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1章 記憶海の眠り姫
5 炎石
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***
今日は随分と前に見つけていた遺跡を探検しました。とってもとっても古くて今にも崩れてしまいそうで、ちょっぴり心配だったけれど……みーんな平気で進んでいくんだからすごいなぁ。怖いもの知らずなんだもの。
私はコルボーにしがみついていたけれど、遺跡の中に怖いお化けも野生の動物もいませんでした。虫に驚いて叫んだクレーエの声の方が怖かったです。この日記を見られたらクレーエ、怒るんだろうな。絶対に見せないでおこう。
仕掛けはクロウとカーグが協力して解いてくれて、私はただ着いていけば良いだけでした。仕掛けを全部解き終わって最奥地に辿り着いたけれど、おとぎ話に出てくるような伝説の剣も、部屋を埋め尽くすほどの金銀財宝もありませんでした。代わりにあったのは真っ赤な宝石がひとつだけ。けれど、祭壇の上に大切に飾られていたからとても貴重なものなんだと思います。
私の手のひらに収まってしまうような大きさで、見ているとなんだか不思議な気分になりました。
それをクロウは迷いなく取って、私に渡してきたのです。キラキラと綺麗なこの宝石は、ランプの光源がなくてもきっと明るく辺りを照らしたんでしょう。そんなことを考えながら宝石を見つめていた私に、彼はこう言いました。
『それ、お前にやるよ。色もお前に似合うし』
クレーエもコルボーもカーグも口々にクロウに同意しました。みんなにそう言われてなんだかちょっとだけ恥ずかしかったけれど、それ以上に嬉しかったのです。
綺麗な宝石は私の宝物にします。なくしたり傷つけたりしないよう、ちゃんと箱に入れて毎日磨いておこう。
私の大切な、大切な宝物。思い出の証。
でも、アレに関する手がかりはなかったなぁ。また次の探検場所で見つかりますように。
***
日記の中の一ページに書かれたその話を見て、ふいに心臓がドクンと鳴った。身体の内側から何かを訴えかけてきているかのように。
(……確証はないけれど、レガリアが言っていたのはリコの宝物のことなのかもしれない)
それをもらい受けることは困難なことだ。ノートの内容を見ても、リコのクロウやカラスメンバーへの愛は深い。彼等との小さな冒険の末に手に入れた宝石をそう簡単に手放すことなんてできはしないだろう。まして今の彼女は一日ごとに対人関係の記憶を失ってしまう身。物理的な絆の証である宝石を「くれ」なんて言うことは憚られてしまう。
ソフィアはため息をつき、ノートを閉じた。あまり遅くまで起きていると明日に支障が出てしまう。足音を立てないようにしながらベッドへと近づき、眠っているリコの横にそっとノートを置く。
髪を結っていた紐をほどき、靴を脱いで一番端のベッドへと入る。
夢をみないように、と願いながらソフィアは眠りについた。
***
「そろそろ起きて、朝だよ」
セルペンスの柔らかい声に起こされて目を覚ます。夢は見なかったようだ、と内心ホッとしつつ身体を起こす。
ソフィアは最後に目を覚ましたらしく、テーブルには既に彼女以外の全員が集まっている。身なりを整えてから席につけば、栄養バランスが良さそうな朝食が並んでいた。
「みんな揃ったね。それじゃあ、いただきます」
セルペンスのかけ声と共に朝食会が始まる。黙々と食べながらこっそりリコを見れば、彼女は昨日と変わらない笑顔でノアと話をしている。その横でラルカがバターの塊をフォークで刺し、そのまま口に運ぼうとしているところをセルペンスが慌てて止めていた。
食欲がない、とスープを半分ほど飲んだだけで残ったパンやサラダをノアに託した彼がリコやラルカに過剰に心配されている辺り、いつの間にやら懐かれているらしいことも窺えた。ノアが通常運転である様子から彼の小食はいつものことであるらしい。
いたって平和な空間。
食事を終え、食器を片付け終わろうとしていた時、クロウが帰ってきた。
