久遠のプロメッサ 第二部 誓約の九重奏

日ノ島 陽

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1章 記憶海の眠り姫

10 救出

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 また夢をみた。
 真っ赤な髪の少女が「やっぱりね」と微笑んでソフィアと手を重ねる。

『私の力を使えばいいのに。そうしたらあんな暗闇も焼き尽くしてあげたのに』
「いらないわ、別に」

 動けずにただ座り込んでいるソフィアと全く同じ格好で彼女は目を見開く。暗い光を深紅の瞳に湛えて。

『この前は追い出されてしまったけれど――あの小さな神様だって今殺しておかないと、後でどうなってしまうことやら』
「……」
『今もこの状況を面白おかしく見ているだけかもしれないわ。まったく、嫌な子ね』
「……」
『あぁ、もうすぐ目覚めの時間かしら』

 彼女は俯いたソフィアの顔を下から覗き込む。

『いざとなったら神子の力を使いなさい。きっと貴女の道を拓くわ』


***


 意識が浮上していく。
 最初に視界に入ったのは少しだけ青みがかった白の天井。遺跡らしさなど欠片もない、あまりにも無機質な天井だ。
 瞬きを一度、二度、三度。
 何か硬いものの上に寝かされているようだ。身体を起こそうとして、拘束されていることに気がつく。

「起きた?」

 見知らぬ声。それと同時に降りかかる影。
 横たわるソフィアの横に長身の男が腰掛けた。くすんだ黄緑色の髪に橙色の瞳、纏うのは白衣。手でメスのようなものを弄んでいる。

「起きている君とは初めまして、だね。さっきまで色々調べさせてもらっていたんだけど」
「……誰?」
「あぁそうだった。自己紹介しなくちゃだよねー。ごめんごめん、一応裕福な家出身のはずなんだけど礼儀がなっていなかったね」

 男はカラカラと笑った。

「俺はシトロン。君をここまで連れてきたヴェレーノの血縁って言えば分かりやすいかな。従兄弟なんだわ」
「ヴェレーノの……?」

 そう言われて男シトロンの顔をよく見てみれば、確かに面影はある。髪色も瞳の色も同じだ。
 彼と違うのは、卑下と侮蔑の光ではなく好奇心と狂気の光が瞳に宿っているところか。

「君もイミタシアだってあいつが言ってたからさぁ、丁度良いと思って血とか髪の毛とか採取させてもらったんだよね。遺伝子情報が欲しかったからね、ごめんね」
「……」

 気絶している間にそんなことをされていたのか、とソフィアは隠しもせず顔をしかめる。身体に痛みはないことからそれ以上のことはされていないと信じたい。
 シトロンは可笑しそうに笑いつつ続ける。

「あはは、そんな嫌な顔しないでよ。おかげで興味深いデータが取れそうなんだ、感謝しているんだよ」

 ずい、と顔を近づけられる。離れたくても寝台に拘束されている以上離れられない。
 台に散らばる髪を梳きつつ、一本だけプチリと千切る。

「君、ただのイミタシアじゃないね。と言っても、入手できたイミタシア例は二体だけなんだけどね。それでも、彼らとは違う。精霊以外の何かがあるっしょ? それが何かまではまだ調べ切れていないんだけどさ……。調べたらきっと面白いんだろうな」

 悪寒。今までも嫌な予感を感じることはあってもこんなに気味が悪いものだっただろうか。
 ――これ以上ここにいてはいけない。
 シトロンが言っている意味はなんとなく分かる。おそらくソフィアが神子の身でありながらイミタシアであることだろう。ソフィアは自分が特異な存在であると自覚している。
 この男から離れなくては。
 シトロンが元の姿勢に戻ったことその隙にソフィアは何が自分を拘束しているのかを確認する。手枷と足枷、どちらも重い金属でできている。逃げようがない。

「あ、ちなみにここは君が侵入したあの遺跡ではないよ。ルシたんともう一人のイミタシアもそろそろ別の場所に移動を始めているんじゃないかな」
「……そう。ところで、私が目覚めるまでにどれくらい時間がかかったのかしら」
「んー。多分丸一日は気絶していたと思うけどね……ん?」

