しらぬがまもの

夕奥真田

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謀りの告白

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…連れて来たわよ?

数え切れない程の“失敗作”を生み出した貴女が、遂に創り上げた“傑作”を…。

どぉ?涙が出る程嬉しい?

逞しく育った姿を見るのは。

それとも、涙が出る程悲しい?

処分しようとしていた“失敗作”に邪魔されただけでなく、剰え、今“彼”が私たちと一緒にいることが…。





…なんて、分かりっこないわよね。

死んでしまった“貴女”の心なんて…。





…でも、私の記憶の中で生きる“貴女”なら、きっと笑いかけてくれるはず。





抱きしめてくれるはず…。





頭を撫でてくれるはず…。





そして、私たちを家族と呼び、愛してくれるはず…。







ん…。

冷んやりとした空気に、毛布からはみ出た肌を撫でられ、ボロ切れと変わらぬカーテンから漏れる微かな朝日に、瞼の裏の瞳を刺激されると、不思議と深い眠りへと落ちていた意識が、覚醒していく。

微かに埃っぽさが残るベッドから起き上がり、深い欠伸をすると共に、ぼやけた視界を擦ると、部屋の中を見渡す。

薄暗い部屋の中では、リウの姉を自称するペルメルと、お風呂に入れられたお陰か、ある程度異臭が取れた、人と魔物が混ざった様な姿形のスクレが、別の部屋から運んできたもう一つのベッドで、互いを抱き合う様にして、まだ寝息を立てている。

また、深夜の内にはその姿が無かったが、いつの間にか戻ってきたらしい、如何にも軽薄そうな印象のアルは、部屋の隅に追いやられたソファに、慣れた様子で体を横たえていた。

しかし、どんなに部屋の中を見渡しても、肝心のリウの姿が見当たらない。

この大勢の中で、さすがに同じベッドで眠ることを許可する勇気はなかったが、その代わり、枕や掛け布団など、自身には不要な物を貸し、すぐ近くの床で眠ることを許可しておいたはずなのだが。

そこにも、綺麗に畳まれた掛け布団と枕、そして、買ってあげた防具が置かれているだけで、リウの姿は無かった。

…何処に行ったのだろう?

いつもとは違い、狼狽することもなく、そっとベッドを降り、靴を履くと、寝癖のついてしまった髪に櫛を入れながら、他の者たちを起こさぬよう、気をつけて部屋を出る。

部屋の外の廊下には、昨日漂っていた吐き気を催す様な異臭はもう消えていた。

未だ寝惚けているせいか、欠伸ばかり行うよう指示してくる頭を抱え、リウを探しに屋敷の中を歩いて行く。

到着した頃は夜だったために、その雰囲気に呑まれ、リウたちと共に探検出来なかったが、朝日が昇りつつある今ならば、そこまで怖いとは思わない。

むしろ、彼らの話を鵜呑みにするなら、リウが幼い時を過ごした屋敷だけに、個人的に少しだけ感慨深いものがある気がした。

暫く屋敷の中を、リウを探して歩き回っていると、不意に外から吹き込む、涼しげな風に靡いたカーテンの隙間から、外に立っている彼の姿が目に入った。

いた…!

自然、溢れてしまう笑みや嬉々とした表情を押し殺し、出入り口へと駆けて行く。

立て付けの悪い玄関の扉を開き、外へと出ると、その音に気がついたらしい、軒下に腰を下ろし、体に例の杖を立てかけたリウがいつも通りの、無愛想で嫌味な顔をこちらへと向ける。

