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2章 誰が為の蛇
15 自覚
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膝に図鑑を乗せて座っていたラルカはソフィアを見て、瞬時に表情を強張らせた。その頭をミセリアが優しく撫でてやる。
「まるで、私がお姉ちゃんみたいだ」
ひと垂らしの寂寞と欣幸を滲ませつつそう呟き、ミセリアはソフィアへ顔を向ける。
「この子は七日前に保護した。私が視察として出かけた途中で見かけて――放っておけなかった。絶対助けなきゃいけないと思ったんだ」
「そう。無事で良かったわ」
それ以上かける言葉が見つからず、その場に再び静寂が満ちる。
もじもじとラルカが身じろぐ衣擦れの音が次第に大きくなり、やがて彼女は立ち上がった。両手をぎゅっと握りしめ、大きな瞳を涙に潤ませて――いささか大袈裟に頭を下げた。その勢いに合わせて綺麗に結われた髪が乱れる。
「ご、ごめんなさい!」
ソフィアは呆気にとられた。
面と向かって謝られると思っていなかったのだ。それに、こちらには謝られる理由など一切存在しない。
慌てて顔を上げさせると、ソフィアはラルカの目線に合わせてしゃがみ込む。
「あ、謝らなくて良いのよ。貴女は何も悪いことはしていないじゃないの」
「でも、でもぉ」
みるみるうちに感情が高まっていく様が分かりやすい。ラルカは言葉を詰まらせつつ、なおも謝ろうとする。
どうしたら良いのか。子供の世話なんて一切経験がないソフィアも焦りが募っていく。まだ子どもだった頃から共に過ごしていたレイの泣いている姿は見たことがないし、マグナロアの子供たちはみんな精神が図太いのか負けたら泣くことなくやりかえしてしまう。――レオナが子供たちにやっていたように、高い高いでもしてやれば良いのだろうか。
そこへ、くすくすと笑いながらミセリアが助け船を出した。
「ソフィアはどうしてラルカを捜していたんだ?」
「ええと、一人でどこかへ行ってしまったから……何か危険な目に遭っていないかと心配で……」
「ラルカはどうして謝りたい?」
「わた、私は……みんなに沢山お世話になったのに、ひっく、全部、全部彼女の偽物だから、ひっく、ホントは私のことなんて、どうでもいいって……! 邪魔だって……!」
堰を切ったように流れる涙。人形だと、人造人間であると語られた彼女の姿は人間以外の何者にも見えなかった。
顔を真っ赤にして泣きじゃくる少女を前に、だんだんと冷静さを取り戻してきたソフィアはひとつ深呼吸をした。紙独特の匂いを孕んだ空気を肺に満たす。
幾ばくか身体の熱を冷まし、ソフィアはラルカの手をそっと握った。
「違うわ」
少なくともソフィアに、ラルカとケセラを混同して認識する気はなかった。見た目は似ていると感じたが、中身は違う。
ソフィアが覚えている限りは、ケセラはセルペンスの一歩後ろで控えめに彼を気に掛けているような、そんな大人しい少女だった。ラルカのような無邪気さは彼女にはなかった。イミタシアとしての経験がそうさせたのかもしれない。あるいは、イミタシアになる前に何かあったか。今となっては知る由もないことだが、どう考えても目の前の少女とは全く違う在り方をしていたことは事実だ。
「ラルカはラルカでしょう? きっとセルペンスだってそう思っているわ」
この少女はきっと、何よりもセルペンスに嫌われることを極度に恐れている。だから一言添えておく。
この言葉に責任は持てない。彼はケセラに対して淡い執着心のような何かを抱いている。しかし、いくら似ているからといってラルカとケセラを重ね合わせているようには見えなかった。世話を焼こうとしている様は見て取れたが、ラルカの恐れているようなことにはなっていない。
少なくともソフィアはそう感じている。
「そ、そうなのかなぁ?」
「えぇ。私は貴女よりも彼を見てきた。だから大丈夫よ。信じて」
「……」
ラルカは俯いた。
ぷるぷるとしばらく震え、必死に考え、そして小さく頷いた。
「う、うん。信じてみます……」
「それがいいわ」
どうにか和解することができたようだ。
