やり直しは別の人と

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 カリストは指を絡ませた手を口元に引き寄せ、ルクレツィアを見つめながら手の甲に口づけた。
 口づけられた場所からじわじわと身体の芯に向かって、彼の中に秘められた熱が伝わってくるような不思議な感覚だった。
 カリストは美しい。だがシルヴィオのような甘やかな美しさとはまた違う。細く筋の通った高い鼻。切れ長の目から覗く青い瞳は湖面に光をあてたように光り輝き、やや薄い唇は形がよくなんともいえない色気がある。
 それだけじゃない。彼の中からは、自分の意志では抗えないなにか絶対的なものを感じるのだ。
 ルクレツィアにも恋人がいたとはいえ、なにせ相手があのシルヴィオな上に、夢ばかり見ていた恋だった。だから経験値などゼロに等しい。ルクレツィアはこんな時どうしたらいいのかわからず、ただ戸惑うことしかできない。カリストは空いている手をルクレツィアの腰に回し、耳元に唇を寄せた。

 「私に触れられるのは嫌か?」

 低く甘い声が鼓膜を揺らし、熱い吐息が耳にかかる。脳が痺れるようだった。

 「嫌……じゃありません……」

 こんなに近くにいるのに、不思議と嫌悪感は感じない。ふわふわとして、腰のあたりから力が抜けるような不思議な感覚がした。
 頼りなく力の入らない身体を逞しい腕がしっかりと支えてくれる。
 
 「そろそろ中に入ろうか」

 「はい……」

 カリストは穏やかに微笑み、ゆっくりとルクレツィアの手を引いた。
 ふと気づくと、離れたところでこちらを見守っていたオリンドの顔からは、禍々しいなにかが放たれていた。


 *


 てっきり難しそうな書籍などで埋め尽くされているのだろうと思っていたカリストの自室は、意外なことに必要な家具以外余計なものはなにもなかった。
 目の前ではコポコポと注がれていく湯が茶葉を舞わせ、室内には華やかな香りが広がった。
 鮮やかな手つきで紅茶を淹れるカリストの姿をルクレツィアは信じられない思いで見つめていた。

 「どうしてこんなにお上手なのですか?」

 子供のように目を輝かせ、感嘆するルクレツィアにカリストは目を細めた。

 「そなたに淹れてやるために練習したのだ」

 いたずらっぽい笑みをよこされ、落ちついたはずのルクレツィアの心臓が再び騒ぎ出し、頬がボッと火がついたように熱くなる。
 どうしてそんなに恥ずかしいことがスラスラと言えてしまうのだろう。いやまてよ、シルヴィオだって歯の浮くような台詞を山ほどくれた。けれどカリストの口から出る言葉とは同じようでいてなにかが違う。しかしそれがどうしてなのかはルクレツィアにはわからなかった。

 「殿下、あまりからかわないでください……」

 「からかってなどいない。黙っていては再びそなたを取られてしまうからな。……だが茶のことに関しては冗談だ。そう……これは私の息抜きのようなものだな」

 「息抜き?」

 「執務に関係のない作業をすると無心になれるというのが適当かな。だから息が詰まった時や、この宮で過ごす時などはいつも自分で淹れている。だが誰かに淹れたのはそなたが初めてだ」

 花模様の美しいカップには、とても香り高く、美しい黄金色をした紅茶が注がれている。

 「本当に私が初めてなのですか?」

 そんなはずはないのに思わず聞いてしまった。男の言う“君だけ”は嘘に決まっていると学んだばかりだ。

 「随分と疑り深いな。それも仕方ないか。オリンド、私の淹れた茶を飲んだことのある人間を知っているか?」

 扉の前で控えていたオリンドの方に視線をやると、彼はこめかみに青く太い血管を浮かび上がらせギリギリと歯噛みしながらこちらを見ていた。

 「い゛い゛え゛!……カリスト殿下が自らの手で淹れられたお茶を飲めるという至高の栄誉を賜った人間など、このエルドラにいるはずがございません……もちろんですが私めも!!」

 歯茎から血が出てはいないだろうか。
 言葉を発し終えた今もキリリと変な音が聞こえていて、嫌われている身ではあるがさすがに心配になる。
 
 「私は伴侶には対等な立場を望むし、尽くしもする。そなたの父もそうであろう?」

 「確かにそうですが……けれど殿下は王太子であらせられるのに……」

 「王太子というのは私という人格とは関係なく、ただの職務上の名前だ。今の私はカリスト。もっと砕けた言い方をすれば、“エルドラさんちのカリスト君”と言ったところだな」

 「は……?」

 口を開けてぽかんとするルクレツィアに、カリストもまた口を開けて笑い出す。

 「くく……まったくそなたは……子供のようだな」

 「で、殿下が変なことを言うからではありませんか!」

 「そのままでいい」

 「えっ……?」

 「そのままでいいのだルクレツィア。私のそばではなにも取り繕う必要などない。私はそのままのお前を愛して今日まできたのだから」

 「そんなに想っていてくださったというのなら……どうして……どうして私がシルヴィオ様と婚約することに反対されなかったのですか?」

 テーブルを挟んで向かい合わせに座るカリストは、カップを見つめたまましばらく黙っていた。

 「……シルヴィオからそなたを紹介された時、なんてことだと思ったよ。あの日、そなたの社交デビューの日の宴に出席してさえいれば、そなたが選んだのは私だったかもしれないのにと何度も悔やんだ。無理矢理奪い取ろうにも、そなたがあいつの隣であんまり幸せそうに笑うものだから、私からはなにも言えなかった……不幸にしたい訳ではなかったから……だがこうなった以上はもう我慢しない」

 「カリスト殿下……」

 「裏切られたばかりのそなたが手放しで私を信じられないのはよくわかっている。だが信じていい。そして私のそばで、そなたらしく咲けばいい。王太子妃となれば時に窮屈な思いもさせるであろうが、なに、シルヴィオと結婚するのとそう変わらないさ。王太子妃だろうが王子妃だろうが侯爵夫人だろうが……どれになろうと大変なのは変わらない。呼び名が違うだけのことだ。本当に大切なのは、愛し愛される男の妻だということ」

 「愛し愛される……でも私は……殿下を愛しておりません……」

 「そうだ。今はまだな」

 カリストは立ち上がり、ルクレツィアの横に来ると跪いた。

 「で、殿下、どうかお止めください」

 「私はそなたを手に入れる。いざとなれば今度は力ずくでも」

 自分を映す青い瞳から目が離せなかった。

 「その代わり後悔はさせぬ。私なしには生きられぬ身体になるほどそなただけを愛し尽くそう。だから頼む。私だけを見て、私のすべてを知ってくれルクレツィア」










 
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