久遠のプロメッサ 第二部 誓約の九重奏

日ノ島 陽

文字の大きさ
42 / 89
2章 誰が為の蛇

13 焼き菓子の行方

しおりを挟む
「ふむ」

 ルシオラはよく磨かれた眼鏡を色々な角度から見ながら思案する。傷がどれだけあるか確認しているのだろうか。眼鏡をかけていない彼女にはよく分からない仕草だ。満足したのか、彼は眼鏡をかけ直すとふと思い出したように机の上に置かれた分厚いノートを閉じた。
 そのノート――日記のようだ――を書いていた彼の元を訪れたのはソフィアだ。
 例の「手」に関して実際に目撃し、触れた彼の見解を聞こうという魂胆である。普段この軟禁部屋に通っているシャルロットはいない。どこかへ出かけているらしい。

「これは俺の主観だが」

 ひと月ほど前の記憶を呼び覚ます。
 ラエティティア王国にある街リトレ。その地に残る祭祀遺跡。突如として現れ、彼の身体を崖の下へと突き落とした黒い手。
 思い出しても気味が悪いものだ。しかし、そんなことで臆するルシオラではない。彼には傷つける分、傷つけられる覚悟が確かにあったのだ。今この時、遠くを見つめているかのような翡翠色の瞳を見てソフィアはそう感じた。ある意味強い人物だ。

「あれは人為的な……はっきり言ってしまえばイミタシアの能力によるものではないかと考えている。以前見たあのクロウとかいう男から発せられた瘴気。あれに近いものを感じた」

 その答えは、ソフィアがクローロン村でレガリアから聞いたものとほぼ一致した。初めて手の噂を聞いたとき、セラフィの話も聞いたが彼の考察の中にも「イミタシア」が出てきていた。彼はあり得ないと言っていたが、兄であるルシオラは可能性を切り捨てていないようだ。
 ソフィアとしても切り捨てられずにいる。しかし、できることなら否定はしたいというのが本音である。

「瘴気を操るイミタシアなんていないはずよ……」
「言っておくがな、あの手は俺だけを明確に狙っていたぞ。隣のセラフィには見向きもしなかった。あれは俺に恨みを抱く人間の感情によって動かされているのではないか? 精霊なら無差別に殺しにかかるだろう。これがお前の知るイミタシアや、知らぬ間に新たに生まれたイミタシアの仕業であったとしても――気を付けておくんだな」

 怜悧な視線がソフィアに突き刺さる。
 ルシオラにとっては得体の知れない彼女も犯人候補の一人なのだろうか。
 ため息をつき、否定だけはしておく。

「少なくとも私は違うわ。貴方が何をしていたかなんて詳しく知ったのは最近だから。怒りの感情は確かにあるわ。でも殺したいと願うほどじゃない」
「そうだな。俺とお前はほぼ無関係と言っても過言ではない」

 そう言って彼は微笑する。
 先ほどよりは幾ばくか柔和になった顔は、弟や妹との確かな血のつながりを感じさせた。


***


 ルシオラの部屋から出て、廊下を歩く。
 クローロン村から引き上げてかれこれ七日ほどが経とうとしていた。ソフィア自身もあちこち出向き――もちろん付き添いとは名ばかりの監視役もついていたが――聞き込みも行ったのだが、芳しい情報は何一つない。
 いくら思考したって新しい何かが見えるわけではなかった。ラルカやヴェレーノの目撃情報も一切入ってこない。
 内心焦りが募る。こんな時にレガリアの力が借りられれば。
 そんなことを考え、慌てて首を横に振った。
 彼ばかりに頼っていられない。自分で道を切り開かねばならない。

「あれ、ソフィア?」

 名前を呼ばれて思考の海から這い出た。
 目の前に立っていたのはソフィアと同い年の青年だ。セピア色の横だけ長い髪、蒼穹を閉じ込めたかのような美しい瞳、穏やかな微笑。彼女が森で庇護していた存在、レイだ。彼は現在シャルロットと共にシアルワ城に滞在し、フェリクスや従者たちの仕事を手伝いながらルシオラとやりとりをしているらしい。楽しいらしく、瞳に宿る光は楽しげなものだ。
 彼の手にはバスケットがさげられているが、白い布がかかっており中身は見えない。

「レイ」
「何か考え事? でも歩きながらは危ないよ。今もぶつかりそうになってたし」

 レイが見た方を同じように見れば、ソフィアの斜め前には赤銅色のラインが入った甲冑がある。彼女との距離感は拳一つ分くらいだ。彼が呼び止めてくれなかったらぶつかって倒してしまっていたかもしれない。弁償、という言葉が脳裏を過ぎる。
 ピク、と眉を動かしたソフィアにレイは笑う。

「昔から考え事している時は周りが見えてなかったよね」
「……ぶつかってないのだからいいじゃないの。それよりもレイ、それは?」

 話を逸らすためにもレイのバスケットを指さす。
 彼はそれを軽く持ち上げ、かかっていた布を捲った。
 中に入っていたのは焼き菓子の数々だった。可愛らしく飾り付けされたクッキー、マフィン、メレンゲ菓子など……ふわりと甘い香りが漂ってくる。
 彼は楽しそうに顔を綻ばせる。