「おう。美味そうな匂いがしてたけどもう朝飯は終わったか。――あ、俺は外で食ってきたから気にするな」
「お帰りなさい、クロウ」
ニコニコと彼を出迎えるリコに昨日とさして変化は感じられない。記憶は失われてしまっているはずなのに、しっかりと“リコ”を演じている。
そのことに寂寥を感じつつ、口を出すのは無粋だろうとソフィアは椅子に腰掛けたまま無言を貫く。
「リコも元気そうで何よりだ。……さ、引っ越しの準備を始めるとしよう」
「引っ越し?」
「お前には言ってなかったか? ……言ってなかったな、すまん。実はな、仕事で失敗してしまってこの場所がまずい野郎にバレてさ。お前に危害を加えるわけにはいかないし、気分転換にもなるかもしれないしで引っ越しするかーと思ってよ」
「そ、そう……」
「急で悪いな。ま、必要な荷物だけまとめておいてくれ。荷物運びはコルボー達に任せるからさ」
突然の宣言に戸惑いを隠せずにいるリコに、どこか無情にもクロウは微笑む。
記憶のないこの少女にとって、沢山の自分が生まれ死んでいったこの書庫を離れることはどんな感情を抱かせるものなのか。壁に背を預けながら腕組みをしていたソフィアは二人の様子をじっと見つめる。
言うだけ言って近くのベッドへ寝転んでしまったクロウに対し、リコは真意の代わりに承知の言葉を紡ぐ。
「うん。分かった」
そしてパタパタと書架の奥へと消えていく。向かっているのは間違いなく過去のリコが書き続けてきたノートがしまわれた場所だろう。あれは彼女にとって何よりも必要なものだからだ。
ソフィアは無言で追いかける。
案の定リコはノートをかき集めていた。細い腕にいっぱいのノートを抱え、ソフィアの方を向く。
「良かったの?」
「ええと……そっか、ソフィアは知っているんだね? 私のこと」
「えぇ。昨日の貴女から聞いたわ」
「そっか。……いいの。ここは今までの私たちが眠るお墓でもあるけれど、彼女たちは全員クロウのことを心配して大切に思っていたことは間違いないから。彼に心配かけさせちゃいけないもの。きっとどの私だってそう選択するはず。……それに」
リコは笑う。何度も読み込まれてボロボロになっているノートを、新しい皺が刻まれるほど強く握りしめながら。
「引っ越しの間にはクロウとカラスのみんなと一緒にいられるってことでしょう? それってとっても幸せなことだから」
「普段は一緒にいないの?」
「カラスのみんなが一人ずつ順番にここに来てくれてたみたい。クロウは仕事が忙しいみたいで、そんなに沢山は……でも来てくれた時はたくさん遊んでくれるしお話も聞いてくれていたみたい。そのうちカラスのみんなに会えるのも楽しみなの!」
「そう、ね」
改めてリコという少女の強さを目の当たりにし、ソフィアはつい口ごもる。
自分はいつか来る破滅に心底怯えているというのに、この少女は毎日訪れる死に怯えているだけではないのだ。次へ繋いで、彼女なりに立ち向かっている。
なんだか、直視するのが難しいくらい眩しく見えた。
「持って行くのはこのノートと宝物くらいでいいかな。家具とかは後でなんとかなるし、荷物は少ない方がいいものね」
「そうね……ところで、宝物ってどんなもの?」
譲って貰うかの問題はともかく、リコの言う宝物がどんなものであるか確認くらいはしておくべきだろう。
ソフィアの質問にリコは待つように指示をし、どこかへ走って行く。
やがて戻ってきた彼女の両手には、大事そうに木製の小箱が抱えられている。その蓋を開くと、中は黒いビロードのクッションが敷き詰められ、中央に真っ赤な宝石が鎮座していた。
ノートに書かれていた通り、リコの手のひらに収まるくらいの大きさだ。その深い赤色の中にはキラキラと光の粒が踊るように輝いている――まるで、火の粉を連想させるような。
「クロウが見つけてくれたの。不思議な宝石だよね。最初の私が大事にしていたものなんだよ。これを貰った時の記憶はないんだけど、大切にしなきゃっていう想いだけは今でもちゃんとあるの」
心臓を撫でられたかのような悪寒が背を走る。
