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1章 記憶海の眠り姫
11 カラスの傷
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ソフィアが捕らわれていた場所は、ヴェレーノに襲われた遺跡の上に建てられている研究所だったらしい。今は無人と化した精霊部門の棟の一室から三人で出る。
「私たちはね、クロウを訪ねにプレジールまで来たの。そうしたらシエル様に呼び出されて」
「そう。精霊部門の棟に何者かが侵入した痕跡があったらしくて。多分、僕が兄さ――元所長ルシオラの弟だから調べる機会をくださったと思うんだけど。それで許可を頂いて来てみたら君と副所長シトロンが居たというわけ」
ソフィアの身を気遣ってか、階段などでシェキナが丁寧に誘導してくれる。
そんな中で二人の説明を聞き、ソフィアは相槌を打つ。
「なるほど。クロウを訪ねるのはまぁ当然よね……そのクロウは? 私、ここに連れてこられる前に彼といたのだけど、少し様子がおかしかったの。彼に何かあったの?」
「それは……」
困ったように眉を寄せたシェキナを見てじわじわと不安が募ってくる。
詳しくは分からないんだけど、と前置きをしてセラフィが説明をする。
「彼もこの建物にいた。封鎖されているはずの遺跡の前でね――血を吐いて倒れていたんだ」
「え?」
「全身傷だらけで、意識もないみたいだった。一緒に来ていたラエティティアの騎士たちに任せて、今はここの医務室に運ばれているはず。応急処置はしてもらっているはずだよ。こんな時、セルペンスがいたら……」
「……彼ならクロウの家にいるはずよ。急いで呼んでくるわ」
それを聞いてシェキナが首を横に振った。ぶんぶんと勢いが良かったため、綺麗な茶髪が乱れてしまう。
彼女はソフィアの提案を否定し、胸を張る。
「私が呼んでくるよ。体力ならあるし、ひとっ走りしてくるね。セラフィ、ソフィアを頼んだ!」
「え、あ、うん」
そうと決まるやいなやシェキナはロングスカートをたなびかせて走り出した。とても綺麗なフォームである。
残されたソフィアとセラフィは一瞬ぽかんと驚きつつ、クロウがいるという医務室へ向かうことにしたのであった。
***
清潔に保たれた医務室に気を利かせたのか、クロウ以外に人はいない。研究院に怪我をする人も少ないのか小さめの部屋にベッドが三台。使われているのは一台だけだ。
問題の彼はスヤスヤと寝息を立てて眠って――などいなかった。
「クロウ」
ソフィアが声を掛ければ、瞼が開かれハシバミ色の瞳が顕わになる。クロウは眠れない身体を持っている。例え何があろうと彼が眠ることはない。例えどんなに大きな傷を負っても、どんなに強い睡眠薬を飲んだとしても、“死”以外に意識を失う術はない。
イミタシアであるソフィアやセラフィはそのことを知っているため、遠慮なく声をかけられた。恐らくは医務室の人間がいた時は狸寝入りをしていたのだろう。
「悪い、ソフィア。ヴェレーノを止められなかった」
「気にしなくていいことよ。それよりも、何があったの?」
少し掠れた声にソフィアは眉間に皺を寄せる。何かがあったことは事実のようだ。
達観したクロウはリコの事があるとは言え、簡単に暴走するような人間ではないと分かっているからだ。
クロウは視線を逸らし、解答を拒否する。
「言えない」
「どうしても言えない?」
「言えない」
「そう。でも暴走するようじゃリコはきっと助けられないわ。先走ってしまった私が言うことではないかもしれないけれど」
クロウは覚えている。あの時、自分はヴェレーノを殺そうとした。確かな殺意を持っていた。リコ――かつて共に苦しみを分かち合った彼女も、もしかしたら心のどこかで彼という仲間を覚えているかもしれないというのに。そんな彼を、ソフィアの制止がなかったら無意味に殺していた。そうでなくとも、傷つけていた。
