35 / 35
35
しおりを挟む少しひんやりとした手。
私はエリアス王子の視線から逃れるように目を閉じ、暗闇の中でその時を待ちました。
──視る事ができるかしら……
ですが心配は無用でした。
いつものように眩い光が暗闇を消し去ります。
視えたのは……上機嫌な様子でグラスを傾ける父上と、笑顔で向かい合うエリアス王子。
『いやぁ、いい婿を迎えられて私は幸せだ』
──婿……では、これは私とエリアス王子が結婚した後の光景ですね
だらしなく……とはいかないまでも、相好を崩す父上は随分と飲んでいるようです。
普段、お酒は嗜む程度の父なので、これは非常に珍しい光景です。
『そんな……幸せなのは私の方です。心から愛するアンネリーエの夫になれただけでなく、こんなに素晴らしい方の息子になる事ができたのですから』
『嬉しい事を言ってくれる。私には娘しかいないからね。息子という存在がこんなに頼もしいものだとは知らなかったよ』
家族以外に父がここまで気を許す姿なんて初めて見ます。
しかもエリアス王子ったら、父の前で私の事を“心から愛するアンネリーエ”だなんて……
まるで、絵に書いたような幸せな夫婦、そして家族関係ではありませんか。
あんなに嬉しそうな父の顔を見ていると、何だか複雑な気分になります。
ですがここで名残惜しそうな父を残し、エリアス王子は退室しました。
彼が向かったのはよく見覚えのある扉。
ええ、今私たちのいるこの部屋の扉です。
『アンネリーエはもう寝たかな?』
深夜にも関わらず、頭のてっぺんからつま先まで微塵の乱れも見られない侍女が、すぐさま彼を出迎え、ほんのりと頬を赤く染めながら答えます。
『アンネリーエ様は遅くまで読書をされておりましたが、先ほど寝室の方に……』
『そうか、ありがとう』
『あ、あの……エリアス殿下!御酒でもお持ちいたしましょうか?』
勇気を振り絞るようなその様子から、侍女が彼に何らかの想いを寄せているのは一目瞭然です。
『いや、酒ならもう充分飲んだから』
穏やかに微笑んではいますが、温度を持たないその視線は、彼の言わんとする事を如実に物語っています。
主の心の機微に敏くなければならない立場であるにも関わらず、暗に“下がれ”と言わせてしまった侍女は慌て、顔色はみるみる青ざめていきます。
『さ、差し出がましい事を申し上げました……どうぞごゆっくりお休みなさいませ……』
肝の冷える思いをしても尚、名残惜しそうに振り返りながら出て行く侍女。
しかしエリアス王子はそれに気付いているだろうに、見向きもしませんでした。
──これだけあからさまに秋波を送られれば、安易に手を出す男性も多いでしょうに……
そう思うのと同時に、この天使のような方でもあんなに冷たい顔をする事があるのだと、素直に驚きました。
──もしかしたら彼は、私が思うよりもずっと誠実な人なのかもしれない
ですが、婿としてサルウィン王家に入ったばかりの彼が、醜聞を恐れて慎重に行動しているという可能性も無きにしもあらず……それに、彼ほどの美しさならこのような事日常茶飯事でしょうし、ただ単に慣れているだけとも思えます。
それに、王宮に侍女は大勢勤めていますから、いちいち手を出していたらきりがありません。
エリアス王子は寝室の扉を音を立てないように静かに開けました。
既に寝ているであろう私を起こさないように、気を遣ってくれているのでしょう。
『……アンネリーエ?』
毛布を捲り、寝台に身体を滑り込ませた彼は何かに気付いたように、横向きで眠る私の背に声をかけました。
『起きているの?』
美しい手が伸ばされ、そっと肩に触れると横になる私の身体が少しだけ強張ったのが見えました。
──どうしたのかしら?
