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1章 記憶海の眠り姫
18.5 後編 のけ者
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気がつくと、ベッドの上にいた。
見覚えのある天井。クロウの――カラスの家だ。窓から差し込む陽光から察するに、気を失ってからそう時間は経っていないことが窺えた。
またやってしまった、とセルペンスは思う。
ろくに食事を取らないせいか、彼はよく倒れる。普段はノアが足りない背丈を駆使してどうにか宿屋まで連れてきてくれるのだが、セルペンスが細い割に高身長なせいか服がよく汚れてしまう。洗濯しないとなぁ、などとぼんやり考えていた時のこと。
「あ、起きた?」
シェキナの声が聞こえ、本人が小さな陶器の器を手に近寄ってくる。
「大丈夫?」
「あぁ。……君がここまで?」
「そうだよ。セルペンスったら軽いんだから、私でも簡単におんぶできちゃった。ちゃんと裏道は通ってきたよ? 女の子が成人男性を背負うなんてあんまり見ないものね」
ケラケラと笑って、シェキナは器を少し持ち上げた。
「これ、薄味に仕上げたリゾット。食べられる?」
「……頂くよ」
一瞬視線を逸らしたセルペンスの挙動をシェキナは見逃さない。
「あんまり体調悪いようなら無理はしなくて良いけど。……でもさ、普段からこうなるんでしょ? 貴方って昔からそんな少食だったっけ?」
「せっかく君が作ってくれたんだ、食べるよ」
ゆっくり身体を起こし、セルペンスはリゾットを受け取る。ほんのり温かい。
木製の匙で少量を掬い、口に運ぶ。
「……」
シェキナはその横顔を眺めて眉を寄せる。
咀嚼が遅い。まるで食べることをためらっているかのような。恐れているかのような。飲み込むまでに随分とかかっている。
「まずい?」
「そんなことはないよ。ただ、食欲があまりないだけで」
「そう」
しばらく観察していても、セルペンスの様子は変わらない。
シェキナは思い返す。こんなに食事が遅かったのなら、かつてイミタシア達が過ごした“神のゆりかご”における記憶の中で覚えていても不思議ではないのだが、シェキナにそんな記憶はない。むしろさっさと食べ終わって年下の仲間たち――ノアとかヴェレーノ、リコあたりの世話を甲斐甲斐しくしていたような。
そしてふと思い当たる。
「もしかしてさ、そういう体質になっちゃった?」
「……」
「そういえば私、貴方のこと何も知らないかも。他のみんなが無くしたものは知っているのに、貴方のことだけは知らないね。味覚がないとか?」
ええと、と一瞬言葉に詰まった後にセルペンスは小さく頷いた。
「そう、だね。味覚が全くないのは本当。数年前から何も感じない。食べているという感覚はあっても、味は何も」
今セルペンスが食べているリゾットも、口に運べば湿った温かい何かがもぞもぞと動いている感覚があるだけだ。薄味も濃い味も関係がない。いくらセルペンスと言えど、少々どころかかなり食べにくいのは事実である。
そっか、とシェキナは小さく呟いた。
「ごめん、こんな話をして」
「話を振ったのはこっちだし、セルペンスのことが知れて良かったよ。なんなら栄養はばっちり取れて、それでいて食べやすい料理も考えるし。ジュース状にしたらいいかもね。水は普通に飲めるんでしょう?」
「水分は問題ないよ。その……ありがとう」
「いいのいいの。それくらいはさせてね。そうじゃないと少し寂しいの」
そう言って淡く微笑んだシェキナにセルペンスは首を傾げる。
セルペンスは知っている。彼女がもうイミタシアではないことを。異常なほどの視力と聴力を失い、代わりに痛覚を取り戻したこと。もう、普通の人間と何ら変わりないこと。
もしもイミタシアではない誰かがこのことを知ったとして、シェキナの状況を幸福であると感じるだろう。
