【完結】白銀を捧ぐ

白井ゆき

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エピローグ

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 いつも通り無人の図書室。ここ最近は、沈んだ心のまま怠惰に過ごしていた委員会の仕事中。
 その原因はすっかりなくなり、仕事がないとは言えネガティブモードに付き合うどころか相談にまで乗ってくれていた蒲田に謝礼をしなければと意気込んでいたのだが、今度は別のことで頭を悩ませている。
 その種である左腕に絡みつく環から離れようと身を捩るたび、巻きつけた腕に力を込める環に何度目か分からない溜息をついた。

「無事付き合えたんだね。おめでとう」
「……あざっす」

 そんな状況をあっさりと受け止め、ことのあらましを察したらしい蒲田の祝福の言葉も羞恥を煽るだけだ。

 学校では必要以上にくっつかず、これまで通りに接してほしいという要望を聞いてくれていたのだが、HR終了後に「図書室行ってくる」と言った途端にこれだ。
 さすがに教室でこれはまずいと引きはがしたはいいが、人気のない特別棟に入ってからは左腕から離れなくなってしまった。
 仕方がないと、とりあえずカウンターの中に招き入れ、あの手この手で引きはがそうとしているところで、遅れて蒲田がやってきた次第である。

 口にはしないものの、雄弁に語る目から送られる生暖かい視線に、置き場に困った視線を右へ左へと忙しなく動かしていれば、環が蒲田に鋭く睨んだ。

「そう、あざみは俺と付き合ってるから手だそうとか考えないでね」
「環! だから、先輩のことは全部誤解だって言っただろ!」

 間髪入れずに口を塞いで注意する。

 そんなことでは怒らないとは分かっているが、不愉快な気持ちになるだろうと慌てて謝れば、愛想のいい笑みを浮かべながらそっと首を振る蒲田に胸を撫で下ろした。

 互いの気持ちを確認し合い、無事付き合うことになった俺たちだが、泣き止んだ俺を待っていたのは環からの質問攻めだった。それも蒲田との関係を疑うものばかり。
 一体全体何をどう見れば俺と蒲田の間に恋愛感情が生まれると見たのか甚だ疑問だが、環は本気でそう思っていたらしい。
 体の関係を持つための言い訳として、練習のためと言った俺にも非はあるから、表立って責めることはできないが、俺とあの先輩の間には環が考えているような関係は微塵もない。

 蒲田に対して恋愛感情は微塵も抱いていないこと、それから恋愛相談にのってもらっていたことを伝え、納得したと思っていたのだが、そういうわけではなかったらしい。
 前々から感じていた蒲田に対するあたりの強さは、これが原因なのかもしれない。

 罪悪感が湧き上がり、もう一度謝ると拗ねた環の頬が膨らんだ。空気の溜まった頬を触りたい気持ちをぐっと抑え名前を呼ぶと、不満げな目が見上げてくる。
 それすらも可愛く見えてくるのだから重症だ。そんな気持ちを悟られないように、眉間に力を込めると、環の頬が一層膨らんだ。

「何? てか舞い上がってたから忘れてたけど、俺、あざみがコイツとチューしてたこと許してないから」

 たまには俺から頬を潰してみようかと手を伸ばした時だ。環の口から落とされた事実無根の爆弾発言に、その場に立ち上がる。

「っ、は!? するわけねぇだろ!」
「してた」
「しないって!」
「してた! 俺ちゃんと見たから!」
「するわけねぇだろ! 先輩からも何か言って――」

 俺一人で応戦してもきりがないと蒲田へ助けを求めると、「あっははは!」と豪快に笑い声をあげる。

「やっぱり、あれ小田原くんだったんだ」

 なんていいながら目元に浮かんだ涙を拭うものだから、環の視線は鋭くなる一方だ。こんな時までからかうのは勘弁してくれと蒲田へ厳しい視線を送るが、依然として破顔させたまま「ほら」と続ける。
 
「言ったでしょ。直接的だって」
「何のことっすか?」
「あの日ね、小田原くんは見てたんだよ。あそこから」

 そう言って、俺と環の後方――窓の外を指さす。その先には3年生の教室と多目的室とは名ばかりの空き教室が連なる校舎があるだけだ。

「見てたって、は?」

 その校舎と環の顔を交互に見やれば、次第に居心地が悪そうに視線を逸らした環の顔を凝視する。反応からして、環は向かいの校舎のどこかから、この図書室の様子を窺っていたらしい。一体何のために何て野暮な質問は飲み込んだ。

「いや、何してんのお前……」
「別にぃ、たまたまだし……」
「たまたまって……。いや、見てたとして、先輩とは何もしてないじゃないっすか」
「やだなぁ、忘れちゃったの? したでしょ、練習」
 