喧嘩でもしていて気まずいのでしょうか。
けれどエリアス王子からはそんな雰囲気は感じられません。
『……ああ、やっぱり起きていたの。淋しかったんだね。ここのところ夜を一緒に過ごせなかったから……アンネリーエ、こっちを向いて』
促され、ゆっくりとエリアス王子を振り返った自分の顔に衝撃を受けました。
『エリアス様……』
目を潤ませ、拗ねた幼子のような表情を向けているのは間違いなく私なのですが、信じられませんでした。
私はとても聞き分けの良い子どもでしたから、幼少期にもこのような態度を他人に向けた憶えがありません。
『そんな顔をしないで。さあ、おいで』
私は少し躊躇う素振りを見せながらも、大人しくエリアス王子の腕の中に収まりました。
『ごめんね……けれど早く陛下に頼りにしてもらえるようになりたくて』
『それならもう充分です。父上ったら、毎日上機嫌ですもの』
『アンネリーエ、私は義姉上にも幸せになってもらいたいんだ。私たちのようにね』
姉の幸せと父上の上機嫌に何の繋がりがあるというのでしょう。
私もそうですが、未来の私も、その表情を見る限り、彼の言わんとする事がわかっていません。
『義姉上にも私たちのように心から愛する人と幸せになってもらいたい。そうは思わない?』
『それは……そう思います……でも、だからといってエリアス様がそんなに無理する必要は──』
『無理なんかじゃないよ、アンネリーエ』
私の言葉を遮るように彼は言います。
『だからこそ、私が王位を継ぐに足る人間であると周囲に認めて貰わなければ』
──王位を継ぐ?彼が?
確かに彼が次の王になるのであれば、姉は自分の意思で好きな方に嫁ぐ事ができるでしょう。
ですが姉の幸せのためとはいえ、赤の他人の彼が何故そこまで?
『君を愛してるから……君の周りのすべての人を幸せにしたいんだ』
『エリアス様……』
感極まった様子で静かに涙をこぼす私。
彼は手を伸ばし、白く長い指で涙の跡を拭うと、優しく口づけました。
触れるだけのそれはやがて食むような触れ合いに変わり、深く重なり合います。
角度を変えるたびに隙間から漏れ聴こえてくる音で、彼が私の口腔をどうしているのかが想像され、思わず身を捩りたくなるような羞恥に襲われます。
「ん……っ……」
苦しいようなそうでないような鼻にかかった声。息づかいの乱れから、私の余裕の無さがうかがえます。
『エリアス様、明日も早いのでは……?』
口では彼を心配しながらも、その瞳はこの先を期待していました。
『いいんだよ。今夜はアンネリーエを甘やかしてあげたい。淋しい思いをさせた分、たっぷりと』
“たっぷりと”
ゴクリと喉を鳴らした私に、エリアス王子は妖しくも美しく微笑んだのです。
43
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(67件)
あなたにおすすめの小説
働かないつもりでしたのに、気づけば全部うまくいっていました ――自由に生きる貴族夫人と溺愛旦那様』
鷹 綾
恋愛
前世では、仕事に追われるだけの人生を送り、恋も自由も知らないまま終わった私。
だからこそ転生後に誓った――
「今度こそ、働かずに優雅に生きる!」 と。
気づけば貴族夫人、しかも結婚相手は冷静沈着な名門貴族リチャード様。
「君は何もしなくていい。自由に過ごしてくれ」
――理想的すぎる条件に、これは勝ち確人生だと思ったのに。
なぜか気づけば、
・屋敷の管理を改善して使用人の待遇が激変
・夫の仕事を手伝ったら経理改革が大成功
・興味本位で教えた簿記と珠算が商業界に革命を起こす
・商人ギルドの顧問にまで祭り上げられる始末
「あれ? 私、働かない予定でしたよね???」
自分から出世街道を爆走するつもりはなかったはずなのに、
“やりたいことをやっていただけ”で、世界のほうが勝手に変わっていく。
一方、そんな彼女を静かに見守り続けていた夫・リチャードは、
実は昔から彼女を想い続けていた溺愛系旦那様で――。
「君が選ぶなら、私はずっとそばにいる」
働かないつもりだった貴族夫人が、
自由・仕事・愛情のすべてを“自分で選ぶ”人生に辿り着く物語。
これは、
何もしないはずだったのに、幸せだけは全部手に入れてしまった女性の物語。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
