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998年目

30 王太子夫妻 ※チヒロ

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 ※※※ チヒロ ※※※



「根も葉もない、ただの噂に過ぎないものばかりです」

顔に出てしまったらしい。

近衛隊長さんからレオンと国王様の話を聞いた次の日。

いつものお茶会で東の宮を訪ねた私を、ひとめ見た王太子妃様は
「様子がいつもと違う」
と言い、エリサをいつもの接待室に待たせ私だけを私室へ招き入れた。

そして私から、私が隊長さんに聞いたことを全部聞き出すとぴしゃりと否定した。

この方は本当によく気がつくし、それはもう話術がお上手なのだ。
敵わない。

洗いざらい白状させられてしまった。
怒られたらごめんなさい、隊長さん。

「くだらなさ過ぎて口にもしたくないわ。
特にくだらないのは、レオン様が本当に国王陛下の子なのか、という噂ですね。
くだらない!どこに疑う余地があるというのか!」

「はい」

「だってそうでしょう?レオン様は国王陛下と瓜二つですもの!」


……えっ、似てますか?


と、思ったけど私は怖くて声に出来なかった。
王太子妃様はそれほど激怒されている。

ギリっと歯ぎしりが聞こえた気がする。
冷や汗が止まらない。
ちゃんと椅子に座っているのに正座させられている気分だ。

「私がレオン様のお母様――王妃様を存じ上げている時間は長くはありません。
当時、私はまだ子どもでしたから。しかしそれでも断言できます。
――あの方が国王陛下を裏切るはずはありません。
確かにお歳の離れた国王ご夫妻でしたがそれはもう、仲睦まじいご様子でしたから」

「はい」 それは隊長さんに聞きました。

「……残念なのは早世されたことです。
確かに王妃として至らなかったのかもしれませんが、それはまだ彼女が成人したてだったという若さゆえです」

「はい」 それも隊長さんに聞きました。

「聡明で、優しくて、気品があって、、それは素晴らしい方でしたよ。
セバスもよく言っていたと私は父から聞いていました。
何年かしたらとても良い王妃になられるだろうと」

「え?セバス?」 セバス先生?

「ええ、当時セバスは近衛隊長として国王夫妻付きでしたから」

それは聞いてなかった。セバス先生、すごい人だったんだ。

ちなみに王太子妃様のお父様はこの国の大臣の一人らしい。

「ご自分より遥かに若い王妃様が突然亡くなられて……。
国王陛下の悲しみはそれは深かったのです。
……それが行き過ぎたのでしょうか。
国王陛下はレオン様を遠ざけてしまわれました。
すぐに南の宮へ入れてしまわれたんです。
セバスが必死に止めたそうですが、陛下は聞き入れられなかったと聞きました。
レオン様はお母様である王妃様と髪も瞳の色も同じで、お顔も瓜二つですから。
見るのがお辛かったのでしょう」

そうか、レオンは完全にお母さん似なんだ。
先程の国王様と瓜二つ発言は忘れよう。

「それが確執となって今に至るのです。国王陛下も罪深いことを」

「――私は父上の気持ちもわからないでもないな」

ひゃっと椅子の上で跳ねてしまった。
いつの間に来られたのか、声の主は王太子殿下だった。一歳の王子様を抱っこされている。

王太子妃様のお話に夢中になっていたから全く気がつかなかった。
失礼を詫びてご挨拶する。

王太子妃様が聞かれた。

「殿下、どうされましたの?執務は?」

「時間があいたので少し抜けてきた。愛する妻と可愛い息子。
それにチヒロ殿にも久しぶりに会いたくてね」

高く抱き上げられた王子が笑った。

「愛しい王子だが。
もし、王子の命と引き換えのように貴女が逝ってしまっていたら。
私も、こうして今、王子をためらわず抱けたかどうか」

「殿下」

「難しかったかもしれないね。顔を見るのも辛かったかも」

「でも、それでは私は浮かばれませんわ」

「はは、そうだね。
しかし私は、父上の気持ちもわからないでもない。
だが同時に、見るのが辛いからと顧みられなかった異母弟が父上を嫌う気持ちもわかる。
どちらの気持ちもわかるのに……何ともしてやれない私は情けない異母兄だな」


王太子様はそう言って薄茶の瞳を曇らせた。
王太子妃様がその腕にそっと手を添える。


この方たちは温かい。

この国にきてからずっと、私を気にかけてくださっている。

お二人はきっと何もしなかったわけじゃない。
どうにも出来なかったんだと思う。

王太子ご夫妻はご成婚前からずっと、幼かったレオンを気にかけ、たびたび南の宮を訪ねていた、と隊長さんが言っていた。

―――うん、大丈夫。

レオンもきっと気づいているよね。

自分を気遣ってくれている、あたたかな人達がいるって―――。


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