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2章 誰が為の蛇
11 帰城・前編
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「……ラルカは? セルペンスは大丈夫なの?」
口から出たのは、この場にいない彼らの名前だった。
無意識のうちに自分を苛んでしまうことから逃れようという魂胆があったかもしれない。しかし、ソフィアの本心のひとつでもあることは事実である。
不安げな彼女の視線を受け止めたセラフィは目を伏せる。
「ラルカは分からない。ここにはいないよ。むしろ君の方が知っているかもね」
そして彼はそっとある方向を指さした。旧クローロン村長家があった方角だった。
「セルペンスはあっちに行った。様子がおかしかったからかな、真っ先にアングが追いかけていったよ」
「……。そうだ、怪我は? 彼、怪我をしていなかった? 火傷とか」
「怪我?」
セラフィは艶やかな黒髪を揺らしながら首を傾げた。しばし考え、そして首を横に振る。
「いいや、特に怪我はしてなかったと思うよ。暗い表情をしていた他は気になる部分はなかったな」
「そう……」
セラフィなら目立つ火傷を見逃すはずがない。
ヴェレーノが触れた事による火傷はセルペンス自身で治したのだろうか。他人の治療をしている場面を見たことはあっても、彼自身の治療をしている場面を見たことがないソフィアは違和感を覚えつつもひとまず頷くことにした。できないという確証もないからだ。
その確認を終えたソフィアは、セラフィに対して事のあらましを簡単に説明する。
所々言葉を詰まらせながら語る彼女に軽い相槌を打ちつつ、彼は思案顔で自身の手を顎に添えた。
「僕が来た時、ヴェレーノはすごく悲しそうな顔でどこかへ行ってしまったよ。多分セルペンスと何かあったんだと思うけど……。後でとっ捕まえて話を聞かないとだね」
「えぇ、そうね」
セラフィの手を借りて立ち上がる。
脚に力が入らず、ふらりと身体が傾ぐ。慌てて受け止めてくれた彼の腕にしがみついた瞬間。澄んだ少年の声が脳裏に響いた。
『ねぇ、ソフィア。助言をしてあげる。あの毒を持つ男――彼はまたいずれ会うことになるだろうから今は放っておいて構わないよ。それに、可哀想なあの男がこの地にいる限り、またここに訪れるんじゃないかな? それよりも、あの人造人間の少女を追ってみたらどう? 人造人間と言えども身体能力は普通の人間と変わりない。遠くには行っていないはずだ。それに――』
「ソフィア?」
しがみついたまま動かないソフィアを心配してセラフィが声を掛ける。
彼女は少年レガリアの声に聞き入ってしまった。我に返り顔を上げれば、怪訝そうな顔をしたセラフィの顔がそこにある。
「大丈夫じゃなさそうだね。今日はもう遅いし、ノアと一緒に休んだ方が良い。セルペンスのことは僕も様子を見てくるよ」
「……ありがとう」
「それと、明日は城に戻ろう。ラルカとヴェレーノに関してはシェキナとクロウの力を借りた方がいいかもしれないし」
その提案の裏に別の思惑があることをなんとなく感じ取り、ソフィアは自嘲する。再び暴走してしまったソフィアの気が落ち着くまで幽閉する気だろう。
そんなことをしている場合ではないため、脱走する決意をこっそり固めたところでセラフィが吹き出した。訳も分からず首を傾げれば、彼はおかしそうに笑いながら答えてくれる。
「あはは、君って案外分かりやすいよね。大丈夫大丈夫、もう閉じ込めたりなんかはさせないよ。脱走なんてされたら僕や殿下の仕事が増えるじゃないか」
そういえば目の前で笑っている男の可愛い妹にも同じようなことを言われた気がする、とソフィアは渋い顔をする。今まで冷静に、落ち着いた行動を心がけてきた彼女だ。最近は人と触れ合う機会も増えて気が緩んでいるのかもしれない。
「殿下に報告して、ラルカ捜索に協力してもらおう。きっと遠くには行っていないはずだよ」
