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2章 誰が為の蛇
9 詰問
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ヴェレーノの表情は一瞬にして期待の色に染まる。
その変わり具合は本当に激しく、ラルカが呆気にとられたくらいだ。
オレンジ色の瞳を嬉々と光らせ、視線をノアとラルカよりも奥――大人達が宴を行っている広場の方角へと向けた。
「お前がいるということは、兄さんもいるということだな?」
「バーカ、お前と兄ちゃんを会わせるわけないだろ」
再び不機嫌そうな仏頂面になり、ヴェレーノは忌々しげに吐き捨てる。
「お前はいつも俺の邪魔ばかりをしていたな。いつもいつもいつも……お前がいたから俺は……」
憎悪に燃える視線は、ラルカにも向けられる。いきなり覚えのない負の感情を受けて彼女は震えるばかりだった。本当に覚えがないのだ。彼女の記憶はノアたちと出会う以前のものは全て欠落しているのだから。目の前の少年のことも知らないし、彼とノアがどんな関係性であったかも彼女は全く分からない。
「お前、アレか。シトロンとルシオラが開発してた人形か。道理でケセラに似てると思った」
「え?」
予想外の言葉に目を見張る。
彼が放った言葉の意味は全く分からない。しかし、妙に納得してしまう自分がいた。
――人形。
その言葉が、自分にはお似合いの称号であると。訳も分からず自覚していた。
「忘れたのか? お前は――」
***
しばらく村人と談笑しつつ情報を集めていたソフィアは、それにも疲れて人々の輪から一旦離れることにした。
話を聞いたところ、この村に集まった人間は何かしらの傷を抱えているらしい。親からの虐待、度を超えた過労、人間関係のほつれ、貧困――様々な苦しみを忘れたいが故にこの地に集まり、黒き手に救いを求めたのだという。あの手はそういった苦しい気持ちをきれいさっぱり消してしまう代物らしいのだ。
ソフィアはため息をついた。少々酒を口にしてしまったせいかほんのり暑い。成人の儀をまだ終えていないため、少しばかり罪悪感が募る。しかし、小さなグラス半分も飲んでいない。あまり酔ってはいないようだ。
うっすらと雑草の生える砂利道を踏みしめ歩く。夜の冷えた風が火照った身体に気持ちよかった。
ゆっくり歩いていると、あの兄弟の姿が視界に入った。
二人とも辺りを見回して何かを捜しているような素振りを見せている。アングの方は、ちらちら兄の様子を窺っては難しい表情を浮かべている。
「どうしたの?」
ソフィアが声をかければ、二人はほぼ同時に振り返る。質問に答えたのはセルペンスだった。
「ノアとラルカの姿が見えなくて。ソフィアは見なかった?」
「いいえ。私は村の人と話をしていたわ。……二人も村の中にはいるでしょうけど。もしかしたら探検にでも行っているのかもしれないわね」
「やっぱりそう思う? こんな暗い場所で怪我でもしたら危ないし、捜しに行くかな」
「協力するわ」
近くに並べてあるランプをひとつ手に取り、明かりを灯す。その様子を見たセルペンスは微笑み、それに倣う。
「ありがとう」
「年下の子がはぐれてしまったら心配するに決まっているでしょ」
「優しいね。……アングはどうする?」
アングは数秒唸った後、緩く頭を振った。
「いいや。俺はここに残るわ。やりたいことあるし」
「そっか。それじゃあソフィア、行こう」
「分かったわ」
宴の輪を離れれば、不気味な静けさが漂う廃墟の波がそこにある。
暗がりに黄色とエメラルドグリーンを捜しながらも、ソフィアは隣を歩く彼の横顔をこっそり覗き見る。頭一つ分くらい高い場所にある紫紺の瞳は目敏く彼女の視線に気がついたようだ。
鏡のような瞳が似た色彩を持つ彼女を映し出す。
「どうしたの?」
「……昼間、元気がなさそうな気がしたから心配になって」
それは嘘ではない。赤い池のある地下空間にて、彼の冷え切った声を初めて聞いた。陰りを垣間見たことはあれど、今までずっと穏やかな彼しか見たことがなかったのだ。気になるのは仕方のないことだ。
セルペンスはきょとんとし、それから微苦笑する。
「あはは、心配かけてごめん。少し疲れていただけだよ――ん?」
ガサ、と草を踏む音が聞こえた。二人が同時に音の出所を見れば、そこには少年が立っている。
マフラーを揺らし、ただひたすらこちらを見つめていた。
