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997年目

03 はじまり ※チヒロ

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 ※※※ チヒロ ※※※



エリサが何故か動かなくなってしまった。

仕方がないので、私は借りたコンパクトを机の上においた。

絵本を持ったまま、壁を背にして床に座り込む。
椅子は大きくて座るのが大変だし、床に座る方が馴染んでいて楽だ。

さて、落ち着いて。

では考えを整理しよう。

―――まず、結論からいって

《どうやら私は前世の記憶を持ったまま、生まれ変わってここにいる》

のだ、多分。そうとしか考えられないよね。

今いる この世界・この国

今の 自分の容姿・声

何ひとつ記憶と同じじゃない。

考えられる理由は《生まれ変わった》。
それしかない。

―――私の記憶にある《私》は………

ここより遥かに発展した世界の、小さな国にいた。

空には飛行機が飛び、海には船が、陸には電車が、自動車が。
街には高いビルが建ち並び、人が大勢いて、みんなの手にはスマホ――

そこでの《私》は《千尋》という名前で。
今と違う容姿で声で。生まれて、生きて、そう。

死んだのだ。

多分。人生を全うして。

脳裏に浮かぶのは
さまざまな年齢の《私》が見た光景。

だけど、今となっては《前世の記憶》だからかな。どこか他人事だ。

万華鏡をくるりとまわして見えた懐かしい光景を、遠くから眺めている感じ。

そんなふうに感じるのは、やっぱり今の私が経験した事じゃないからかな……

…………って。


―――あれ?


ちょっと待って。

手足を前に伸ばして見る。

「小学生……10歳くらいだよね……?」

なんで?

前世の記憶はある。なのに。

―――なんで今日まで生きてきた記憶はないの?

え、おかしいよね?
赤ちゃんじゃあるまいし、10歳で今までのことを全く覚えてないなんて。

今までどこにいたの?
家族は? 友達は? 本当は今、いくつなの? 本当は今、なんて名前なの?
全く思い出せない。記憶喪失? …………ううん。

―――私には、この身体で生きた記憶が全くない。


呆然とする。

もう一度、何か覚えていることがないかと記憶を手繰る。だけど。

《今》の私の記憶はやっぱり今日。
王宮の森の祭壇だという石の上で、目覚めたところからしかない。


目覚めると、そこには雲ひとつない真っ青な空が広がっていた。


私は、何故か大きな石の――祭壇の、上にいて。
あたりは緑の木々に囲まれていて。そして遠くには大勢の人が見えた。

戸惑っていると、この国の第3王子だという彼がやって来て。
あまりにも自然に手を差し出されたので私は、躊躇うことなくその手を取った。

それから。
私を、裸足で歩かせるわけにはいかないからと抱き上げた彼は大勢の人の方に向かって行き。
大勢の人たちの所に着くと突然――本当に突然、大歓声に包まれて。
そして人々に取り囲まれ、口々に言われたのだ。

『空の子』様、と―――。


伸ばしていた腕が力なく落ちた。

これは一体、どういうことなの?

前世の記憶は《ある》。
でも今の……今世の記憶は今日。ほんの少し前から《しか》ないって………

震える私の手にコツンと何かがあたった。

絵本だ。


それを見た途端にわかった。


今日までの記憶がない理由はわからない。

でも多分、こうなったのは私一人じゃない。
『空の子』はきっと全員、同じだ。

ここではない世界
発展した別の世界で生涯を過ごした記憶。

それを持って、
この世界にやってきた10歳の子ども。

それが『空の子』なんだ。


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