久遠のプロメッサ 第二部 誓約の九重奏

日ノ島 陽

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1章 記憶海の眠り姫

8 追跡

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 血で作られた刃が黒い檻を切り裂く。ガシャン、と崩れたそれは霧散していった。先ほどのように再生する様子はない。リコが近くにいないからだろうか。
 腕から真新しい赤色を垂らしながらソフィアは立ち上がる。正直赤色は夢の自分を思い出すため好きではない。早く止血もしなければならないが、それよりも先に追跡を開始するべきだろう。
 そう思考を切り替えて外へ出ようとしたその時だった。

「ソフィア?」
「……セルペンス。ごめんなさい、今は急いでいるの」
「外に行くならせめて怪我を治してからにしてくれ。……今のうちに教えて。何があった?」

 物音で目を覚ましたらしいセルペンスは素早く駆け寄り、血を流すソフィアの治療を開始する。

「リコがヴェレーノに攫われた。今から追うわ。ノアやラルカもいることだし、貴方はここで待機していて。カラスの子達やクロウが帰ってきたら落ち着いて行動するよう伝えてくれるかしら。――きっと、すごく動揺してしまうだろうから」
「……分かった」
「あと、攫われたといっても……リコの方も着いていくことを望んでいたみたいなの。それもできれば伝えておいて。リコ自身に拒絶されるよりはマシだと思うわ」
「了解。気を付けて」

 エメラルドグリーンの光が傷と共に消えたと同時にソフィアは扉を開けて掛けだした。
 既にヴェレーノの姿はない。しかしヴェレーノとて生身の人間である。瞬間移動などの能力は持ち合わせていない。おまけに華奢な少女とは言え一人の人間を抱えているのだ、そう遠くへは行っていないだろう。
 せめてどの方角へ行ったのかが分かれば。

『教えてあげる。西へ。ヴェレーノとかいう少年はこの街の西へ向かったよ。かつて女神が残した遺跡の一つ、そこへ行けば良い』
「……レガリア?」

 脳髄に響く麗しき少年の声。
 思わず顔をしかめつつも言葉を慎重に聞く。こういう時万能の力を持つこの少年の存在は有り難い。

『あの愚かな女神の血を継ぐ復讐者は各遺跡を転々としているみたいだね。姿も隠せるしちょうど良いのかもしれないね……さぁ、道案内くらいはしてあげる。あの子を放っておけないんだろう?』
「……えぇ。助かるわ」


***


 レガリアが導いた先にあったのは厳重に封鎖された遺跡らしきもの。ここはプレジールの地下。地上には国立研究院という大きな建物が建設されている。

(こんな近くに神子の遺跡があるなんて。――いえ、プレジールだからこそ、かしら)

 ラエティティア王国は古くから続く国だ。王家が神子であるから王都にそれを祀る遺跡があっても不思議な話ではない。ただ、今はその面影もないが。
 そしてこの研究院はイミタシアの存在を認知している。神子についても知っていてこの場を調査している可能性もあるだろう。

「ところで、レガリア」
『なに?』
「どうしてここには誰も居ないのかしら」

 レガリアに導かれるままに国立研究院の中へ足を踏み入れたソフィアだが、道中誰にも会うことはなかった。清潔に保たれた美しい建物の中には誰一人としていなかったのだ。職員も警備員も。おかげでまっすぐ地下の入り口を見つけることが出来たのだが、どうにも不自然である。

『さぁ? どうしてだろうね……? 何かあったのかな? 何か危ないものでも居たのかな? 真相はいずれ分かると思うよ』
「……」

 レガリアは知っているんだろう。全ての答えを。
 問いただしても上手いことはぐらかされて終わるだけだ。何かがあるというのなら、余計にリコを捜しだし戻るよう説得しなければならない。
 ソフィアは問答を諦めてぽっかりと空いた入り口へと歩き出す。
 以前訪れたアズ湖付近の遺跡とは違い、ここには遺跡らしさが残っている。壁に取り付けられたランプは後から研究院の者が取り付けたものであろうが、それ以外はおそらく昔のままだろう。