「そう……だな。あんな俺じゃ、リコもクレーエもコルボーもカーグもみんな……」
珍しく吐き出される弱みを、ソフィアとセラフィはただ黙って聞いていた。
「家族なんて思っちゃくれないよな……」
怒りを抑え込むことができず、誰かの命を簡単に奪ってしまえるような男が家族でいられるはずがない。
表面を取り繕いがちなクロウが漏らした本音だ。
イミタシアとして生き別れてから何があったのかは分からない。けれど、クロウと共にいる彼らは彼の家族になっているのだ。それも、自分の身よりも大切だと思えるような家族に。
「今、シェキナがセルペンスを呼びに行ってくれているわ。そうしたらお願いしてその傷を治してもらうから。そしたら、リコを迎えに行くわよ」
「ソフィア……」
「貴方は私を助けようとしてくれたんだから、それくらいは協力するわ。それに、家族なんでしょう?」
不本意な出来事であるとは言え、クロウはソフィアの抱えている秘密のほとんどを知っている。その上でソフィアを連れ出してくれたのだから、何かお返しをしなければならない。
そんなことを考えつつ言葉を発すればクロウは目を見開いた。
まるで爪で引っ掻いたような傷跡が痛々しい手をきゅ、と握りしめて。
「はは」
そうして彼は笑った。自嘲が入り混じった笑みだった。
「そうだよな、そうだよなぁ。何言ってるんだろう、俺」
そうして伸ばされた手をソフィアは取る。
クロウの手は傷だらけだったが、温かかった。
「頼む」
「えぇ」
短いやりとりだったが、二人の間に約束が交わされる。助けられ、助ける相互の関係だ。
二人のやりとりをセラフィは優しく微笑みつつ便乗する。
「僕も。いつまでも僕らは仲間なんだから助けるのは当然。ね? ソフィア」
「え、えぇそうね……」
「はは。ホントに感謝するよ。――弱ってる場合じゃないよな」
***
「クロウさんは眠られましたか」
「貴方はカーグ……それにクレーエとコルボー。来たのね」
「えぇ! 仕事帰りにシェキナさんって人からここに来いって聞いたから。事情は外のセラフィさんに聞いたから気にしなくても良いわよ」
クロウが落ち着きを取り戻すため瞼を閉じてしばらくしてからのこと。
事情を知って追いかけてきたらしいカラスの三人が部屋に入ってきた。クロウの狸寝入りを知っているのかはソフィアには分からなかったが、彼らは思い思いに椅子に腰掛けてリーダーを眺める。
「クロウさんはいっつも無理ばっかりするのね」
「そうだそうだ」
呆れたようにクレーエが言えば、コルボーが賛同する。その視線の先には傷だらけの手。ベッドに頬杖をついてぷくりと頬を膨らませる姿は可愛らしくもあるが、本気で呆れているようだ。
「まったくもう。私たちの中で一番年上だからって一人で仕事して……私たちには雑用ばっかり。でもクロウさんみたいに上手くお仕事できないもの」
「おでがもうちょっと頭が良かったらなぁ。かっこよくスマートにできるのに」
「いいじゃないですか、コルボーには力仕事っていう分かりやすい役割分担があるんですから」
愚痴を零し合う彼らを見つつ、ソフィアはふと思いついて口を開く。
「ねぇ。貴方たちは彼のことをどう思っているの?」
散々クロウに心を読まれたのだ。少しくらい仕返ししたって構わないだろう。
果たしてどこまでその無表情を保っていられるのだろうか。
「えー? それ聞いちゃう?」
「良いじゃないの。彼、眠っているのだし、何も恥ずかしいことはないわよ」
「それもそうかー」
ちょ、ソフィア、お前何やってるんだよ! などという心の叫びが聞こえたような気がする。
ソフィアには心を読む力はないため本当にそう思っているのかは定かではないが、あの様子からしてクロウは似たようなことを思っていてもおかしくはない。