彼はめくれたマスクの下から覗く、不健康に青ざめた唇をつり上げた。さらにオレンジ色の瞳をギラギラと輝かせ、大きく見開いた。
「あぁ、あぁ――」
ソフィアには見覚えのある少年――ヴェレーノだ。彼女が以前見た時とは違い、露骨に嬉しそうな表情を浮かべて興奮しているようだった。足取りは覚束ないまま、着実にこちらへと近づいてくる。
「やっぱりここにいた、にいさ――」
「近づくなって言っただろ!!」
そのヴェレーノの背後から黄色のくせ毛を揺らす少年ノアが飛び出してきた。愛用の大剣がないため、短剣を片手にヴェレーノに迫る。その頬、首など肌が見える箇所には暗がりでも認識できるほどの傷が見て取れた。おそらくは火傷だろう。
ノアの鬼気迫った様子にソフィアは急いで抜刀する。
思い出したのはアズ湖の地下遺跡での彼だった。セルペンスを理由にクロウによって煽られたノアは怒り狂い、その場に居た暗殺者たちを次々と屠っていったという。ソフィアが見たのはその一端だけだが、なだめるのに苦労したのだ。あの時はソフィアが力でねじ伏せ、セルペンスが呼びかけることによって落ち着きを取り戻したのだ。
今の彼は、あの時ほどではないとは言えもう少しで“その域”へ達してしまいそうに見えた。今回のターゲットはヴェレーノのようだが、このままエスカレートしていけば村の方へ被害が及ぶ可能性もある。
「くそ、まだ元気なようだな!!」
「うっ」
ヴェレーノは舌打ちをしつつ、大ぶりなノアの攻撃を避けた。よろめいた少年の背を容赦なく蹴り飛ばす。小柄な体躯は宙を舞い、瓦礫の名へ突っ込んでいく。
「ノア!」
「あーあ。せっかく会えたってのに邪魔だなぁ」
冷たく吐き捨てる様は、ヴェレーノが本気でノアの存在を憎んでいることを窺わせた。
その様子を見ていたセルペンスはいてもたってもいられず、ノアの方へと駆け出す。しかし、それを容認するヴェレーノではない。
セルペンスに触れぬよう、大きく両腕を広げて彼の進路を妨害する。先ほどまでの憎悪は鳴りを潜め、切望を湛えた視線を向けた。
「兄さん」
「ヴェレーノ、どうしてこんなことを……」
「俺はさ、ずっと兄さんに助けてもらいたかったんだ。ずっと、ずっと……」
兄と呼ぶ存在の質問なんて聞こえてはいないようだ。ヴェレーノは感涙に震えて訴えようとする。自身の願いを。
しかし、その訴えを聞く前にセルペンスの意識が一瞬違う方を向いてしまったのを感じ取ってしまった。
ヴェレーノは顔をしかめて背後を振り返る。
暗闇にぼんやりと浮かび上がる黄金の蝶たち。その中心に立つ少女は、虚ろな表情で目の前に広がる惨状を見回した。そして皮肉気な微笑みを浮かべた。その表情は昼間まで見せていた、年若い少女らしい無邪気なものではなかった。
「ふふ。なんて酷い光景でしょう」
「お前も邪魔をするのか――あいつらの人形風情が」
ソフィアは眉をひそめる。ヴェレーノが発した単語に違和感を覚えたのだ。
彼は少女――ラルカの正体を知っているというのか。
「人形? どういうこと……?」
「はは! そうさ、コイツは人形だ。狂った研究者どもからつくり出された、ケセラを模しただけのまがい物の命だ!!」
ラルカは静かに頷いた。
「そうです。私は普通の人間じゃなかった。彼女の細胞を培養したものを元につくられた人工皮膚に覆われ、人工の臓腑を型に当てはめ、人工の血を流して――全てが彼女のまがい物。不完全な彼女の複製。それが、それが……私です。すべて思い出しました」
少女の目から一筋の涙が流れた。その一滴が流れ終わった途端、彼女は高らかに笑い出した。
狂ったように泣き出し、狂ったように笑い、結い上げられた髪を掴んで雑にほどいた。花飾りが地面に落ちる。人形と形容するには些か人間的すぎる行動だった。
狂気に当てられた眼差しが捉えるのは、少女が慕っていた青年だ。
「あははははははははははははは!! 聞いてもいいですか、愚かな――無力な貴方に!!」
半ば絶叫と化した質問を投げつけられた、セルペンスは答えない。答えられない。
沈黙を肯定と受け取ったのか、ラルカは笑いを抑え込んだ。涙だけは止められなかったようで、透明な雫はまだ頬を滑り落ちていく。
ぽつり、と彼女は問うた。一瞬にして静けさを取り戻したラルカの本心なのだろうか。
「どうして……どうして、彼女を助けてあげなかったんですか? どうして彼女を守ってあげられなかったんですか? 貴方が彼女を救えていたのなら、私みたいなまがい物は生まれずに済んだのかもしれないのに」
