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2章 誰が為の蛇

5 クローロンの血統

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 夜の暗闇が一層深くなり、村中の明かりが消えていく。窓から外を覗けば美しい星々のヴェールが天空を埋め尽くしていた。
 二人分備え付けられたベッドの片方では、ラルカが穏やかな寝息を立てて眠っている。その姿は年相応にあどけなく、かつてシャーンスに災厄を呼び込んだという張本人には見えない。未だ彼女の正体は分からずじまいだが、いずれ分かる日が来るのだろうか。
 そう思いつつ、ソフィアは音を立てないよう部屋の外に出る。
 隣の部屋の前にはあらかじめ呼んでおいたセラフィが綺麗な姿勢で立っていた。彼なら同席しても問題ないという判断をしたためである。
 小さな宿ということもあって防音設備はほぼないと言って等しい。セラフィとソフィアは挨拶を頷き合うだけに留め、慎重に階下へと降りていく。

 夕食を摂った食堂には既に女将が待っていた。ろうそくの炎と窓から差し込む星明かりだけが光源の暗い部屋で、何かに躓かぬよう注意を払いながら彼女の正面の席へ腰掛ける。

「こんな夜にお呼び出しをしてしまい申し訳ありません」

 女将は本当に申し訳なさそうに眉尻を下げながら、用意していたらしいお茶をカップに注いで二人の前に置いた。二人は礼を言って口を付ける。
 温かで優しい味だ。

「お話したいというのは、既に滅んだあの村についてです。お客様がその地について調べていると聞き、失礼ながら忠告をしたいと思ったのです」
「忠告を……?」

 ソフィアが怪訝そうに尋ねれば、女将は深く頷いた。

「クローロン村には、あるしきたりがあったそうです。――曰く、村長家の子供たちは決められた者と結婚し、子孫を残すこと。そしてその候補は……精霊によって決められる、ということです」
「精霊に……?」
「待ってください。なぜ貴女が精霊の口出しする契約のことを知っているのです? 彼らは大抵、そういうことを公にしないと……そう思うのですが」

 セラフィの問いに女将は驚くことなく続ける。

「はい。確かにこのしきたりは口外してはならないものです。もし外に広めようものなら、精霊からの天罰が下るとも言われています。しかし、今はもうクローロンはどこにもありません。もうかの村と精霊の契約は切れたと見ています。――実は、私の娘がクローロンの花嫁に選ばれていたので。かの村の村長から直々に話が来た時は驚いたものです」

 ソフィアは思い出す。この宿にいた女性のことを。恐らくは彼女のことだろう。

「選ばれた者はクローロンの花嫁、もしくは花婿と呼ばれます。彼らは村に嫁ぎ、二度と出ることは叶わないそうです。抵抗することもできず、誘拐同然に連れ攫われて……挙げ句、関わりたくもない精霊との契約に縛られて孤独に人生を終わらせる。それが役割だというのです。うちの娘がそのような運命に選ばれてしまったと思うと……しばらくは涙が止まりませんでした」
「……一体何をしていのかはご存じで?」
「いえ、そこまでは。ただ、他の村に出向き出来る範囲で聞き込みをした結果に寄りますと、彼らのような存在は“イケニエ”と呼ばれていたようなのです。もしかしたら、命に関わる何かをさせられていたのかもしれません」

 女将は自分自身の肩を抱き俯いた。よほど娘想いの母親なのだろう。

「……今はなき村とは言え、最近は妙な噂がたっている様子。もし、またあのしきたりが復活してしまったらと思うと怖いのです。実は、緑の髪のお二人がクローロン村出身だとお聞きしたものですから余計に不安になってしまいまして。あの村に向かうのでしたら、充分気を付けてください。それと」

 ろうそくの炎に照らされて涙が一筋、流れ星のごとく輝いた。

「あの村が本当に復活するようなら、私は娘をつれてここから離れようと思います。何か分かったことがありましたら、ぜひ教えて欲しいです」
「分かりました。できる限り情報を集めて参ります。……ただ」

