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昔歳の彼
三、
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客のピークも過ぎたころ、僕はもうすぐ休憩に入ろうとしていた。
トレイに乗せた試食用のチョコレートも、残りひとつとなった。通行人や来店客にたくさん声をかけ、試食してもらう。切らしてはいけないと大量に用意し、タイミングよく補充にゆく。僕の動きは完璧だった。そして、残るチョコレートはただひとつ。在庫は、もう無い。
休憩中に自分で食べてしまおうかとも思ったが、バレンタインのチョコだと考えるだけで食う気は失せた。
「あの」
ひとりの男の子が困り顔で声をかけてきた。ブレザー姿で、中学生か高校生だろうか。
「試食ですか? どうぞ」
咄嗟に作り笑顔で応対する。
「あ。じゃあいただきます」
学生はすこし控えめに手を出し、チョコを頬張った。
「‥‥美味しい」
その声はとても小さく、傍に立つ僕でもようやく聴きとれたのだが、彼は可愛らしく頬を緩ませていた。
「お求めですか? いま商品をお持ちますよ」
ホワイトデーでもないのに男の子が買いに来るなんて不思議だと思いつつも、僕はごく自然に接客する。
「あー、あの。お酒に合うチョコってありますか?」
学生は口の端についたチョコを拭いながら言った。
「お酒? あれ、君、学生だよね?」
なにやら不穏なものを感じ、僕の口調も変わる。
「あの、俺が食べるんじゃないんです。俺は酒なんて飲まないし‥‥っていうか飲めないし、その‥‥」
なにかを言いづらそうにしている。さまざまなところへ視線を動かし、必死に言葉を探しているようだった。
「あげる相手が、お酒を飲むの?」
「‥‥そう、そうです!」
学生は、ぱぁっと表情を明るめて頷く。
「誰かな。お母さん? お父さん?」
思春期であろう男の子が家族にチョコレートを贈るなんて、なかなか健気な子がいるもんだ、と感心した。しかし、彼はまた言いづらそうに、きょろきょろし始めた。
「家族じゃなくて、学校の先生に、です」
「先生?」
「はい。いつもはお酒飲まない人なんですけど、ワインが好きな人で、特別な日には飲ませてもいいかなって思って。それで‥‥」
飲ませてもいいかなって――彼の言いまわしにすこし違和感を覚えたが、目の前の学生に一気に心を許してしまった。
「その先生のことが好きなの?」
僕はすこし意地悪い声で聞いた。きっとその先生は誰からも好かれる美人教師に違いない。たとえ高嶺の花だとしても、好意を伝えずにはいられないのだろう。
「えっ‥‥あぁ、はい。好きです」
照れくさそうにはにかむ彼に好感を覚えた僕は、彼の肩をぽんぽんと叩き、店の奥へと誘った。
「そうか。いいねぇ、青春だ!」
こんな青春、僕には味わえなかった。
トレイに乗せた試食用のチョコレートも、残りひとつとなった。通行人や来店客にたくさん声をかけ、試食してもらう。切らしてはいけないと大量に用意し、タイミングよく補充にゆく。僕の動きは完璧だった。そして、残るチョコレートはただひとつ。在庫は、もう無い。
休憩中に自分で食べてしまおうかとも思ったが、バレンタインのチョコだと考えるだけで食う気は失せた。
「あの」
ひとりの男の子が困り顔で声をかけてきた。ブレザー姿で、中学生か高校生だろうか。
「試食ですか? どうぞ」
咄嗟に作り笑顔で応対する。
「あ。じゃあいただきます」
学生はすこし控えめに手を出し、チョコを頬張った。
「‥‥美味しい」
その声はとても小さく、傍に立つ僕でもようやく聴きとれたのだが、彼は可愛らしく頬を緩ませていた。
「お求めですか? いま商品をお持ちますよ」
ホワイトデーでもないのに男の子が買いに来るなんて不思議だと思いつつも、僕はごく自然に接客する。
「あー、あの。お酒に合うチョコってありますか?」
学生は口の端についたチョコを拭いながら言った。
「お酒? あれ、君、学生だよね?」
なにやら不穏なものを感じ、僕の口調も変わる。
「あの、俺が食べるんじゃないんです。俺は酒なんて飲まないし‥‥っていうか飲めないし、その‥‥」
なにかを言いづらそうにしている。さまざまなところへ視線を動かし、必死に言葉を探しているようだった。
「あげる相手が、お酒を飲むの?」
「‥‥そう、そうです!」
学生は、ぱぁっと表情を明るめて頷く。
「誰かな。お母さん? お父さん?」
思春期であろう男の子が家族にチョコレートを贈るなんて、なかなか健気な子がいるもんだ、と感心した。しかし、彼はまた言いづらそうに、きょろきょろし始めた。
「家族じゃなくて、学校の先生に、です」
「先生?」
「はい。いつもはお酒飲まない人なんですけど、ワインが好きな人で、特別な日には飲ませてもいいかなって思って。それで‥‥」
飲ませてもいいかなって――彼の言いまわしにすこし違和感を覚えたが、目の前の学生に一気に心を許してしまった。
「その先生のことが好きなの?」
僕はすこし意地悪い声で聞いた。きっとその先生は誰からも好かれる美人教師に違いない。たとえ高嶺の花だとしても、好意を伝えずにはいられないのだろう。
「えっ‥‥あぁ、はい。好きです」
照れくさそうにはにかむ彼に好感を覚えた僕は、彼の肩をぽんぽんと叩き、店の奥へと誘った。
「そうか。いいねぇ、青春だ!」
こんな青春、僕には味わえなかった。
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