 カウンターを挟んで向かいに立った蒲田の顔がすっと近づく。その途端、間に割り込んだ環が蒲田の顔をむんずと押し退けた。

「ちょっと!」

 不躾な態度を咎めることなく、再び笑い声をあげた蒲田に「ほんっと嫌い、この人」と環の眉が吊り上がる。

「た、環! 本当に、本当にしてないから!」
「じゃあ、何であんな顔近づけてたわけ?」
「そ、れはぁ」

 ふいに、蒲田の提案が蘇る。環の気を引くめ、なんて理由を直接伝えることはとてつもなくハードルが高い。その先の言葉を急かされる俺を見かねた蒲田が、顔面に押し付けられた環の手をどかしながら口を開く。

「練習だよ、練習。水野君すぐ赤くなっちゃうからさ。小田原君の気を引くのが効果的かなって。ほら、押してダメなら引いてみろって言うでしょ」
「あんたには聞いてないんですけど」
「まぁ、練習の意味はなかったんだけどね。水野君が赤くなるのは小田原君に対してだけみたいだし」

 たちまち上機嫌になった環に顔を覗かれる。至近距離で見つめる垂れ目にぶわっと顔が熱くなり、誤魔化す様に腰を下ろした。

「そうなの?」
「近い!」
「えぇー」

 前方から注がれる生暖かい視線が痛く、環を押しのけた。「痛い」だの「ひどい」だの喚いている環を無視して蒲田を見る。

「あの、ありがとうございました。いろいろ」
「お礼言われるようなことなんてしてないよ」
「でも、聞いてもらえるだけでも楽になれたんで……」
「そう?」

 あの頃の俺にとっては、身近に同志がいるという事実だけで勇気が湧いたし、肩の荷を下ろすことができた。相談できる相手の存在はそれだけ大きかったと思う。
 蒲田の態度についつい軽口を叩いてしまうが、心から感謝している。

「でもまぁ、元気になったみたいでよかったよ」
「……っす」
「これで遠慮なく揶揄えるしね」

 あけすけのない蒲田の言葉に感謝の念が霧散する。そんな態度だからこそ、こちらも楽でいられるわけだが。感謝と呆れが同時に湧き上がり、ぐにゃぐにゃと顔を歪めながら笑い交じりの溜息をついた。



 揶揄う対象が増えて上機嫌の蒲田と、へそを曲げてばかりの環に挟まれて、いつも以上に気疲れした図書委員の仕事を終え、漸く家にたどり着いた。
 もうすぐ母親が帰ってくる時間だが、別にいいらしい。絶対に俺の部屋に行くと言う環と、空気が冷たい部屋の定位置に腰を下ろす。

「あざみ、あの人と2人っきりになっちゃダメだよ」
「んな無茶な」
「絶対2人っきりになっちゃダメ!」

 そう言ってしがみ付く環の頬を指先で突いてみる。すると、吊り上がっていた目が、きょとんと丸くなり、やがて解けるようにふにゃりと笑う。
 環の頬を撫でたまま、つられるように頬を緩ませる。

「つっても、人来ねぇし」
「俺が居座る」
「そこまでする?」
「するの」

 再び拗ねたように頬に空気をためた環に愛おしさがこみ上げる一方で、僅かな不安が胸をよぎる。

 俺が心を悩ませていたことと同じくらい、いや、それ以上に長い間、環は苦しんでいた。俺が環と柳田の関係を信じてしまったように、環も俺と蒲田の間にないものを見出してしまっているのかもしれない。
 俺も、付き合っているという事実が信じられなくて、夢なのかもしれないと疑ってしまうくらいだ。

 甘えるように俺の肩に顔を寄せる環から視線をずらして、そっと口を開く。

「……俺が好きなのは環だけだよ」

 恥ずかしさをごまかす様に指先を絡めると、環は、ふふ、と嬉し気に笑みを溢した。

「知ってる」
 
 肩を引き寄せられる。視線をあげた時には、目の前に環の顔が迫っていた。
 ふわふわとした黒髪が頬を擽ると同時に、唇を軽く吸われる。慣れない行為に顔が赤くなる。

「あざみ」
「な、に」
「好き。大好き。もう俺以外のこと見ないでね」
「……おう」

 環の言葉に小さく頷いた。

 何も言わなくても分かり合える関係が理想だなんて聞くけれど、そんなものはない。
 どんなに近くても、言葉にしなければ伝わらないことはある。
 たった一言を飲み込んで、零れ落ちていく関係を見るだけなんて、もう懲り懲りだ。
 
 満足気に離れようとする環のネクタイを手繰り寄せる。
 
「ずっと、環のことしか見てないよ」

 驚いた様子で目を瞬かせる環に、今度は俺の方から唇を寄せた。
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