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2章
19ー2
しおりを挟む「リュシー……君を愛してる……誰にも渡したくないよ……。」
弟の初めて聞くその声音に身体が強張る。
「フランシス……私も……もうずっと前から愛してるわ。」
初めて心を奪われた人のその言葉に、動悸が止まらない。
弟が迷子になった公女を助けた縁で友人となったのは聞いていた。
何て運が良いんだとその時は神に感謝したほどだ。さすが俺の可愛い弟と。
彼女には徐々にガーランド王家と懇意にしてもらって、ゆくゆくは婚約の打診も……と最初は能天気に考えていた。
けれど公女は非公式に、フランシスのお見舞いだと言ってやってくる。そしてその回数は年々増えて行った。
俺が挨拶しても彼女からは儀礼的なものしか返ってこない。
ずっと嫌な予感はしていた。まさかそれが現実になるなんて。
*************
そして弟は婚約した。俺の愛する人と。
フランシスの身体を考えて書類と指輪の交換だけの簡素なものだったが、二人は幸せそうだった。
その日から世界が泥を被ったように見えた。
俺は泥の中でいつも彼女の色を探す。
見つけさえすれば、あとは簡単だ。
「失礼……あまりに美しい翠色の瞳につい目を奪われてしまった。」
こう言えば俺に抱かれない女なんていない。
「……あっ……あんっ……ジュリアン様…ジュリアンさまぁっ!!」
頼むから黙ってくれ。
聞きたいのはお前の声じゃない。
俺はその翠が見たいだけなんだ。
空いた片手で喘ぐ女の口を塞ぐ。
「…目を閉じないで……もっと私を見て……」
女が目を開いた瞬間激しく腰を打ち付けてやる。
「んんっ……んぐっ……んーーーーーー!!!」
深く埋め込まれた俺を柔らかな肉がぐねぐねと締め付ける。くたりと力の抜けた女から自身を抜き取ると足早に部屋を出る。
満たしてやれても俺が満たされる事はない。
汚いぬめりを湯殿で素早く落とすと満たされない己が未だ硬く反り立つのが見える。
「情けないな……。」
どうして忘れる事ができないのか。
そして湯に身体を沈め、諦めたように彼女の流れる豊かな髪を思い出す。青空の下に広がる海のような翠の瞳が俺を誘ってくれる。
あの日、君の周りだけが白く光輝いていた。
今まで他の誰にも抱いた事のない気持ちは今も枯れる事なく溢れ続けてる。
その手に触れたかった。
その声で名前を呼ばれたかった。
その身体も心もすべて俺のものにしたかった。
「……ぐっっっ……!!!」
ドクドクと脈打ち欲が放たれると同時に頬を涙がつたう。
「……何でお前なんだよフランシス……お前じゃなかったらすぐにでも奪ってやったのに……。」
************
フランシスが婚約して数ヶ月経ったある日、執務室にフランシス付きの侍従が息を切らし駆け込んで来た。
「大変にございます!!フランシス様が……フランシス様が!!!」
今までずっとフランシスの命を繋いできた薬が今日に限って効かなかった。
発作を起こしたフランシスの心臓は一時的に動きを止めたらしい。
フランシス!フランシス!!頼むから死ぬな!
通わなくなって久しいフランシスの宮までの道のりがとても長く感じる。子供の頃は虫籠片手に毎日のように駆けた道なのに。
フランシスの宮の周りは医者やら侍従やらでごった返していた。
「フランシスの容態は!?」
「今は意識はございませんが、お命は取り留めました。ただ……心肺が停止した時間が少し長かったのが心配です……何事もなければ良いのですが……。」
医者は何か思うところがあるのだろう。
久し振りに見るフランシスの顔は青白く、呼吸が小さかった。
少し冷たい手を握り締めても何の反応もない。
「フランシス……頼むから死ぬな。約束しただろ?一緒にこの国を守るんだって。お前が生きててくれるなら何だっていい。どんな事だって俺が引き受けてやる。だから生きてくれ……。」
いつの間にかフランシスの手は俺の涙で濡れていた。
**************
何日か昏睡状態だったフランシスが目を覚ましたと知らせを受け、また俺はあの道を駆けた。
フランシスの宮がやけに静かだ。そして誰かがすすり泣くような声も聞こえる。
部屋へ入ろうとすると医者に声をかけられる。
「ジュリアン様……フランシス様にお会いになる前にお伝えしなければならない事があります。」
そこで聞いた事実に俺は言葉を失う。
「……危惧しておりましたがやはり……心臓が止まった時間が少し長かった……。フランシス様の半身には麻痺が……あとお顔も今はうまく動かせない状態です……意思の疎通は出来ておりますが……。」
頭の中が真っ白になる。
自分の身体がまるで宙に浮いているみたいに力が入らなくなる。
「!! ジュリアン様!!!」
膝から崩れ落ちる俺を医者が支える。
「ジュリアン様どうかお気を確かに!!」
俺を運ぼうとする者達を震える手で止める。
しっかりしろ。辛いのは俺じゃない。
俺が全部背負うんだ。あいつが立てないなら俺が背負って立つんだ。
未だ力の入らない脚で薄暗い部屋に入ると、仰向けに天井を見上げるフランシスがいた。
そっと近付いてその手を取ると、わずかに顔をこちらに向けて何か伝えようとしている。
「フランシス…今は無理するな。頼むから。」
フランシスはそれでもやめようとしない。
わずかに聞こえる声に耳を近付ける。
「……に…さん………た……のみ……が…………」
「頼み?」
「……つく……え………て…が……み………」
「机?手紙?」
そうだとでも言うようにフランシスは小さく頷く。
俺はフランシスの目線を追って部屋の角の机まで行くと、引き出しを開けた。
その中には
【兄さんへ】
と、フランシスの美しい文字で書かれた封筒が入っていた。
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