久遠のプロメッサ 第二部 誓約の九重奏

日ノ島 陽

文字の大きさ
24 / 89
1章 記憶海の眠り姫

20 秘めた本性

しおりを挟む
***

『いつまでも泣いているけどさぁ、家族ってそんなに大事なものなのか?』

 十年以上も前、どこまでも真っ白で無機質な部屋――いや、言ってしまえば牢獄の中にて。
 温かな親の元から引き離され、泣いている少女に投げかけられたのはごく純粋な疑問だった。もう三日もすれば真新しい鞄とともに学校へ行き、新しい友達を作り、帰れば家族に報告して晩ご飯を共に食べるのだと息巻いていた少女は憤慨する。それは精霊によって焼き払われ、永遠に叶うことのない日々であったとしても――家族とは、日常とは何よりも大切なものだった。

『当たり前でしょう! 変なこと言わないで!』

 涙ながらに詰め寄られた少年は困ったように膝を抱く。生まれた年が早かった分、少女よりもちょっぴり大きい体躯を縮こまらせる。

『君だってここに来る前はお父さんやお母さんがいたんでしょ? 寂しくないなんて方がオカシイよ』
『いないよ』
『へ?』

 ぽつ、と呟かれた言葉に少女は虚を突かれる。今まで当たり前のことだと思っていた事を、この少年はそう思っていないらしい。

『俺には家族なんていないよ。お父さんもお母さんも会ったことがないし、兄弟だっていない。捨て子なんだよ、俺』

 刹那、少年が浮かべた自嘲を含んだ笑みのなんと寂しいことか。少女は離別の悲しみを一瞬忘れてしまうくらいに呆気にとられ、ぽかんと口を開けた。
 構わず少年は続ける。

『今までいくつかの家に預けられてきた。そのどこでも――きっと俺はペットでしかなくて』

 子供のくせに達観した眼差しを遠いどこかに向けて少年はため息をついた。

『結局いつも捨てられる』

 その横顔に、少女は子供特有の短絡的な思考を巡らせる。家族が今までいなかったのなら、これから得られればそれでいいじゃないか、と丸い頬を紅潮させて少年の腕をバシバシ叩く。

『なら私が家族になってあげる! 家族第一号!』

 今度は少年の方が呆気にとられ、少女の顔を見返した。
 少女は得意げにむふん、と笑う。

『私のお母さんもね、本当のお母さんじゃないってお父さんから聞いたの。でも、私は後からできたお母さんとだってとっても仲良しなんだよ! だから誰から生まれたからなんて関係なくて、私たちだって家族になれるんだから!』

 少女の言葉に反応して、少年のハシバミ色の瞳に僅かな煌めきが宿る。
 その美しさを永久に忘れることはないだろうと少女は思う。

『約束ね、私はここから出た後も君と一緒にいるよ』


***


 ふとそんな光景が走馬灯のごとく脳裏を駆け巡っていった。ほんの数瞬息を詰まらせ、そしてリコはかぶりを振る。
 今やるべきことはソフィアと協力してクロウの動きを止めることだ。暴走状態に陥る彼を止めるためには。

「さっき、私の仲間と貴女の家族が来ると言ったわね」
「うん」
「私の仲間――セラフィというのだけど、彼がクロウを元に戻す手段を持っている、はずよ。でもそれにはクロウの動きを止めなければならない」
「うん。まずは私の力でクロウを閉じ込めてみる」
「お願いするわ」

 リコがしっかりと頷けば、ソフィアは微笑んだ。

「あとこれだけは忘れないで。貴女はクロウの家族なのだから、傷ついてはいけない。それこそ彼を傷つけることになってしまうから。だからここから動かず、何かあったら無理せず逃げるのよ」

 喉から飛び出そうになった否定の言葉を飲み込む。ソフィアの言う通りである。
 しかし、もしもの時は。本当にリコしかできないことができたその時は。
 固い決意を口に出さず、淡い微笑とともにリコはもう一度頷いた。

「分かってる」
「そう。それじゃあ行くわよ。私がクロウの気を引きつけるわ」
「お願い」

 方針が固まった瞬間、ソフィアは細身の剣を片手に駆け出す。高く結われた淡藤の髪が華麗に揺れる。
 小競り合いが続く中乱入した紫色の美女に男二人の意識がそちらに逸れる。その間に割って入り、剣を一凪。切るためではなく、退かせるための攻撃。ルシオラは反射的に飛び退ったものの、クロウの方は恐るべき速度でソフィアの刃を鷲掴む。
 ソフィアが力を入れても振りほどけそうにない。瞬時に判断し、内心謝りつつその腹に蹴りを入れた。
 思い切り突き込まれたそれに、クロウは手の力を緩めて片足分後退する。
 その隙にソフィアは地面を蹴ってルシオラの方へ移動する。これでクロウの周りに人はいなくなる。