「……分かりやすいなんて不本意だけど、そう考えていたのは否定しないわ。分かった。一度シアルワ城に戻って報告しましょう」
***
ソフィアの能力により燃え移った火は大して広がらず、村人たちによってあっという間に鎮火された。
彼らはソフィアに特異な能力があることを知らない。セラフィが「どうやら侵入者がいてこの村に危害を及ぼそうとしたようだ」と言えば、彼らはそれを簡単に信じてしまった。間違ってはいないのだが、確かな罪悪感がソフィアの胸を渦巻いた。
「もうお帰りになるの?」
「えぇ、ラルカがいなくなってしまったので捜さないと」
「そう……仕方ないわね、また来てちょうだいね」
少ない荷物をまとめていたソフィアに話しかけてきた女性は、今日も穏やかで幸せそうな笑顔を浮かべていた。
昨晩侵入者騒ぎがあったばかりだというのに怖くないのだろうか。ソフィアは疑問を口にする。
「怖くないのですか?」
「え?」
「昨晩、火の手があがったでしょう。また侵入者が来て、この村に何かするんじゃないかって思わないのですか?」
数瞬、女性はきょとんと瞬く。それから「あぁ」と再び笑顔を浮かべた。
「さっき“救いの手”に触れてきたから、そんな思いは忘れてしまったわ。貴女も不安なら触れてから出ると良いわ」
「そう、ですか。ありがとうございます」
曖昧に微笑んで礼を言う。やはり“救いの手”とやらの存在も気になるところではあった。必ず戻って調べねばならないだろう。
ソフィアが借りていた家から出れば、ふてくされた様子のノアが広場に立っていた。その隣ではセラフィとアングが何か話をしている。
近づけば、三人が視線を向けてくる。
「あぁ、ソフィア。ちょうど良いところに。今セルペンスについて話をしていたところなんだ」
「そう。彼はここにいないようだけど?」
「兄ちゃんはしばらくここにいるってさ。少し――混乱しているみたいで」
少しどころではないだろう。ラルカにもヴェレーノにも責め立てられ、元々良くない思い出のある地ということも相まって精神的ダメージを受けたに違いない。このまま話をしに行っても逆に彼を苛む結果になりかねない。気が落ち着くまでそっとしておいてあげるべきかもしれない。
ノアが不機嫌なのもそのせいか、と少年を一瞥する。いつも兄にべったりくっついているこの少年の事だ、一度セルペンスに押しかけてアングに追い返されたというオチが容易に想像できた。
「またここに来ます。セルペンスが僕らについて何か聞いてきたら、一度シャーンスに戻って助っ人を呼んでくるとだけ伝えてください」
「了解。悪いな」
アングは困ったように微笑んだ。その笑顔の裏には別の思惑が隠れているようにも見える。
それについて問いただそうとする前にセラフィに促されてソフィアたちは村を後にする。森の小道を歩き、門が見えなくなってきた頃、彼は声を抑え気味に口を開いた。ソフィアが気になっていることは彼も気になっているようだった。
「アングから何か聞き出そうと思ったんだけど、僕じゃちょっと力不足だったみたいだ。――絶対なにか知っていると思ったんだけどなぁ。その辺はクロウに任せようと思う」
「そうね。力が無くなったとは言え、彼は交渉に慣れているでしょうし」
「あぁ。実はね、僕もセルペンスの様子を見に行ったんだけど――ヴェレーノに何か言われたからってあんなに塞ぎ込むなんておかしいなと思ってさ。絶対何か裏があると踏んでいるよ」
「この村には謎が多すぎるわ」
「ほんとだよ」
ふと、前をどすどすと不機嫌そうに歩いていたノアが上を見上げた。兄と慕う存在の髪色を彷彿とさせる葉を見て、盛大にため息をついた。ぴょこぴょこと跳ねていたはずの黄色の髪がしな垂れる。
「俺じゃあ兄ちゃんを守れないのかなぁ」
「誰だって一人になりたいときはあるのよ。私にだってあるわ。彼は今、一人でゆっくり考え事をしたいだけよ」
「……そうかなぁ」
