徒花の彼

砂詠 飛来

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虚偽の彼

六、

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「僕が怖い?」

 先生は俺の上に跨り、俺の髪を撫でてくる。

「なにを考えているのか判りません」

「それが怖いってことだよ」

 俺の着ているものを静かに肌蹴させ、露わになった胸を冷たい手で撫でまわす。俺は自分の息が熱くなってゆくのを感じながら、同時に冷や汗もかいていた。

「どうしたの。暑い?」

 ばっちりと先生と目が合い、無言で首を横に振った。なにか発言しようとしたら、きっと余計なことを喋ってしまうかもしれない。そんなことばかりが怖くて、なにも発することができない。

「暑いなら、脱がないとね」

 顔は笑っているのに、口調は不気味なほどおとなしく、機嫌が悪いのではないかと思うほどだった。腹を立てているようにも感じるし、感情もなにもない無機物のようにも感じる。

 俺には聴こえない声でなにかをぶつぶつと呟きながら、先生は俺を裸にさせた。いつもなら自分から脱ぐのを手伝うが、今日の先生の気迫で、俺はされるがままだった。

「暗いね」

 言いながら先生は部屋の照明を明るくし、俺の着ていたものと毛布を床に投げた。

 真っ白なシーツに、横たわる裸の俺。着物をきっちりと着た先生。

「きれいだね。僕に絵の才能があれば、このまま絵にしてしまいたい」

 先生は再び俺に跨ると、頭の上から順番に、足の先までキスを落としてゆく。

「そうだ」

 なにかを思い出したように、愛撫をやめた先生は、じっと俺の目を見る。

「もういいよね」

 そう言うと、先生は俺の性器に手を伸ばした。

「あ」

 触れられたことに対しての声よりも、なにをされるかを考えて怖ろしくなって、声が出た。

「やっぱり、まだ無理?」

 二、三度やさしく撫でたかと思うと、それをおもむろに口に含んだ。

 生温かい感触と、なんとも言えない湿っぽさと、時折あたる歯がこそばゆい。

「それ、無理‥‥っ」

 先生と初めて身体をつなげた時、場所は生活係の教室だった。先生はそれなりに慣れているようだったけれど、俺はこういうこと自体が初めてで、されるがままだった。

 それでも〝口でご奉仕〟がどうにも受け入れられなくて、その時はとにかく拒んだ。先生はすこし哀しそうな顔をしたけれど、そのあとは優しく抱いてくれた。

「なんで無理なの」

 口から一度離し、俺を見る。

「なんか、無理‥‥なんでだろう‥‥」

「食わず嫌いなんじゃないの、君は」

 どう答えようか逡巡していると、それが待てないというように先生は再び口に含んだ。

「んっ、はぁ、あ‥‥」

「んぁ、ん‥‥」

 もう、自分か先生か、くぐもった声が互いにまざりあい、どちらの声だか判らなくなる。

 それからはもう、身体中を駆け巡る快感と恥ずかしさと、不気味な先生の妖艶さに酔い、なにも覚えてはいなかった。

***

 先生は俺を風呂場に連れ込み、蛇口をひねった。シャワーヘッドから、まだ冷たい水がとめどなく降ってくる。裸の俺も、和服姿の先生も、すぐにびっしょり濡れる。

 先ほどのご奉仕で、俺はみっともない姿を先生に晒してしまったらしい。なにも覚えてはいない――覚えていたくないだけなのかもしれないが、先生の話によると、幾らも扱かないうちに、俺は先生の口のなかに熱を吐き出してしまったようだ。いきなりで先生も受け止めきれず、俺の身体にもシーツにもこぼしたという。

「そんなに気持ちよかったの?」

 水を含んで重たくなった髪が顔にかかる。それを拭いもせず、ただ懺悔するような格好で床のタイルに手をつく。

「泣いてたよ、君。どんな種類の涙だったのかは判らないけど」

「‥‥へぇ。先生、俺を泣かせたかったんでしょう。よかったじゃないですか」

 自分でも驚くほど低く掠れた声だった。そんなに俺は声をあげて感じて、涙を流したというのだろうか。想像もしたくない。自分の目が自分自身の顔を見られない造りで本当によかった。

「拒むわりには、それなりに身体が反応してたから、やっぱり食わず嫌いだったんだなって」

「俺、覚えてませんから」

 先生を見あげる。

「もう判らないね」

 先生も俺もびしょ濡れで、みすぼらしかった。それでも、先生には絶えず色気が漂って見える。

「なにがですか」

「涙」

「え」

「こうやってなにもかも洗い流してしまえば、どんな涙だったのか、判らなくなる」

「‥‥俺を泣かせたかったくせに、洗い流しちゃっていいんですか」

 先生は俺の前にしゃがむと、顔に張りついた髪を拭ってくれた。

「冷えてるね、身体。本当に冷え性なんだ」

 あたりに湯気がたち込め、身体にあたっている水がお湯に変わってきたことに気がつく。

「素っ裸にされたら誰でも寒いです、こんな真冬に」

 自分でそう言ったところで、そういえば正月だったと思い出す。

 顔にシャワーのお湯がかかり、目を開けていられない。先生がどんな表情をしているのか判らない。お湯から顔を逸らそうにも、先生の添えられた手から逃れられない。

 前髪から、まつげから、鼻から、顎から、雫が滴る。俺も、先生も。

 先生はすこし顔をしかめ、俺をきつく抱きしめた。

「‥‥どうしました」

「いまさらそんなこと訊くの」

「お酒の勢いで無かったことにしようとしてるなら、俺‥‥許しませんから」

「あはは」

「笑って誤魔化してもダメです。俺だって気づきますよ、もう、酔いは醒めてるんでしょ」

 そうだ。先生は、もう素面しらふだ。酔ったフリをしている。そうでもしないと、俺に乱暴なことはできない人だ。

    俺には判る。橋本結城には判らないことが、俺には判るんだ。酔っているとき俺のことを〝お前〟と呼んでいたが、しばらくすると普段のように〝君〟に戻った。原瀬、と虚ろに呼ばれた瞬間もあったが、やはり酔っぱらってのことだろう‥‥。

 シャワーのお湯によって温められた俺と先生の身体。

「俺、もう二度と先生にお酒を飲ませないようにします。懲りました」

「そうかぁ。君が成人したら一緒に飲みたいと思ってたのに」

「‥‥俺が成人するまであと数年、一緒に居てくれるんですか」

「――参ったなぁ。僕は一緒に居るつもりだったのに。哀しいこと言わないでよ」
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