もう、追いかけない

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 「ん……いい匂い……」
 
 浮上する意識の中で、何かに包まれているのを感じた。
 それはとても暖かくて肌触りのいい極上の毛布のようで、私は掻き抱くように手を伸ばし、顔をすり寄せた。
 すると、なんと毛布が抱きしめ返してきた。
 (……え?)
 まだ重たい瞼を無理やり開けると、目に入ってきたのは人の肌。
 しかもほどよく割れた胸筋だった。

 「え!?え!?え!?」

 突如パニックになる私の頭上から、くつくつと、必死で笑いを堪えるような声が聞こえてきた。

 「おはよう、ルツィエル」

 顔から血の気が引くのがわかる。
 だってこれは私が世界で一番大好きな声。
 おそるおそる顔を上げると、紫の瞳と目が合った。
 (う……わぁ……)
 あまりの神々しさに、比喩でなく目が潰れるかと思った。
 なぜこんな美しい人の隣ですやすやと眠ることができたのだろう。
 しかし昨夜は突然のことで若干パニック状態だったし、夜の暗さと殿下の疲労の色も手伝って、その威力が半減していたのかも。
 そんなことを考えていると、額にふわりと口づけられた。

 「エ、エミル殿下……!」

 唇が触れた場所が火を噴いたように熱い。
 途端、昨夜の出来事が思い出され、羞恥で身体が震えた。
 (わ、私……昨夜エミル殿下とく、口づけを……!)
 しかも物足りなそうに見つめ返すという、とんでもなくはしたないことまでしてしまった。
 呆れられてしまっただろうか。
 不安に駆られる私に、エミル殿下はとろけるような甘い眼差しを向けた。

 「こんなに安心して眠れたのは久しぶりだ……会いたかったよ、ルツィエル」

 そうだ。
 この三か月、殿下はずっとひとりで戦っていらしたのだ。
 それはどんなにつらい日々だっただろう。

 「泣かないで、ルツィエル」

 いつの間にか頬を伝い落ちていた涙を細く長い指が掬う。

 「……あいつらにも、こんな風に泣かされたのか」

 エミル殿下の表情から笑みが消えた。
 あいつらとは、殿下の偽物とヤノシュ伯爵令嬢のことだろう。
 きっと、私の身に何が起こっていたのかも、殿下はすべて知っているはず。
 確かにとてもつらかった。
 愛する人の世界から、自分一人だけが閉め出される孤独。

 「私……私なら、大丈夫です。殿下がご無事だった……ただそれだけで私は……」

 笑おうとしたが、無理だった。
 あれはすべてが嘘だったのだ。
 もう悲しいことなんてひとつもない。
 それなのに、涙は堰を切ったように溢れてくる。

 「すべて私のせいだ」

 「いいえ、エミル殿下は一番の被害者です。殿下に比べたら私が受けた仕打ちなんて……!」

 「ルツィエル」

 名前を呼ぶのと同時に、エミル殿下は私を仰向けにし、体重をかけないように身体を重ねてきた。
 銀色の長い髪がさらさらと肩を撫でるように滑り落ち、私と殿下をふたりだけの世界に閉じ込める。

 「君が私だけを見つめ、追いかけてくれるのが嬉しかった。だから、早く欲しいと思うのと同時に、急ぐのはもったいないとも思っていた。だがそれが間違いだった」

 「殿下……?」

 「ルツィエル、私は持てる力のすべてを使い、誰の手でもない、この手で君を守りたい。そのために、帝都に戻ったらすぐさま私たちの関係を国民に周知させる。いいね?」

 そんなの、嫌なわけがない。
 けれどこんな時に本当に良いのだろうか。
 国を揺るがした大事が片付かないうちに公表するなんて、不謹慎だと反感を買わないだろうか。

 「誰を敵に回したとしても、そんな奴ら一瞬たりとも君の眼に触れないよう、すぐさまひねりつぶして見せる……生きていることを後悔するほどに──」

 「で、殿下?それはあまりにも乱暴では」

 なにやらどす黒いオーラを垂れ流し始めた殿下が、私の声でハッと我に返った。

 「いや、冗談だ」

 しかし決して冗談には聞こえなかった。
 
 ──もしかしたら、これが殿下の素なの?

 ふとそんな疑問が頭に浮かぶ。
 思えば宿場での殿下は別人のようだった。
 けれどあの時は緊急事態だったし、私に正体を明かすことができなかったから、あえてあのように振る舞っていたのだと考えられなくもない。
 けれど、あの時の悪の親玉の如き振る舞いは、あまりにも堂に入っていた気がする。

 「なにを考えているの、ルツィエル」

 しかし、切なげに私を映す紫水晶の瞳が、正常な思考を奪っていった。

 「エミル殿下のことを……」

 「私の、どんなこと?」

 「それは──」

 言い終わらないうちに唇を塞がれてしまい、それ以上なにも考えることはできなかった。






 

 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
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