「美味しそうね」
「城の調理場を借りて作ったんだ。試作も兼ねて沢山作り過ぎちゃったから、色々配り回っているところ。ソフィアもどうぞ」

 すっと差し出されたバスケットの中からクッキーを一枚手に取る。星形に型抜きされた中心にくぼみをいれ、そこに赤く色づけた飴を流し込んでいるものだ。陽光にきらきらと反射して見た目にも可愛らしい。
 一口食べれば、ほんのりと甘くて美味しい。
 二人で森にいた頃はこの優しい味を知る者は自分しかいなかった。ソフィア自身がレイを森に縛り付けていたせいだ。
 彼が森という鳥籠から解放され、こうして特技を周りに披露できている事実に僅かな寂寥と嬉しさを感じつつ微笑む。

「相変わらず上手ね。いつか店でも出してみたらどうかしら」
「お店、かぁ。それも楽しそう」

 バスケットに布を戻しつつ彼は続ける。

「カフェみたいにして、たまに料理教室とか開いてもいいかもしれない。教えるの、思ってた以上に楽しかったし」

 そこでソフィアは首を傾げる。

「誰かに教えていたの?」
「あ」

 しまった、というレイの顔を見逃さない。一瞬にして消された焦りは作り笑いに取って代わる。

「シャルロットに、ね。彼女もお兄さんにお菓子を作ったりしてみたいって――」
「あ、レイここにいた! 捜したんだよ? ソフィアも!」

 丁度良いタイミングで現れたのはそのシャルロットだった。楽しそうに瞳を輝かせている。
 彼女の手には鉢植え。黄色の花が咲いている。どこかに運ぶつもりのようだった。
 ソフィアはにっこりと微笑むと、彼女に尋ねる。

「あら、シャルロット。素敵な花ね。それはどうしたの?」
「ルシオラお兄ちゃんの部屋に飾ろうと思って。さっきまで庭園でベアトリクス様に色々教えて貰いながら選んだんだ。お花ってね、色によっても花言葉が違うものがあるらしいよ。この花には『つつましい幸せ』って意味があるんだって。今度図書館に行って調べてみるのも面白そう」
「その前は何を?」
「え? うーん、レイがお菓子を作るって言っていたから、それに合うお茶が欲しいと思って街までお買い物に行ってたよ」

 そこまで聞いてソフィアは確信した。
 レイは嘘をついている。明らかに何かを隠したがっている。
 彼の隠し事――暴行を受け続け、それを黙っていたこと――には彼女は散々悩まされたのだ。あれは彼女の決断が招いたことであったが、レイが早く教えてくれれば別の道もあったかもしれない。
 今度は隠し事などさせないぞとじとりと視線を向ければ、彼はそっぽを向いて冷や汗をかいている。例の隠し事があまりにも完璧だった分、今回は下手であることが浮き彫りになっていた。

「レイ?」
「うぅ、ごめんソフィア。これ以上は言うなって言われているから無理! それじゃあシャルロット、俺は先にルシオラさんの所に行っているから!」

 空気に耐えかねたようにレイは足早に輪を抜けた。
 ソフィアが追いかけるよりも前にシャルロットが彼女の前に立ちはだかる。長い白金の髪がふわりと揺れ、陽光を弾いて綺麗に煌めいた。

「ええと、ごめんね? 私には心当たりがあるんだけど、答えはソフィア自身が見つけた方が良いと思うの。その方がきっと良い方向に繋がるよ」

 彼女もレイの隠し事に関して知っているようだ。
 しかし、前回と違いソフィアに話さないということはレイが自身を傷つける隠し事をしているというわけではないようだ。それは彼女の表情からも窺える。
 それに関しては安堵するべきだが、無関係というわけでもないらしい。

「本当にごめんね。でもソフィアなら大丈夫だから!」

 誤魔化すようにそう言われ、彼女も足早に去って行く。
 一人残されたソフィアはその場にぽつん、と立ち尽くすしかなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと
恋愛
「好きな女がいる。君とは“白い結婚”を——」 ――それは、夢にまで見た結婚式の初夜。 額に誓いのキスを受けた“その夜”、彼はそう言った。 涙すら出なかった。 なぜなら私は、その直前に“前世の記憶”を思い出したから。 ……よりによって、元・男の人生を。 夫には白い結婚宣言、恋も砕け、初夜で絶望と救済で、目覚めたのは皮肉にも、“現実”と“前世”の自分だった。 「さようなら」 だって、もう誰かに振り回されるなんて嫌。 慰謝料もらって悠々自適なシングルライフ。 別居、自立して、左団扇の人生送ってみせますわ。 だけど元・夫も、従兄も、世間も――私を放ってはくれないみたい? 「……何それ、私の人生、まだ波乱あるの?」 はい、あります。盛りだくさんで。 元・男、今・女。 “白い結婚からの離縁”から始まる、人生劇場ここに開幕。 -----『白い結婚の行方』シリーズ ----- 『白い結婚の行方』の物語が始まる、前のお話です。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

処理中です...