妾の嫁入り

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 その日の夜。
 紫乃は、いつものように夕餉を取りにやってきた瑛久に、昼間の出来事を話すべきかどうか迷っていた。

 「なにか嫌いなものでもありましたか?」

 瑛久は、紫乃の箸がいつもより進んでいないことに気づく。
 だが、その原因が自分の妹にあるということまでは、考えが及ばなかったようだ。

 「いえ、今日もとても美味しいです。嫌いな物は特にありませんし」

 「それは素晴らしい。私も好き嫌いはない方ですが……」
 
 瑛久はなにかを思い出すように目線を上へ向け、ほんの少し首を傾げた。

 「なにか苦手なものでもおありになるのですか?」

 「ナマコとかはちょっと……」

 酒好きな父の大好物だ。
 父は昔、幼い紫乃を驚かせようと、実物を持ってきてくれたことがあった。
 容器の中に、ででん、と鎮座する巨大な黒い物体を見て悲鳴を上げる紫乃を、両親は揃って笑いながら見ていた。
 
 「大きな黒い芋虫みたいですよね。初めて見た時はびっくりしました」

 「芋虫!いい例えですね」

 「子どもの頃、父が見せてくれたのですが、本当にこれが食べ物なのかとびっくりしてしまいました」

 「そうですか、わざわざ実物を。どうやら古川様はいい父親だったようですね」

 「……そうですね」

 少なくとも母が亡くなるまでは、確かにいい父親だった。
 それからのことについては瑛久に言う必要はない。
 同情して欲しいわけじゃないし、信じてもらえるかもわからないから。
 しかし瑛久は、突然表情を曇らせた紫乃を不思議そうに見ている。
 (話題を変えなくちゃ)

 「あの、瑛久さまは──」

 ──『瑛久さま』?ちょっと、やめてちょうだい、気持ち悪い!

 瞬間、鈴子から投げつけられた言葉が頭を過った。

 「どうしました?」

 「いえ、あの……お名前、なんとお呼びしたらいいのかと……」

 生前母は、父のことを『旦那さま』と呼んでいた。
 元芸妓の母が、一番のご贔屓であった父を『旦那さま』と結婚後も呼び続けたのは自然な流れだ。
 しかし、それがただ単に呼び慣れていたからか、それとも正妻とその子を気にしてのことだったのかは今では知る由もない。
 
 「先ほどのように『瑛久』で構いませんよ」

 「ですが……」

 いっそのこと、鈴子との会話を話してみようかとも思ったが、言い方次第では告げ口のようになってしまうため、躊躇ってしまう。

 「強制はしません。あなたの呼びたいように呼んでください」

 「はい……瑛久さま」

 【旦那さま】と【瑛久さま】。
 どちらでも構わないのは紫乃も同じだが、今の自分にはなぜか後者の方がしっくりくる。
 瑛久本人からお許しが出たのだから、きっと鈴子も許してくれるだろう。

 「あの、瑛久さまはお酒は呑まれないのですか?」

 父との夕餉には必ず徳利とお猪口が一緒に置いてあった。
 幼い紫乃は、小さなお猪口に酒を注ぐ母を見て、よく真似したがった。
 まるでおままごとのようで楽しそうだと思ったのだ。
 危なっかしい手つきで徳利を傾ける紫乃に、父も『おっとっと』といいながら付き合ってくれた。
 それにしても何故だろう。
 瑛久と過ごす時間は、紫乃に子どもの頃──まだ幸せだった頃の記憶をよく思い出させる。

 「酒は……正直に言えばかなり好きな方です。だが、ここで晩酌をすると長くなってしまうので」

 「このあと、なにか大切なご用事でも?」

 「いいえ。あまり長居しては迷惑かと思って。側でダラダラと呑まれては邪魔だろうし、女性はつまらないでしょう?」

 瑛久の家族は、彼と当主である父親を除き、全員酒を嗜まないのだとか。
 父がいる時ならまだしも、ひとりのんびり酒を呑もうものなら、母と妹から嫌味を言われるのだとか。

 「それでは瑛久さまは、気晴らしもできないのではありませか……?」

 あまり詳しく聞かされていないが、水無瀬家が代々営んできた『水無瀬材木店』当主の仕事は、瑛久と番頭の大多喜が通常業務に加え分担して回しているという。
 彼にかかる負担は相当なはずだ。
 紫乃は一瞬躊躇ったが、勇気を振りしぼった。

 「私なら構いませんので、もしよろしければこちらでお呑みになられてはいかがでしよう」

 瑛久は虚をつかれたように目をぱちくりとさせた。

 「いいんですか?」

 「はい。私は構いません」

 「そうですか……ではお言葉に甘えて、次からはそうさせてもらおうかな」

 膳に残った夕飯を口に運ぶ瑛久の表情は、心なしか少し嬉しそうだった。
 
 





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