徐々に落ち着きを取り戻してきたラルカの肩にミセリアは両手を添えて抱きしめる。
「さ、次はセルペンスに謝らないとだな。好きなんだろう?」
「す、き…………………………ひょえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
耳元で囁かれた言葉にラルカは硬直する。
次の瞬間、その可愛らしい口から漏れ出たのは甲高い悲鳴だった。
泣いていた時の何倍も真っ赤に染まった顔はリンゴのようだ。悲しみとは違う、恥ずかしさからなる生理的な涙がうっすらと滲む。
「あれ、自覚してなかったのか……」
ミセリアは隣で苦笑いを浮かべた。
「そそそ、そう言われればそうかも……? でもでも、でもぉ……!」
「ふふ、よく考えるんだラルカ。お前はあいつの隣にいたいと思うか? 共に笑い合い、幸せな日々を送りたいと思うか?」
「私、は……」
***
目を覚ました時のことを思い出す。
全身が痛くて、意識が朦朧とした中で――光を見た。
今思えば、その光は陽光を反射したヘアピンだったのだろう。
眩しくて目を眇め――それから見えた顔は、どこか透き通って見えた。実際に透けて見えるわけではない。ただ、存在がどこか希薄で儚く見えてしまった。
自分よりも大きな身体の男の人。でも男の人にしては細くて弱そうだった。
ガラス玉のような紫色の瞳は何を考えているのかさっぱり分からない。
謎だらけのよく分からないひと。
それでも。
彼が、とても綺麗なものに見えたのだ。
この綺麗なものに触れたいと思った。魅入られていた。
彼女に言われてようやく気がついた。
これを、恋というのだろう。
***
「私は、セルペンスさんのことが好き……です」
絞り出した声は、小さくはあったものの確かな芯を持っていた。
自覚してしまえば立ち直りは早い。
先ほどまで泣きじゃくっていた少女の姿はそこになく、意志を持った強い瞳がキラキラと輝いていた。
「そうか。お前がそう思うのなら、それでいい」
その隣でミセリアが眩しそうに目を眇めた。
「そう、だったのかも。今まであのひとの横にいるとすっごく温かかったんです」
「うん」
「謝りたい……とても酷いことを言ってしまいました。あの人は何も悪くないのに」
戻らないと、と小さく呟いたラルカは再びしゅんと肩を落とした。
「うぅ。ちゃんと謝れるでしょうか……あ」
ふいに、光の粒子が舞った。
ソフィアがそちらへ顔を向けると、どこからか現れた黄金の蝶が一匹ひらひらと飛んでいた。現実にはあるはずのないだろう不可思議な蝶は、ラルカの周りを旋回して溶け消える。それと同時に彼女の瞳にも黄金の光が宿り染めていく。
「これは……」
「ラルカ? 何が視えた? 体調は?」
固まっていたミセリアが慌ててラルカの顔を覗き込む。
少女の顔はほんのり赤く染まったままだ。しかし、どこかぼんやりと宙を仰ぎ――そしてすぐさま青ざめた。
「ヘアピン……あれ、確かセルペンスさんの……」
「ラルカ、落ち着いて話してみて」
黄金の蝶はケセラが未来視をする合図となっていた。彼女と同じ力を持つというラルカの場合でも変わらないだろう。
ミセリアはラルカの体調が悪くなっていないことを確かめると、ほっとため息をついた。
次いでソフィアができるだけ優しく促すと、ラルカは戸惑いがちに頷いた。
「ヴェレーノ……あの意地悪な人がヘアピンを持っていたんです。どこかボロボロのお屋敷の前で……あれはあの村ではないと思います。そこで、たった一人で笑っていました。あぁ、後は彼の側で桃色の光がチラチラ見えて……あれは、宝石? ごめんなさい、そこまでしか分からなくて」
「クローロン村ではない廃墟ということね? 何か企んでいるのかしら」
桃色の光、宝石という言葉もソフィアは引っかかる。
もしかしたら――求めている神子の石かもしれない。
だが、それよりも優先順位が高いのはヴェレーノの方だ。そこに何かあるのだろうか。
「彼が持っているのがセルペンスの物だった場合、取り戻した方が良いわね。あれ、彼が大切にしている物だったと思うわ」
「はい。私もそう思います。あれは彼が持つべきものだから」
