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しおりを挟む部屋から出たあと、後ろからはシルヴィオとリエトがなにか言い争うような声が聞こえてくる。しかしルクレツィアは決して振り返らなかった。
「ルクレツィア様!」
しばらく走ったところで、後方から名を呼ばれた。声の主はリエトだった。ルクレツィアを追いかけてきたようだ。しかしここで立ち止まってはシルヴィオに捕まってしまうのではないかと思ったルクレツィアは、恐怖で身震いし、そのまま走り続けた。
リエトは全部知っていたのだ。
彼の顔色の悪さは、きっとこのことが原因だったのだ。誰よりもシルヴィオの近くにいる彼が、ビビアナとの仲を知らないはずがない。知っていて、みんなでルクレツィアを騙していたのだ。
──悔しい、悔しい、悔しい……!!
呑気に差し入れなどと考えていた自分はどれほど馬鹿なのか。なにも知らずにシルヴィオの言葉に浮かされるルクレツィアの姿は、見ていてさぞかし滑稽だったことだろう。
「痛っ……!!」
スカートの裾を踏んでしまい、ルクレツィアは目の前に勢いよく倒れ込んだ。靴は脱げ、転んだ瞬間足首からは嫌な音がした。誰もいない廊下にたったひとり。ルクレツィアは、生まれて初めて孤独というものを味わった。
「うっ……!!」
ぼろぼろと、急に涙が零れ出す。
まがいものの愛を盲目的に信じていた自分の愚かさが切なかった。
ここはルクレツィアへの愛に溢れた侯爵邸ではない。どんなに泣いてもルクレツィアのことを心から心配して、手を差し伸べてくれる人はいないのだ。
よろよろと、力の入らない身体でなんとか立ち上がろうとした時だった。
「ルクレツィア!!」
今きた道とは違う方から自身の名を呼ぶ声がして顔を向けると、こちらに向かって走ってくる人の姿が見えた。
「……アンジェロ……殿下……?」
「ルクレツィア!ああ、こんなに泣いて……!!」
シルヴィオと同じ金髪碧眼の青年は、床に座り込むルクレツィアのそばまできて膝をつくと、その泣き濡れた顔を見て顔を歪めた。
「ルクレツィア様!っ……これは、アンジェロ殿下……」
追いついたリエトはルクレツィアの隣にいるアンジェロの姿を見て目を見開き、すぐさま礼をとった。
「下がれリエト。ルクレツィアは僕が預かる」
アンジェロの声は怒気を孕んでいた。
「しかしルクレツィア様は……!」
「時に主の愚行を諌めることも、そばに仕える君の役目だ。それができなかったなら、君だって兄上と同じだ。そんな人間に送って貰いたいなんて、こんなに傷ついているルクレツィアが望むと思うのかい?」
リエトはぐっ、と言葉を呑んだ。
アンジェロは厳しい視線を向け、それ以上リエトの発言を許さなかった。
「ルクレツィア、僕の部屋でお茶を飲もう?こんな顔で帰ったら、君を愛する侯爵邸のみんなが心配してしまうよ」
優しい手が、乱れたルクレツィアの髪を掬って耳にかけた。
「でも……」
とてもお茶など飲める気分ではない。それがあのシルヴィオの弟であれば尚更だ。
どうやらルクレツィアを慰めようとしてくれているみたいだが、アンジェロの口ぶりでは、シルヴィオとビビアナの仲はリエトだけではなく、王宮に住まう皆が知るところのようだ。
──惨めだわ
「気が進まないのはよくわかる。でもね、僕は君の味方だ。決して悪いようにはしないよ。それに……早く足の手当もしないと」
思い出した途端、捻ったらしい足首の痛みが襲ってきた。
これでは一人で立つことも難しいだろう。
ルクレツィアは観念し、渋々アンジェロの誘いを承諾した。
アンジェロは少し膨れ顔のルクレツィアに苦笑すると、転がった靴を拾い、素早くルクレツィアを抱き上げた。
「ア、アンジェロ様!?」
「その足じゃ歩けないでしょう?いいから、しっかり掴まっていて」
ルクレツィアの体重だけではない。ドレスも合わせると相当な重さだろうに、アンジェロはものともせず歩いて行く。
いつの間にこんなに大人になったのだろう。ルクレツィアは、アンジェロと初めて会った日のことをぼんやりと思い出していた。
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