しかし彼女はそう感じていないようだった。
「あの時……八年前からずっと、みんなで苦しんでさ、みんなで頑張ってきたじゃない? なのに私だけ放り出されるみたいに元に戻っちゃって。それは良いことなの。否定しない。でもね」
陽光にキラキラと輝く黄玉の瞳。それは消して希望に輝きを放っているわけではなく、寂寥と不安によるものだ。
「せめてみんなの手助けくらいはしないとって思っているの。私だけ仲間はずれなんて絶対に嫌。だって、だって――」
どこか縋るように彼女は口にする。
「私たち、仲間だもの」
彼女の本心がさらけ出されたのは、そのひとときだけだった。
瞬時に明るい笑顔を取り戻したシェキナは、バシバシとセルペンスの背をはたく。
「つまりもっと頼れってこと! 私、これでも殿下からは頼りにされてるんだから!」
「それが、君にとって……救いになること?」
ぽつりと呟かれた質問に、太陽の如き笑顔で頷いた。それが作られた太陽であれど、セルペンスには目映いばかりの輝きだった。
「救いっていうのは大袈裟だけど、頼られないよりはずっとマシ!」
「分かった。これからは君を頼るよ」
「そうそう、頼りたまえ~頼りたまえ! あ、あともう一つ伝えておかなきゃいけないことがあるんだった」
セルペンスの背を叩くのを止め、シェキナは表情を引き締める。
「君が倒れる前、ラルカが言ってたこと覚えてる?」
「あぁ。クロウが危険だって」
「そう。それでノアとラルカ二人でカラスの子たちを呼びに行っているってことが言いたかったの」
「なるほど」
セルペンスの脳裏に、ふとシトロンの言葉が過ぎる。
ラルカの存在。ケセラの能力――未来予知を引き継いでいると思わしき、あの発言。
そしてラルカが見たという夢。
「ラルカの夢が本当にならなければいいんだけど、ね」
「そうだね。……ソフィア達、今何をしているのかなぁ」
二人で窓の外、広がる快晴を見上げる。
何事もない、平和な空に向かって、シェキナはぽつりと呟いた。
「無事だといいね」
見覚えのある天井。クロウの――カラスの家だ。窓から差し込む陽光から察するに、気を失ってからそう時間は経っていないことが窺えた。
またやってしまった、とセルペンスは思う。
ろくに食事を取らないせいか、彼はよく倒れる。普段はノアが足りない背丈を駆使してどうにか宿屋まで連れてきてくれるのだが、セルペンスが細い割に高身長なせいか服がよく汚れてしまう。洗濯しないとなぁ、などとぼんやり考えていた時のこと。
「あ、起きた?」
シェキナの声が聞こえ、本人が小さな陶器の器を手に近寄ってくる。
「大丈夫?」
「あぁ。……君がここまで?」
「そうだよ。セルペンスったら軽いんだから、私でも簡単におんぶできちゃった。ちゃんと裏道は通ってきたよ? 女の子が成人男性を背負うなんてあんまり見ないものね」
ケラケラと笑って、シェキナは器を少し持ち上げた。
「これ、薄味に仕上げたリゾット。食べられる?」
「……頂くよ」
一瞬視線を逸らしたセルペンスの挙動をシェキナは見逃さない。
「あんまり体調悪いようなら無理はしなくて良いけど。……でもさ、普段からこうなるんでしょ? 貴方って昔からそんな少食だったっけ?」
「せっかく君が作ってくれたんだ、食べるよ」
ゆっくり身体を起こし、セルペンスはリゾットを受け取る。ほんのり温かい。
木製の匙で少量を掬い、口に運ぶ。
「……」
シェキナはその横顔を眺めて眉を寄せる。
咀嚼が遅い。まるで食べることをためらっているかのような。恐れているかのような。飲み込むまでに随分とかかっている。
「まずい?」
「そんなことはないよ。ただ、食欲があまりないだけで」
「そう」
しばらく観察していても、セルペンスの様子は変わらない。
