久遠のプロメッサ 第二部 誓約の九重奏

日ノ島 陽

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2章 誰が為の蛇

4 アングイス

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***


 期待と不安を内包した紫紺の瞳がキラキラと煌めいている。その様を横から見ながらソフィアはセラフィと顔を見合わせた。
 二人は突然近づいてきたこの少年のことを知らない。見覚えもない。
 しかし、彼が誰であるかは予想がついた。なぜなら、先ほどの子供たちの話に出てきた人物の見た目と合致するからである。

「兄ちゃんだよな?」
「ええと……」

 少年に詰め寄られているセルペンスは困ったように若干のけぞりながら視線を逸らす。
 ソフィアから見れば、彼らに血のつながりがあると言われても納得するだろう。髪と瞳の色はもちろん、顔立ちもよく似ている。同じ事を別の人に聞いたとしても肯定が返ってくるはずだ。
 子供のころに精霊に攫われてしまったイミタシア。そのほとんどが故郷も保護者もいない天涯孤独の身であるが、セラフィやシェキナのように家族が生き残っている場合もある。少年が本当にセルペンスの親戚であったとしても不思議はない。
 少年が近づきすぎているせいでセルペンスが後ろに倒れそうだ。ソフィアは二人の間に割って入ってやる。

「余所者の私が言うのもなんだけど……私はソフィア。彼も混乱しているわ、まずは名乗ってちょうだい」
「あ、それもそっか。あれから時間経ってるし」

 いけないいけない、と少年はウインクをしつつ舌を出す。おまけに片手を額にぺち、と軽く叩くように添えるモーション付きだ。どうにもあざとい。
 思わず半目になりかけたソフィアに対して笑いかけ、少年は名乗る。

「俺の名前はアングイス。みんなは俺のことをアングと呼ぶぜ。普段は心理カウンセラーとしてストレス溜まりまくりの人々を助ける仕事をしているんだ。今はまぁ、この村に滞在させてもらっている。よろしくな」
「あ、僕はセラフィです。シャーンスから来ました。よろしくお願いします」
「おう!」

 そしてアングはセルペンスへもう一度向き合う。

「兄ちゃんのことは覚えてるぜ! 名前はセルペンス! 俺と同じクローロン村出身のすんごい奴!!」

 決まったゼ……。というような声が聞こえた気がした。
 そんなところを気にする面子はいない。それよりも重要な言葉がアングから発せられたことに対し、いち早くセラフィが反応した。一瞬剣呑な光を翡翠の目に宿し、それからゆるゆると首を振る。

「セルペンス……知っていたのか? クローロン村のこと」
「……」

 観念したのか細身の肩を落とし、彼は微苦笑する。

「そうだよ。俺はその村の出身だ。もう滅んでなくなったと思っていたけど……生き残りがいたなんて初めて知ったよ。後、今から言っておくよ。俺は例の噂については何も知らないからね」
「そう。そりゃそうか。ごめんごめん、つい口出ししちゃって」
「いや、君が心配するのは当たり前だから。黙っていてごめん」

 セラフィが抱いた疑念を晴らした後、ようやくセルペンスはアングに向き直る。
 数瞬の逡巡の後、彼は慎重に口を開く。

「……アング。生きていたんだね」
「おう! と言っても、俺の他に生き残った奴はいないけどな。父さんも母さんも、他のみんなも残らず死んだよ。まぁ精霊には逆らえないし、仕方のないことだけど。――生きてるって信じてた」
「……君は無事で良かったよ」

 ソフィアは小さな違和感を覚える。澄んだ水を湛えた水盆の中に、一滴だけ泥水を垂らしたような違和感だ。
 しかし、それを言葉にすることはできなかった。彼らが真の兄弟だというのなら再会を祝福してあげたいと思うのが普通のことなのかもしれないが、違和感が引っかかるせいで素直に口に出せない。
 一方のセラフィは実の兄妹がいるためかにこにこと微笑み、再会を祝福しているようだ。

「再会できて良かったね、セルペンス。ソフィアもそう思うだろう?」
「え? ……えぇ、そうね」
「俺も驚いたよ。まさか、こんなことが起きるなんて」

 戸惑いがちに頷いたソフィアだったが、セラフィが変化に気がつくことはなかった。セラフィ自身、アングに感情移入しているのだろう。
 アングは屈託なく笑いながら話し出す。

「せっかくここで会えたし、兄ちゃんには見て貰いたいものがあるんだ――とは言っても、今から行ったとしても夜になっちゃうだろうから、明日にしよう。この村にも宿はあるから、そこで泊まらせて貰うといいよ。俺も最近はその宿に世話になっているんだ」
「ちょうどいい。そうしよう」

 異論はない。全員が頷いたのを見て、セルペンスがちら、と村の外れに視線を向けた。

「俺、ノアとラルカを迎えに行ってくるよ。まだ牧草地にいると思うし」
「分かったわ。宿の場所は?」
「把握してる。大丈夫」

 セルペンスは一旦離れ、残るソフィアたちはアングの案内によって小さな宿に向かうことになった。
 宿ではあるが、辺境の小さな村だ。もちろん規模は大きくなく、シャーンスの民家より一回りは小さいかもしれない。豪奢な装飾は一切ないものの、木の匂いが心地よいその建物に入れば穏やかそうな中年の女性が笑顔で迎えてくれる。

