【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

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勿忘草

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 教室に入っても柳田からは何も報告はなかった。しかし、俯いたまま顔を上げない姿とその隣で背中をさする友人の姿から、あの噂が本当であることを察した。
 ホームルームとは形だけで、展示物の合間に立った生徒が揃っているかど確認せずに、怪我やトラブルがないようにとありきたりな文言を並べる担任の話は耳を滑り、ゆるゆると上がる口角を隠す様に俯いていた。

「あざみ、帰ろ」
「環……」

 柳田を見ず、真っすぐと自分の方へと向かう環の姿に、喜びと少しの罪悪感が湧き上がる。柳田へ視線を送るが、それが交わることはない。泣いているようにも見えるその背中を見つめていると、強引に腕を引かれた。

「帰るよ」

 そう言って有無を言わさぬ様子で教室から連れ出される。その横顔はどこか苛立っているようで、何かあったのかと首を傾げる。ぼんやりと見つめながら怒りの原因を考えていたはずだったが、思考を巡らせているうちに俺の関心は柳田を振った理由の方へとシフトが変わっていた。

 腕を掴まれたまま、普段より乗客の多い週末の電車の中で、一言も話さない環を見る。目は合わない。不自然に逸した視線の先で車窓をじぃっと見つめている。それが寂しくもあり、ありがたくもあった。柳田のことをどう尋ねればよいのか。そもそも俺が踏み込んでもいいのか。聞いたとして、どんな対応を取るべきなのか。そんな考えが頭の中をぐるぐると回る。
 
 気が付けば、あっという間に最寄り駅に到着した。同じ目的地の乗客の波に乗って、押し出されるように電車を降りる。その間も腕は掴まれたままだった。環にとっては単純に掴んだことを忘れているだけだろう。しかし、どうせなら手を繋ぎたいなどと浮かれた自分が顔を出す。環の指が沈んだ黒い服。その服に、ふと違和感を覚えて「あ」と呟いた。その声を拾ったのか、無意識に止まった足取りで気付いたのか、小首を傾げた環が振り返る。

 あ、目合った。
 
 そんな些細な出来事で舞い上がるほど浮かれているらしい。加えて、蒲田から借りたパーカーを返し忘れていることにも気が付かなかった。こちらに関しては、蒲田の言葉が心に深く刺さっていたことも原因ではあるが。

「ごめん、何でもない」

 そう声をかけ再び歩き始める。洗濯をして返すとしても、詫びの連絡は入れておいたほうがいいだろう。スマホを取りだし、蒲田とのチャットを開こうとしたところで手を止めた。蒲田との会話は大半が準備時間のことに関してだ。俺が委員会だと言い張る一方で、蒲田はサボりだという言葉をよく使っていた。蒲田とのメッセージ画面を開けば、当然その会話が見えるだろう。ちらりと隣を見れば、いつから見ていたのだろうか、環が画面を見つめていた。

「あー、ごめん先行ってて」
「……は?」

 虫の居所が悪い環に、ここ数ヶ月感のサボりがバレるのは得策ではない。一度距離を取って連絡を取ったほうがいい。離してと伝わるように、掴まれた腕を軽く振れば、俺の意志とは反して環の手が強く食い込む。

「何で?」
「先輩に服返すの忘れてたから連絡入れたくて」

 パーカーとスマホを往復して、不機嫌そうに目を細める。
 
「ここで送ればいいじゃん」
「あー、いや、電話の方がいいかなって」
「電車乗ってたら出られないでしょ。メッセージのほうが確実じゃない?」
「そーだけど……」

 そうだけど。『スタンプを送りました』と記されたウィンドウを開くわけにはいかないのだ。どう言えば角を立てずに伝えられるだろうかと、視線を右往左往させたときだ。

「何。見られたら困るようなことでも――」

 環の手がスマホに伸びる。咄嗟にその手を弾き飛ばした。乾いた音が弾け、はっと顔を上げれば、うつむく環が視界に入る。

「ごめん!」

 通路の真ん中に立つ2人に、通行人が邪魔だと言いたげに視線を送る。それにすら気づいていないようで、下を向いたままの環は腕を掴む手に力を篭めるばかりだ。
 もう一度、「ごめん」と呟くように言ったが、何も反応はない。

「やっ、ぱ、辞めとこうかな」

 ははっ、と意味もなく笑い掴まれた手を引く。

「環の言う通り、電話はやりすぎだよな。そういうこと気にするタイプじゃなかったわ。それに、先輩制服で過ごしてたし、そもそも返してないことにも気づいてないかも」

 動いて欲しいときには、意味をなさない音ばかりを出すだけの口も、こういうときにはよく回る。それが、言い訳じみた言葉をより不自然なものにする。人波を掻い潜る間も、環は何も言わず、大人しく後ろをついてきていた。
 
 駅構内を出て、見慣れたロータリーで俺は足を止めた。平日の放課後は俺の家へ向かうことが多いが、土曜授業などの時は、街へ出かけて時間を潰すことがほとんどだ。時折、俺の家で過ごすこともあったが、それも親が留守にしているときに限った話である。今日は、両親ともに在宅だ。平常ならば、そのことを伝えて解散をするところだが、この状態で別れるのはよくないのではないだろうか。そんな葛藤が伝わったのか、環が漸く顔をあげる。

「あざみ、今日暇?」
「まぁ……」
「そ」
「……なんで?」
「この前できなかったでしょ」
「……ゲーム?」

 尋ねるが返答はない。

「環の家でってこと?」
「どっちでもいいよ」
「環の家でいいよ。わざわざ取り行くの面倒だろ」
「じゃ、決まりね」

 環の顔がへらりと笑う。見慣れたその笑みにわずかな違和感を覚えながらも、環に誘われた事実と、その隣を脅かす相手がいなくなった事実に浮足立った心は、気に留めることもなく今度は環に手を引かれる形で歩き始めた。
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