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999年目

13 完敗 ※レオン

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 ※※※ レオン ※※※



「チヒロ。レオン様が、貴女が今まで通り外に出る事を認めてくださったから。
次は東の宮へ来て頂戴ね」

護衛と侍女を連れ、南の宮の門の前まで来ると王太子妃様が言った。

一緒に見送りに出ていたチヒロが、目を丸くして王太子妃様と僕の顔を交互に見る。

そんなチヒロの肩に手を添えると、王太子妃様は僕に目を向けて言った。

「ふふ、それから。王妃様の絵も飾ってくださるそうよ。――ねえ、レオン様」

「……はい」

それ以外、何と言えようか。
僕は言葉だけの返事をした。

と。

「本当?良かった!」

チヒロが嬉しそうな声をあげた。

「……良かった?」

チヒロの言葉の理由が分からず聞きなおす。
彼女は思わずといった様子で口を手で押さえ、それから気まずそうに笑った。

「……その。
もしかしたらレオンは、私に気を遣ってお母様の絵を飾らないのかと思ってたから。
ほら、私には記憶が――」

「――っ違う!!」

自分でも驚くほど大きな声が出た。

チヒロの身体が強張る。
僕は慌てて次の言葉を紡いだ。

「――っごめん!君にそんな心配をさせてたとは思わなくて。違うんだ!
そうじゃない。
……随分前から絵を飾る事をやめていたんだ。母の絵だけじゃない。
この宮に絵はひとつも飾ってないだろう?」

「あ、そういえば」

チヒロのどこかホッとした声に、こちらが安堵する。

王太子妃様がそんな僕らの方を見て静かに言った。

「それも、もうおしまいでしょう?」

「――ええ。数日のうちに選んで飾ります」

今度は決意が声になった。

「選ぶ?」

首を傾げたチヒロに、王太子妃様が答える。

「この南の宮には王妃様の絵が沢山あるのよ。
それこそ、王宮中のほぼ全ての絵がね」

「――ああ。じゃあレオンの為に、全部この宮に集めてあるんですね」

「ふふ、そうね」

胸がどくんと音を立てた。
僕はゆっくり二人を見る。

「……僕の為?」

チヒロが僕を見て、何故聞くのかという顔をした。

「だって絵だもの。ひとつとして同じものはないでしょう?
描かれた姿や、表情、服装で、同じ人を描いたものでも印象が全く変わってしまうじゃない。
それに王宮絵師の描いた貴族と、シャナイア様の描かれた貴族が、同じ人物だとはわかるけど全く違うように、描いた人によっても印象が違うでしょう?
だから一枚や二枚じゃ駄目だよ。
絵が多ければ多いほど、レオンに、お母様のお顔や雰囲気が正しく伝わるでしょう?」

「―――――」


僕は言葉を失った。

チヒロの、当然だろうという顔が眩しくて。
王太子妃様の微笑みが柔らかで。

僕は国王が、この宮に捨てたのだと考えていた。

強引に手に入れ、周りから孤立させるほど寵愛していた王妃の絵も。
王妃の命と引き換えに生まれた赤子も。

―――辛い思い出を封印し、見たくもない子を捨てたのだ。

そうとしか思えなかった。

大量に飾られた絵を見るたび、お前が命を奪った者の顔だと責められている
気がした。

だから外したのだ。母の絵を。
だから嫌悪したのだ。父王を。

誰に何と言われようと、そんな自分の考えが揺らぐ事などなかった。

覚えてはいないが、生まれてから今日まで。
17年の間には今と似たようなやりとりもあったかも知れない。

それでも僕の心に何も届いたりはしなかったのに。

どうしてこうも簡単に、今日は僕を変えるのだろう―――。

「ふふ、チヒロ。私、やっぱり貴女が大好きよ」

「わあ、嬉しい。私も王太子妃様が大好きです」

「ではまたね」

「はい。今日はありがとうございました」

すぐ横でされているはずの、二人の女性の会話はひどく遠くに聞こえた。


訪問者は帰り、南の宮の門は閉じられる。

チヒロはエリサと笑い合いながら先に戻って行った。

僕はしばらく門を見つめたあと、部屋に向かおうとして
いつからそこにいたのか――セバスを見つけた。

珍しく顔色が悪い。

「セバス。どうかしたの?」

僕の問いにセバスは額を押さえたまま、疲れきったような声で言った。

「……いえ。……あのお二人には勝てないと思い知っただけです……」

僕はセバスに同情した。

あの二人に何を言われたのか、何をされたのかはわからないけれど
思い知らされたのは僕だけじゃなかったようだ。

空を見上げ笑う。

「二人して完敗だね」


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