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第四章
6 可愛い可愛い妹
しおりを挟む曲が終わると、ハニエルはなにごともなかったかのような顔をして、アマリールをルーベルのところまでエスコートしようとしたが足を止めた。見ればローザの健闘むなしく、アマリールが離れたことをこれ幸いにと、ルーベルの周りには人だかりができ上がっていたのだ。
「おねえさま!こちらへ!」
声のする方へ目をやると、少し離れたところからローザが手招きしている。その手にはグラスが握られていた。
「アマリール。さっき僕が言ったこと、忘れないでいてね」
ローザの元に辿り着く前、ハニエルは表情を変えずに囁いた。
「わかりました」
きっとハニエルの杞憂に終わるだろうが、自分を心配して出たのだろう言葉に、アマリールは素直に礼を言った。
「もう!アルザス公子ったら!せめておねえさまにひと口でも、なにか飲ませてからにして欲しかったですわ!おねえさま、どうぞ召し上がって」
「あはは。ごめんごめん。皇女様の大事な姉君に、大変失礼をいたしました」
ローザは、茶目っ気たっぷりに謝るハニエルに対しぷりぷりと怒りながら、アマリールに果実水を差し出した。
小さな赤い果実が浮かぶそれは、ルーベルから預かったのだという。
「ごめんなさいおねえさま。あの人たち、あまりにもしつこくて……おにいさまをとられてしまったの……」
しゅんとするローザの顔は幼い頃のまま
。アマリールは頬を緩める。
「ありがとうございますローザ様。殿下のことは気になさらないでください。それとその……ハニエル様をあまり叱らないであげてください」
しかし、アマリールの口から出た“ハニエル”の名で、再びローザはギッと下からハニエルを睨み出す。睨むといってもあくまで可愛い程度のものなのだが。
ローザがハニエルを見ると顔を顰めるようになったのはいつのことだったか。
ハニエルは天真爛漫な元来の性質から、人との間の垣根が無いに等しい。良く言えば親しみやすく、悪く言えば馴れ馴れしいのだ。そこに彼の父で、王弟であるアルザス公爵の威光もついて回るから、人によってはたちが悪い。
もちろんアマリールに対しても、家族かそれ以上の距離感で接してくるため、アマリールのことを慕うローザからすると、ハニエルは目の上のたんこぶのようなもの。
「ほら、公子と踊りたくてこちらを見てるご令嬢が山ほどいらっしゃいますわよ」
言外に“早く行ってこい”ということだろう。
ここまではっきりしていると逆に気持ちがいいくらいだ。
それはどうやらハニエルも同じようで。
「はいはい、邪魔者は退散しますよ。じゃあまたね、アマリール」
そう言って、ハニエルは黄色い声の中へと紛れていった。
「おねえさま、おにいさまからの伝言です。頃合いを見て、先にお部屋に戻るようにって」
「まあ……もしかしてローザ様、それを伝えるためにわざわざ私を待っていてくださったのですか?」
アマリールの問いに、ローザは照れくさそうに笑う。
なんて愛おしいのだろう。皇籍に入ったローザは、今やアマリールよりもずっと立場が上なのに。だが彼女はそんなことまるで気にしていない。
ずっと、ただひたすらにアマリールだけを慕い、その幸せを願ってくれている。
「ローザ様。今年のローザ様のお誕生日も……また祝わせてくださいね」
これまでも、彼女の誕生日には二人きりでこっそり苺と生クリームたっぷりのケーキを食べたり、誰にも見つからないような小さな贈り物を渡したりしてきた。
皇籍に入った彼女の誕生日は、自分よりも盛大に祝われる。けれどこういった宴の席よりも、ローザは内輪だけの、心のこもった祝福をなによりも喜んでくれる子だ。
それはアマリールだけが知っていること。
だからローザは、その言葉にすぐさま瞳を潤ませて、喜びを顔にのせた。
「はい……おねえさま……!」
*
夜の闇が濃くなってきた頃、アマリールは自宮へと下がった。
