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第三章

24 出征式

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 それからほどなくして、エクセルが父であるアドラー公爵を引き連れ皇帝陛下に謁見し、ローラン侵攻を進言した事で、皇宮内は大騒ぎとなった。 
 
 「クロエ様が嫁ぐという事で話は終わったではありませんか!」

 そう訴えるのは穏健派の先鋒。
 いらぬ争いを、しかも鉱山の略奪を目的とした友好国への侵攻とあれば、周辺国も黙ってはいないだろう。
 エクセルは一人ローラン侵攻に反対する貴族達と論戦を繰り広げた。
 これまで帝国の第一騎士団を束ねてきたアドラー公爵は、道義に反する争いを嫌い、必要な戦いにのみその身を投じて来た。 
 下手に事を進めれば、アドラー公爵家は現政権に対する叛意ありと疑われかねない。
 アドラー公爵は息子であるエクセルの一世一代の願いを聞き、もしもこの戦いをエレンディールの正義と位置付ける事が出来たのなら、第一騎士団を率いる事を許すと言った。
 そのためにエクセルにはどうしてもやらなければならないことがあった。
 それは若い皇妃への色欲に、すっかり牙を抜かれてしまった皇帝アヴァロンの、内に秘める野心に火をつける事だった。

 「こちらの足元を見て皇女を寄越せなどと、それが友好国のする事でしょうか?陛下、エレンディールはローランから舐められているのです。このままあちらの条件を呑めば、周辺諸国からエレンディールはローランに屈したと思われますよ?アヴァロン陛下ともあろうお方が、本当にこのような事を黙って見過ごされるのですか?」

 第三皇妃シェリダンの口添えもあり、クロエをローランへ嫁がせる事に賛成していた皇帝アヴァロンだったが、エクセルに煽られた事で本来の好戦的な性格が徐々に顔を出し始めた。

 「お前ならやれると言うのか。アドラーの息子よ。」

 「やれます。陛下、どうせクロエ様をくれてやると言うのなら私に下さい。その代わりこのエクセル、頂いたご恩には報います。陛下の命とあらばたとえどのような大国であろうとも、必ずや攻め落としてみせましょう。」

 この言葉が決め手となり、アヴァロンはエクセルにローラン侵攻を命じたのだった。


 *


 エクセルがアヴァロンにローラン侵攻を申し出たと聞いたアマリールは青褪めていた。
 確かにエクセルを焚き付けたのは自分で、クロエとエクセルには幸せになって欲しいと思っていた。
 だがそれがまさかローラン侵攻に繋がるなんて思いもしなかったのだ。
 (私のせいで血が流れる……)
 最悪国交断絶くらいに思っていた自分の何と愚かな事か。

 「大丈夫ですか、アマリール様。」

 タミヤはアマリールの心を少しでも落ち着けようと、お茶の用意した。

 「どうしようタミヤ……!私が、私が余計な事をしたせいで……!」

 その時、扉の向こうから慌てたように皇太子妃宮の侍女が叫んだ。

 「クロエ殿下がお見えです!!」

 「クロエ様が?タミヤ、お通しして!」

 一刻も早く謝らなければ。
 万が一エクセルが命を落とすような事があればすべて自分のせいだ。
 アマリールは顔をくしゃくしゃに歪め、クロエの入室を待った。

 「アマリールちゃん」

 「クロエ様……」

 しかしやって来たクロエの顔は優しく微笑んでいる。
 クロエはルーベルと同じだ。きっとアマリールが何をしたのかもすべてわかっている。
 わかっていて来てくれたのだ。きっとアマリールが苦しんでいるだろうと思って。

 「クロエ様……クロエ様ごめんなさい!私が余計な事をしたからアドラー公子が……!!」

 両手でドレスの前を握り締め、泣きながら必死で謝ろうとするアマリールに、クロエは小走りで駆け寄った。
 そしてふわりとアマリールを豊かな胸の中に抱き込んだ。

 「ありがとうアマリールちゃん。」

 「……ありがとう……?」

 聞き間違いだろうか。
 いや確かにクロエはそう言った。
 なぜ?アマリールはクロエの愛する人を死地に赴かせるような事をしたのに。

 「私、今本当に幸せなの。生まれてきて良かった、奇跡って本当にあるんだって実感してるの。」

 “それはエクセルも同じよ”とクロエは言う。

 「アドラー公子も……?」

 「ええ。今日はアマリールちゃん、あなたに心からの感謝を伝えに来たの。私とエクセルに素直な気持ちを吐き出させてくれて本当にありがとう。あなたがいなければ、私達は死ぬまでずっと満たされぬままだったはずよ。」