「お、おはよ…。は、早いのね」

「…」

相変わらずの無言ではあるが、特に怒っている訳ではないことはよく知っている。

彼を見た召使いたちは皆、顔を顰め、露骨な嫌悪感を浮かべるが、個人的に言わせてもらえば、彼の様に裏表が無く、誰に対しても、平等な態度を取る者の方が信頼出来る。

強い者には媚を売り、弱い者たちのことなど歯牙にも掛けず、金の為ならどんなことだって行う、そんなヴァルカンに住む者たちよりもずっとだ。

「返事くらいしなさいよ!朝の挨拶も出来ないの…!?」

「…あぁ」

何とも気怠げな返事をし、リウはまた顔を外へと向けてしまう。

そんな彼の目の前に、片手に持っていた櫛を突き出す。

「やって」

「…俺には必要ない」

「誰が使って良いなんて言ったのよ…!あんたが私の髪を梳かすの!」

「他のガラクタ共に頼めば良い」

「あ、あんた以外まだ起きてないのよ…!」

「なら起きるのを待て」

「ね、寝癖は早く治さなきゃ、髪が痛むものなの!」

無論、そんな話は聞いたことも無いが、髪の手入れに無知無頓着なリウを説得することは出来たらしく、彼はため息を吐きながらも、静かに櫛を受け取り、後ろへと回りこんでくれた。

櫛を入れやすいよう、今度はこちらが腰を下ろし、リウの優しい手つきに身を委ねる。

…やはり、心地良い。

お金のためだけに頭と体を使い、不自由ない程度に物を与えるばかりで、娘のことなど、まるでそこらに落ちている小石程にも考えていない両親や、金を稼ぐことが幸せへの近道だと盲目的に信じている召使いたちとは違う。

リウからは欲というものを感じない。

この行いをしたから何かになる、という様な、浅はかな知略を巡らしていない。

純粋な善意でしてくれるのだ。

もちろん、彼にもやりたくないという思いもあるのだろうが、だからといって、粗雑な態度を取ることはない。

…それが嬉しかった。

不必要なまでにお金があるせいか、私の周りには、金の亡者たちしかいなかった。

彼ら決まって、私の事ではなく、私の持つお金だけを仰ぎ見ていた。

そして、両親もそうだった。

どうしようもない程の金が既にあるというのに、それを利用し、更にどうしようもない金を増やすことのみを考えていた。

三年前のレイダット・アダマーの蹶起の時、国が密かに兵士を集めているという噂を聞きつけたのか、そこら中にいる、戦えそうな奴隷を先に買い上げ、それら全てを国に献上し、地位と褒賞を得ていた。

そんな両親とは、物心ついた頃からまともに話した記憶がない。

子どもながらに、彼らの邪魔をすることを避けたのか、或いは話についていけないと思ったのか、その理由は分からないが、今はもう、自分から話したいとも思わないし、話を合わせたいとも思わない。

つまり、私は周りには、この上なくつまらない者たちしかいなかったのだ。

そして、そんな者たちに心開くことなど、到底出来ぬ相談だった。

「この屋敷、あんたが幼い頃育った場所なんでしょ…?何か思わないの…?」

慣れない手つきで、同じところの髪を何度も梳かしてくれているリウに尋ねる。

「…特に覚えていない。だから、何も思わん」

「ふ~ん…。なら、あのスクレって人…で良いのかな…?その人ことは?」

「覚えていない」

「そ、そう…!」

…ほんの少し安心した。

急にリウに抱きつき、その胸で泣きだした時には、空いた口が塞がらず、尚且つ、慰める為か、リウが彼女の後ろ髪を撫で始めた時には、目に角を立てる思いで一杯だった。

だが、リウが彼女のことを知らないというのなら、あの行動も所詮は一時的な対応だったのだろう。

それならば、昨日ことも、百歩譲って、寛大に許せる。

「それにしても、何も覚えてないくらい小さかった頃なのに、あんたは屋敷から消えたって、彼女は言ってたわよね?どうしてあんたはこの山を無事に降りれたのかしら…?迷ったら最後だと思うけど…」

昨夜の間、ずっと降っていた雨はいつの間にか上がり、地面はその泥濘を朝日で少しずつ乾かし、葉は残った露を転がす様に味わっている。

早起きな鳥や虫たちの微かな鳴き声に耳を澄ませつつ、朝露に濡れる木や葉、植物や花などを見つめ、山の様子を観察する。

ヴァルカン国の山は全てが火山であり、且つ、その全てが今も生きている為に、このハル国の様に、山に多くの木々は生い茂ってはいけない。

故に、火山の毒や溶岩などで死ぬことを除けば、遭難することなく、無事に麓へと戻ることは難しくないだろうが、こういった、視界の効かぬただの山では、一度方向感覚を失えば最後な気さえしてしまう。

