徒花の彼

砂詠 飛来

文字の大きさ
38 / 60
昔歳の彼

三、

しおりを挟む
 客のピークも過ぎたころ、僕はもうすぐ休憩に入ろうとしていた。

 トレイに乗せた試食用のチョコレートも、残りひとつとなった。通行人や来店客にたくさん声をかけ、試食してもらう。切らしてはいけないと大量に用意し、タイミングよく補充にゆく。僕の動きは完璧だった。そして、残るチョコレートはただひとつ。在庫は、もう無い。

 休憩中に自分で食べてしまおうかとも思ったが、バレンタインのチョコだと考えるだけで食う気は失せた。

「あの」

 ひとりの男の子が困り顔で声をかけてきた。ブレザー姿で、中学生か高校生だろうか。

「試食ですか? どうぞ」

 咄嗟に作り笑顔で応対する。

「あ。じゃあいただきます」

 学生はすこし控えめに手を出し、チョコを頬張った。

「‥‥美味しい」

 その声はとても小さく、傍に立つ僕でもようやく聴きとれたのだが、彼は可愛らしく頬を緩ませていた。

「お求めですか? いま商品をお持ちますよ」

 ホワイトデーでもないのに男の子が買いに来るなんて不思議だと思いつつも、僕はごく自然に接客する。

「あー、あの。お酒に合うチョコってありますか?」

 学生は口の端についたチョコを拭いながら言った。

「お酒? あれ、君、学生だよね?」

 なにやら不穏なものを感じ、僕の口調も変わる。

「あの、俺が食べるんじゃないんです。俺は酒なんて飲まないし‥‥っていうか飲めないし、その‥‥」

 なにかを言いづらそうにしている。さまざまなところへ視線を動かし、必死に言葉を探しているようだった。

「あげる相手が、お酒を飲むの?」

「‥‥そう、そうです!」

 学生は、ぱぁっと表情を明るめて頷く。

「誰かな。お母さん? お父さん?」

 思春期であろう男の子が家族にチョコレートを贈るなんて、なかなか健気な子がいるもんだ、と感心した。しかし、彼はまた言いづらそうに、きょろきょろし始めた。

「家族じゃなくて、学校の先生に、です」

「先生?」

「はい。いつもはお酒飲まない人なんですけど、ワインが好きな人で、特別な日には飲ませてもいいかなって思って。それで‥‥」

 飲ませてもいいかなって――彼の言いまわしにすこし違和感を覚えたが、目の前の学生に一気に心を許してしまった。

「その先生のことが好きなの?」

 僕はすこし意地悪い声で聞いた。きっとその先生は誰からも好かれる美人教師に違いない。たとえ高嶺の花だとしても、好意を伝えずにはいられないのだろう。

「えっ‥‥あぁ、はい。好きです」

 照れくさそうにはにかむ彼に好感を覚えた僕は、彼の肩をぽんぽんと叩き、店の奥へといざなった。

「そうか。いいねぇ、青春だ!」

 こんな青春、僕には味わえなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

ふたなり治験棟

ほたる
BL
ふたなりとして生を受けた柊は、16歳の年に国の義務により、ふたなり治験棟に入所する事になる。 男として育ってきた為、子供を孕み産むふたなりに成り下がりたくないと抗うが…?!

告白ごっこ

みなみ ゆうき
BL
ある事情から極力目立たず地味にひっそりと学園生活を送っていた瑠衣(るい)。 ある日偶然に自分をターゲットに告白という名の罰ゲームが行われることを知ってしまう。それを実行することになったのは学園の人気者で同級生の昴流(すばる)。 更に1ヶ月以内に昴流が瑠衣を口説き落とし好きだと言わせることが出来るかということを新しい賭けにしようとしている事に憤りを覚えた瑠衣は一計を案じ、自分の方から先に告白をし、その直後に全てを知っていると種明かしをすることで、早々に馬鹿げたゲームに決着をつけてやろうと考える。しかし、この告白が原因で事態は瑠衣の想定とは違った方向に動きだし……。 テンプレの罰ゲーム告白ものです。 表紙イラストは、かさしま様より描いていただきました! ムーンライトノベルズでも同時公開。

平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)

優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。 本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

処理中です...