久遠のプロメッサ 第二部 誓約の九重奏

日ノ島 陽

文字の大きさ
44 / 89
2章 誰が為の蛇

15 自覚

しおりを挟む
 膝に図鑑を乗せて座っていたラルカはソフィアを見て、瞬時に表情を強張らせた。その頭をミセリアが優しく撫でてやる。

「まるで、私がお姉ちゃんみたいだ」

 ひと垂らしの寂寞と欣幸きんこうを滲ませつつそう呟き、ミセリアはソフィアへ顔を向ける。

「この子は七日前に保護した。私が視察として出かけた途中で見かけて――放っておけなかった。絶対助けなきゃいけないと思ったんだ」
「そう。無事で良かったわ」

 それ以上かける言葉が見つからず、その場に再び静寂が満ちる。
 もじもじとラルカが身じろぐ衣擦れの音が次第に大きくなり、やがて彼女は立ち上がった。両手をぎゅっと握りしめ、大きな瞳を涙に潤ませて――いささか大袈裟に頭を下げた。その勢いに合わせて綺麗に結われた髪が乱れる。

「ご、ごめんなさい!」

 ソフィアは呆気にとられた。
 面と向かって謝られると思っていなかったのだ。それに、こちらには謝られる理由など一切存在しない。
 慌てて顔を上げさせると、ソフィアはラルカの目線に合わせてしゃがみ込む。

「あ、謝らなくて良いのよ。貴女は何も悪いことはしていないじゃないの」
「でも、でもぉ」

 みるみるうちに感情が高まっていく様が分かりやすい。ラルカは言葉を詰まらせつつ、なおも謝ろうとする。
 どうしたら良いのか。子供の世話なんて一切経験がないソフィアも焦りが募っていく。まだ子どもだった頃から共に過ごしていたレイの泣いている姿は見たことがないし、マグナロアの子供たちはみんな精神が図太いのか負けたら泣くことなくやりかえしてしまう。――レオナが子供たちにやっていたように、高い高いでもしてやれば良いのだろうか。
 そこへ、くすくすと笑いながらミセリアが助け船を出した。

「ソフィアはどうしてラルカを捜していたんだ?」
「ええと、一人でどこかへ行ってしまったから……何か危険な目に遭っていないかと心配で……」
「ラルカはどうして謝りたい?」
「わた、私は……みんなに沢山お世話になったのに、ひっく、全部、全部彼女の偽物だから、ひっく、ホントは私のことなんて、どうでもいいって……! 邪魔だって……!」

 堰を切ったように流れる涙。人形だと、人造人間であると語られた彼女の姿は人間以外の何者にも見えなかった。
 顔を真っ赤にして泣きじゃくる少女を前に、だんだんと冷静さを取り戻してきたソフィアはひとつ深呼吸をした。紙独特の匂いを孕んだ空気を肺に満たす。
 幾ばくか身体の熱を冷まし、ソフィアはラルカの手をそっと握った。

「違うわ」

 少なくともソフィアに、ラルカとケセラを混同して認識する気はなかった。見た目は似ていると感じたが、中身は違う。
 ソフィアが覚えている限りは、ケセラはセルペンスの一歩後ろで控えめに彼を気に掛けているような、そんな大人しい少女だった。ラルカのような無邪気さは彼女にはなかった。イミタシアとしての経験がそうさせたのかもしれない。あるいは、イミタシアになる前に何かあったか。今となっては知る由もないことだが、どう考えても目の前の少女とは全く違う在り方をしていたことは事実だ。

「ラルカはラルカでしょう? きっとセルペンスだってそう思っているわ」

 この少女はきっと、何よりもセルペンスに嫌われることを極度に恐れている。だから一言添えておく。
 この言葉に責任は持てない。彼はケセラに対して淡い執着心のような何かを抱いている。しかし、いくら似ているからといってラルカとケセラを重ね合わせているようには見えなかった。世話を焼こうとしている様は見て取れたが、ラルカの恐れているようなことにはなっていない。
 少なくともソフィアはそう感じている。


