徒花の彼

砂詠 飛来

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虚偽の彼

七、

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 それから先生は、俺を立たせて壁に手をつかせ、後ろから俺の身体を貪るように抱いた。なんとか立っているのが精いっぱいで、先生の顔を見ることも、もっと誘うようなこともできず、ただ快楽に身を委ねていた。

 立ってヤるのも、後ろからも、風呂場も、初めてのことばかりで、ただ床に叩きつけられるシャワーの音と、耳許で聴こえる先生の荒い息遣いばかりが俺の頭のなかをぐるぐると駆け巡った。自分の嬌声がどんなものか、聴く余裕もない。きっと、聴くに堪えないものだろうから、聴きたくもないが。

 それでも、水音にまじって聴こえてくる息遣いや感じている声が、先生のものだと思って気にしていなかったのに、どうやらそれが俺自身のものだと判明すると、無意識に声を抑えようとしてしまう。素直に感じる身体とリンクして、俺は声をもらしてしまう。堪えようとすればするほど、俺の声には色がついてゆく。

 先生は濡れて重たくなった着物のままだった。袖や裾が俺の素肌に張りついたり剥がれたりを繰り返して、すこし気持ち悪かった。それでも、そんなことに気をまわしていられなくなるほど、先生の熱がすごかった。めくりあげられた着物の裾から覗く先生の白い脚に、俺も熱くなっていた。

「出そうだね」

 先生が俺の性器を優しく包んだ。

「やめて、もう。俺、もう‥‥っ」

 うまく言葉にならない。先生の熱と、自分の熱と、その優しい手の体温と。心地いいのに、早く解放されたい。解放された先に、これ以上の快感が待っているのだと知ってしまっている俺の身体は、もうおかしくなったまま。

 ただ手に包まれているだけなのに、どうしても、熱を吐き出すことができない。先生の手を汚してしまうことを考えたら、なにかが俺自身を止めている。

「いいよ、ほら。苦しいでしょ」

「だめ。先生の手が、汚れちゃう‥‥」

「さっきは口だったから」

 そのひとことで一気に血液がかけめぐり、俺はついに放出してしまった。

***

 気がつくと、俺は湯船に肩まで浸かっていた。先生も、濡れた着物をその場に脱ぎ、湯船に入ってきた。

「あの」

 すぐに意識を飛ばしてしまう自分が恥ずかしい。いままで抱かれているときはこんなことなかったのに、先生が自分勝手に俺を抱くとこうなるのか。これからがすこし怖い。

「大丈夫、いろいろ綺麗にしてあるから」

 一見、狭いかと思った浴槽だったけれど、大の男がこうしてふたりで入ってもまだ広く感じられた。湯の色は乳白色で、互いの身体が見えない。

 水面から見え隠れする先生の鎖骨が、浴室の照明に照らされて光っている。

「いろいろって――」

「いろいろ。ごめん。僕も余裕が無くなって、君のなかに」

「ああもういいです判りました」

「今度はさ」

「まだなにか」

「君が僕を抱いてみてよ」

「は?」

 目の前の男がなにを言い出したのか理解できず、凝視してしまう。

「いや、どっちのが気持ちいいのかなって」

「俺は厭です」

「どうして?」

「‥‥だって、男の抱き方なんか判りませんよ」

「抱かれ方は判ってるって?」

「そ、そういうことじゃなくて! 俺は! その‥‥誰かを抱くとか、そういうこと、したことなくて‥‥」

「あー‥‥なるほど。やっぱり初めては女の子とがいい?」

 なにを言っているんだこの人は。俺にいまさらそんなことを言って、どんな返事が欲しいというんだ。

「先生は、俺が女とヤってもいいんですか」

「んー。どうかな。君がそうしたいなら、ひとりふたり紹介するよ、女の子」

「‥‥‥」

 湯船のありったけのお湯を、手ですくって先生の顔にかけてやった。

「こら! なにするの!」

 先生が苦しんでいるあいだに浴室を出る。先生なんか、溺れてしまえばいい。

 床が濡れてしまうことも構わず、濡れた身体をそのままに寝室へ向かう。

 ベッドへ思いきり倒れ込もうと思ったが、足元に丸められたシーツに白く光る謎の液体状のものを見てしまい、一気に青ざめた。

 いつもだったらこんな風に出したりしない。汚れないように気を遣っているのに。今日はそんなところへ気がまわらないほど、俺の意識はどこかへ行っていたらしい。

「風邪ひくよ」

 大きなバスタオルで髪を拭きながら、先生が現れた。腰にタオルを巻いた姿で、ぼんやりと俺を見つめている。先生のそのタオルを見て、初めて俺がなにも纏わずにここまで来てしまったことに気がついた。

「君、家では裸で過ごすタイプ?」

「ち、ちが‥‥!」

「どうでもいいけど、裸は僕以外の奴には見せないでね?」

 先生が髪を拭いていたタオルを俺に向かって投げた。

「新しいタオルがいいです」

「自分で取りに行ってくれる?」

 まだ雫が滴る髪を揺らしながら、先生が笑った。
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