間違いない。誰に肯定されてもいないのに、ソフィアは確信した。この美しい真っ赤な宝石こそ、レガリアが求めているものなのだと。
今日は随分と前に見つけていた遺跡を探検しました。とってもとっても古くて今にも崩れてしまいそうで、ちょっぴり心配だったけれど……みーんな平気で進んでいくんだからすごいなぁ。怖いもの知らずなんだもの。
私はコルボーにしがみついていたけれど、遺跡の中に怖いお化けも野生の動物もいませんでした。虫に驚いて叫んだクレーエの声の方が怖かったです。この日記を見られたらクレーエ、怒るんだろうな。絶対に見せないでおこう。
仕掛けはクロウとカーグが協力して解いてくれて、私はただ着いていけば良いだけでした。仕掛けを全部解き終わって最奥地に辿り着いたけれど、おとぎ話に出てくるような伝説の剣も、部屋を埋め尽くすほどの金銀財宝もありませんでした。代わりにあったのは真っ赤な宝石がひとつだけ。けれど、祭壇の上に大切に飾られていたからとても貴重なものなんだと思います。
私の手のひらに収まってしまうような大きさで、見ているとなんだか不思議な気分になりました。
それをクロウは迷いなく取って、私に渡してきたのです。キラキラと綺麗なこの宝石は、ランプの光源がなくてもきっと明るく辺りを照らしたんでしょう。そんなことを考えながら宝石を見つめていた私に、彼はこう言いました。
『それ、お前にやるよ。色もお前に似合うし』
クレーエもコルボーもカーグも口々にクロウに同意しました。みんなにそう言われてなんだかちょっとだけ恥ずかしかったけれど、それ以上に嬉しかったのです。
綺麗な宝石は私の宝物にします。なくしたり傷つけたりしないよう、ちゃんと箱に入れて毎日磨いておこう。
私の大切な、大切な宝物。思い出の証。
でも、アレに関する手がかりはなかったなぁ。また次の探検場所で見つかりますように。
***
日記の中の一ページに書かれたその話を見て、ふいに心臓がドクンと鳴った。身体の内側から何かを訴えかけてきているかのように。
(……確証はないけれど、レガリアが言っていたのはリコの宝物のことなのかもしれない)
それをもらい受けることは困難なことだ。ノートの内容を見ても、リコのクロウやカラスメンバーへの愛は深い。彼等との小さな冒険の末に手に入れた宝石をそう簡単に手放すことなんてできはしないだろう。まして今の彼女は一日ごとに対人関係の記憶を失ってしまう身。物理的な絆の証である宝石を「くれ」なんて言うことは憚られてしまう。
ソフィアはため息をつき、ノートを閉じた。あまり遅くまで起きていると明日に支障が出てしまう。足音を立てないようにしながらベッドへと近づき、眠っているリコの横にそっとノートを置く。
髪を結っていた紐をほどき、靴を脱いで一番端のベッドへと入る。
夢をみないように、と願いながらソフィアは眠りについた。
***
「そろそろ起きて、朝だよ」
セルペンスの柔らかい声に起こされて目を覚ます。夢は見なかったようだ、と内心ホッとしつつ身体を起こす。
ソフィアは最後に目を覚ましたらしく、テーブルには既に彼女以外の全員が集まっている。身なりを整えてから席につけば、栄養バランスが良さそうな朝食が並んでいた。
「みんな揃ったね。それじゃあ、いただきます」
セルペンスのかけ声と共に朝食会が始まる。黙々と食べながらこっそりリコを見れば、彼女は昨日と変わらない笑顔でノアと話をしている。その横でラルカがバターの塊をフォークで刺し、そのまま口に運ぼうとしているところをセルペンスが慌てて止めていた。
食欲がない、とスープを半分ほど飲んだだけで残ったパンやサラダをノアに託した彼がリコやラルカに過剰に心配されている辺り、いつの間にやら懐かれているらしいことも窺えた。ノアが通常運転である様子から彼の小食はいつものことであるらしい。
いたって平和な空間。
食事を終え、食器を片付け終わろうとしていた時、クロウが帰ってきた。
「おう。美味そうな匂いがしてたけどもう朝飯は終わったか。――あ、俺は外で食ってきたから気にするな」
「お帰りなさい、クロウ」