シェキナは思い返す。こんなに食事が遅かったのなら、かつてイミタシア達が過ごした“神のゆりかご”における記憶の中で覚えていても不思議ではないのだが、シェキナにそんな記憶はない。むしろさっさと食べ終わって年下の仲間たち――ノアとかヴェレーノ、リコあたりの世話を甲斐甲斐しくしていたような。
そしてふと思い当たる。
「もしかしてさ、そういう体質になっちゃった?」
「……」
「そういえば私、貴方のこと何も知らないかも。他のみんなが無くしたものは知っているのに、貴方のことだけは知らないね。味覚がないとか?」
ええと、と一瞬言葉に詰まった後にセルペンスは小さく頷いた。
「そう、だね。味覚が全くないのは本当。数年前から何も感じない。食べているという感覚はあっても、味は何も」
今セルペンスが食べているリゾットも、口に運べば湿った温かい何かがもぞもぞと動いている感覚があるだけだ。薄味も濃い味も関係がない。いくらセルペンスと言えど、少々どころかかなり食べにくいのは事実である。
そっか、とシェキナは小さく呟いた。
「ごめん、こんな話をして」
「話を振ったのはこっちだし、セルペンスのことが知れて良かったよ。なんなら栄養はばっちり取れて、それでいて食べやすい料理も考えるし。ジュース状にしたらいいかもね。水は普通に飲めるんでしょう?」
「水分は問題ないよ。その……ありがとう」
「いいのいいの。それくらいはさせてね。そうじゃないと少し寂しいの」
そう言って淡く微笑んだシェキナにセルペンスは首を傾げる。
セルペンスは知っている。彼女がもうイミタシアではないことを。異常なほどの視力と聴力を失い、代わりに痛覚を取り戻したこと。もう、普通の人間と何ら変わりないこと。
もしもイミタシアではない誰かがこのことを知ったとして、シェキナの状況を幸福であると感じるだろう。
しかし彼女はそう感じていないようだった。
「あの時……八年前からずっと、みんなで苦しんでさ、みんなで頑張ってきたじゃない? なのに私だけ放り出されるみたいに元に戻っちゃって。それは良いことなの。否定しない。でもね」
陽光にキラキラと輝く黄玉の瞳。それは消して希望に輝きを放っているわけではなく、寂寥と不安によるものだ。
「せめてみんなの手助けくらいはしないとって思っているの。私だけ仲間はずれなんて絶対に嫌。だって、だって――」
どこか縋るように彼女は口にする。
「私たち、仲間だもの」
彼女の本心がさらけ出されたのは、そのひとときだけだった。
瞬時に明るい笑顔を取り戻したシェキナは、バシバシとセルペンスの背をはたく。
「つまりもっと頼れってこと! 私、これでも殿下からは頼りにされてるんだから!」
「それが、君にとって……救いになること?」
ぽつりと呟かれた質問に、太陽の如き笑顔で頷いた。それが作られた太陽であれど、セルペンスには目映いばかりの輝きだった。
「救いっていうのは大袈裟だけど、頼られないよりはずっとマシ!」
「分かった。これからは君を頼るよ」
「そうそう、頼りたまえ~頼りたまえ! あ、あともう一つ伝えておかなきゃいけないことがあるんだった」
セルペンスの背を叩くのを止め、シェキナは表情を引き締める。
「君が倒れる前、ラルカが言ってたこと覚えてる?」
「あぁ。クロウが危険だって」
「そう。それでノアとラルカ二人でカラスの子たちを呼びに行っているってことが言いたかったの」
「なるほど」
セルペンスの脳裏に、ふとシトロンの言葉が過ぎる。
ラルカの存在。ケセラの能力――未来予知を引き継いでいると思わしき、あの発言。
そしてラルカが見たという夢。
「ラルカの夢が本当にならなければいいんだけど、ね」
「そうだね。……ソフィア達、今何をしているのかなぁ」
二人で窓の外、広がる快晴を見上げる。
何事もない、平和な空に向かって、シェキナはぽつりと呟いた。
「無事だといいね」
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