実際、ペルメルの魔法で、何回かに分けてここまで、跳んできた訳だが、ここから足で麓まで辿り着けるかと聞かれれば、大人とはいえ首を横に振る以外にない。

それなのに、住んでいた場所も、共に暮らしていた者も覚えていない程幼かったというリウが、何故山を無事に降りれたというのか。

当然といえば、当然の質問を彼にぶつける。

すると、不意に、髪を梳かす、心地良い櫛の動きが止まった。

「ん…?リウ?」

そっと、背後を振り返り、リウの表情を伺う。

彼は櫛を掴んだまま、軒下から少しだけ見える空を見上げていた。

「リウ…?どうしたの?」

「…来るな」

「えっ…?ちょ、ちょっと、リウ…!?何処触って…!?」

急にお腹に片腕を回されたかと思うと、無理矢理立たされ、そのまま屋敷の中へと引っ張られる。

そして、訳も分からぬままに、扉を閉め、すぐ横の壁へと押し付けられた。

「ちょ、ちょっと…!あんた何してるのよ!?まだ、髪の手入れは…」

文句を言いかけた頭を強く引き寄せられる。

「っ…!?」

「黙っていろ。おそらくすぐに来る」

リウに抱きしめられている…!

第三者から見ればたったそれだけの事に過ぎないのだが、私の心臓はもはや胸から飛び出さんばかりに、拍動を早め、自分自身の声すらよく聞こえない程に鼓膜を揺らしている。

「リ、リ、リ、リウ…!?な、何なの…!?何が…!?だ、だって、ま、まだ朝…!?い、いやでも、リ、リウがしたいなら…!そ、それでも…!」

「…来る!」

「…っ!?」

不意に身体全体を覆う様に、強く大きく抱きしめられたかと思うと、とてつもない地響きがリウの身体共々、私、そして、屋敷を震わせた。

途轍もなく大きなそれは、壊れ掛かった屋敷の中で、器用にバランスを保っていた物たちに、最後の一撃を食らわせたらしく、あらゆる物がそこらじゅうに落ちてくる。

燭台や装飾品、窓ガラスが落下し、自身の身体を覆ってくれているリウの身体へと激突する。

しかし、私にそれを心配するだけの余力はなく、ただ揺れが収まるのを、出来るだけ身を小さくして待つしか無かった。

「収まった…?」

「…」

尋ねるつもりもなく、小さく呟くと、リウの身体が離れる。

「あっ…」

心地良い温かさが離れ、途端に身体が冷えた様に寂しくなる。

しかし、そんな私の気持ちを気にする素振りもなく、リウは櫛を返すと、また屋敷を出ようとする。

その背中や肩にガラスの破片などが突き刺さっているにも関わらず。

「ちょっと、リウ、待っ…ひっ!?」

慌ててそのリウの後を追いかけ、屋敷を出た私は、あまりの驚きと恐怖に小さな悲鳴を上げた。

屋敷の前に、予想だにしない者が悠然と立っていたからだ。

これまで闘技場において、あらゆる醜悪で迫力ある魔物たちを見てきた。

故に、並大抵の魔物を見たとしても、リウが傍にいる限り、恐れた事は無かったし、これからもそんな事はないと思っていた。

しかし、今目の前にいる魔物は、これまで見てきた魔物とは明らかに格が違うと、ただの人間である私ですら感じる事が出来た。





何故なら、屋敷の前には、真っ白な鱗を持つ竜が、あちこちの木々を踏み倒して、立っていたから。







