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しおりを挟むサリオンは、アルウェンの方へ向かってまっすぐ歩いてくる。
「え、あの、サリオン殿下って……あの方が……!?」
横を通り過ぎていくサリオンを、シンシアは茫然と見送る。
噂とは真逆の、一度見たら忘れられないような眉目秀麗な姿に驚いたのだろう。
「殿下、どうされたのです?」
「おまえがグラフトン公爵夫人を呼んだと聞いてな」
サリオンはアルウェンの右側の席に視線を移した。
そこに座っていたのは、栗色の髪を上品に結い上げ、品のある紺色のドレスに身を包む女性──ヴェラ・グラフトン公爵夫人だった。
グラフトン公爵家は皇家の流れを汲む由緒正しき家門。
サリオンとは姻戚関係にあたる。
グラフトン公爵家はかつて社交界において、シャトレ侯爵家も及ばぬほどの権威を誇っていた。
しかし数年前、グラフトン公爵家はとある不幸に見舞われ、夫人はそれ以降社交界とも疎遠になり、人との距離を置くようになった。
「久しいな、夫人」
グラフトン公爵夫人は立ち上がり、優雅な所作で膝を折った。
「……帝国の若き太陽、サリオン皇太子殿下にご挨拶申し上げます」
「堅苦しい挨拶はいい。招待に応じたということは、今後我が妃の力になってくれるということで間違いないか」
「恐れ多いお言葉。ですが微力なこの身が、殿下と妃殿下の歩まれる険しい道のりの一助となれば幸いです……殿下、良い伴侶に巡りあわれたようでなによりです」
「あのっ、ねえお姉さま!私にも紹介してくださらない?」
シンシアが、グラフトン公爵夫人の言葉に被せるように声を上げると、サリオンは顔を顰めた。
「さっきからなんなんだあの女は。ん?そこにいるのはシャトレ侯爵夫人ではないか」
「殿下、この度は──」
「夫人。その女、知り合いか?」
サリオンはまるで汚いものを見るような目でシンシアを指差した。
するとシンシアは自分の番が来たとばかりにドドの横から身を乗り出した。
「殿下、アルウェンの妹のシンシアでございます!私、姉のことが心配で、今日は母に言って連れてきてもらったんです」
「殿下、申し訳ありません。妹は今すぐ外に出しますので」
「……いいんじゃないか」
「は?」
「おまえが心配で来たというのなら、なにがどう心配なのか聞かせてもらおうじゃないか」
「お恥ずかしい話ですが、妹にはこのような場に相応しい礼儀作法が身についておりません。皆さんがご不快になられるかもしれません」
かもというか、もう既に皆が不快な気がする。
「殿下!どうか姉と和解する機会をくださいませんか?姉は私に婚約者を取られたと逆恨みしているのです!」
「逆恨み……だと?」
「はい。姉は元婚約者をそれはそれは愛していて……でも結局お相手の方は姉よりも私を選んだから……」
シンシアの仕草はいつも以上に芝居がかっていた。
「シンシア、過去のことを蒸し返すのはやめなさい。さっきも言ったけれど、私は殿下の元に嫁げて幸運だったと思っているのよ」
「それなら、私のことを許してくれる?これからまた姉妹で仲良くできるわよね」
もう立場も生きる場所も違うということを、シンシアはどうやったら理解できるのか。
アルウェンがいくら諭したところで揚げ足を取られて終わらない。
「シャトレ侯爵夫人、なぜ娘の非礼を咎めない。こいつがどれだけ愚かな行いをしているかわかっているだろう」
いつもなら『この子は仕方ない』といった言葉でシンシアを庇う母だが、さすがにこの時ばかりは違った。
「殿下、娘の非礼を深くお詫び申し上げます!シンシア、あなたも謝罪なさい!早く!」
「どうしてよ!私はお姉さまに許してもらいたいだけよ。ねえ、お姉さま。また仲良くしましょうよ。私、毎日でもここに通ってくるわ。そうすればお姉さまだって寂しくないでしょう?」
大変なことになった。
皇太子、そして高位貴族の御婦人が揃う場でこのような醜態を晒して、いくらシャトレ侯爵家とて無傷では済まない。
けれど……アルウェンはある女性の顔を盗み見た。
実は、万が一のことを考えて、その女性にあるお願いをしていたのだ。
ただ、それを彼女が承諾してくれるかどうかは分からないが。
「お母さ……いえ、シャトレ侯爵夫人。皇太子妃が開く初めての茶会──その意味を知らないとは言わせませんよ。この始末、どうつけるつもりなのですか」
「斬首でいいだろ」
アルウェンだけに聞こえる声で、サリオンが呟く。
「……殿下、言い回しがおかしいですけど私を思って言ってくださったんですよね。ありがとうございます。でも斬首はやめてください」
「駄目か。だが、馬鹿は死んでも直らないぞ」
「死んでも直らないのなら、やめておきましょうね」
これ以上サリオンに妙な噂が追加されても困る。
シャトレ侯爵夫人は謝らないシンシアを諦めたのか、再びサリオンに許しを乞う。
「この娘はまだまだ未熟でして……!もう二度とお目汚ししないよう、皇宮へは決して立ち入らせません!もちろん妃殿下との接触も一切禁じます!ですからどうか……どうかお許しください!」
「そんな!嫌よ!私はお姉さまとずっと一緒にいるんだから!」
理由はわからないが、シンシアの性根はもはや矯正不能なほど歪みきっている。
何不自由ない暮らしに加え、親の愛情だってひとり占めだったのに、どうしてなのだろう。
歪みの種は、自分で認知できない不平不満だと思っていたアルウェンは、なんの不満もないはずのシンシアがこうなった理由が、どれだけ考えてもわからなかった。
ただひとつわかったのは、シンシアが執着しているのはアルウェンの持ち物や境遇ではなく、アルウェンそのものだということ。
「もう無理ね」
今度はアルウェンが、諦めの混ざった声で呟いた。
この調子ではおそらく外戚としての役目も果たせないだろう。
しかしシャトレ侯爵家と縁を切れば、アルウェンが嫁いだ意味がなくなる。
後ろ盾の欲しいサリオンにとって、無価値な人間と成り下がってしまうのだ。
「妃殿下、どうかご心配なさらないで」
悩むアルウェンに、グラフトン公爵夫人が優しく微笑んだ。
「グラフトン公爵夫人……」
「どうぞヴェラと呼んでください……サリオン殿下」
「なんだ」
「もう妃殿下を解放して差し上げたらどうでしょう」
解放とは、まさか離婚だろうか。
血の気が引くアルウェンだったが、顔の青いのがもうひとりいた。サリオンだ。
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