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1000年目

41 居場所 ※空

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 ※※※ 空 ※※※



「人攫い。お待たせ。部屋に戻ろう。エリサに気付かれたら心配かけちゃう」

サージアズ卿の部屋を出たチヒロは、姿を現した男を急かした。
しかし男は、何故か落ち着かない様子で動かずにいる。

「あー……お嬢様?良かったんですか?」

「え、何が?」

「……あのう。騎士を辞めても名を呼ぶと言うのは……そのう……」

「何?」

「いえ別に。……なんでもないです」

「あ!何で名前を呼ぶこと知ってるの?さては盗み聞きしてたわね?」

「聞いたのはそこだけですよ。お嬢様が出てくるところでしたからね。
あとは盗み聞きどころか近づけもしませんでしたよ。
――ええ、近づいてもいません」

「……ならいいけど」

男はチヒロをまじまじと見た。

「……それにしても。
お嬢様は、なんだか《シン》て名前に特別な思い入れがあるみたいですけど……。
何かあるんですか?」

「――別に何にも。気のせいよ」

そう言って顔をそらし歩き出そうとしたチヒロだったが、男がそれをまわりこんで止めた。

「待ってくださいって!とぼけないでくださいよ。
かなりこだわってますよね?
そりゃ、最後がちょこっと聞こえただけですけど。
会話からして我が主人を《シン》と呼ぶ許可を求めたんでしょう?
それがこの来訪の目的だったのか、ついでだったのかは知りませんけど。
意味がわかりません。
何故そんなことを?
俺は危険をおかしてここまで案内したんですから。
内緒で教えてくださいよー」

興味津々といった様子の男の声を、チヒロが容赦なく断った。

「やだ。絶対言わない。貴方、口が軽そうだもん」

「――へ?あの俺、一応諜報ですよ?口が軽いわけ――あ。あー、そうか。
我が主人に知られたくないんですね?なら絶対に言いません!だから――」

「――― 言・わ・な・い! ほら、もう行こうよ」

「ええー。そんなー。―――げっ」

歩き出し、先にたっていたチヒロだったが、男の妙な声に振り返った。
男は固まったように動かない。そして盛大なため息を吐いてしゃがみ込んだ。

チヒロが首を傾げる。

「どうしたの?早く――」

「――あー。……はい。わかりました」

男は諦めたように立ち上がった。
チヒロは何か言いたげにしていたが、男はそれを見ずにかわした。

「……あのー。お嬢様。そのう。……じゃあ名前の話はいいですから。かわりに。
随分と我が主人を気にかけていますよね。その理由を聞いてもいいですか?」

チヒロは呆れたように言った。

「何?さっきから。それにそれ今、聞く?早く戻ろうよ」

「いや。そのう……気になって。あはは。
ほら、こうしてお嬢様に聞ける機会は貴重だし」

「なにそれ。そんなのなんとなくわかるでしょう?
貴方だって誓いをたてて、シンを《我が主人》って呼んでるんだから」

「それは、まあそうですけど。……でも……そのう……俺は男だし……」

「え、誓いをたてるのって性別が関係あるの?」

「いえ、そっちじゃなくて……。あーもういいです。それで何故、我が主人を?」

チヒロは男をじっと見た。
聞くまで動かないと察したのだろう。仕方がない、と言った様子で話し始めた。

「誰にも言わないでよ?特にシンには絶対に、絶対に!内緒だからね。
いい?
もしシンに言ったら――針を千本飲んでもらうからね!」

「うげっ。よくそんな拷問思いつきますね」

「前世の国の風習よ。《嘘をついたら針を千本飲ませるぞ》っていう」

「……どんな国だったんですか……。あーいいです。約束しますよ。
絶対に我が主人に《は》言いませんから。それで?」

「……うーん。色々あって、もう頭が上がらないんだけど。
あえて言うなら《まだ幼い》って言ってくれたからかな」

「はあそうですか。―――って、え?はあ?!それだけ?!」

男はぽかんと口をあけたままチヒロを見る。
チヒロはそんな男にくるりと背を向け、顔を上げた。

「……高い知識のない、役立たずな女の子の『空の子』はいらないと国から追い出されましたとさ。
――おしまい」

「え?なんですかそれ」

「そうなると思っていたの。突然この国に来た時」

「ええっ!そんなわけないじゃないですか。お嬢様は『空の子』様なんですよ?
追い出すわけが――」

「――それは私にはわからなかった。わかっていたのは
《この国にとって、とても大切な、特別な『空の子』は高い知識のある男の子》だってことだけ。
高い知識のない私なんて、すぐに追い出されることになると思ってたの。
だから謁見の時は、ものすごく怖かった」