「…どぉ~?アルちゃん?プレシエンツァの容体は?」

いつも通りの口調で尋ねるペルメルに対して、ベッドに横たわった壮年の男性を見つめていたアルは、肩辺りに刺さったガラス片を引き抜きながら、気怠げに答える。

「問題ないだろうさ。ラッキーな事に、まだ使えそうな薬があったんでね、それを使わせて貰った。それにしても、全く、悪運の強い兄貴だこと…。痛ってて…」

「そうですか…。良かった、間に合ったのですね…」

アルの言葉に、深い安堵の吐息を漏らしたのは、黒い髪を後ろで纏め、すらりとした身体を執事服で覆った女性だった。

彼女もスクレと似たようなものなのか、人の姿と先ほど見た竜の姿とを自由に変わる特殊な能力を持っているらしい。

非常に驚くべき、俄かには信じ難い能力ではあるが、スクレの異形さや、ペルメルの魔法、そして、アルが処置として利用した傷薬の効き目など、これまでの生きてきた常識を壊すものを次々と見せられたせいで、彼女からそのことを聞かされも、反応らしい反応も取れなかった。

「むしろ、問題なのはアトゥの方だな。俺の予備薬を使ったおかげなんだろうが、少なからず、一度は完全に眼球と鼓膜を潰されたみたいだからな、治るまでにはそれなりに時間が掛かると思う」

手についた血をタオルで拭き取りながら、アルはもう一つのベッドに横たわる、顔を包帯でぐるぐる巻きにされた少年へと心配気な表情を向ける。

「…隊長は大丈夫なんですか?」

部屋の片隅で蹲り、顔を伏せたままの褐色肌の少女が掠れた声で尋ねる。

「さぁな…。目玉に関しては、十年近く診ている奴がいるが、完治したとはまだ言えない。定期的に薬を摂取させなきゃ、再生した目玉も、いつただのガラス玉になるか分からない」

「…」

今しがたやってきた女性たちは勿論、元々いた者たちにも、重苦しい空気がのしかかる。

「まぁ、そう辛気臭くなるな。あくまで一般的な魔物の話さ。アトゥならもう少し早く治るだろうさ」

持ち前の明るさか、軽く笑って見せると、アルはベッドから降り、服を脱ぐと、椅子に座るペルメルの傍へ膝立ちとなって座る。

「姉貴、悪いけど、他に何か刺さってないか見て?」

「はいはい…。全く、世話の掛かる子なんだからぁ…」

「破片が刺さったのは、誰かさんが大慌てですっ飛んできたせいだろう?不可抗力だ」

日焼けしていない、髪と同じ真っ白な肌をその場にいる全員に晒しつつ、口を尖らせるアルに対して、そんな彼の肌に突き刺さった破片を慎重に抜きながら、ペルメルは窘める。

「女の子のせいにしないの~。そんなだから…」

「分かった、分かった…。皆まで言うな、落ち着いたらその内探すさ、嫁さんくらい…」

「当てはあるの?」

「…世間体を気にしないなら、患者の内に何人か」

「出来たら言ってね~、お姉ちゃんご挨拶に伺うから!」

「勘弁してくれよ…」

「なぁ~んで~!」

…おかしな人たちだ。

誰が見ても死にかけの人間だと分かる二人をベッドに寝かせ、ましてや、深々と刺さったガラスの破片を、片や抜き、片や抜かれているというのに、こうも他愛もない話に花を咲かせている。

