ったら単行本を買うのだと柳田が豪語していた。環との関係も良好だ。最新話に到達するまではファンとは言えないという柳田は、漫画の話こそしていないが、「移動教室だるいね」「明日提出の課題やった?」というなんてことない世間話をするようになっている。幸いにも、柳田の斜め後ろに俺の席があるため、授業間の短い休み時間に会話をしても違和感はない。そこに環が合流するという形で、3人で会話を弾ませている。柳田の目論見通り、俺を足掛かりに環との自然な交流を重ねることができている。
そんな2つの成功を前に、俺は上機嫌で通学路を歩いていた。いつもは耳障りだとさえ感じる小学生のはしゃぎ声や、憂鬱そうなサラリーマンの溜息も気にならない。手に持っていた紙袋の中身が、しっかりとした重さの6冊の漫画でなければ、ぶんぶんと振り回していたところだ。振り回す代わりに、指先で振り子のように揺らす。前後に揺れるおもりに合わせて、喉から軽やかなメロディを流した。
「おーはーよっ」
背中に突進された衝撃で、つんのめった俺は体勢を立て直し、振り返った。
「おはよ」
いつもであれば「うるさい」だとか、「重い」といった言葉を、眉間に皺をよせてあくび混じりにぶつけているところだが、今日は機嫌がいい。転びかけたことにまるで気づいていないように、にこにこと挨拶を返した。そんな俺の様子に呆気にとられた環は、一拍の間動きを止めた。
俺は朝が弱い。出会った当初、小学生の頃はそんなことはなく、むしろ誰が一番早く登校できるかクラスメイトと競い合っていた。しかし、学年が上がるにつれてだんだんと寝起きが悪くなり、今となっては立派な寝坊助へと変貌を遂げている。週末遊ぶ約束をしたはずの俺が集合場所に来ず、何かあったのかと家に押し掛けた環を、寝ぼけた眼を擦りながら出迎えたことは1度や2度ではない。そんな寝汚い俺が朝から上機嫌であることは、環にとってそこそこの衝撃だったらしい。軽い足取りで離れていく俺の肩を掴み、体を半転させた。
「今日、めっちゃ機嫌よくない?」
「そう?」
「そうだよ。そうでしょ。何かいいことでもあったの?」
「別に~」
訝しげに顔を覗き込む環を置いて、1人で歩き始める。そんな釣れない俺の肩に、いつものごとく腕を回した環は頬をふにゅと潰した。無理やり合わせられた目を正面から覗き込まれる。
「ねぇ、気になるじゃん。教えてよ」
「やだ」
「何でぇ!?」
冬休みに入る頃には教えなくもない。そんな言葉を心の中で呟いた。その頃にはきっと、この幼馴染と素直なクラスメイトの仲は今とは違う形になっているに違いない。そして、俺のおかげだぞと小突いてやろう。近い未来に思いを馳せ紙袋を揺らすと、環の脚に当たったようで「いてっ」と声が上がった。
「あ、ごめん」
「ん-ん。てかこの前から気になってたんだけど、それ何?」
環の視線が紙袋に向く。紙袋の中から見えるのはアパレルショップのつるりとした黒のショッパーだ。校則違反に厳しい教師からの目眩しを兼ねている。自然に仲良くなりたいと聞かされた手前、その中身を馬鹿正直に伝えるわけにいかず、鼻歌を止めた俺は目をくるりと回し、とぼけたように首を傾げた。
「あー……荷物?」
「何の?」
「何でもいいだろ」
「よくない。今日何も教えてくんないじゃん」
不満気に唇を尖らせた環が俺の肩に凭れ掛かる。駄々をこねていただけの声が、甘えたようなものになった。顔を覗き込めば、眉を在らん限り下げた庇護欲を掻き立てられる顔をしているのだろう。そうすれば教えてもらえると分かっているのだ。しかし、今回は自分1人の問題ではない。俺が口を滑らせることによって影響を受けるのは柳田だ。心が折れるなんて事態は必ず避けなければならない。思わず口を割ってしまいそうになるその顔が視界に入ることがないよう、顔を逸らしてその体を押し返した。
「おいおい言うって」
「おいおいっていつ?」
「おいおい」
「ねぇー」
「ほら、早く行くぞ。電車乗り遅れる」
放っておけば延々と聞き出してきそうな環の腕を掴み、引っ張った。納得した様子はないが、大人しくなった様子の環を見て胸を撫で下ろす。
数分前まで上機嫌に揺らしていた紙袋の取っ手をギュッと握りしめる。しばらくは、過敏になっているだろうから慎重に行動しよう。そう決意を込めて。
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