退出する際、ルーベルが熱のこもった瞳で意味ありげに見つめてきて、胸の音がうるさかった。
部屋につくと、待っていてくれたタミヤが笑顔で迎えてくれた。
「お疲れになったでしょう。湯の用意ができておりますので、どうぞこちらへ」
皇太子妃宮の浴室にある猫脚のバスタブには、柔らかに湯気を立てるお湯がたっぷりと張られていた。
足先からゆっくりと入り、肩までつかると、今夜の疲れがため息とともに身体から出ていくようだ。
「御髪も洗いましょうね」
後ろからタミヤが髪に湯をかけていく。
すると、湯気と共に会場でついてしまった匂いが立ち上る。
いつもだが、なんとも嫌な香りだ。
「……あのねタミヤ、髪を洗い終えたら……その……この前お父様から送られてきた新しい香油を塗ってくれるかしら……」
「あちらですか?ですが、お休み前には少し強いかもしれませんよ?」
アマリールが年頃ということもあり、他のご令嬢に引けを取るわけにはいかないと、相変わらず親馬鹿なクローネの父は、新しい流行の兆しを見つけると、それをすぐさま送ってくるのだ。
そんなこんなで先日送られてきたのが現在流行中だという東国の花を使用した香油だ。
静謐さの奥に隠された官能的な香り。アマリールにはまだ少し早いと思っていた香りだが、先程湯気と共に上がった嫌な匂いがとても気になり、つけて見る気になった。
「……あの……ね、タミヤ。今夜、殿下がいらっしゃるって……だからその……髪の匂いが気になって……」
今から本格的に洗う時間などありはしない。
タミヤは、アマリールの言葉から彼女の意図を正確に読み取った。
「わかりました!では品よく香るように、つける場所と量を調節いたしましょう。お任せください!」
タミヤの声がやけに弾んでいる。
応援してくれているのだと思うと嬉しい反面、なんだかとても気恥ずかしくて、アマリールは赤い顔を隠すようにうつむいていた。
*
「アマリール様、殿下がいらっしゃいました!」
身支度を終え、長椅子に座ってルーベルの訪いを待っていたアマリールにルーベルの訪問が知らされた。
この八年、二人を見守り続けてきた侍女たちが、待ってましたとばかりに嬉しそうに騒ぎ出す。
先ほどのタミヤといい、ちょっとはしゃぎすぎではないかと思うのだが、ルーベルがこの宮に泊まるのも一年ぶりのこと。
そう思うと彼女たちの気持ちもわからなくはない。
扉が開き、夜着に着替えたルーベルが入室すると、タミヤたち侍女は一礼し、皆退室していった。
「遅くなった。悪かったな」
ルーベルは隣に腰掛けると深く息を吐いた。疲れの度合いが窺えるようなため息だ。
「いいえ、私もさっき支度を終えたばかりです」
薄手の夜着の合わせ目から覗くルーベルの厚い胸板に、アマリールの鼓動が速くなる。
いつもなら平気で合わせることができる目も、なんだか気恥ずかしくてうつむいてしまう。
「ゔっっ!!」
すると、突然鼻をつままれた。
「な、何するんですか!?」
「ただでさえ主張の少ない鼻なんだ。下を向いたら見えなくなって気の毒だと思ってな」
「なっ……どうせ低い鼻です!!」
ケラケラと笑うルーベルはいつもと変わらない。一瞬、自分だけがこんなに身構えていたのが馬鹿らしい気もした。けれど、これは彼なりの気遣いだ。
ルーベルは、アマリールが緊張していることくらいお見通しだ。だからあえてこうやってふざけて、アマリールの緊張を解こうとしてくれているのだろう。
「もう……行きましょうか……?」
このままここで話していてもルーベルの身体が休まらない。明日の政務に差し障りが出ても困るのは彼の方だ。
「連れて行ってくれるのか?」
待ってくれている。そんな風に感じた。
ルーベルはいつも、アマリールの気持ちを何よりも一番に考えてくれる。決して無理を強いることはせず、アマリールの歩幅に合わせ、寄り添ってくれる。
今夜のことだって、万が一アマリールが怖気づけば、すぐに自室へ戻るつもりなのだろう。
優しい人だから、傷ついた素振りなど微塵も見せず、笑いながら出ていくはずだ。