その何とも軽快な口ぶりと話の内容から、薄気味悪さを抱くことはないが、それでも唖然としてしまう。

そして、それは決して私だけではなかったらしく、蹲る褐色肌の少女は分からないが、執事服の女性とスクレも、周囲に視線を泳がせている。

例によって、リウは興味無さげに、壁へともたれ掛かっている。

「はい、おっけい!追加オプションで薬も塗る?サービスもあるけど、どうする?」

「いや、傷薬の残りも少ない。それに、姉が経営するぼったくりな風俗店になんざ入りたくもない。さっき沸かした湯で血だけ拭き取ってくるさ」

真っ白な背中に、真っ赤な血の道を何本か通らせているというのに、さして痛がる様子もなく、アルは服を肩へと掛けて部屋を出て行く。

そんな真っ白な背中を見送り、一度大きく身体を伸ばすと、ペルメルはにっこりと笑みを浮かべ、手招きした。

「ふぅ~。はい、次、リウちゃん!おいでおいで」

そういえば、二人のあまりに切迫した様子に流され、忘れかけていたが、私を庇ったばかりにリウの背中には、アル同様、色々な物が刺さってしまっているのだった。

「あっ、それなら私が…」

リウへの謝罪と感謝、二つの想いを伝えるためにも、私が代わりにやろうと、近づきかけた時、すっと目の前に細い手が現れた。

「失礼ながら、ここはペルメル様やアル様に任せておく方が適当かと」

手を伸ばしてきたのは、執事服に身を包んだ女性だった。

口調こそ穏やかだが、ひどく冷たい目つきでこちらを見つめ、細いその手はまるで大きな壁の様に威圧的にこちらの動きを妨げる。

「で、でも!あの傷は私のせいで…」

「素人の出る幕ではない、そう言っているのが分からないのですか?」

「何ですって…!?」

勿論、こちらに医学的知識など無いし、実際どうすれば良いかは分からない。

しかし、だからといって、見ず知らずの女性にここまで言われる筋合いはない。

体の向きを変え、女性と向かい合う。

竜の姿をしていた時には恐ろしさもあったが、今は彼女への無性に腹立つ思いもあってか、恐怖は微塵も感じない。

「まぁまぁ、そんな目くじら立てなくたって良いんじゃない?だって、リウちゃんだし」

「しかし、傷を見せては…」

「それも私は今更な気がするけどな~。トゥバンちゃん的にはまだ隠すべきだと思ってるんだ?」

こちらをちらりと見た、トゥバンという名らしい執事服の女性は、静かに頷く。

リウの話だということは何となく察せられるが、いまいち何のことを指しているのかは分からない。

もっとも、トゥバンの件同様、リウに、こんな不思議な能力を持つ姉、そして知り合いらしい人がいるということを知った今、今更何を聞かされたとしても、実際驚けるかどうかすら分からない。

「なるほどね…。でも、私としては、もう教えても良いかなぁ、って思ってるのよねぇ…。少なくとも、ここにいる子たちには…」

「…何故ですか?」

「だって、プレシエンツァやられたし」

手の中で弄んでいた、先端がアルの血液に濡れたガラス片を、胸に包帯を巻き、ベッドの上に横たわる壮年の男性へと目掛けて、ペルメルは投げつける。

それはくるくると回転しながら、男性の頭のすぐ横、枕へと突き刺さった。

その様子を見たせいか、トゥバンは私の前へと出していた片腕を下げ、先ほどの冷たさを一瞬にして溶かさんばかりに、怒りに燃え上がった目つきをペルメルの方へと向ける。

「…一体どういう意味ですか?」

「それは貴女たちが一番知ってるんじゃないの?」

怒りも悲しみもなく、ただいつもの独特な抑揚と軽快さが消えた、どこか寒気のする、冷たい口調でペルメルが尋ねる。

しかし、そんなペルメルの何とも言えぬ圧力には屈しない意思を示すためか、トゥバンは一歩だけ足を前へと踏み出す。

「…確かに、プレシエンツァ様はやられました。しかし、それとこれとは無関係ではありませんか?ましてや、下手に巻き込むことは、彼女たちはもちろん、我々にも危害が及ぶ可能性があります」

「じゃあ、このままこの子たちを帰したとして、プレシエンツァたちを襲った連中がこの子たちを襲う可能性はない、あくまで狙いは私たちだけ。そう言い切れるの?優しいトゥバンちゃんには?」

「…」

「私には出来ないなぁ…。ねぇ、そうでしょ…」

言い返す言葉を必死で探しているらしいトゥバンから目を逸らしたペルメルの顔が、予想だにしない方向を向く。






「元“レイダット・アダマー”所属のオネちゃん?」





びくりと、離れていても分かる程、部屋の片隅で蹲っていた褐色肌の少女の身体が震える。

…“レイダット・アダマー”?