ニコニコと彼を出迎えるリコに昨日とさして変化は感じられない。記憶は失われてしまっているはずなのに、しっかりと“リコ”を演じている。
そのことに寂寥を感じつつ、口を出すのは無粋だろうとソフィアは椅子に腰掛けたまま無言を貫く。
「リコも元気そうで何よりだ。……さ、引っ越しの準備を始めるとしよう」
「引っ越し?」
「お前には言ってなかったか? ……言ってなかったな、すまん。実はな、仕事で失敗してしまってこの場所がまずい野郎にバレてさ。お前に危害を加えるわけにはいかないし、気分転換にもなるかもしれないしで引っ越しするかーと思ってよ」
「そ、そう……」
「急で悪いな。ま、必要な荷物だけまとめておいてくれ。荷物運びはコルボー達に任せるからさ」
突然の宣言に戸惑いを隠せずにいるリコに、どこか無情にもクロウは微笑む。
記憶のないこの少女にとって、沢山の自分が生まれ死んでいったこの書庫を離れることはどんな感情を抱かせるものなのか。壁に背を預けながら腕組みをしていたソフィアは二人の様子をじっと見つめる。
言うだけ言って近くのベッドへ寝転んでしまったクロウに対し、リコは真意の代わりに承知の言葉を紡ぐ。
「うん。分かった」
そしてパタパタと書架の奥へと消えていく。向かっているのは間違いなく過去のリコが書き続けてきたノートがしまわれた場所だろう。あれは彼女にとって何よりも必要なものだからだ。
ソフィアは無言で追いかける。
案の定リコはノートをかき集めていた。細い腕にいっぱいのノートを抱え、ソフィアの方を向く。
「良かったの?」
「ええと……そっか、ソフィアは知っているんだね? 私のこと」
「えぇ。昨日の貴女から聞いたわ」
「そっか。……いいの。ここは今までの私たちが眠るお墓でもあるけれど、彼女たちは全員クロウのことを心配して大切に思っていたことは間違いないから。彼に心配かけさせちゃいけないもの。きっとどの私だってそう選択するはず。……それに」
リコは笑う。何度も読み込まれてボロボロになっているノートを、新しい皺が刻まれるほど強く握りしめながら。
「引っ越しの間にはクロウとカラスのみんなと一緒にいられるってことでしょう? それってとっても幸せなことだから」
「普段は一緒にいないの?」
「カラスのみんなが一人ずつ順番にここに来てくれてたみたい。クロウは仕事が忙しいみたいで、そんなに沢山は……でも来てくれた時はたくさん遊んでくれるしお話も聞いてくれていたみたい。そのうちカラスのみんなに会えるのも楽しみなの!」
「そう、ね」
改めてリコという少女の強さを目の当たりにし、ソフィアはつい口ごもる。
自分はいつか来る破滅に心底怯えているというのに、この少女は毎日訪れる死に怯えているだけではないのだ。次へ繋いで、彼女なりに立ち向かっている。
なんだか、直視するのが難しいくらい眩しく見えた。
「持って行くのはこのノートと宝物くらいでいいかな。家具とかは後でなんとかなるし、荷物は少ない方がいいものね」
「そうね……ところで、宝物ってどんなもの?」
譲って貰うかの問題はともかく、リコの言う宝物がどんなものであるか確認くらいはしておくべきだろう。
ソフィアの質問にリコは待つように指示をし、どこかへ走って行く。
やがて戻ってきた彼女の両手には、大事そうに木製の小箱が抱えられている。その蓋を開くと、中は黒いビロードのクッションが敷き詰められ、中央に真っ赤な宝石が鎮座していた。
ノートに書かれていた通り、リコの手のひらに収まるくらいの大きさだ。その深い赤色の中にはキラキラと光の粒が踊るように輝いている――まるで、火の粉を連想させるような。
「クロウが見つけてくれたの。不思議な宝石だよね。最初の私が大事にしていたものなんだよ。これを貰った時の記憶はないんだけど、大切にしなきゃっていう想いだけは今でもちゃんとあるの」
心臓を撫でられたかのような悪寒が背を走る。
間違いない。誰に肯定されてもいないのに、ソフィアは確信した。この美しい真っ赤な宝石こそ、レガリアが求めているものなのだと。
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