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第8話
しおりを挟む夜。
湯殿の鏡に映る自身の肩の青痣に、エミリアンは深いため息を吐いた。
(情けない)
足がすくんで、なにもできなかった。
これまでの人生は、ディオンの機嫌を損ねないように生きてきた。
単純に野蛮な兄が嫌いだったのと、暴力を振るわれるのが怖かったからだ。
痛い思いをするくらいなら、無様だろうがなんだろうが逃げたほうがいい。
けれど、そうして難を避けるように生きてきたにもかかわらず、三度も生き残ることができなかったのは、逃げてばかりいたことも原因なのかもしれない。
四度目の人生では、第三騎士団の力を借り、なんとしてもディオンと母親を止めようと思っていた。
しかし、その後は?
身内を自身の手で捕らえて差し出せば、情状酌量で命を繋ぐことができるだろうと思っていた。
しかしその情状酌量も、エミリアンが惜しむべき人間であるという功績が無ければ、与えられることはないだろう。
そしてそれは一朝一夕で手に入れられるような容易いものではない。
残された時間はあと二年。
(もっともっと頑張らなくては)
その夜、遅くまでエミリアンの部屋の光は灯ったままだった。
翌日、第三騎士団を訪れたエミリアンは、アベルにある提案をした。
「国内の視察……ですか?」
昨夜エミリアンは、これまでの経験と知識を総動員して今後の方針を考えた。
そして導き出された答えが人道支援だった。
国のため、民のため、何より自分自身のために、野蛮な行為が嫌いなエミリアンが行える唯一のこと。
それに、我ながらいつも打算的だとは思うが、慈善事業は貴族の支持者も集めやすい。
「国の現状を知り、助けを必要としている地域に手を差し伸べたいのです。どうか協力していただけないでしょうか」
騎士団にとっては物足りない仕事だろう。
突っぱねられるのも覚悟の上だった。
しかし、アベルの口から返ってきたのは予想外の答えだった。
「行程などは既にお考えなのですか?」
「えっ?あ、はい!」
エミリアンは持参した手書きの書類をアベルに渡した。
そこにはこれまで繰り返した三度の人生で見聞きした、自然災害で被害に見舞われる予定の地域や、貧困に喘ぐ者たちが暮らす場所が記してある。
「すべて回るのは無理かもしれませんから、特に見ておきたい場所には印をつけてあります」
特に見ておきたい場所。
それはこれから半年後、河川の氾濫により周辺地域に甚大な被害をもたらす町シエナだ。
シエナは、この二年で世間を最も大きく騒がせる天災に見舞われる。
未曾有の豪雨をきっかけに起きた河川の氾濫。
水位は瞬く間に増して行き、ほんの数時間のうちに町ごと濁流に飲み込まれるほどの勢いへと化したと聞いた覚えがある。
あっという間の出来事に、避難が困難となり、逃げ遅れて命を落とした者は数知れず。
運良く生き残った者もいたが、土地家屋といった財産すべてを失った。
そしてすべてを失った者たちは難民となり、受け入れ先を求めて彷徨った挙げ句、各地で問題を起こした。
この問題においては自然の力が相手なので、被害を未然に防ぐことは不可能だ。
しかし築堤や護岸に力を入れ、いざ災害が起きた時のために避難経路を周知させることで、被害を最小限に抑える事ができるはず。
甚大な被害の起きる地域の問題点に早い段階で気づき、行動していたという事実が世に知れ渡れば、エミリアンと第三騎士団の名誉を回復することもできるだろう。
「わかりました。ではこちらでも少し検討してみます」
「あ、ありがとうございます!」
「いえ。団員たちにとってもいい刺激となるでしょう」
自分の考えを誰かに認めてもらうのは初めてのような気がする。
(嬉しいものだな)
一度目の人生はたったひとり、必要最低限を除き、誰とも関わらずに生きてきた。
二度目、三度目の人生はそれでもなんとか他者と関わりを持とうとしてみたが、結局貴族なんてものは自分自身の立ち位置しか考えていない。
力のないエミリアンなど、身を挺して守ろうなんて人間は誰もいなかった。
けれど四度目は違う。
エミリアンが自らの手で力をつけようと動き、それを助けてくれる彼らがいる。
初めて希望が見えてきたような気がした。
「お送りしましょう」
「あ、いえ。フランクール団長は打ち合わせもあるでしょうし、今日は護衛と帰ります」
「いえ、お送りいたします」
アベルはエミリアンの返事を待たずに扉を開け、促した。
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