「また時間をおいて様子を見に来ればいいわ」
少年は苛立ちを引っ込め、代わりにがっくりと肩を落としたのだった。
口から出たのは、この場にいない彼らの名前だった。
無意識のうちに自分を苛んでしまうことから逃れようという魂胆があったかもしれない。しかし、ソフィアの本心のひとつでもあることは事実である。
不安げな彼女の視線を受け止めたセラフィは目を伏せる。
「ラルカは分からない。ここにはいないよ。むしろ君の方が知っているかもね」
そして彼はそっとある方向を指さした。旧クローロン村長家があった方角だった。
「セルペンスはあっちに行った。様子がおかしかったからかな、真っ先にアングが追いかけていったよ」
「……。そうだ、怪我は? 彼、怪我をしていなかった? 火傷とか」
「怪我?」
セラフィは艶やかな黒髪を揺らしながら首を傾げた。しばし考え、そして首を横に振る。
「いいや、特に怪我はしてなかったと思うよ。暗い表情をしていた他は気になる部分はなかったな」
「そう……」
セラフィなら目立つ火傷を見逃すはずがない。
ヴェレーノが触れた事による火傷はセルペンス自身で治したのだろうか。他人の治療をしている場面を見たことはあっても、彼自身の治療をしている場面を見たことがないソフィアは違和感を覚えつつもひとまず頷くことにした。できないという確証もないからだ。
その確認を終えたソフィアは、セラフィに対して事のあらましを簡単に説明する。
所々言葉を詰まらせながら語る彼女に軽い相槌を打ちつつ、彼は思案顔で自身の手を顎に添えた。
「僕が来た時、ヴェレーノはすごく悲しそうな顔でどこかへ行ってしまったよ。多分セルペンスと何かあったんだと思うけど……。後でとっ捕まえて話を聞かないとだね」
「えぇ、そうね」
セラフィの手を借りて立ち上がる。
脚に力が入らず、ふらりと身体が傾ぐ。慌てて受け止めてくれた彼の腕にしがみついた瞬間。澄んだ少年の声が脳裏に響いた。
『ねぇ、ソフィア。助言をしてあげる。あの毒を持つ男――彼はまたいずれ会うことになるだろうから今は放っておいて構わないよ。それに、可哀想なあの男がこの地にいる限り、またここに訪れるんじゃないかな? それよりも、あの人造人間の少女を追ってみたらどう? 人造人間と言えども身体能力は普通の人間と変わりない。遠くには行っていないはずだ。それに――』
「ソフィア?」
しがみついたまま動かないソフィアを心配してセラフィが声を掛ける。
彼女は少年レガリアの声に聞き入ってしまった。我に返り顔を上げれば、怪訝そうな顔をしたセラフィの顔がそこにある。
「大丈夫じゃなさそうだね。今日はもう遅いし、ノアと一緒に休んだ方が良い。セルペンスのことは僕も様子を見てくるよ」
「……ありがとう」
「それと、明日は城に戻ろう。ラルカとヴェレーノに関してはシェキナとクロウの力を借りた方がいいかもしれないし」
その提案の裏に別の思惑があることをなんとなく感じ取り、ソフィアは自嘲する。再び暴走してしまったソフィアの気が落ち着くまで幽閉する気だろう。
そんなことをしている場合ではないため、脱走する決意をこっそり固めたところでセラフィが吹き出した。訳も分からず首を傾げれば、彼はおかしそうに笑いながら答えてくれる。
「あはは、君って案外分かりやすいよね。大丈夫大丈夫、もう閉じ込めたりなんかはさせないよ。脱走なんてされたら僕や殿下の仕事が増えるじゃないか」
そういえば目の前で笑っている男の可愛い妹にも同じようなことを言われた気がする、とソフィアは渋い顔をする。今まで冷静に、落ち着いた行動を心がけてきた彼女だ。最近は人と触れ合う機会も増えて気が緩んでいるのかもしれない。
「殿下に報告して、ラルカ捜索に協力してもらおう。きっと遠くには行っていないはずだよ」
「……分かりやすいなんて不本意だけど、そう考えていたのは否定しないわ。分かった。一度シアルワ城に戻って報告しましょう」