せいぜい恥ずかしくて嬉しい思いをするが良いわ。クロウが能力で聞けるようわざとらしくそう思いつつ、ソフィアはカラスのメンバーたちの答えを待った。
「私たちはね、クロウを訪ねにプレジールまで来たの。そうしたらシエル様に呼び出されて」
「そう。精霊部門の棟に何者かが侵入した痕跡があったらしくて。多分、僕が兄さ――元所長ルシオラの弟だから調べる機会をくださったと思うんだけど。それで許可を頂いて来てみたら君と副所長シトロンが居たというわけ」
ソフィアの身を気遣ってか、階段などでシェキナが丁寧に誘導してくれる。
そんな中で二人の説明を聞き、ソフィアは相槌を打つ。
「なるほど。クロウを訪ねるのはまぁ当然よね……そのクロウは? 私、ここに連れてこられる前に彼といたのだけど、少し様子がおかしかったの。彼に何かあったの?」
「それは……」
困ったように眉を寄せたシェキナを見てじわじわと不安が募ってくる。
詳しくは分からないんだけど、と前置きをしてセラフィが説明をする。
「彼もこの建物にいた。封鎖されているはずの遺跡の前でね――血を吐いて倒れていたんだ」
「え?」
「全身傷だらけで、意識もないみたいだった。一緒に来ていたラエティティアの騎士たちに任せて、今はここの医務室に運ばれているはず。応急処置はしてもらっているはずだよ。こんな時、セルペンスがいたら……」
「……彼ならクロウの家にいるはずよ。急いで呼んでくるわ」
それを聞いてシェキナが首を横に振った。ぶんぶんと勢いが良かったため、綺麗な茶髪が乱れてしまう。
彼女はソフィアの提案を否定し、胸を張る。
「私が呼んでくるよ。体力ならあるし、ひとっ走りしてくるね。セラフィ、ソフィアを頼んだ!」
「え、あ、うん」
そうと決まるやいなやシェキナはロングスカートをたなびかせて走り出した。とても綺麗なフォームである。
残されたソフィアとセラフィは一瞬ぽかんと驚きつつ、クロウがいるという医務室へ向かうことにしたのであった。
***
清潔に保たれた医務室に気を利かせたのか、クロウ以外に人はいない。研究院に怪我をする人も少ないのか小さめの部屋にベッドが三台。使われているのは一台だけだ。
問題の彼はスヤスヤと寝息を立てて眠って――などいなかった。
「クロウ」
ソフィアが声を掛ければ、瞼が開かれハシバミ色の瞳が顕わになる。クロウは眠れない身体を持っている。例え何があろうと彼が眠ることはない。例えどんなに大きな傷を負っても、どんなに強い睡眠薬を飲んだとしても、“死”以外に意識を失う術はない。
イミタシアであるソフィアやセラフィはそのことを知っているため、遠慮なく声をかけられた。恐らくは医務室の人間がいた時は狸寝入りをしていたのだろう。
「悪い、ソフィア。ヴェレーノを止められなかった」
「気にしなくていいことよ。それよりも、何があったの?」
少し掠れた声にソフィアは眉間に皺を寄せる。何かがあったことは事実のようだ。
達観したクロウはリコの事があるとは言え、簡単に暴走するような人間ではないと分かっているからだ。
クロウは視線を逸らし、解答を拒否する。
「言えない」
「どうしても言えない?」
「言えない」
「そう。でも暴走するようじゃリコはきっと助けられないわ。先走ってしまった私が言うことではないかもしれないけれど」
クロウは覚えている。あの時、自分はヴェレーノを殺そうとした。確かな殺意を持っていた。リコ――かつて共に苦しみを分かち合った彼女も、もしかしたら心のどこかで彼という仲間を覚えているかもしれないというのに。そんな彼を、ソフィアの制止がなかったら無意味に殺していた。そうでなくとも、傷つけていた。
「そう……だな。あんな俺じゃ、リコもクレーエもコルボーもカーグもみんな……」
珍しく吐き出される弱みを、ソフィアとセラフィはただ黙って聞いていた。