三年前、シエルに攻め入り、シエルと魔物たちに大敗し、また、両親が国を通して、間接的ながら支援した例の過激派組織。

その正確な構成数など、詳しい情報は知らないが、ほとんどの者たちが、魔物たちとの戦いで戦死し、彼らの砦も“大蛇”に粉微塵に踏み潰されたと聞いていたが、生き残りがいたということだろうか?

「レイダット・アダマーって、三年前のあの組織のこと…?」

何となく口を挟むべきでない空気だとは感じたが、あまりに久しく、意外な単語に、口は自然と動いていた。

私の問いに深く頷き、椅子から腰を持ち上げると、ペルメルはオネという名の少女の元へと歩み寄っていく。

「そう。私が指揮を執り、態と魔物たちに潰させた組織」

「ペルメル様!」

さすがに我慢の限界が来たのか、トゥバンは屋敷を揺らす程の怒鳴り声を上げる。

しかし、ペルメルに動じる様子はない。

「指揮?態と…?何言ってるの…?」

個人的にレイダット・アダマーに特段の思い入れはない。

関係者らしい者たちがいる中で言うことではないが、所詮は身の程知らずにもシエルと戦い、魔物たちの力が如何程のものなのか、全世界に向けて知らしめる捨て石となったに過ぎないと考えている。

もちろん、彼らの犠牲によって、各国の国民、特に反魔物派を掲げていた連中は手の平を返した様に、国が進めるシエルとの和平交渉を支持し、その結果として、全世界が人と魔物の暮らす社会となった。

そういう意味でいえば、彼らに感謝の念が無いとはいえない。

しかし、あれが態と、とは一体どういう意味なのか…?

リウの件といい、この件といい、彼女たちは一体何を知っているというのだろう…?

訳も分からず、じっとペルメルを見つめる他ない私の視線に気がついたのか、オネの方へと歩み寄りつつも、ペルメルはちらりとこちらへ笑顔を向けた。

その笑顔は困惑する私を安心させる一方、隣で苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべるトゥバンを嘲笑うかの様な、何とも複雑なものだった。

「変だなぁ~、とは思ったのよねぇ…。旦那様であるはずのアトゥちゃんのことを、“隊長”、なんて呼ぶなんて、そういうプレイしてなきゃ、普通なかなか呼ばないものよ~?呼び慣れてない限り、は」

「…」

また独特な抑揚が戻り、如何にも煽る様な物言いで言葉を繋げるペルメルだが、オネは微かに震えるだけで、顔を持ち上げようとしない。

「アトゥちゃんがここまでやられた理由って、オネちゃんにあったりしない?」

「…」

「プレシエンツァの様に不意打ちで一撃を食うならともかく、目と耳を潰されることなんて、なかなかないでしょ?」

顔全体を包帯で覆った少年の名らしい、アトゥの方を見つめながら、自身の推理を話すが、つれないオネの態度に、ペルメルは静かに肩を落とす。

「まぁ、アトゥちゃんに運良く愛されたとはいえ、端から捨て駒扱いしようとしていた私となんか、そりゃあ話したくなんかないわよねぇ…」

「…」

「でもね、一つだけオネちゃんに答えて欲しいことがあるの」

震える体を精一杯安心させるかの様に、全身に力を込め、出来る限り身を小さくしながら蹲るオネを、ペルメルは優しく抱きしめる。

「もう二度と私たちと関わらず平和に暮らすか、それとももう一度アトゥちゃんと暮らすか…。選んで?」

「…どうして」

「ん?」

「どうして、いつも、いつも、選択肢ばかりなんですか…!私に自由はないんですか…!」

顔を上げず、くぐもった声で告げるオネの声には、怒りと悲しみ、そして、恐怖が入り混じっている。

生い立ちや境遇は知らないが、彼女の過去が決して順風満帆ではなかったことは、その言葉から何となく察せられた。

「…なら、オネちゃんのしたいようにしてみたら?」

オネの体を抱きしめ、その頭を撫でながら、まるで愛する娘を諭す母親の様にペルメルは、ひどく優しい声で告げる。

「自分を捨て駒扱いした私に復讐しても良いし、金輪際関われない場所で暮らしても良い、オネちゃんが望んでいた優しい国を創るために努力しても良い。或いは、もう一度、アトゥちゃんのことを愛しても良い」