「そ、そうなのかなぁ?」
「えぇ。私は貴女よりも彼を見てきた。だから大丈夫よ。信じて」
「……」

 ラルカは俯いた。
 ぷるぷるとしばらく震え、必死に考え、そして小さく頷いた。

「う、うん。信じてみます……」
「それがいいわ」

 どうにか和解することができたようだ。
 徐々に落ち着きを取り戻してきたラルカの肩にミセリアは両手を添えて抱きしめる。

「さ、次はセルペンスに謝らないとだな。好きなんだろう?」
「す、き…………………………ひょえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 耳元で囁かれた言葉にラルカは硬直する。
 次の瞬間、その可愛らしい口から漏れ出たのは甲高い悲鳴だった。
 泣いていた時の何倍も真っ赤に染まった顔はリンゴのようだ。悲しみとは違う、恥ずかしさからなる生理的な涙がうっすらと滲む。

「あれ、自覚してなかったのか……」

 ミセリアは隣で苦笑いを浮かべた。

「そそそ、そう言われればそうかも……? でもでも、でもぉ……!」
「ふふ、よく考えるんだラルカ。お前はあいつの隣にいたいと思うか? 共に笑い合い、幸せな日々を送りたいと思うか?」
「私、は……」


***


 目を覚ました時のことを思い出す。
 全身が痛くて、意識が朦朧とした中で――光を見た。
 今思えば、その光は陽光を反射したヘアピンだったのだろう。
 眩しくて目を眇め――それから見えた顔は、どこか透き通って見えた。実際に透けて見えるわけではない。ただ、存在がどこか希薄で儚く見えてしまった。
 自分よりも大きな身体の男の人。でも男の人にしては細くて弱そうだった。
 ガラス玉のような紫色の瞳は何を考えているのかさっぱり分からない。
 謎だらけのよく分からないひと。
 それでも。

 彼が、とても綺麗なものに見えたのだ。

 この綺麗なものに触れたいと思った。魅入られていた。
 彼女に言われてようやく気がついた。

 これを、恋というのだろう。


***

「私は、セルペンスさんのことが好き……です」

 絞り出した声は、小さくはあったものの確かな芯を持っていた。
 自覚してしまえば立ち直りは早い。
 先ほどまで泣きじゃくっていた少女の姿はそこになく、意志を持った強い瞳がキラキラと輝いていた。

「そうか。お前がそう思うのなら、それでいい」

 その隣でミセリアが眩しそうに目を眇めた。

「そう、だったのかも。今まであのひとの横にいるとすっごく温かかったんです」
「うん」
「謝りたい……とても酷いことを言ってしまいました。あの人は何も悪くないのに」

 戻らないと、と小さく呟いたラルカは再びしゅんと肩を落とした。

「うぅ。ちゃんと謝れるでしょうか……あ」

 ふいに、光の粒子が舞った。
 ソフィアがそちらへ顔を向けると、どこからか現れた黄金の蝶が一匹ひらひらと飛んでいた。現実にはあるはずのないだろう不可思議な蝶は、ラルカの周りを旋回して溶け消える。それと同時に彼女の瞳にも黄金の光が宿り染めていく。

「これは……」
「ラルカ? 何が視えた? 体調は?」

 固まっていたミセリアが慌ててラルカの顔を覗き込む。
 少女の顔はほんのり赤く染まったままだ。しかし、どこかぼんやりと宙を仰ぎ――そしてすぐさま青ざめた。

「ヘアピン……あれ、確かセルペンスさんの……」
「ラルカ、落ち着いて話してみて」

 黄金の蝶はケセラが未来視をする合図となっていた。彼女と同じ力を持つというラルカの場合でも変わらないだろう。
 ミセリアはラルカの体調が悪くなっていないことを確かめると、ほっとため息をついた。
 次いでソフィアができるだけ優しく促すと、ラルカは戸惑いがちに頷いた。

「ヴェレーノ……あの意地悪な人がヘアピンを持っていたんです。どこかボロボロのお屋敷の前で……あれはあの村ではないと思います。そこで、たった一人で笑っていました。あぁ、後は彼の側で桃色の光がチラチラ見えて……あれは、宝石? ごめんなさい、そこまでしか分からなくて」
「クローロン村ではない廃墟ということね? 何か企んでいるのかしら」

 桃色の光、宝石という言葉もソフィアは引っかかる。
 もしかしたら――求めている神子の石かもしれない。
 だが、それよりも優先順位が高いのはヴェレーノの方だ。そこに何かあるのだろうか。

「彼が持っているのがセルペンスの物だった場合、取り戻した方が良いわね。あれ、彼が大切にしている物だったと思うわ」
「はい。私もそう思います。あれは彼が持つべきものだから」

 ラルカの行動方針は決まったようだ。ソフィアとしても放ってはおけない。
 漸く前へ進むことを決めたラルカを見守りつつ、ミセリアはただ微笑んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

処理中です...