「家族なんて思っちゃくれないよな……」
怒りを抑え込むことができず、誰かの命を簡単に奪ってしまえるような男が家族でいられるはずがない。
表面を取り繕いがちなクロウが漏らした本音だ。
イミタシアとして生き別れてから何があったのかは分からない。けれど、クロウと共にいる彼らは彼の家族になっているのだ。それも、自分の身よりも大切だと思えるような家族に。
「今、シェキナがセルペンスを呼びに行ってくれているわ。そうしたらお願いしてその傷を治してもらうから。そしたら、リコを迎えに行くわよ」
「ソフィア……」
「貴方は私を助けようとしてくれたんだから、それくらいは協力するわ。それに、家族なんでしょう?」
不本意な出来事であるとは言え、クロウはソフィアの抱えている秘密のほとんどを知っている。その上でソフィアを連れ出してくれたのだから、何かお返しをしなければならない。
そんなことを考えつつ言葉を発すればクロウは目を見開いた。
まるで爪で引っ掻いたような傷跡が痛々しい手をきゅ、と握りしめて。
「はは」
そうして彼は笑った。自嘲が入り混じった笑みだった。
「そうだよな、そうだよなぁ。何言ってるんだろう、俺」
そうして伸ばされた手をソフィアは取る。
クロウの手は傷だらけだったが、温かかった。
「頼む」
「えぇ」
短いやりとりだったが、二人の間に約束が交わされる。助けられ、助ける相互の関係だ。
二人のやりとりをセラフィは優しく微笑みつつ便乗する。
「僕も。いつまでも僕らは仲間なんだから助けるのは当然。ね? ソフィア」
「え、えぇそうね……」
「はは。ホントに感謝するよ。――弱ってる場合じゃないよな」
***
「クロウさんは眠られましたか」
「貴方はカーグ……それにクレーエとコルボー。来たのね」
「えぇ! 仕事帰りにシェキナさんって人からここに来いって聞いたから。事情は外のセラフィさんに聞いたから気にしなくても良いわよ」
クロウが落ち着きを取り戻すため瞼を閉じてしばらくしてからのこと。
事情を知って追いかけてきたらしいカラスの三人が部屋に入ってきた。クロウの狸寝入りを知っているのかはソフィアには分からなかったが、彼らは思い思いに椅子に腰掛けてリーダーを眺める。
「クロウさんはいっつも無理ばっかりするのね」
「そうだそうだ」
呆れたようにクレーエが言えば、コルボーが賛同する。その視線の先には傷だらけの手。ベッドに頬杖をついてぷくりと頬を膨らませる姿は可愛らしくもあるが、本気で呆れているようだ。
「まったくもう。私たちの中で一番年上だからって一人で仕事して……私たちには雑用ばっかり。でもクロウさんみたいに上手くお仕事できないもの」
「おでがもうちょっと頭が良かったらなぁ。かっこよくスマートにできるのに」
「いいじゃないですか、コルボーには力仕事っていう分かりやすい役割分担があるんですから」
愚痴を零し合う彼らを見つつ、ソフィアはふと思いついて口を開く。
「ねぇ。貴方たちは彼のことをどう思っているの?」
散々クロウに心を読まれたのだ。少しくらい仕返ししたって構わないだろう。
果たしてどこまでその無表情を保っていられるのだろうか。
「えー? それ聞いちゃう?」
「良いじゃないの。彼、眠っているのだし、何も恥ずかしいことはないわよ」
「それもそうかー」
ちょ、ソフィア、お前何やってるんだよ! などという心の叫びが聞こえたような気がする。
ソフィアには心を読む力はないため本当にそう思っているのかは定かではないが、あの様子からしてクロウは似たようなことを思っていてもおかしくはない。
せいぜい恥ずかしくて嬉しい思いをするが良いわ。クロウが能力で聞けるようわざとらしくそう思いつつ、ソフィアはカラスのメンバーたちの答えを待った。
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