 その時だった。
 ヴヴ、と何かが震える音がする。その音に片眉を上げたシトロンは寝台から立ち上がって重厚そうに見える白い扉の方を見やる。

「侵入者、かぁ」

 慎重に開かれる扉。奥の暗闇から見えたのは――。
 それと同時にシトロンの手に握られていたメスが投げられる。勢いよく飛んでいく銀色のそれはいともたやすく弾き飛ばされた。
 メスを弾いた流麗な槍を持つのは、赤銅色の衣服を纏った青年だ。長い黒髪は後ろで一つに結い上げられている。翡翠の瞳がシトロンを捉えた途端、嫌悪に染まる。

「お前か」
「あれー、君はルシたんの弟君じゃん。おひさー」

 部屋に乱入してきたのはセラフィだ。シアルワ王国の騎士を務める彼が何故ラエティティア王国にいるのか。ソフィアは驚く。
 その後ろから栗色の髪を揺らした女性が顔を覗かせる。橙色のロングスカートがよく似合う彼女は同じくシアルワ王国で働くシェキナだ。彼女はシトロンの後ろに横たわるソフィアをいち早く発見してセラフィの肩に手を置く。

「ちょっと、セラフィ! あそこ!」
「え? ……ソフィア!?」

 二人は目を見開き、そして各々の武器を構える。

「貴様、ソフィアに何をした……!?」
「いや、まだやろうとしていることの一割も終わっていないんだけど……」
「貴方がセラフィの言っていたゲス野郎ね! クロウに引き続きソフィアまで! ここで捕まえないと!」
「クロウ? あぁ、情報屋の。彼について俺もルシたんも本当に何もしていないけどなぁ。濡れ衣だって」
「とぼけるな」

 セラフィが床を蹴る。
 あの日、ソフィアが狂ったセラフィの動きを止めるために対峙したその時よりも明らかに洗練された動きだ。やはり本調子ではなかったのだろう。
 放たれた一閃も、シトロンにとっては躱すことも容易な一撃に過ぎない。身軽な動きで躱すも、今回はセラフィ一人ではない。
 銀に煌めく軌跡とともに矢がシトロンの頭を掠めた。怪我こそしなかったものの、くすんだ黄緑色の髪が僅かに切れてはらりと落ちる。
 ひゅう、と口笛が一つ。

「あらら。後で整えないと」

 この男は相当手強いのだろう、とソフィアは無言で睨む。少し交わしただけの会話の中でも底知れない本性に恐怖を感じたものだ。早々に追い出したい。

 それに、セラフィに無理はさせられない。

 あまりこの力は使いたくはなかった。ソフィアを責め立てる彼女を思い出してしまうから。しかし、ここで使わない手はないだろう。
 小さく深呼吸をしてから意識を集中させる。

「!」

 シトロンの纏う白衣に、鮮やかな炎が花開いた。恐ろしいほどの反射神経で燃える裾を切り裂いたシトロンだが、その一瞬の隙にセラフィが迫る。メス一本で槍を受け止めることは出来なかったのか、みし、と銀色のそれが折れ曲がった。続けざまに腹へ叩き込まれた足は直撃し、シトロンは後退する。
 しかし、彼はニコニコと楽しそうに笑った。

「あはは、まるで魔法みたいだ。……また会おうね、ソフィアちゃん」

 適当に何かを放り投げ、ゾッとする一言を残して優雅に一礼。飛んできた矢を器用に避けつつ、鼻歌交じりに彼は扉の外へ出て行った。
 それを追おうとしたセラフィを炎の壁で強引に引き留める。

「お願い、これ以上深追いはしないで」
「……ソフィア」
「無理をしないでと言っているの」

 あんな鮮血はもう見たくないから、と暗に訴える。ソフィアの願いを察したのかセラフィは素直に頷いた。

「そうだね。それよりも先に君を解放しなきゃいけないっていうのに」
「……あの男に深く関わらない方が良いと思うわ」
「でも、あいつはきっと自分から関わってくるよ」

 シェキナが拾った鍵を受け取り、セラフィは枷を外していく。四肢が自由になり、ソフィアは身体を起こす。薬で眠っていたせいもあるだろうが、少し頭がぼんやりする。

「ソフィア、大丈夫? 歩ける?」
「問題ないわ」
「ふらつくようなら言ってね? 肩は貸すから」
「えぇ」

 心配してくれるシェキナに微笑みかけ、ソフィアは問いかけた。

「説明してもらえるかしら。貴方たちがここに来るまでの間に見たものを」
「了解。でも、その前にここから出ようか。話はそれからだ」
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