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1章 記憶海の眠り姫
0 不安夢
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そこは何もない空間だった。天井もなければ床もなく、白で塗り固められた場所。
ソフィアは顔を上げた。ふわふわと浮いている感覚はもうすっかり慣れてしまっている。なぜなら、これは何度も見たことがある夢だから。
いつもと同じように俯かせていた顔を上げれば、いつもと同じように彼女がそこに浮いていた。一つだけ違う点を除けばソフィアと全く同じ容姿の彼女は厳しい顔つきで睨んでいる。
彼女とソフィアの違う点――それは色彩だ。
ソフィアの持つ神子の力、炎がそのまま表れたような真っ赤な髪に真っ赤な瞳。純白のワンピースの裾を靡かせて彼女は薄い唇を開く。
「いつまで逃げ続けているの?」
「……」
彼女はいつもそうやって問いかけては、じっと睨みつけてくる。たったそれだけの夢だ。そしてソフィアはいつもそれに答えることができずにいる。
「私は……」
「私に残された時間はそんなに長くはない。でもその時が来ても神子の血を残していないから死ねない。そんな矛盾に苛まれたまま苦しみ続けることになるというのに、何故まだ逃げ続けているの? 崩壊に身を委ねることが嫌なら、その時が来る前に使命を――精霊を燃やし尽くしてしまえば良い。そうしたら私がいる必要もなくなって、女神の呪縛から解き放たれるかもしれないのに」
「そんなこと簡単にできるわけないじゃない。それに、神子の力も燃やすものではなくて……」
「皆を照らす――導く役目はシアルワの神子で十分。私の炎は照らすためのものではなく、人間の障害となるものを焼き払うためのもの。私が心の奥底で不安に思っている彼らが気にかかってそれどころじゃない? そんな体たらくは許さない。ならば彼らも焼いてしまえば良い。そうしたらみんな苦しまずとも楽に――」
「それこそできない!」
食い下がる彼女に向けてソフィアは怒鳴る。彼女はいつも、失うことが怖いのならばいっそのこと自分の手で壊してしまえば良いと恐ろしいことを言う。彼女にとって、かつて苦楽を共にした仲間イミタシア達は邪魔な存在なのだ。
ソフィアは表ではあまりさらけ出さないようにしている感情を爆発させて彼女を否定する。
「お願いよ、もう話しかけてこないで。私を惑わせないで。私に時間がないことも分かっている。神子の血を残さない限り死ねないことも分かっている。そんな状況で時が過ぎれば自分がどうなってしまうのかも。でも私は、私は――」
その先の言葉が出てこない。当たり前だ、ソフィアにはこの先どう生きていけば良いのかという指針がないのだから。
そんなソフィアに向けて彼女が再びまくし立てようとしたその時。
いつもと違うことが起こった。
ざぁ、と風が吹いたのと同時に彼女の姿が掻き消えた。蜃気楼のようにいとも簡単に消えてしまった彼女は何かを言いたげだったが、何もなすことはなかった。
驚いて固まっていたソフィアだが、背後から延ばされた何かが頬に触れた瞬間、糸が抜けた人形のように頽れた。意識ははっきりとしたまま、ないはずの地に膝をつけて前に倒れこもうとしたところを怖いほど優しく抱きとめられる。
十歳ほどの子供の手が視界に映る。その子供はソフィアの頭を抱きしめる形で、薄い唇を耳に近づけた。その証拠に声が直接耳に入り込んでくる。
「久しぶりだね、ソフィア」
子供らしく高い少年の声。しかし纏う雰囲気に子供らしさの欠片はない。どこか妖艶に少年は続ける。
「少しずつだけど覚醒が近づいてきているから、こうして会いに来たよ」
「貴方……レガリア?」
信じられない、と震えた声でソフィアが確認すれば肯定が返ってくる。