「いらっしゃい。新しいお客さんだね」
「部屋は空いていますか? 出来れば二部屋お借りしたいのですが」

 などと適当に手続きを済ませ、部屋を借りる。噂もあってか、何部屋かは既に借りられていたらしいが、無事に寝泊まりする場を得ることができた。部屋分けはもちろん、女性と男性で分ける。男性側が少々窮屈になってしまいそうな予感がしたが、ソフィアは何も言わずにおいた。


***


 その夜。
 セルペンスが呼びに行ったというラルカとノアだが、迎えに来た彼を巻き込んで乗馬体験をさせてもらったらしい。彼らがほくほく顔で宿にやってきた頃には日は既に傾き、従業員が夕食の支度ができたと声を掛けに来ていた。
 従業員である、ソフィアと同じくらいの年頃に見える女性は見事な営業スマイルを残して部屋から去って行く。それと入れ替わるようにして外出していた三人が帰ってきた。
 その瞬間、セラフィと他愛ない話をしていたアングが目を瞠る。
 彼の視線の先にいるのは――ラルカだ。
 がた、と音をたてて立ち上がったアングの視線に射止められ、ラルカは驚き身体を震わせる。

「あ」

 そうだった、と事態を把握したセルペンスが小さな声を漏らした。
 大股でラルカに歩み寄ろうとしたアングだが、直前で兄であるセルペンスに肩を掴まれ止められる。少しばかり背の高い兄の顔を見上げれば、僅かに焦りの感情が滲んでいた。
 しかし、アングにはどうしても聞きたいことがあった。

「なぁ、お前……」
「アング、やめてくれ、その名前はここでは……」
「ケセラ、だよな?」

 しんと辺りが静まりかえる。
 アングとラルカ以外の全員は知っている。彼が口にしたケセラ――エメラルドグリーンの髪が美しい彼女は、もうこの世にいないことを。
 その名を初めて耳にしただろうラルカは、ケセラと同じ緑色の瞳を少しだけ見開いて首を傾げた。この状況がよく理解できていないのだ。しかし、不安そうに見下ろす少年がケセラと呼ぶのが自分であることはなんとなく理解出来た。
 ラルカはゆるくかぶりを振る。

「違います」
「う、うそだ。そりゃ別れたのは何年も前だし、年齢とは合わない見た目だけど……。それでも俺は覚えてる! あいつがどんな顔をしていたのか、どんな声をしていたのか!! だって、だってあんなことがあったんだ。忘れるはずが……」
「アング」

 取り乱すアングの肩を掴む力を強める。セルペンスは無言の圧力で彼を黙らせると、ふと力を抜いて微笑した。一瞬にして感情の切り替えが行われたことにアングは驚きながら小さく頷く。

「世の中にはそっくりさんが何人かいるというじゃないか。ラルカは彼女とは別人だよ。落ち着いて挨拶をしてくれないか」
「お、おう」

 この時の表情は実の弟である彼にしか見えなかったのだが、引きつった顔を浮かべていることからセルペンスによる圧力は相当なものらしかった。ソフィアは肩をすくめた。
 そうしてアング、ラルカ、ノアの自己紹介が滞りなく終わり……全員で夕食を摂ることになった。宿の女将が腕によりをかけて作ったという料理は温かく、とても美味しい。
 ソフィアはちら、とクローロン村出身だという兄弟とラルカの様子を覗き見る。
 普通に会話をして食事を楽しんでいるようにしか見えない。アングはラルカに対して謝罪をしていたし、ラルカの方もそれを受け入れていたため険悪なムードにはなっていない。ノアも交え、楽しそうに昼間経験した楽しい出来事を語って聞かせているようだ。
 それでもソフィアは思う。こんな時――。

「こんな時クロウでもいれば……なんて思った?」
「貴方も読心術でもあるのかしら」
「あはは、僕も同じ事考えていただけ。色々妙な雰囲気だったしね。でも今は彼を頼ることはできないよ。……なんだかんだ彼の能力って大きな存在だったんだなぁと思っちゃうね」

 ソフィアの隣に座っていたセラフィが小さな声で笑う。彼女以外にその笑いを聞く者はいないだろう。
 白身魚のソテー、その最後の一口を飲み込んでセラフィはカトラリーをゆっくり置く。グラスに入った水を飲み干し、苦笑する。

「仕方のないことね。まだ少し様子を見ましょう。私たちには情報が少ないわ」
「そうだね」

 その後、夕食会は何事もなく終わり、各自部屋に戻ることとなった。
 食器を規定の場所まで戻しに来たソフィアの元へ近づく影が一人。振り返れば、この宿の女将だ。

「よろしいでしょうか、お客様」
「えぇ」
「後でお耳に入れたいことがございます。できれば一人で……いえ、緑の髪のお客様を除いたお連れ様なら誰とでも構いません。消灯後、この食堂に来て頂ければと」
「何か知っているのですね。クローロン村について」

 女将は無言で頭を下げる。

「分かりました。今晩こちらに窺います。私もかの場所について知りたいので」
「ありがとうございます」

 女将に挨拶をしてその場を離れたソフィアは、自然に仲間達の輪に戻り、二、三時間ばかりの時をあてがわれた部屋で過ごすこととなった。
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