そんなことさせられない。させたくない。
アマリールはそっとルーベルの手を取り、両手で優しく包み込んだ。
「殿下が迷子にならないように、手を繋いで行きましょうね」
そう告げるとルーベルは眉を寄せた。
「お前、子供扱いはまだ許せるが、まさか年寄り扱いじゃないだろうな」
アマリールは笑いをこらえながらルーベルの手を引いたのだった。
ぎこちない仕草で寝台の上に乗るアマリールとは反対に、ルーベルは堂々と身体を投げ出した。長い背丈に手足では、少し窮屈そうなアマリールの寝台だが、その顔はさっきよりも険が取れたようで穏やかだ。
この八年、ずっと側で暮らしてきたし、五歳も離れた自分に緊張などするほうがかえって難しいのかもしれない。
いつもと変わらないルーベルに感謝しつつ、少し間を開けてアマリールも横になった。
「……お前も十五か……」
てっきり“時間が経つのは早い”とでも言うのだろうと思ったら、ルーベルの口からは思いもしなかった言葉が続いた。
「……ローザに縁談がいくつか持ち上がっている」
「ロ、ローザ様に!?」
一度横たえた身体をすぐさま起こし、ルーベルに問い返せば、“ああ”と、気のない返事が返ってきた。
確かにローザは皇族の一員として名を連ねる立場となったし、縁談が持ち上がるのも当然のことである。
しかしアマリールにとってみれば、ローザはようやく大人の女性になるための一歩を踏み出したばかり。今でも、自分の後をついて回っていた幼い頃のままだと頭のどこかで思っていた分、ショックが大きかった。
「あの……候補としてはどなたのお名前が上がってらっしゃるのですか?」
巻き戻る前、彼女の相手に選ばれたのはアーセルのロウ公爵だった。しかし今回はあの時と状況がまるで違う。
「……今のところは国内の貴族からの打診がいくつか……あれは皇女といえど、血筋が違う。他国の王族に嫁すと思われている姉上たちに打診するよりも、皇族との縁を繋げる可能性が高いと思ってるんだろう……」
“貴族”とひとくくりにするあたり、おそらく打診してきたのはクロエが嫁いだアドラー公爵家のように、由緒正しき高位貴族ではないのだろう。
ローザの血筋を下に見て、なおかつそれを利用しようと企む、貴族社会で上り詰めることのできない不満が身の内にくすぶる人間たちに違いない。
(嫌だ)
そんなところにローザを嫁がせたくない。
これまでの境遇を自ら克服しようと長い間努力してきた姿を誰よりも知っているアマリールには、到底受け入れられない話だった。
「お前の気持ちはわかる……だが、こればかりは避けては通れない道だ」
「わかっています……」
ローザとて、いつかは誰かと婚姻を結び、皇宮を出ていかなければならない日がくる。
貴族に生まれたからには、恋愛感情で結ばれる婚姻関係など望めないことも、アマリールは充分承知している。
けれど自分のように、そしてクロエのように……ローザにも愛する人の元へ嫁ぐ幸せを享受してほしい。そんな気持ちをどうしても捨てられない。
「まだあれは十三だ。嫁ぐにしても話はもう少し先のこと。だからそう心配するな……」
ルーベルの手が伸び、アマリールの頬にかかる髪を耳にかけた。
そしてそのまま大きな手のひらは優しく頬を包む。
「お前はいつも人のことばかりだ。こんな時にさえ……」
そう言われ、今夜は自分の誕生日で、今、同じ寝台の中、愛する人とふたりきりなことを思い出す。
「す、すみません……!!」
途端、火を噴いたように顔が熱くなった。
ルーベルの手は頬に置かれたまま。
どうしよう。どうすべきなのかわからず、アマリールはただ戸惑った。
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こちらも読んでいただけたなんて嬉しいです〜♡
かなり長かったと思うのですが、一気読みとは恐れ入ります!!
そしてなぜかRoseminK様が令嬢口調に……🤣
続きは亀更新ですが頑張ります💪✨