「怖かった?あの……謁見では、お嬢様は堂々とされていたと聞いてますけど」

「武装よ」

「武装?」

「知らない世界で、大勢の人達から珍しい動物でも見るような目で見られて。
怖くない人間なんていないと思わない?」

男は息を呑み目を見開いた。
チヒロは上を見たまま続ける。

「本当はね、逃げ出したかった。怖くて叫びたかった。だけど。
――そんな隙を見せたら、それこそどう扱われるかわからない。
私も。もしかしたら私を降ろしたレオンも。優しくしてくれたエリサも。

そう思えて、必死に武装してた。

顔を上げて、背筋を伸ばして……無理にでも状況を楽しく考えることでなんとか
笑顔を作った。
堂々として見えるように。……蔑まれないように」

「……」

「前世の記憶はあったけど、私はその日まで自分が生きてきた記憶がなかった。
何故ここにいるのかどころか、今の自分のことが何ひとつわからなかったの。
……そんな状態なのに、すぐに放り出されたら絶対生きていけない。
だから。

役立たずだけどしばらく面倒をみて欲しいと頼むしかなかった。
だけど……正直に《高い知識がない》って言った時は本当に怖かったな。

まわりを見るのが怖くて国王様しか見てなかったけど。
あの場の空気が変わったのはわかったし、私を悪く言う声も聞こえてたし、蔑むような視線も感じてた。
全員に《高い知識がないならなぜ来た。お前なんかいらない。出ていけ》って言われているように思えた」

「……」

「それでもなんとか放り出されずに済んだ時は、本当に、ほっとしたの。
でも、思っていたのとはかなり違っていて困ったけど。
しばらく面倒をみてもらえたら十分だったんだけど。
何故だか《王宮》で暮らすように言われるし。
高い位ももらったみたいだしで……」

《男》は呆れたように言った。

「そりゃ、そうなるでしょう。お嬢様は『空の子』なんですよ?
逆になんで《しばらく》面倒をみてもらえたら十分だと思っていたんですか。
おかしいでしょう!
そのあとは一体、どうする気だったんですか」

「すぐに何とかできると思っていたの。自分は《大人》だと思っていたから」

「へ?」

「だって私には前世の、《大人》だった記憶があって。
みんなが私に敬語を使うのはおかしな気がしたけど、大人として扱われることには違和感がなくて。
だから私と同じようにここにやってきた歴代の『空の子』たちが、ここでどう生きたのかを参考にして。
この国を見て、知って、慣れてしまえば。
たとえ《役立たず》だと《王宮》を追い出されても、すぐに一人で生きていけるようになると思っていたの。
……そうしたいとも思ってた。
謁見で向けられたような悪意を、もう二度と受けたくないと思っていたから」

「………お嬢……」

「だけどシンに《まだ幼い》って言われて。

初めて子ども扱いされて。初めて擁護されて。
ガチガチに固まってた気持ちが溶けた。

とたんに世界が変わった気がした。

ここにいる私は《子ども》なんだってやっと気がついた。

急がなくていい。まだ子どもなんだから。
自分が擁護するからここに、ゆっくり慣れていけばいいんだよって言ってもらった気がした」

チヒロは照れたように笑った。

「実はね。
私、その時《もう嫌!こんなところ出て行く!》って叫ぶ直前だったの」

「ええっ?!何故そんな……」

「言ったでしょう?謁見の後で、私の気持ちはガチガチに固まってたの。
だからレオンの忠告を素直に聞けなかった。正しいことを言ってくれたのに。
……ここでは誰も私の気持ちなんて考えてもくれないんだ、と思ってしまった。

それで。もう嫌だ。
どうなってもいいから《王宮》にはいたくないって投げやりになった。

レオンは私の味方でいてくれた。エリサをはじめ、周りにいる人たちは私を
優しく受け入れてくれてた。それなのに、あの時の私には見えていなかったの。

今もそうなんだよね。
この旅で、私は自分がどれほど守られているか初めてわかった。
『空の子』が王宮の外に出たいなんて。とんでもなく大変なことだったんだね。
懲りないよね私。また見えてなかったみたい。悪いことしちゃったかな」

「え?いや、あの……お嬢様?それは、そんなことないと思いますけど」

「ありがと。それはいいよ。ともかく。
……あの時、シンが私より先に声をあげてくれて本当に良かった。
シンがいなければ私は、取り返しのつかないひどい言葉を……レオンに、みんなにぶつけて逃げ出すところだった」

「―――」

「シンは気づいていないだろうけど。
あの日シンが《まだ幼い》と言ってくれたから今、私はここにいる。
私は、シンに居場所をもらったんだよ」

「……なるほど。俺と同じですか」

嬉しそうに言った男に、チヒロは口を尖らせた。

「えー。同じは嬉しくない」

「あの。お嬢様?……なんか俺にキツくないですか?」

口を尖らせたままチヒロは言う。


「だって《人攫い》だもん」


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