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1000年目

77 始まり 空の独白6 ※空

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 ※※※ 空 ※※※



ここへ戻してからずっと眠ったままだった『ヒトガタ』が魂に戻った。

目を覚ましたら地上に戻してやろうと思っていた。
だが結局『ヒトガタ』が目を覚ますことはなかった。

あの日から10年が経っていた。

私は、またひとりに戻った。


だが、何も変わらないはずだった。

戻した『ヒトガタ』とは確かに10年間一緒だった。
しかし近くで見ていただけだ。

ずっと眠っていた『ヒトガタ』とは喋ったことも、目を合わせたことも、触れたこともなかったのだから。

目を覚ますのではないかと、地上の人間を真似て何度か呼びかけてみただけだ。

それならいてもいなくても変わらないじゃないかと思うのに。
私は何故か、何かを失った気がした。


地上を見れば

あの日、狂ったように泣き叫びながら『ヒトガタ』を呼んでいた
金色の髪・琥珀色の瞳の王女ジルゥ・リュ・エンが遠くを見つめていた。

彼女は大国に嫁ぐことなく巫女姫となり、宮殿で過ごしている。

一人の銀髪の騎士が近づく。
ジルゥ・リュ・エンは騎士を認め、そして問う。


「ラグ・ラスさま。『シン』はどこ?」


問われた銀髪の騎士は静かな微笑みと共に答えた。

「少し出かけておられます。
ですが、きっとすぐに王女様の元へお戻りになりますよ。
《オリヅル》を折って待ちましょうか。
早くお戻りになるように。―――願いを込めて」


『ヒトガタ』とは違う形で。
ジルゥ・リュ・エンもまた、壊れてしまっていた。


人の目に触れることのない王宮の奥。
銀髪の騎士に守られ虚ろな笑みを浮かべ過ごす。

目に映るのは愛しい『ヒトガタ』の親友であった、その銀髪の騎士のみ。

銀髪の騎士に、新国王ラシュト・レ・オンが妹ジルゥ・リュ・エンの守護を、と頼むのは当然だった。


銀髪の騎士はそれを受けた。

そして同時に『ヒトガタ』の名『シン』を名乗る許可を新国王に求めた。

自らだけではない。

彼の一族の当主が代々。
子々孫々まで『シン・ソーマ』の名を名乗る許可を求めた。


――― 銀髪の騎士は決して王家を。そして自分を許さなかったのだ ―――


『空の子』としての地位も名誉も、財も。
何も望まず王家に仕えた友。

その友『シン』が生涯でただひとつ望んだ、一人の女性との幸せを壊した王家。
……そして守ってやれなかった自分。


銀髪の騎士は親友『シン』への贖罪を決めた。
己の名を消し己を滅し、代わりに『シン・ソーマ』を名乗り続けると誓った。

断罪し続けるのだ。
王家を
自分を
《愚王》に味方し『空の子シン・ソーマ』を蔑んだ者たちを

犯した罪を忘れるな、と。

子々孫々にまで『シン・ソーマ』の名を名乗らせることで、永遠に叫ぶのだ。


――― 『シン・ソーマ』という名の『空の子』がここにいたのだと ―――


意図を正しく理解した上で。
新国王ラシュト・レ・オンはそれを許した。

そして王家を正しく導く《王家の盾》という役職と地位を、銀髪の騎士の一族に与えた。

「有能な者はどんどん引き入れるが良い。
そして万一、王家が再び罪を犯すなら、その時は王家を滅ぼせ」
と命じて。


「ラグ・ラスさま。シンはどこ?」


何日も何日も、繰り返し問い続けるジルゥ・リュ・エン。
傍らには銀髪の――自らの名を捨て『シン・ソーマ』を名乗る騎士。

「ラグ・ラスさま……ありがとう……」

30年が過ぎた頃。
王女ジルゥ・リュ・エンは初めてそう言うと琥珀色の瞳を永遠に閉じた。

30年。
友の名『シン・ソーマ』を名乗り、ジルゥ・リュ・エンの傍らいた銀髪の騎士はその後――まるで彼女の後を追うようにあっけなく魂に戻った。


新国王ラシュト・レ・オンは時間が許す限り《南の宮》を訪れる。


親友であった『ヒトガタ』と、
妹ジルゥ・リュ・エンが幸せに過ごした宮だ。

傍には銀髪の騎士ラグ・ラスも、そして自分もいた。



老王となっても王を退いても。
ラシュト・レ・オンは主人のない《南の宮》を訪れた。

ひとり残され俯くラシュト・レ・オンは、どこか私と似ている気がした。


地上はくるくる回る。


やがてラシュト・レ・オンも地上を去った。


それからは、どんなに地上を見てもどこか色褪せて見えた。

目に見える光景は変わらないのに
味気ないと思うようになっていた。



次の100年目も、その次も。

祭壇は現し、儀式は行ったが『ヒトガタ』は降さなかった。


もう『ヒトガタ』を降ろすつもりもなかった。


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