***
ソフィアの能力により燃え移った火は大して広がらず、村人たちによってあっという間に鎮火された。
彼らはソフィアに特異な能力があることを知らない。セラフィが「どうやら侵入者がいてこの村に危害を及ぼそうとしたようだ」と言えば、彼らはそれを簡単に信じてしまった。間違ってはいないのだが、確かな罪悪感がソフィアの胸を渦巻いた。
「もうお帰りになるの?」
「えぇ、ラルカがいなくなってしまったので捜さないと」
「そう……仕方ないわね、また来てちょうだいね」
少ない荷物をまとめていたソフィアに話しかけてきた女性は、今日も穏やかで幸せそうな笑顔を浮かべていた。
昨晩侵入者騒ぎがあったばかりだというのに怖くないのだろうか。ソフィアは疑問を口にする。
「怖くないのですか?」
「え?」
「昨晩、火の手があがったでしょう。また侵入者が来て、この村に何かするんじゃないかって思わないのですか?」
数瞬、女性はきょとんと瞬く。それから「あぁ」と再び笑顔を浮かべた。
「さっき“救いの手”に触れてきたから、そんな思いは忘れてしまったわ。貴女も不安なら触れてから出ると良いわ」
「そう、ですか。ありがとうございます」
曖昧に微笑んで礼を言う。やはり“救いの手”とやらの存在も気になるところではあった。必ず戻って調べねばならないだろう。
ソフィアが借りていた家から出れば、ふてくされた様子のノアが広場に立っていた。その隣ではセラフィとアングが何か話をしている。
近づけば、三人が視線を向けてくる。
「あぁ、ソフィア。ちょうど良いところに。今セルペンスについて話をしていたところなんだ」
「そう。彼はここにいないようだけど?」
「兄ちゃんはしばらくここにいるってさ。少し――混乱しているみたいで」
少しどころではないだろう。ラルカにもヴェレーノにも責め立てられ、元々良くない思い出のある地ということも相まって精神的ダメージを受けたに違いない。このまま話をしに行っても逆に彼を苛む結果になりかねない。気が落ち着くまでそっとしておいてあげるべきかもしれない。
ノアが不機嫌なのもそのせいか、と少年を一瞥する。いつも兄にべったりくっついているこの少年の事だ、一度セルペンスに押しかけてアングに追い返されたというオチが容易に想像できた。
「またここに来ます。セルペンスが僕らについて何か聞いてきたら、一度シャーンスに戻って助っ人を呼んでくるとだけ伝えてください」
「了解。悪いな」
アングは困ったように微笑んだ。その笑顔の裏には別の思惑が隠れているようにも見える。
それについて問いただそうとする前にセラフィに促されてソフィアたちは村を後にする。森の小道を歩き、門が見えなくなってきた頃、彼は声を抑え気味に口を開いた。ソフィアが気になっていることは彼も気になっているようだった。
「アングから何か聞き出そうと思ったんだけど、僕じゃちょっと力不足だったみたいだ。――絶対なにか知っていると思ったんだけどなぁ。その辺はクロウに任せようと思う」
「そうね。力が無くなったとは言え、彼は交渉に慣れているでしょうし」
「あぁ。実はね、僕もセルペンスの様子を見に行ったんだけど――ヴェレーノに何か言われたからってあんなに塞ぎ込むなんておかしいなと思ってさ。絶対何か裏があると踏んでいるよ」
「この村には謎が多すぎるわ」
「ほんとだよ」
ふと、前をどすどすと不機嫌そうに歩いていたノアが上を見上げた。兄と慕う存在の髪色を彷彿とさせる葉を見て、盛大にため息をついた。ぴょこぴょこと跳ねていたはずの黄色の髪がしな垂れる。
「俺じゃあ兄ちゃんを守れないのかなぁ」
「誰だって一人になりたいときはあるのよ。私にだってあるわ。彼は今、一人でゆっくり考え事をしたいだけよ」
「……そうかなぁ」
「また時間をおいて様子を見に来ればいいわ」
少年は苛立ちを引っ込め、代わりにがっくりと肩を落としたのだった。
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