その変わり具合は本当に激しく、ラルカが呆気にとられたくらいだ。
オレンジ色の瞳を嬉々と光らせ、視線をノアとラルカよりも奥――大人達が宴を行っている広場の方角へと向けた。
「お前がいるということは、兄さんもいるということだな?」
「バーカ、お前と兄ちゃんを会わせるわけないだろ」
再び不機嫌そうな仏頂面になり、ヴェレーノは忌々しげに吐き捨てる。
「お前はいつも俺の邪魔ばかりをしていたな。いつもいつもいつも……お前がいたから俺は……」
憎悪に燃える視線は、ラルカにも向けられる。いきなり覚えのない負の感情を受けて彼女は震えるばかりだった。本当に覚えがないのだ。彼女の記憶はノアたちと出会う以前のものは全て欠落しているのだから。目の前の少年のことも知らないし、彼とノアがどんな関係性であったかも彼女は全く分からない。
「お前、アレか。シトロンとルシオラが開発してた人形か。道理でケセラに似てると思った」
「え?」
予想外の言葉に目を見張る。
彼が放った言葉の意味は全く分からない。しかし、妙に納得してしまう自分がいた。
――人形。
その言葉が、自分にはお似合いの称号であると。訳も分からず自覚していた。
「忘れたのか? お前は――」
***
しばらく村人と談笑しつつ情報を集めていたソフィアは、それにも疲れて人々の輪から一旦離れることにした。
話を聞いたところ、この村に集まった人間は何かしらの傷を抱えているらしい。親からの虐待、度を超えた過労、人間関係のほつれ、貧困――様々な苦しみを忘れたいが故にこの地に集まり、黒き手に救いを求めたのだという。あの手はそういった苦しい気持ちをきれいさっぱり消してしまう代物らしいのだ。
ソフィアはため息をついた。少々酒を口にしてしまったせいかほんのり暑い。成人の儀をまだ終えていないため、少しばかり罪悪感が募る。しかし、小さなグラス半分も飲んでいない。あまり酔ってはいないようだ。
うっすらと雑草の生える砂利道を踏みしめ歩く。夜の冷えた風が火照った身体に気持ちよかった。
ゆっくり歩いていると、あの兄弟の姿が視界に入った。
二人とも辺りを見回して何かを捜しているような素振りを見せている。アングの方は、ちらちら兄の様子を窺っては難しい表情を浮かべている。
「どうしたの?」
ソフィアが声をかければ、二人はほぼ同時に振り返る。質問に答えたのはセルペンスだった。
「ノアとラルカの姿が見えなくて。ソフィアは見なかった?」
「いいえ。私は村の人と話をしていたわ。……二人も村の中にはいるでしょうけど。もしかしたら探検にでも行っているのかもしれないわね」
「やっぱりそう思う? こんな暗い場所で怪我でもしたら危ないし、捜しに行くかな」
「協力するわ」
近くに並べてあるランプをひとつ手に取り、明かりを灯す。その様子を見たセルペンスは微笑み、それに倣う。
「ありがとう」
「年下の子がはぐれてしまったら心配するに決まっているでしょ」
「優しいね。……アングはどうする?」
アングは数秒唸った後、緩く頭を振った。
「いいや。俺はここに残るわ。やりたいことあるし」
「そっか。それじゃあソフィア、行こう」
「分かったわ」
宴の輪を離れれば、不気味な静けさが漂う廃墟の波がそこにある。
暗がりに黄色とエメラルドグリーンを捜しながらも、ソフィアは隣を歩く彼の横顔をこっそり覗き見る。頭一つ分くらい高い場所にある紫紺の瞳は目敏く彼女の視線に気がついたようだ。
鏡のような瞳が似た色彩を持つ彼女を映し出す。
「どうしたの?」
「……昼間、元気がなさそうな気がしたから心配になって」
それは嘘ではない。赤い池のある地下空間にて、彼の冷え切った声を初めて聞いた。陰りを垣間見たことはあれど、今までずっと穏やかな彼しか見たことがなかったのだ。気になるのは仕方のないことだ。
セルペンスはきょとんとし、それから微苦笑する。
「あはは、心配かけてごめん。少し疲れていただけだよ――ん?」
ガサ、と草を踏む音が聞こえた。二人が同時に音の出所を見れば、そこには少年が立っている。
マフラーを揺らし、ただひたすらこちらを見つめていた。
彼はめくれたマスクの下から覗く、不健康に青ざめた唇をつり上げた。さらにオレンジ色の瞳をギラギラと輝かせ、大きく見開いた。
「あぁ、あぁ――」