ラルカの行動方針は決まったようだ。ソフィアとしても放ってはおけない。
漸く前へ進むことを決めたラルカを見守りつつ、ミセリアはただ微笑んだ。
「まるで、私がお姉ちゃんみたいだ」
ひと垂らしの寂寞と欣幸を滲ませつつそう呟き、ミセリアはソフィアへ顔を向ける。
「この子は七日前に保護した。私が視察として出かけた途中で見かけて――放っておけなかった。絶対助けなきゃいけないと思ったんだ」
「そう。無事で良かったわ」
それ以上かける言葉が見つからず、その場に再び静寂が満ちる。
もじもじとラルカが身じろぐ衣擦れの音が次第に大きくなり、やがて彼女は立ち上がった。両手をぎゅっと握りしめ、大きな瞳を涙に潤ませて――いささか大袈裟に頭を下げた。その勢いに合わせて綺麗に結われた髪が乱れる。
「ご、ごめんなさい!」
ソフィアは呆気にとられた。
面と向かって謝られると思っていなかったのだ。それに、こちらには謝られる理由など一切存在しない。
慌てて顔を上げさせると、ソフィアはラルカの目線に合わせてしゃがみ込む。
「あ、謝らなくて良いのよ。貴女は何も悪いことはしていないじゃないの」
「でも、でもぉ」
みるみるうちに感情が高まっていく様が分かりやすい。ラルカは言葉を詰まらせつつ、なおも謝ろうとする。
どうしたら良いのか。子供の世話なんて一切経験がないソフィアも焦りが募っていく。まだ子どもだった頃から共に過ごしていたレイの泣いている姿は見たことがないし、マグナロアの子供たちはみんな精神が図太いのか負けたら泣くことなくやりかえしてしまう。――レオナが子供たちにやっていたように、高い高いでもしてやれば良いのだろうか。
そこへ、くすくすと笑いながらミセリアが助け船を出した。
「ソフィアはどうしてラルカを捜していたんだ?」
「ええと、一人でどこかへ行ってしまったから……何か危険な目に遭っていないかと心配で……」
「ラルカはどうして謝りたい?」
「わた、私は……みんなに沢山お世話になったのに、ひっく、全部、全部彼女の偽物だから、ひっく、ホントは私のことなんて、どうでもいいって……! 邪魔だって……!」
堰を切ったように流れる涙。人形だと、人造人間であると語られた彼女の姿は人間以外の何者にも見えなかった。
顔を真っ赤にして泣きじゃくる少女を前に、だんだんと冷静さを取り戻してきたソフィアはひとつ深呼吸をした。紙独特の匂いを孕んだ空気を肺に満たす。
幾ばくか身体の熱を冷まし、ソフィアはラルカの手をそっと握った。
「違うわ」
少なくともソフィアに、ラルカとケセラを混同して認識する気はなかった。見た目は似ていると感じたが、中身は違う。
ソフィアが覚えている限りは、ケセラはセルペンスの一歩後ろで控えめに彼を気に掛けているような、そんな大人しい少女だった。ラルカのような無邪気さは彼女にはなかった。イミタシアとしての経験がそうさせたのかもしれない。あるいは、イミタシアになる前に何かあったか。今となっては知る由もないことだが、どう考えても目の前の少女とは全く違う在り方をしていたことは事実だ。
「ラルカはラルカでしょう? きっとセルペンスだってそう思っているわ」
この少女はきっと、何よりもセルペンスに嫌われることを極度に恐れている。だから一言添えておく。
この言葉に責任は持てない。彼はケセラに対して淡い執着心のような何かを抱いている。しかし、いくら似ているからといってラルカとケセラを重ね合わせているようには見えなかった。世話を焼こうとしている様は見て取れたが、ラルカの恐れているようなことにはなっていない。
少なくともソフィアはそう感じている。
「そ、そうなのかなぁ?」
「えぇ。私は貴女よりも彼を見てきた。だから大丈夫よ。信じて」
「……」
ラルカは俯いた。
ぷるぷるとしばらく震え、必死に考え、そして小さく頷いた。
「う、うん。信じてみます……」
「それがいいわ」
どうにか和解することができたようだ。
徐々に落ち着きを取り戻してきたラルカの肩にミセリアは両手を添えて抱きしめる。
「さ、次はセルペンスに謝らないとだな。好きなんだろう?」
「す、き…………………………ひょえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