愛を騙るな
篠月珪霞
恋愛
「王妃よ、そなた一体何が不満だというのだ」
「………」
「贅を尽くした食事、ドレス、宝石、アクセサリー、部屋の調度も最高品質のもの。王妃という地位も用意した。およそ世の女性が望むものすべてを手に入れているというのに、何が不満だというのだ!」
王妃は表情を変えない。何を言っても宥めてもすかしても脅しても変わらない王妃に、苛立った王は声を荒げる。
「何とか言わぬか! 不敬だぞ!」
「……でしたら、牢に入れるなり、処罰するなりお好きに」
「い、いや、それはできぬ」
「何故? 陛下の望むままなさればよろしい」
「余は、そなたを愛しているのだ。愛するものにそのような仕打ち、到底考えられぬ」
途端、王妃の嘲る笑い声が響く。
「畜生にも劣る陛下が、愛を騙るなどおこがましいですわね」
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
女王は若き美貌の夫に離婚を申し出る
小西あまね
恋愛
「喜べ!やっと離婚できそうだぞ!」「……は?」
政略結婚して9年目、32歳の女王陛下は22歳の王配陛下に笑顔で告げた。
9年前の約束を叶えるために……。
豪胆果断だがどこか天然な女王と、彼女を敬愛してやまない美貌の若き王配のすれ違い離婚騒動。
「月と雪と温泉と ~幼馴染みの天然王子と最強魔術師~」の王子の姉の話ですが、独立した話で、作風も違います。
本作は小説家になろうにも投稿しています。
女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です
くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」
身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。
期間は卒業まで。
彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
更新、ありがとうございます。
お元気ですか?
体調を崩されていたと前回のお返事で書かれていたので……。
“作者様の心身大事!”
作者様がいる限り物語の続きがが読めると思っているので続きは待てます。
ご無理の無い更新でいいです。
これからも応援させて下さいね。
sivaress様(*´꒳`*)お久しぶりです♡
相変わらず遅筆病が治りません_| ̄|○ガックリ・・
咳も相変わらずですが、この季節後遺症なのか花粉症なのか、それともあわせ技なのか、よくわからなくなってきました……笑
心身、本当に大事ですよね。
温かい励ましのお言葉にクマ奮起💪✨
身体を大切にしながら頑張りたいと思います!
本当にありがとうございました♡
エリアス、胡散臭いなぁ…
しっかりその先まで見ることができますように(-人-〃)祈
クマ様
私も例の感染症の後、半年近く後遺症に悩まされました
くれぐれも無理のないようになさってくださいね
はらり様(*´꒳`*)こんばんは〜♡
ご無沙汰しております💦
そして励ましのお言葉、本当にありがとうございます!
さっぱり筆が進まない病はまだまだ治ってくれず……皆さんのお暇な時間に楽しんで貰えるようなお話をたくさん書きたいという気持ちだけは山盛りなのですがなんとも……(TT)
ですが、ゆっくりでも書き進めていきます!
エリアスの胡散臭さもそろそろ最高潮。ハロルド〜早く帰っておいで〜って言いながら書いてます笑
更新ありがとうございます♪
何だかこの王子が、某鬼娘がヒロインの漫画に出てくる“◯星あたる”にしか見えなくなってきた……(-ω-;)
(ヤル為なら弁がたつ所とか……(^◇^;))
sivaress様こんばんは(*´꒳`*)
“ヤル為なら弁が立つ……”に爆笑させていただきました笑 確かにエリアス、その通りかもしれません。
最近更新もお返事も遅れてばかりで申し訳ありません。実はこの連載当初コ○ナウイルスに罹患しまして……高熱でも根性で連載止めずになんとか治したのですが、治ってからというもの文章がさっぱり頭に浮かばなくて。コレ、後遺症のブレインフォグとかいうやつなのかなと。まだ咳も続いており、体調の悪い日々です。
なるべく早く次話もお届けできるよう頑張りますね!