 女将の不安を和らげるためか、柔らかい笑みを浮かべつつセラフィは口を開く。

「僕は、連れの彼らも被害者だと思います。どうか怖がらないであげてください」

 それにはソフィアも同感だ。言葉にはせずとも頷く。
 今日出会ったばかりのアングにはまだ分からないことは多い。
 しかしセルペンスは一時期共に過ごしたことがあるのだ。分からないことはあっても、彼が人に危害を加えることを良しとするような人間にはどうしても見えなかった。

(あれ、でも……)

 ふと浮かんだ考えも、女将の返事に一旦は掻き消える。

「そうですね。お連れ様を悪く言うつもりはございません。何事もなければそれでいいのですが」
「全くです」

 それからしばらく話を続けて、蜜会はお開きとなった。
 就寝するため女将が去って行ったのを確認して、ソフィアはぽつりと呟いた。

「被害者とは言ったけれど、私は彼らの過去について何も知らないわ。その村でどんな生活をしていのかも、何もかも」
「僕も知っていることはほとんどないね。“神のゆりかご”では僕が最古参だし……知っているのは、二番目にケセラと一緒に来たことと……あ」

 二歳という幼い頃に連れ去られたセラフィは、イミタシアの中で誰よりも先に血の適合実験の被験者となった……そう思っていた。他のイミタシアは彼の後から大精霊テラの住まう白き城に連れてこられたことから、ソフィアはそう認識していた。他の仲間もそうであるはずだ。
 小さく唸りつつ眉間を揉んでいた彼は、ふと思い出したように顔を上げた。そして深刻そうな表情をするとソフィアに向き直る。

「ちょっと朧気な記憶ではあるんだけどさ」
「何?」
「セルペンス……あいつ、能力を操るのが誰よりも上手かったんだよ。僕はともかく、みんな慣れるまで制御できなかっただろ?」
「そうね。私も苦労したわ」

 リコやクロウ、ヴェレーノ辺りは慣れるまで苦戦していたようだった。シェキナは比較的早く慣れた方だったが、それでもしばらく強化されすぎた視力と聴力に距離感をつかめずにいた。それはソフィアもよく覚えている。

「シェキナが転んで頭を怪我したときも……リコが紙で指を切った時も……慣れたように能力を使ってて、僕はそれに違和感を覚えてた。でもまぁ、それ以上にアレが辛すぎてそんなこと今の今まですっかり忘れていたけどね」

 アレとは精霊の血を取り入れる実験のことである。誰にとっても良い思い出ではない。
 ソフィアにはセラフィがこれから言わんとしていることがなんとなく分かってきた。考えながら話している彼に確認するため、彼女は問う。

「それじゃあ、彼はあの城に来る前から能力を使うことができていたって言いたいの? だから能力を満足に使えず悩むことも、代償に苦しむことも少なかったと? ――だってどちらも既に慣れていたから、と」
「そう。この考えが合っていれば、あの城の外でも実験は行われていたことになる。それで実験場がクローロン村で、被験者がセルペンスじゃないかってことだね。それで実験に関わる――例えば、情報漏洩のような――何かが起きて、あの村は口封じのために滅ぼされた。……なんて仮説を立ててみたんだけど、どう思う?」
「なんとも言えないわね」

 昼間は暖かかったはずの空気が冷え込んでいく感じがした。この仮説がどうであれ、現状セルペンスやアング、そしてクローロン村について分からないことが多い、ということしか分からない。
 二人は同時に盛大なため息をつく。
 隙間風にろうそくの火が揺れる。頼りなげに輝くその様は、今の二人の心情を表しているかのようだった。

「とにかく、明日は実際にクローロンに行くんだからそこでまた考えよう。その上で分からなければ本人に聞くしかないね。ケセラがいれば、彼女に聞けたんだけどね」
「……今となってはもう遅い話だわ。“黒い手”に関しても何か分かることがあればいいわね」
「ほんとにね」

 ゆっくりと迫るどす黒い予感を振り切るように立ち上がり、自室に戻るため食堂の出口を指さす。セラフィはそれに応え、二人は再び音を立てないようにしながらそれぞれの自室へ戻ったのだった。
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