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8章
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しおりを挟む「降伏とはこれほどまでに惨めで悔しいものか。」
高台に登り、焦土と化した街並みを眺めながら男は言った。
独り言にも似たそれを側で聞いていたのは黒髪の男。濃く精悍な顔立ちは血と煤で汚れている。
「恐れながら陛下…此度は戦に負けた訳ではありません。全ては我がダレンシアの民を救うため…。陛下のご英断を多くの者が支持するでしょう。」
陛下と呼ばれた男は目を細め、焦土の先に国の未来を見ていた。
「私は間違っていたのだろうか…。」
民が、子供達が暮らすこの国が決して列国の悪意と暴力に侵される事の無いよう幾度も戦場を駆け、この身を血に染めてきた。
しかしその先に待っていたのは同じ国に暮らす者同士が殺し合い、奪い合う現実だった。
「それにしても強かったな…マクシムと言ったか。カイデン、お前に勝る濃さだった。顔がな。」
嫌そうな顔をするカイデンにレオナルドは声を上げて笑う。
あの男がこの世に生を受けてさえいなければ、ガーランドは今頃この手の中に落ちていたかも知れない。
「だが人が生まれ出会うのには意味がある…。」
変わる時が来たのだ。この国も。
「例え陛下が剣を捨てる日が来られても、陛下がこの国の……私達の英雄である事は生涯変わりません。」
「そうか……。」
レオナルドは夕日が沈むまでずっと、赤く染まる大地をその目に焼き写し続けていた。
**********
ガーランドと友好を結び大きな戦とは無縁となったが、だからと言ってまったく争いが起きない訳ではなかった。
揉め事が起きれば誰より先に飛んで行った。玉座に座り、大勢に傅かれるのは性に合わなかった。
「あれはリンシアか!?」
戦いから帰る度に愛しい娘は大きくなる。親馬鹿だが美しく優しい子だ。大分気は強いが。
目を見開いていると娘は訝しげな顔を返す。何だ。反抗期か。
「違いますよ。父上の濃ゆい顔で凝視されて気味悪がってるんですよ。」
長男のセドリックは私と違って知性溢れる冷静な男だ。最近は特に生意気になってきた。
「政務はどうだ?もう慣れたか?」
後継ぎとして政務に携わるようになって大分経った。信頼する臣からは太鼓判を押されている。こいつに国を任せる日も近いだろう。
「父上が戦ってばかりいるから大変ですよ。もっと内政にも目を向けて下さらないと。」
ぶつぶつとわかったような事を言う。口煩いのは母親似だな。
あの戦いを終えてから随分と月日は経った。
穏やかな日々。平和な暮らし。国とはこうあるべきなのだろう。
私の役目ももう終わろうとしている。
その事に何の不満も無かった…はずなのに…
「あなた様はこの国の英雄です。雄々しい獅子が、こんなぬるま湯のような平和の中で朽ち果てるおつもりですか?」
始まりはある男の一言だった。
流行り風邪でも引いたのだろう。その日は体調が悪く珍しく床についていた。熱に浮かされた身体に琥珀色の熱い液体が流れ込むと、たちまち気分は良くなり身体に力が漲るようだった。そして色鮮やかに甦るのは戦いに明け暮れたあの日々。
「そうでございますか!あの時の戦いにはそんな裏側が!!」
熱心に私の記憶を聞くこの男は新しく王宮医に加わってまだ日の浅い新参者だ。しかしこの男の作る薬はよく効いた。そして何より気分が良かった。
「そうだ!確かにあの時は少しばかり肝を冷やしたが、百戦錬磨の私には通用せん。蹴散らしてやったわ!」
「さすがでございます!さすが戦場の獅子と讃えられる英雄!」
平和に慣れて行く日々がほんの少しつまらなかったのかもしれない。昔話が楽しかった。ただそれだけだと思っていた。