「そうだよ。あの日、僕が眠って以来だね」
「どうして私の夢に……」
「ふふ、僕は神様も同然なんだよ? 意識だけの今の状態なら思考の海や夢の世界に介入することだってできるさ。――そんなことよりも」
視界の端に白金の髪が映り、さらさらと揺れる。こうして夢の中で現れる見た目の年齢はソフィアよりも若い少年のものだというのに、おそらくは意図的に漂わせているであろう威圧感に震えることしかできない。背後から抱きしめられているせいで顔を見ることもできない。見る勇気すら出ない。
そんなことはお見通しなのか否か、口調だけは優しくレガリアは囁く。
「これまでいろいろと君に助けられたからね、今度は僕が君を助けよう。君が誰にも言えず抱えてきた恐怖を――死してなお生き続け、あらゆる人を傷つけることへの恐怖を忘れさせてあげる」
「……」
「そのためにもう少しだけ協力してほしいんだ。良いよね?」
有無を言わせない言葉に動けずにいると、レガリアはくすくすと笑いながらソフィアの淡藤の髪を梳いた。
「やることは簡単。三つだけあるものを探してほしい」
「あるもの?」
「女神が残した神器。神子のために女神が作ったものだね。長らく使われていなくて、当の神子からも忘れられているみたいだけど」
「それを、どうするの?」
「……必要な物資なんだ。それに、その三つを使って君を助けるつもりだよ」
「どうやって?」
「さぁ? それはお楽しみ」
抱きしめられているというのに温かさを感じないまま、ソフィアは目を伏せる。このまま従ってしまってもいいのだろうか、と頭の片隅で考えながら肯定も否定もせず口を閉ざそうとした。この夢もやがて覚めるはずだ。そうしたらこの冷たい腕からも解放される。答えを先延ばしするべく沈黙を選ぶ。
それでも容赦なく続けられる囁きは、微かな哀れみを湛えながらソフィアの不安を掻き立てた。
「ふふ。突然夢に介入して突然お願いをされたって困惑するよね。まぁ、君がこの夢から覚めたら僕の提案を飲む気になると思うよ。――その意味が分かったら、まずは銀髪のあの子に会いに行くといい。その子の傍に求めるものはあるからね」
ソフィアは顔を上げた。ふわふわと浮いている感覚はもうすっかり慣れてしまっている。なぜなら、これは何度も見たことがある夢だから。
いつもと同じように俯かせていた顔を上げれば、いつもと同じように彼女がそこに浮いていた。一つだけ違う点を除けばソフィアと全く同じ容姿の彼女は厳しい顔つきで睨んでいる。
彼女とソフィアの違う点――それは色彩だ。
ソフィアの持つ神子の力、炎がそのまま表れたような真っ赤な髪に真っ赤な瞳。純白のワンピースの裾を靡かせて彼女は薄い唇を開く。
「いつまで逃げ続けているの?」
「……」
彼女はいつもそうやって問いかけては、じっと睨みつけてくる。たったそれだけの夢だ。そしてソフィアはいつもそれに答えることができずにいる。
「私は……」
「私に残された時間はそんなに長くはない。でもその時が来ても神子の血を残していないから死ねない。そんな矛盾に苛まれたまま苦しみ続けることになるというのに、何故まだ逃げ続けているの? 崩壊に身を委ねることが嫌なら、その時が来る前に使命を――精霊を燃やし尽くしてしまえば良い。そうしたら私がいる必要もなくなって、女神の呪縛から解き放たれるかもしれないのに」
「そんなこと簡単にできるわけないじゃない。それに、神子の力も燃やすものではなくて……」
「皆を照らす――導く役目はシアルワの神子で十分。私の炎は照らすためのものではなく、人間の障害となるものを焼き払うためのもの。私が心の奥底で不安に思っている彼らが気にかかってそれどころじゃない? そんな体たらくは許さない。ならば彼らも焼いてしまえば良い。そうしたらみんな苦しまずとも楽に――」