ソフィアには見覚えのある少年――ヴェレーノだ。彼女が以前見た時とは違い、露骨に嬉しそうな表情を浮かべて興奮しているようだった。足取りは覚束ないまま、着実にこちらへと近づいてくる。
「やっぱりここにいた、にいさ――」
「近づくなって言っただろ!!」
そのヴェレーノの背後から黄色のくせ毛を揺らす少年ノアが飛び出してきた。愛用の大剣がないため、短剣を片手にヴェレーノに迫る。その頬、首など肌が見える箇所には暗がりでも認識できるほどの傷が見て取れた。おそらくは火傷だろう。
ノアの鬼気迫った様子にソフィアは急いで抜刀する。
思い出したのはアズ湖の地下遺跡での彼だった。セルペンスを理由にクロウによって煽られたノアは怒り狂い、その場に居た暗殺者たちを次々と屠っていったという。ソフィアが見たのはその一端だけだが、なだめるのに苦労したのだ。あの時はソフィアが力でねじ伏せ、セルペンスが呼びかけることによって落ち着きを取り戻したのだ。
今の彼は、あの時ほどではないとは言えもう少しで“その域”へ達してしまいそうに見えた。今回のターゲットはヴェレーノのようだが、このままエスカレートしていけば村の方へ被害が及ぶ可能性もある。
「くそ、まだ元気なようだな!!」
「うっ」
ヴェレーノは舌打ちをしつつ、大ぶりなノアの攻撃を避けた。よろめいた少年の背を容赦なく蹴り飛ばす。小柄な体躯は宙を舞い、瓦礫の名へ突っ込んでいく。
「ノア!」
「あーあ。せっかく会えたってのに邪魔だなぁ」
冷たく吐き捨てる様は、ヴェレーノが本気でノアの存在を憎んでいることを窺わせた。
その様子を見ていたセルペンスはいてもたってもいられず、ノアの方へと駆け出す。しかし、それを容認するヴェレーノではない。
セルペンスに触れぬよう、大きく両腕を広げて彼の進路を妨害する。先ほどまでの憎悪は鳴りを潜め、切望を湛えた視線を向けた。
「兄さん」
「ヴェレーノ、どうしてこんなことを……」
「俺はさ、ずっと兄さんに助けてもらいたかったんだ。ずっと、ずっと……」
兄と呼ぶ存在の質問なんて聞こえてはいないようだ。ヴェレーノは感涙に震えて訴えようとする。自身の願いを。
しかし、その訴えを聞く前にセルペンスの意識が一瞬違う方を向いてしまったのを感じ取ってしまった。
ヴェレーノは顔をしかめて背後を振り返る。
暗闇にぼんやりと浮かび上がる黄金の蝶たち。その中心に立つ少女は、虚ろな表情で目の前に広がる惨状を見回した。そして皮肉気な微笑みを浮かべた。その表情は昼間まで見せていた、年若い少女らしい無邪気なものではなかった。
「ふふ。なんて酷い光景でしょう」
「お前も邪魔をするのか――あいつらの人形風情が」
ソフィアは眉をひそめる。ヴェレーノが発した単語に違和感を覚えたのだ。
彼は少女――ラルカの正体を知っているというのか。
「人形? どういうこと……?」
「はは! そうさ、コイツは人形だ。狂った研究者どもからつくり出された、ケセラを模しただけのまがい物の命だ!!」
ラルカは静かに頷いた。
「そうです。私は普通の人間じゃなかった。彼女の細胞を培養したものを元につくられた人工皮膚に覆われ、人工の臓腑を型に当てはめ、人工の血を流して――全てが彼女のまがい物。不完全な彼女の複製。それが、それが……私です。すべて思い出しました」
少女の目から一筋の涙が流れた。その一滴が流れ終わった途端、彼女は高らかに笑い出した。
狂ったように泣き出し、狂ったように笑い、結い上げられた髪を掴んで雑にほどいた。花飾りが地面に落ちる。人形と形容するには些か人間的すぎる行動だった。
狂気に当てられた眼差しが捉えるのは、少女が慕っていた青年だ。
「あははははははははははははは!! 聞いてもいいですか、愚かな――無力な貴方に!!」
半ば絶叫と化した質問を投げつけられた、セルペンスは答えない。答えられない。
沈黙を肯定と受け取ったのか、ラルカは笑いを抑え込んだ。涙だけは止められなかったようで、透明な雫はまだ頬を滑り落ちていく。
ぽつり、と彼女は問うた。一瞬にして静けさを取り戻したラルカの本心なのだろうか。
「どうして……どうして、彼女を助けてあげなかったんですか? どうして彼女を守ってあげられなかったんですか? 貴方が彼女を救えていたのなら、私みたいなまがい物は生まれずに済んだのかもしれないのに」
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