耳元で囁かれた言葉にラルカは硬直する。
次の瞬間、その可愛らしい口から漏れ出たのは甲高い悲鳴だった。
泣いていた時の何倍も真っ赤に染まった顔はリンゴのようだ。悲しみとは違う、恥ずかしさからなる生理的な涙がうっすらと滲む。
「あれ、自覚してなかったのか……」
ミセリアは隣で苦笑いを浮かべた。
「そそそ、そう言われればそうかも……? でもでも、でもぉ……!」
「ふふ、よく考えるんだラルカ。お前はあいつの隣にいたいと思うか? 共に笑い合い、幸せな日々を送りたいと思うか?」
「私、は……」
***
目を覚ました時のことを思い出す。
全身が痛くて、意識が朦朧とした中で――光を見た。
今思えば、その光は陽光を反射したヘアピンだったのだろう。
眩しくて目を眇め――それから見えた顔は、どこか透き通って見えた。実際に透けて見えるわけではない。ただ、存在がどこか希薄で儚く見えてしまった。
自分よりも大きな身体の男の人。でも男の人にしては細くて弱そうだった。
ガラス玉のような紫色の瞳は何を考えているのかさっぱり分からない。
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それでも。
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これを、恋というのだろう。
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「私は、セルペンスさんのことが好き……です」
絞り出した声は、小さくはあったものの確かな芯を持っていた。
自覚してしまえば立ち直りは早い。
先ほどまで泣きじゃくっていた少女の姿はそこになく、意志を持った強い瞳がキラキラと輝いていた。
「そうか。お前がそう思うのなら、それでいい」
その隣でミセリアが眩しそうに目を眇めた。
「そう、だったのかも。今まであのひとの横にいるとすっごく温かかったんです」
「うん」
「謝りたい……とても酷いことを言ってしまいました。あの人は何も悪くないのに」
戻らないと、と小さく呟いたラルカは再びしゅんと肩を落とした。
「うぅ。ちゃんと謝れるでしょうか……あ」
ふいに、光の粒子が舞った。
ソフィアがそちらへ顔を向けると、どこからか現れた黄金の蝶が一匹ひらひらと飛んでいた。現実にはあるはずのないだろう不可思議な蝶は、ラルカの周りを旋回して溶け消える。それと同時に彼女の瞳にも黄金の光が宿り染めていく。
「これは……」
「ラルカ? 何が視えた? 体調は?」
固まっていたミセリアが慌ててラルカの顔を覗き込む。
少女の顔はほんのり赤く染まったままだ。しかし、どこかぼんやりと宙を仰ぎ――そしてすぐさま青ざめた。
「ヘアピン……あれ、確かセルペンスさんの……」
「ラルカ、落ち着いて話してみて」
黄金の蝶はケセラが未来視をする合図となっていた。彼女と同じ力を持つというラルカの場合でも変わらないだろう。
ミセリアはラルカの体調が悪くなっていないことを確かめると、ほっとため息をついた。
次いでソフィアができるだけ優しく促すと、ラルカは戸惑いがちに頷いた。
「ヴェレーノ……あの意地悪な人がヘアピンを持っていたんです。どこかボロボロのお屋敷の前で……あれはあの村ではないと思います。そこで、たった一人で笑っていました。あぁ、後は彼の側で桃色の光がチラチラ見えて……あれは、宝石? ごめんなさい、そこまでしか分からなくて」
「クローロン村ではない廃墟ということね? 何か企んでいるのかしら」
桃色の光、宝石という言葉もソフィアは引っかかる。
もしかしたら――求めている神子の石かもしれない。
だが、それよりも優先順位が高いのはヴェレーノの方だ。そこに何かあるのだろうか。
「彼が持っているのがセルペンスの物だった場合、取り戻した方が良いわね。あれ、彼が大切にしている物だったと思うわ」
「はい。私もそう思います。あれは彼が持つべきものだから」
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