 そして離れ離れになり、クロエは異国の地で命を終えるはずだった。

 「心のままに生きる事を許されない私達に、あなたは尊い選択肢を与えてくれた。たとえこの戦いでエクセルが命を落とす事になったとしても、私達はこの選択に微塵も後悔はないわ。」

 「クロエ様……」

 どうしてそんなに綺麗に笑えるのだろう。
 クロエの見せた鮮やかな笑顔は、アマリールには眩しすぎるほど美しかった。
 泣きながら自分を見上げるアマリールにクロエは“それとね…”と付け加える。

 「エクセルは絶対に帰ってくるわ。私、確信してるの。」

 確かにエクセル個人の強さはこのエレンディールで一番だろう。しかし今回エクセルの父であるアドラー公爵は一切手を出さない決断をしたと聞く。いくらエクセルが強くても、指揮官となると話は違う。彼が無敵のアドラー公爵として第一騎士団を率いるのはまだ少し先の事。
 過去に出会った彼と今の彼では経験が違い過ぎる。それなのになぜクロエは“確信”などと言えるのか。
 するとクロエはアマリールの耳元に唇を寄せて囁いた。

 「あのエクセルが、愛する女を一度も抱かずに死ぬと思う?」

 「えっ!?」

 クロエはいたずらな微笑みを浮かべてアマリールを見た。
 じゃあ二人はまだ一度も……?それなのにアドラー公子は命を懸けようとしてるの……?

 「……公子は本当にクロエ様を愛しているのですね。」

 感情に身を任せ抱き合う事は簡単だ。
 だがそれでは万が一エクセルの身に何かあった時、傷物の皇女の価値は下がる。扱いもまた然りだ。
 愛しているからこそ、愛する人の幸せを何よりも考えて、結ばれるのなら勝利した後だと決めたのだろう。
 あれだけ数多の女性に手を出しておいて、本当にとんでもなく純粋な男だ。

 「私も公子を信じます。必ず帰ってきてクロエ様を幸せにしてくれると。」

 クロエはそれに大きく頷いた。
 

 ***


 そして出征式が行われる朝、エクセルの無事を祈る者達が皇宮へと駆け付けた。
 取り分け印象的だったのは第一騎士団の赤い制服と同じ赤のドレスを纏った皇女クロエの凛とした美しい立ち姿。
 エクセルは、皇帝から言葉を賜った後、アマリールの元へと歩み寄った。

 「アドラー公子……」

 「妃殿下、どうぞお手を。」

 エクセルはアマリールに向かって跪き言った。
 アマリールはおろおろしながら隣のルーベルを見る。するとエクセルの事ではすぐに目くじらを立てるルーベルにしては珍しく笑顔で頷いた。
 周囲がざわつく中、アマリールがそっと手を差し出すと、エクセルはアマリールの白く小さな手を取った。そして高らかに声を上げ、宣言したのだ。

 「このエクセル・ディ・アドラー。ローランに勝利しエレンディールへと戻った暁には、この先持てる力のすべてを未来の皇太子妃アマリール様に捧げると誓いましょう!」

 その瞬間、ざわめきは歓声と、困惑の入り混じったような叫びに変わって行った。
 エレンディールの国防を担う未来の第一騎士団長が、なんと未だルーベルの婚約者の身分であるアマリールに忠誠を誓ったのだ。
  
 「ア、アドラー公子!?」

 「騎士に二言はありません。このアドラー、例えどのような事が起ころうとも、アマリール様を命を賭してお守りします。」

 「い、いけません!!忠誠なら殿下に誓って下さい!!」

 しかし困り果てるアマリールにルーベルは笑いながら言う。

 「構わん。お前を守る事が俺を守る事。そして俺を守る事がお前を守る事になる。どの道同じだ。」

 「殿下……!」

 それは二人が一つの命だと言う事。
 ルーベルの言葉はアマリールの胸の奥深くまで響いた。

 「その通りです。……そしてあなたを皇太子妃に選んだ殿下の慧眼に感謝します。」

 アドラーが自分に向けた眼差しは強く優しい。アマリールは零れ落ちそうになる涙を精一杯堪えた。

 「必ず無事にお帰り下さいね。でないと許しませんから。」

 「わかっています。クロエから聞いたんでしょう?死ぬに死ねませんよ。」

 エクセルはニヤッと笑う。
 あの日、サンに連れられて訪れた公爵邸で、アマリールが啖呵を切って帰った日の彼の顔とはまるで違う。
 その表情からは、もうなんの迷いも感じられなかった。

 そしてこの日、エクセル・ディ・アドラー率いる第一騎士団はローランへ向けて出発した。
 対話にも降伏にも応じなかったローランと、第一騎士団が戦闘に入ったという知らせは、それから間もなくエレンディールへと届けられたのだった。
 

 



 
 
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