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8 触れ合う意味①
しおりを挟む翌朝、目を覚ましたルナリアの瞳に映ったのは美しい猫……ではなく、男の寝顔。
頭髪と同じ銀色のまつげに縁取られた切れ長の目は、静かに閉ざされていた。
薄く開いた唇がなんとも可愛らしい。
あどけない寝顔に、ルナリアは自然と笑顔になった。
見ると、昨夜繋いだ手はそのままで、申し訳ないと思う反面、ほどかずにいてくれた嬉しさがじわじわと込み上げる。
結婚する前、誰かの隣で眠るという行為はもっと緊張するものだと思っていた。
けれど実際こうして隣同士寝そべって一夜を明かしても、寝つきが悪いとか疲れが取れないといったことはなく、むしろどこか安心したような気持ちになる。
それはもしかしたらイグニスが、ルナリアを含め他の人間のように感情に沿って行動していないからかもしれない。
イグニスはルナリアが妻だから尊重してくれるが、他の人間は妻だからといって無条件で尊重はしてくれない。
性格や価値観が合わないとか、容姿が好みではないとか、行動には必ず個人の感情が伴う。
人の持つ身勝手な感情に散々苦しめられてきたルナリアには、イグニスの側はどこか気が楽で、息がしやすい。
ルナリアは、イグニスのけぶるようなまつげにうっとりとため息を漏らす。
(まるでエレモフィラみたい……)
白い短毛が密生し、全体が銀色に見える美しい植物。
その感触が気になったルナリアは、イグニスが寝ていることを慎重に確認し、繋いでいない方の手を伸ばした。
ふさふさとした柔らかな毛が指先を滑る。
例え感情がなくても、食べ物の好き嫌いや、人や物に関して好ましいかそうでないかを感じたりはするだろう。
イグニスの好ましいと思えるものの中に、いつかルナリアを入れてくれるだろうか。
「目を開けてもいいですか」
「ひっ……!!」
慌てて手を引っ込めると、イグニスの瞳がゆっくりと開いた。
紫水晶のように透き通る瞳には、驚くルナリアの顔が映されている。
「……すみません……」
これでは昨日の朝とまるで同じではないか。
学習しない自分が恨めしい。
「昨日も伝えましたが、私の容姿を不快に思われていないのなら良かったです」
(まって、この流れは)
昨日の朝とまったく同じ状況、同じ会話。
となると──
「体調はいかがですか」
腰紐を解き、惜しげもなく裸体を晒す夫。
一方のルナリアは昨夜、食事はおろか湯浴みもしていない状態だ。
「イグニス様。私、昨夜は身体を清めておりません」
「知っています」
それがどうしたとでも言いたげな顔が降りてきて、鼻先に触れる。
「ですからその……汚いです」
「気にしません」
そこは絶対に気にするところだ。
主にルナリアの気持ちをだが。
「気が進みませんか」
「そんな事は……ただその、できたら先に湯浴みを……」
そこでふと、初めて身体を繋げる前に彼が言っていた言葉が頭をよぎる。
『義務ですから』
もしかしてイグニスは、己の強すぎる義務感から、この情緒もへったくれもない状態で事に及ぼうとしているのだろうか。
子をなす事は確かに義務ではあるが、この行為にはもうひとつの側面がある。
だが相手はイグニスだ。
それを伝えたところで果たしてわかってもらえるかどうか──可能性はゼロに近そうだし、今度こそ機嫌を損ねてしまうかもしれない。
けれどイグニスは人の話を真っ向から否定するような人ではない。
“こんな考え方もあるのだ”と受け取ってもらえたなら、それだけでも十分意味がある。
「あの、イグニス様。少しだけお話してもよろしいですか」
「緊急を要する事でしょうか」
イグニスから、余程の内容でなければ中断は許さないという圧を感じ、ルナリアは若干仰け反った。
しかし人間関係は何事も最初が肝心だというし、ここで怯んではいけない。
「緊急というよりは、重要なお話です」
「わかりました。どうぞ」
聞いてくれるのは嬉しいのだが、なぜ体勢はそのままなのか。
お互いの息がかかる距離で見つめられ、心臓が騒がしく音を立てる。
「昨日の朝、イグニス様はこういった行為を義務だとおっしゃいました。覚えてらっしゃいますか?」
「はい。ですがもしその言い方が気に障ったのであれば謝罪します」
「いいえ、イグニス様は何も悪くありませんから謝罪などいりません。ですがひとつだけ、どうしてもお伝えしておきたい事があるのです」
「何でしょう」
「イグニス様と私にとって、子どもをつくるための行為は確かに義務ではありますが、一般的にこの行為には、また違った側面があります。それは愛を確かめ合い、お互いを慈しむ事です」
イグニスの様子を見る限り、ルナリアの言う事を理解しているとは思えない。
けれど、即座に否定される事はなかったので、少しだけ安心した。
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