【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

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勿忘草

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「ねぇ聞いた?」
「何を?」
「2組の柳田さん振られたんだって」
「え、ゆきが?」
「そう」
「ガチ?」
「ガチ」

 文化祭2日目の終盤。一般客の帰宅の波に乗りながら教室に戻っていたときのことだ。花火大会の帰りのように、なかなか進まない人混みに、僅かな苛立ちを覚えていた時、不意に滑り込んだ噂に思わず聞き耳を立てた。

「今日?」
「らしい」
「まじかぁ、きっつー。明日楽しめないじゃん」
「それな」

 前を歩く女子生徒2人の会話はデリケートなものだが、周囲の喧騒がそうさせているのか声を潜めることはない。だからこそ俺の耳にもしっかりと届いた。

 2人の中履きの色から察するに、彼女たちは同学年だ。いくら噂話とはいえ、上級生を呼び捨てにするとは考えにくい。そして、1年2組の柳田は、俺がこの数ヶ月感恋愛相談にのっていた柳田ゆきただ一人だ。
 
 柳田が振られた。その耳を疑うような話に頭を殴られたような衝撃に襲われる。柳田が振られる理由はないはずだ。少なくとも、数日前まで2人は仲睦まじげに時間を過ごしていた。事情を知る俺はもちろん、知らないクラスメイトでさえ、そう認識していたのだ。それなのに振られたという。
 理由が分からない。柳田が振られることなどありえないはずだ。彼女たちの勘違いではないのか。文化祭りと言う特殊な状況に駆り立てられ、誰かが下世話な噂を流したとか。しかし、環のタイプを体現したような素直で真っすぐな彼女が、誰かから恨みを買うというのは更に想像ができない。
 
「てか告るなら普通明日じゃない?」
「焦ったのかなぁ。でも分かるわ。彼氏と文化祭回りたいもん。あー私にもいい人どっかにいないかなぁ!」
「分かる。私にだけ優しいイケメンの彼氏欲しい」
 
 話題は一転二転し、柳田の話はすぐに終わった。2人の勘違いではないかと確認する術はない。

 スラックスのポケットに突っ込んでいるスマホを取り出そうとしてやめた。柳田が振られたという話が本当だったとして、何と声をかけるべきなのか分からない。残念だったね? 他にいい人がいるよ? 脳内に浮かび上がったどのフレーズもしっくりこない。それに……。

「そういえば! 明日のステージ新田くん出るんだって!」
「え! どこ情報!?」
「先輩から聞いた」
「待って知らなかったんだけど! 場所取りしないと! てか教えてくれてありがと」
「ドラムの人が怪我しちゃったらしくて急遽代理が決まったんだって。お礼はスタパでいいよ」
「奢る奢る。新作でいい?」
「まじ? 言ってみるもんだわ」

 口元を手で抑え、深く息を吸う。

 だめだ。この感情は 抱いてはいけないやつだ。
 ……柳田が振られて嬉しいだなんて。人として最低なことだ。そう頭では分かっているのに、ゆるゆるとあがる口角を抑えられない。
 心臓がとくとくと喜色の音を奏でる。もしかしたら、なんて。そんな浅はかな幻想。分かっている。そんなことはあり得るわけがない。しかし、文化祭特有の高揚感に包まれた空気に影響されたのか、都合のいい考えが湯水のように溢れ出して、心を覆いつくした。
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