「…」

「さっきのも、オネちゃんの今後の選択というよりも、あくまでオネちゃんが私たちとの関係をどうしたいのかを聞きたかっただけ。…ごめんね、貴女の嫌いな聞き方をしてしまって」

「…今更、です」

「そんなことない」

「…」

腕の隙間から手を入れ、頬を撫でるペルメルがきっぱりと告げると、オネはその真っ赤に腫らした目を向ける。

「オネちゃんが私やアトゥちゃんのことを思い出しているということはつまり、貴女の記憶に掛けた呪いが解かれているということ」

「…」

「誰が解いたのかは今は聞かない。けど、オネちゃんは全てではないとはいえ、“真実”を思い出してしまった。正直に言って、それは貴女にとってひどく危険な状態。何故なら、私たちに都合が悪いから」

「…あたしを、殺すんですか?」

オネの微かな殺意を灯す両目が、ペルメルを睨みつける。

「三年前の私なら、おそらくね。でも、今はそのする意味もないし、それに、本当はオネちゃんを殺したくないのよ?」

「信じられません」

「んふふっ、素直でよろしい。…でもね、案外本気で改心したのよ?」

「…」

「最後の最後まで私に良いように操られていたのに、本当に最後を迎える時には、静かに笑っていた、ある子を見て、ね」

オネの頬からそっと手を離し、ペルメルは振り返る。

その視線の先には、静かに目を瞑るリウが壁へと寄りかかっている。

そして、その横には、リウが大切にする杖が立てかけられていた。

「まぁ、何よりの理由は、さっきも言ったけど、プレシエンツァがやられたからなんだけどね」

自然、ベッドに横たわる壮年の男に皆の視線が集まる。

「ですから、プレシエンツァ様がやられたことと、彼女たちを巻き込むことに一体どんな理由があるというのですか…!」

未だ怒りが冷めないのか、彼の話が蒸し返された途端、思い出した様にトゥバンの荒々しい声が部屋にこだます。

正直、トゥバンの言い分は理解出来る。

あの男性が襲われたからといって、私やあの少女に、自らにとって都合の悪い秘密を打ち明ける理由があるというのだろうか。

再び問われる、当然といえば当然の問いに、ペルメルは少し意外そうな向ける。

「本当に分からないの?プレシエンツァがやられたということは、私たちは“魔王”に裏切られた可能性があるということよ?」

「ま、魔王…?」

驚愕の色に満たされ、言葉を発せずにいるトゥバンを横目に、小さく尋ねる。

「そっ、魔王。私たちのおかげ…っていうと、かなり自惚れた過剰評価だけど…。少なくとも、手を貸したおかげで、実質的には世界の統治権を持つことが出来た魔物の女王様。フーちゃんは知ってる?」

「い、一応…」

姿形、何をしているかなどのことは知らないが、その名くらいは知っている。

全ての魔物たちを統べる王であり、三年前のレイダット・アダマーの蹶起、そして、それ以前から続く、各国とシエルとの戦いを引き起こした張本人だということも。

しかし、そんな魔王が、ベッドに横たわった男性を裏切り、襲ったとはどういうことなのだろうか?

…いまいち、まだ上手く理解出来ない。

そんな私の頭の中を、表情から読み取ってか、ペルメルはまた静かに微笑む。

「アルちゃんが戻って来たら、順を追って説明してあげる。でも、もし、全てを知らず、昨日までの日常に戻りたいのなら、今が最後のチャンス。どうする?オネちゃん、そして、フーちゃん?」

「…戻ったとしても、襲われない保証はないんでしょ?」

「でも、こっちにいれば確実に襲われると思うわよぉ?」

私と蹲るオネの方へとペルメルの手が伸ばされる。

手を取れば、元の生活に戻り、リウを含めた全てのことを忘れて平和に暮らせるかもしれない。

一方、“真実”を知れば、私は彼らと同類となり、魔物たちに襲われる可能性が出てくる。

どうするべきか…、





なんて、悩むことではない。


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