「それこそできない!」
食い下がる彼女に向けてソフィアは怒鳴る。彼女はいつも、失うことが怖いのならばいっそのこと自分の手で壊してしまえば良いと恐ろしいことを言う。彼女にとって、かつて苦楽を共にした仲間イミタシア達は邪魔な存在なのだ。
ソフィアは表ではあまりさらけ出さないようにしている感情を爆発させて彼女を否定する。
「お願いよ、もう話しかけてこないで。私を惑わせないで。私に時間がないことも分かっている。神子の血を残さない限り死ねないことも分かっている。そんな状況で時が過ぎれば自分がどうなってしまうのかも。でも私は、私は――」
その先の言葉が出てこない。当たり前だ、ソフィアにはこの先どう生きていけば良いのかという指針がないのだから。
そんなソフィアに向けて彼女が再びまくし立てようとしたその時。
いつもと違うことが起こった。
ざぁ、と風が吹いたのと同時に彼女の姿が掻き消えた。蜃気楼のようにいとも簡単に消えてしまった彼女は何かを言いたげだったが、何もなすことはなかった。
驚いて固まっていたソフィアだが、背後から延ばされた何かが頬に触れた瞬間、糸が抜けた人形のように頽れた。意識ははっきりとしたまま、ないはずの地に膝をつけて前に倒れこもうとしたところを怖いほど優しく抱きとめられる。
十歳ほどの子供の手が視界に映る。その子供はソフィアの頭を抱きしめる形で、薄い唇を耳に近づけた。その証拠に声が直接耳に入り込んでくる。
「久しぶりだね、ソフィア」
子供らしく高い少年の声。しかし纏う雰囲気に子供らしさの欠片はない。どこか妖艶に少年は続ける。
「少しずつだけど覚醒が近づいてきているから、こうして会いに来たよ」
「貴方……レガリア?」
信じられない、と震えた声でソフィアが確認すれば肯定が返ってくる。
「そうだよ。あの日、僕が眠って以来だね」
「どうして私の夢に……」
「ふふ、僕は神様も同然なんだよ? 意識だけの今の状態なら思考の海や夢の世界に介入することだってできるさ。――そんなことよりも」
視界の端に白金の髪が映り、さらさらと揺れる。こうして夢の中で現れる見た目の年齢はソフィアよりも若い少年のものだというのに、おそらくは意図的に漂わせているであろう威圧感に震えることしかできない。背後から抱きしめられているせいで顔を見ることもできない。見る勇気すら出ない。
そんなことはお見通しなのか否か、口調だけは優しくレガリアは囁く。
「これまでいろいろと君に助けられたからね、今度は僕が君を助けよう。君が誰にも言えず抱えてきた恐怖を――死してなお生き続け、あらゆる人を傷つけることへの恐怖を忘れさせてあげる」
「……」
「そのためにもう少しだけ協力してほしいんだ。良いよね?」
有無を言わせない言葉に動けずにいると、レガリアはくすくすと笑いながらソフィアの淡藤の髪を梳いた。
「やることは簡単。三つだけあるものを探してほしい」
「あるもの?」
「女神が残した神器。神子のために女神が作ったものだね。長らく使われていなくて、当の神子からも忘れられているみたいだけど」
「それを、どうするの?」
「……必要な物資なんだ。それに、その三つを使って君を助けるつもりだよ」
「どうやって?」
「さぁ? それはお楽しみ」
抱きしめられているというのに温かさを感じないまま、ソフィアは目を伏せる。このまま従ってしまってもいいのだろうか、と頭の片隅で考えながら肯定も否定もせず口を閉ざそうとした。この夢もやがて覚めるはずだ。そうしたらこの冷たい腕からも解放される。答えを先延ばしするべく沈黙を選ぶ。
それでも容赦なく続けられる囁きは、微かな哀れみを湛えながらソフィアの不安を掻き立てた。
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