しかし病の快方によりいつもの生活に戻っても気力が出ない。ぼうっとして何に対しても身が入らないのだ。ギヨームの薬を飲んだ時はあんなにも力が漲ったのに。あれは強壮剤か何かだろうか。
それから私はすぐにギヨームに命じ、あの時の薬を持って来させた。一口含めば身体に力が満ちてくる。
「陛下!今日はあの時の話をお聞かせ下さいませ!」
ギヨームは過去の戦の話ばかり聞きたがる。仕方ない奴め。
「いいだろう。あの時はな………」
ひとしきり話した後は更に気分が高揚した。しかし薬が切れたのだろうか…また身に力が入らない。そうしてまた私はギヨームを呼ぶ。あの琥珀色の薬のために。
「ガーランドが我が国を狙っているかもしれません。」
突然謁見を求めてやってきたラシードの口から語られたのは、ガーランドがダレンシアを襲うかも知れないというにわかには信じがたい内容だった。
「そんな訳は…条約を結んでからは何の揉め事も無く来ていたではないか。それに…あの男…マクシムは卑劣な行いを許すような男ではない。」
そうだ。敵ながら天晴れな奴だった。今でも思い出して腹が立つほどに。
「マクシム公爵は先日斬首されました。」
「何だと!?」
「何者かの陰謀に巻き込まれたようです。公爵家は取り潰されたと…。陛下、今のガーランドは昔とは違います。力を手にしすぎてしまった。油断すれば我らは滅ぼされる…早く手を打たなければ…!!」
その時だった。側に控えていたギヨームがいつもの薬を持って来て言ったのだ。
「陛下…あなた様はこの国の英雄です。雄々しい獅子がこんなぬるま湯のような平和の中で朽ち果てるおつもりですか?戦いはもうすぐそこまで来ている。今こそそのお力を存分に振るう時ではありませぬか?」
琥珀色の薬は身体に、心に力を漲らせた。
戦いが始まる…。備えなければ…来るべき時のために。
「ラシード…軍備を増強するのだ…急がなければ…!!」
守るのだ。この手で再びこの国を…愛する子供達を……!!
「仰せのままに…。」
ラシードは深々と頭を垂れながら、誰にも見られぬよう嫌らしく嗤った。
「……外が騒がしいのぅ…ギヨーム……」
昔よく戦場で聞いた音だ。怒号に罵声、悲鳴に轟音…。
「兵士達が暴れておるのでしょう。陛下が気にされる事ではございません。さぁ今日もお薬をお持ち致しましょうね。お飲みになられたら今度は辺境での戦いをお聞かせ下さい。」
「…おぉ…そうだな……」
ギヨームが部屋を出て行くと、一層騒がしい音が近くで鳴った。
一体何事なのか。しかし確かめようにも足はうまく動かない。この身体はどうしてしまったのか。
何か巨大なものが次々と倒れるような音がした後、足音はこの部屋の前で止まった。
兵士達が次々と押し入って来る。その鎧は我が子達…。我が兵ではないか…。
「…突然の無礼をお許し下さい。ダレンシア国王レオナルド陛下で間違いございませんか?」
この男は一体何者だ…。だがこの者の持つ雰囲気…どこかで……。
「マクシム様はもう逝ってしまったがあなたはまだ生きている。頼みます。俺達にはあなたの力が必要なんだ。」
男の持つ小瓶が傾けられ熱い液体が喉へと流れ込む。
マクシム…そうだこの男…あのマクシムに似ているのだ。…正々堂々とぶつかってくるあの馬鹿正直な男に…。
薬が胃の腑に届くと熱はそこから四肢の末端にまで広がって行く。
「うぅあぁぁぁ!!!」
熱い…熱い……熱い………!!!
私は誰だ…!?私は…………!!!
「「「陛下!!レオナルド陛下!!」」」
フランシスからの薬に反応を示したレオナルドに向かって、その場にいた兵士達が叫び始めた。カイデンの元に身を寄せた兵士の多くは長きに渡りレオナルドと同じ戦場で戦ってきた者達だ。皆が知っていた。レオナルドがどんなに強く誇り高い男であったかを。
【レオナルド】
そうだ…私の名は……
「…我の名はレオナルド……この国の王だ…」
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