「本当にこんな所にヴェレーノは来たのかしら……」
『僕のことが信じられない? 心配しなくたって君には嘘をついたりはしないよ。あの毒男君は銀髪のあの子をつれてここに来た。どうやって奥まで進んだのかまでは今は分からないけどね。とりあえず進んでみなよ』
「……」

 レガリアの言う通りひとまず進むことにする。一本道のため迷う必要はない。
 人の気配がない通路をたった一人で歩くのは少々不安が掻き立てられる状況ではある。おまけに何故か神に等しい力を持つ少年がどこからか自分を監視している。ソフィアはひしひしと感じる重圧を押し殺して歩いていると、ふと気がつくことがあった。

(雰囲気が……変わった)

 薄暗い通路に順番明かりが増えてきた。白色や金色で塗装された鉄が編まれて作られたランプが辺りをふわふわと漂っている。無骨だった壁には花や蔓、小鳥が描かれるようになった。
 進めば進むほど周りはどんどんメルヘンチックに様変わりしていく。
 まるで、リコがいた図書館のような。

(力を使うにしては早いような……)

 先ほど連れ去られたばかりだというのに。
 少しすると広い空間に出た。そこには一人の少女と青年がいる。少女はリコ、青年は黒髪の――ソフィアの知り合いによく似た研究者ルシオラである。ヴェレーノの姿は見えない。
 二人は何かを話しているようだった。リコはノートに何かを書き込みつつ空間を少しずつ変化させている。ルシオラが脅迫してリコに力を使わせているような雰囲気ではなかったものの、この状況を放置しておくわけにはいかない。

「なるほど。それじゃあ――」
「うん。こうすれば――」
「リコ」

 ソフィアが呼びかければリコはびくりと肩を揺らして振り向く。そして気まずそうに上目遣いで見上げる。

「ソ、ソフィア……もうここに……」
「帰るわよ。クロウが帰ってくる前に戻らないと」
「……」

 クロウの名前を出せばリコは戻ってくるだろう、とソフィアはそう思っていた。
 しかしリコは違った。
 ソフィアの甘い考えをはね除けて、彼女は首を横に振った。

「ごめんなさい、ソフィア。貴女が私を心配してくれているのは分かるの。でも、もう少しだけここにいさせてくれる? 試したいことがあるの」
「試したいこと?」
「そう。ずっと前から思ってたこと――きっと今がチャンスだと思うから」

 そう言ってリコはすぐに手を動かす。

「何を」
『ソフィア、上だ』

 内側から響く声に反応して飛び退けば、ソフィアの前に黒い鉄格子が振ってくる。リコ、ルシオラと隔絶するかのようにそびえ立つそれに眉をひそめる。

「リコ……」
「ルシオラさん、早く例の場所へ向かいましょう。足止めも長くは続かないから」
「そうだな。話の続きはまた後で」

 待ちなさい、とは言えなかった。それよりも先に邪魔が入ったからだ。
 背後からの悪寒。反射的に剣を抜いて振り向きざまに凪げば、紫色のマフラーが視界を過ぎった。ヴェレーノだ。

「まったく。撒いたと思ったのに」

 悪態をつきつつ小型のナイフを逆手に持つヴェレーノはソフィアを睨み付ける。

「あいつ自らが望んでお前の迎えを拒んだんだ、放っておけば良かったのに。俺の仕事も増えるし」
「貴方はここと繋がっていたのね……ケセラを殺したこの研究所と。尚更放っておけないわ」
「はぁ。お前、少し前まで人とは関わりたくなさそうだったくせに今更善人ぶっているのか、面倒くさい」
「面倒くさいのは貴方もでしょう」

 言葉の応酬をしながら同時に刃同士もぶつかり合う。ヴェレーノの厄介なところは実際に触れるわけにはいかないところだ。近接攻撃しか手段を持たないソフィアはより一層気を付けなければならなかった。
 この場をどう切り抜けるべきか。リコの真意はともかく、長居させてはならない。ケセラの二の舞になってしまいかねない。そのためにヴェレーノを気絶させて身動きを封じておく方がいいだろう。少々手荒になってしまうが。
 直接触れないように気絶させるにはどうしたらよいか考えながら攻撃を避け続けていた最中。

 たった一発の乾いた破裂音が木霊した。
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