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第三章
23 告白④
しおりを挟む「お願いエクセル……あなたを愛してるの。ローランなんかには行きたくない……!!」
ずっとそう叫びたかった。
本当の願いを口にするのは何て難しい事なのだろう。このたった一言で人生は変わっていたかも知れないのに。それなのにずっと言えないでいた。
「行かせない。絶対に行かせないから……だからもう安心して。」
震えるクロエの背をエクセルの手が何度も何度も優しく撫でる。
逞しい腕で細い腰を抱かれ、豊かな曲線を描く柔らかいその身体は、エクセルの硬い身体にぴったりと合わさるように形を変える。
鼻をくすぐるお互いの香り。寄せ合った身体が熱を渡し合い、溶け合う。さっきまでうるさいほどに騒いでいた胸は、深い安堵で満たされて行く。
「あなたにぶん殴られるほどの衝撃を与えたのって……もしかしてアマリールちゃん?」
落ち着いたクロエが少しだけ顔を上げて見ると、エクセルは何ともバツが悪い表情をしている。
「……何でわかったの。」
「ふふっ。何でもなにも、あなたみたいな変人を動かせる少女なんて、エレンディール広しといえどあの子しかいないでしょう?」
なんて言ったってアマリールはあの可愛げのない弟の心をがっちり掴んで離さない唯一の人間だ。それだけでもとんでもない事なのに。
「ルーベルも私も……そしてあなたも、アマリールちゃんには一生頭が上がらないわね。」
「当たり前だ。なんて言ったって彼女は未来の皇后陛下だからね。」
「皇后……そうね。あの子はきっと立派な皇后になるわ。」
皇后とは言え、好色な夫を持ってしまったクロエの母の人生とはきっと違う。アマリールはルーベルと共にお互いだけを見つめ、支え合い、未来へと歩いて行くだろう。
「本当にいいの?」
頭の上から少し自信無さげなエクセルの声が降ってくる。
「何が?」
「……俺はクロエを皇后にも王妃にもしてやれない……」
自分と婚姻を結べば彼女は公爵夫人だ
公爵という身分は貴族の中の最上位ではあるけれども、皇女という傅かれるばかりだった輝かしい今までの人生とはまるで違う。
一般の貴族に混じって生活する事になる。
そして面倒な家の管理だって夫人の仕事だ。
贅沢はそれなりにさせてやれるが、それでも今までの暮らしとは天と地ほどの差があるだろう。
「そうね……そうよね……。」
クロエは何やら神妙な顔で考え込んでいる。
やはり何かしら思うところがあるのだろう。
しかしその“思うところ”はエクセルの心配しているような事とはまったく違ったようだ。
「練習しなきゃいけないわね。」
クロエは覚悟を決めたように前を向く。
「練習?」
「ええ。貴族の奥様方に混じって嫌われないようにうまくやって行く練習よ。今までは上から目線だったから、これからは同じ目線で会話できるように特訓しなきゃ!」
「……え……?」
いや、いくら降嫁すると言っても“元皇女”という肩書きは伊達じゃない。
それに皇家との縁が切れる訳でもないのだ。
そこはそんなに気にするところじゃないのでは?エクセルはポカンとした顔でクロエを見つめた。
「何よそんな変な顔して。私にだって出来るんだから。あっ、そうだわ!“素敵な淑女講座”を開催してるソレント伯爵夫人のサロンにも入れて貰うわ!でもその前にあなたのご両親に挨拶もしなきゃいけないわね!どうしよう……気に入って貰えるかしら……」
クロエは急にソワソワと落ち着かなくなった。
呆気にとられるとはまさにこの事だ。
気に入るもなにも、エクセルがクロエに長い事片恋をしていた事など、あの両親にはとっくにバレている。きっとクロエを連れて行った日には、諸手を挙げて小躍りどころか踊り狂う事だろう。やっと愚息が身を固めると。
「財産管理のお勉強もしなきゃいけないし、これからは使用人達にも気を配らなきゃね。あとは」
「クロエ」
「そうだ!これからは今まであまり交流の無かった家ともお付き合いしなきゃいけないわ!あなたのお母様によく聞かないと」
「クロエ!」
「何よ、いきなり大きな声出さないでよ!」
それはクロエが俺の話を聞かないからだろ!とは想いが通じた直後だし、気が変わられると困るので言わないでおく。
「大丈夫だ。クロエはそのままでいい。」
俺の側にいてくれるだけで……それだけで何も望まない。
「クロエはただ俺に愛されていればそれでいい。あとは……ちゃんと自分の意志で甘えてくれ。」
エクセルはもう一度しっかりとその胸にクロエを抱き直す。
馬鹿だった。本当に馬鹿だった。
今この瞬間も自分の事ではなく、エクセルとの未来のために必要な事ばかり考えるクロエ。
クロエが何かを欲しがる事なんて、わがままを言う事が出来ないなんて事は、誰よりも彼女の側にいた自分が一番よく知っているはずだったのに。
幼い頃、エクセルはクロエの誕生日が来る度に聞いたものだ。
“何か欲しい物はある?”と。
けれどクロエはいつも首を横に振るばかり。
きっとそれはクロエが皇女で、手に入らない物などなく、すべてを持っているからだと思っていた。
だからエクセルは、遊んでいる最中にクロエが“綺麗!”と言った蝶や、“素敵!”と言った皇宮の花を片っ端から捕まえたり千切ったりして届けた。
だがある日のこと。皇宮の庭園に小さな仔猫がいた。美しい翡翠色の瞳の、白くて丸っこくてフワフワした、毛糸玉のような仔猫だった。
クロエは可愛い可愛いと騒ぎ、一日に何回も様子を見に行った。雨の日は濡れていないかと眠れなくなるくらい心配するくせに、仔猫を自宮へ連れて帰ろうとはしない。なぜ連れ帰って育てないのか聞くと
“だって……ずっと一緒にはいてあげられないから……”
淋しそうに一言だけそう言った。
あの時から……いや、あれより前からずっとクロエは覚悟していたのだ。いつか自分の身が帝国のために使われる事を。
だから何も欲しがらない。そうすればいつでも諦められるから。
(だから俺の事も……)
間に合って良かった。
あの少女が来てくれなければ、俺は自らの手で惚れた女を地獄に突き落とすような真似をしていた。
「……あなたが受け止めてくれるなら、ちゃんと甘えるわ。これから何度だって。だから……絶対に無事で帰ってきて……!」
「わかってる……。」
エクセルが顔を近付けると、今度はクロエから唇を重ねた。
愛おしい。それ以外に言葉が見つからない。
エクセルは目を閉じ、クロエの気持ちを受け止めながら、心の内で激しく燃え盛る怒りを感じていた。
たとえ何が起ころうと生きて帰ってやる。
そしておそらくこの件は起こるべくして起こった事じゃない。
絶対に裏で糸を引いた奴がいるはずだ。
勝って帰ったその時は必ずそいつらを見つけ出し、命が尽きるその日まで後悔させてやる。
二人は夜が明けるまで抱き合ったまま離れなかった。
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