「リコ!!」

 ソフィアの呼びかけよりも前にノートにペンを走らせていたリコは顔を上げる。簡素な人型の絵を囲む三層の鳥籠。まっすぐクロウを見つめて意識を集中させる。
 クロウを囲むように地面から突き出る何本もの黒鉄の柱。鳥籠のごとく口を閉じたそれは僅かな時差を経てふたつ、みっつと同じものが形作られる。烏を閉じ込めた籠を一回り大きな籠に入れ、その籠をさらに別の籠に入れた三重の鳥籠。
 追加で地面から生えてきたのは明らかに人間用ではない鎖。黒く頑丈なそれはクロウが身動きをするよりも前に脚、腕、腹に絡みつき動きを封じ込めようとする。

「ごめんね、クロウ……少しだけ待ってて」

 まるで荒れ狂う猛獣が無理矢理閉じ込められているかのような痛々しい光景に、それを創りだした張本人であるリコは苦しげに呟く。
 ルシオラの動向にも気を配りつつもソフィアが小さく息をついたその時だった。

「がっ……あああぁぁあああぁあぁあああああ!!」

 咆哮。
 目を見開き驚く三人の目の前で、鋼鉄の鳥籠が嫌な音を立ててねじ曲げられる。鎖に戒められた腕で無理矢理動くものだから服が裂け、内に隠れていた肌が覗く。痛々しい赤が見え隠れし、ソフィアは思わず顔をしかめる。

「う、嘘」

 生身の人間が力だけで抜け出すことは出来ないと高をくくっていたのが徒となった。
 もう一度咆哮。
 それと同時に溢れ出る瘴気が波となって周囲に広がる。嵐のような暴風となり、立っていられないほどの衝撃が三人を襲う。
 ソフィアは手にしていた剣を石で出来た床に突き刺して身体を支える。長身で男のルシオラは体重もそれなりにあるため、身を低く屈めて体勢を整えることでどうにか耐えられているようだ。
 しかしリコには身体を支えるための体格も道具もなく。華奢な身体は簡単に吹き飛ばされ宙を舞う。

「リコ!」

 ソフィアの叫びは“彼”の声に阻まれてリコに届かない。

『やっと手に入れた』
『みんなといると楽しい』
『みんな俺を見てくれる』
『誰も俺を捨てはしない』
『――俺は、みんなと一緒に……海へ』

 人間の欲望や恨みといった負の感情が毒となったものが瘴気だ。しかし、クロウのそれは負の感情にはソフィアには感じられなかった。時折混ざる一言を除けば。

『邪魔をする奴は、殺す』


***


 時がゆっくり流れていく感覚。後ろへと吹き飛ばされる中でリコは遠ざかるクロウへ手を伸ばした。
 おかげで受け身を取ることなく地へと落ち行く身体は、しかし叩きつけられることはなかった。力強く逞しい腕と、白く細い腕と、長袖に覆われた腕が伸ばされてリコの身体を包み込む。

「「「リコ!!」」」

 リコには彼らの顔に見覚えはない。でも分かる。記憶が消えていようが、身体に刻み込まれた“慣れ”によって反射的に彼らの名を口にする。

「クレーエ、コルボー、カーグ!!」

 パッと双眸を輝かせたリコに向かって三人は力強い笑みを向けた。

「待たせたわね、リコ!」
「怪我はなさそう! 良かっただ~」
「リコ、後でお説教ですからね。さぁ、さっさと拳骨一発プレゼントしに行きましょうか――いつも無茶して割と馬鹿でたまに腹立たしくて、何よりも大事な我らが家族に」

 知らないはずなのに、涙が溢れてしまう。悲しいものではなく、嬉しい時に流す涙だ。
 ぽろ、とこぼれた一滴の輝きは、誰にも認識されることはなかったが、揃いの赤い石へ映り込んでいた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

誰からも食べられずに捨てられたおからクッキーは異世界転生して肥満令嬢を幸福へ導く!

ariya
ファンタジー
誰にも食べられずゴミ箱に捨てられた「おからクッキー」は、異世界で150kgの絶望令嬢・ロザリンドと出会う。 転生チートを武器に、88kgの減量を導く! 婚約破棄され「豚令嬢」と罵られたロザリンドは、 クッキーの叱咤と分裂で空腹を乗り越え、 薔薇のように美しく咲き変わる。 舞踏会での王太子へのスカッとする一撃、 父との涙の再会、 そして最後の別れ―― 「僕を食べてくれて、ありがとう」 捨てられた一枚が紡いだ、奇跡のダイエット革命! ※カクヨム・小説家になろうでも同時掲載中 ※表紙イラストはAIに作成していただきました。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

処理中です...