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 「ローレンス!ルシアン!ここへ」

 怒声に近いような国王の声が会場に響き渡り、ローレンスとルシアンの足が止まる。
 そしてふたりは観念したようにアナスタシアたちの前にやってきた。

 「アーヴィング」

 「は、はい陛下!」

 「アナスタシアは実に聡明な子に育ったが、この二人に関しては私も頭が痛い。そして私以上に頭が痛いのはアナスタシアだ」

 (頭が痛い?なぜだろう……)
 何年も前から国政に携わっている王太子ローレンスは、既に独自の政策をいくつか打ち出し成功させ、国内外からの評判も上々だ。
 弟の第二王子ルシアンも、愛嬌のある憎めない性格は社交向きで、将来は要職である外交関連を任されるのではないかと噂されている。
 そんな二人のどこに頭の痛い要素があるのか。

 「お兄様、ルシアン、アーヴィングよ」

 微笑んではいるが、アナスタシアの声がいつもよりだいぶ低い。それになんだかピリピリとした雰囲気も漂っている。
 不遇な環境で育ってきたアーヴィングは、人のこういった感情の機微には敏感だ。
 間違いない。アナスタシアは二人に対して怒っている。それもかなり。
 (でもなぜだ?)
 疑問を抱えながらもアーヴィングは二人に向かって丁寧に挨拶をした。しかしどちらからも返事は返ってこない。
 アーヴィングはいつまでも頭を上げることができず、そのままの姿勢を保ち続けた。
 どれくらいの時間が経っただろう。
 こんな辱め、貴族なら耐えられないだろう。だがこんなこと、今のアーヴィングにはなんてこともなかった。
 しかし兄弟のこの態度が、アナスタシアの逆鱗に触れてしまった。

 「お兄様もルシアンも……よくわかりましたわ。私は金輪際、二人と顔を合わせることはないでしょう。これまでありがとうございました」

 これにはローレンスもルシアンも目を剥いて慌てた。

 「シア!!いきなりなんでそんなことを言うんだ!!」
 「シア姉さま!!いきなりどうしちゃったのさ!?」

 頭を下げながら、アーヴィングは横のアナスタシアの顔を盗み見た。
 すると、アナスタシアはこれまで見たことのない、感情をむき出しにした表情をして二人を睨みつけていた。

 「私の愛する人にこんな仕打ちをするなんて、兄でも弟でもありません!アーヴィング、こんなことが平気でできるような人間に頭を下げる必要などないわ。今すぐ顔を上げて胸を張って!」

 (あ、あ、愛するって、愛する人って……!)
 陛下たちの前で告げた“大切な人”から凄まじい格上げだ。
 しかもこんなに大勢が注目する中で。

 「お父様、お母様。かねてよりお願いしていた件、早めさせていただきます。ロイド!!」

 呼ばれて出てきたのは、国王夫妻の近くに控えていた宰相ロイド。彼はこの状況にまったくそぐわない、非常に楽しそうな顔をしながら前へ出てきた。

 「ロイド、私の名は決めてくれたかしら?」

 「はい殿下。恐れながら殿下がこれより先、生涯名乗られる尊きお名前は、陛下と妃殿下にもご相談した上で決めさせていただきました。このような機会をお与えいただいた栄誉、まことに感謝いたします」

 「新しい名前ってなんだ!?」
 「どういうことロイド!?」

 「ローレンス殿下、ルシアン殿下。アナスタシア殿下は王籍を離れ、臣籍に降られます。本来ならもう少し先のご予定だったのですが……よろしいのですか?殿下」

 「ええ。今この時より兄でもなければ弟でもありません。住居の用意も済んでいます。本日をもって、アナスタシアは王宮を出ます」

 ローレンスとルシアンの顔からサーッと血の気が引いていく。
 
 「では僭越ながらこのロイド、尊き王家の血を引く新たな公爵の誕生を心よりお祝い申し上げます。アナスタシア殿下には“グランツ”の姓を。その名の通り、輝きに満ちた人生を歩まれますよう」

 「グランツ……良い名だわ。ありがとうロイド。そしてお父様もお母様も、認めてくださってありがとう」

 どうやら親娘の間では、既に話はついていたようだ。
 アナスタシアを見つめる二人の笑顔は国王と王妃としてのものではなく、娘を祝福し送り出す父母としての顔で、そこには一片の曇りもなかった。
 しかしやはりと言うべきか、ローレンスとルシアンはこれに激しく反発した。

 「そんなこと許さないよシア!しかるべき手続きもせずに今すぐ王宮を出るなんて!」

 声を荒げたのは兄ローレンス。
 しかしアナスタシアの顔からは愛嬌どころか一切の感情が削げ落ちている。
 アナスタシアが本気で怒るとこんなにも怖いのか。美しいけど恐ろしい。
 アーヴィングの心臓は色んな意味でドキドキしていた。

 「手続きならもう済んでますわ。王都の屋敷には既に使用人も十分な数の護衛も配備してあります」

 「私はなにも聞いていない!」

 「なぜ殿の許可がいるのでしょうか?」

 「……え……?」

 アナスタシアからの突然の“王太子殿下”呼びにローレンスは絶句する。
 他人行儀というものが武器になることをアーヴィングは初めて知った。

 「このことは国王陛下並びに王妃殿下から許可を得ております。なぜ王太子殿下から許可を得る必要が?」
 
 「そ、それは……!」
 「シア姉様!僕たちと会えなくて淋しくないの!?」

 そこに割って入ってきたのはルシアンだ。しかし彼はこの行為をすぐさま後悔することになる。

 「ええ、淋しくもなんともありませんわ殿。人を人とも思わぬ振る舞いが平気でできる方とは同じ空気を吸うことすら不愉快なものですものね。例えば汚い手を使って人を陥れようとする方とか……ね?第二王子殿下」

 そこまで言い切ると、アナスタシアはにっこりと微笑んでみせた。
 凄まじくどす黒いなにかを孕んだ微笑みを。
 
 

 

 
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