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2章 誰が為の蛇
19 狂い咲き
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しばらくノアは瞳を瞼に閉ざしたまま黙りこくっていた。
鉄の味はまだ口内に残っている。
なんだかすっきりと心が晴れていくような心地がした。今までこんな気分になったことはなかったな、などと穏やかな顔を浮かべながら瞼を開いた。
ノアがゆっくり身体を起こす様を見て、ソフィアはホッと息をついた。表情を見ても彼はもう落ち着いたらしい。
セラフィの血を飲んだため、あの身の丈ほどもある大剣を持てなくなっているかもしれない。しかし、問題ないだろう。この少年はまだやり直せる。それだけの未来が彼を待ち構えているのだから。
「ごめん、ありがとう」
「君が無事で良かった」
そう言って嗤うセラフィの腕の傷からはまだ血が滴り落ちている。浅い傷とは言え、刃物で切ったものだ。近いうちにセルペンスの元へ向かい、治療を頼んだ方が良いかもしれない。
軽く応急手当を施し、ヴェレーノの様子を見に行くことで意見が一致し、その場へ向かった……のだが。
「嘘でしょ」
ヴェレーノを運んだ場所はもぬけの殻だったのだ。周りを見ても彼の姿はどこにもない。あんなにぐっすり気絶していたのだから、しばらく目覚めないと高をくくっていたのが裏目に出たようだ。
「ごめんなさい……謝るのは私の方だったみたいね」
「仕方ないよ、こんな状況だし。また探そう」
肩を落として落ち込むソフィアをセラフィが励まそうとしていたその時だった。
駆け寄ってくる一人分の足音がした。
エメラルドグリーンの髪を揺らしながら駆けているのはラルカだ。近くに隠れていたらしい彼女だが、何かあったのか必死の形相で走っている。
「あ、あの……!」
「どうしたの? 何か……」
ソフィアは気がついた。彼女の瞳が金色に染まっている。
「何か視たのね?」
そう問えば、ラルカは泣きそうな表情で頷いた。
「セルペンスさんが――!」
***
どれほど歩いただろうか。
ヴェレーノは口の端に歪んだ笑みを貼り付けながら暗い森を抜け、あの村へと足を踏み入れた。
ソフィアは思っていた以上に単純だった。気絶したふりをして簡単に騙されてくれたのだから。道具がなかったことに加え、ヴェレーノの身体が触れれば溶ける毒であったことも幸運だったと言えよう。直接触れて気絶しているかどうか確かめられることもなければ、拘束されることもなかったのだ。
彼らはノアにかかりきりで、しばらくの間はヴェレーノが消えたことにも気がつかないだろう。
それに、自分の従兄弟から押しつけられた任務――クローロン村の調査――を受けて良かったと心から思う。こんな日は二度と訪れないだろう。
廃墟の間を抜けて、一際大きな屋敷だったものに向かう。道中、いつの間にか握りしめていたゴミを投げ捨てていく。それはカランと乾いた音を立てながら瓦礫の隙間に転がり込んでいった。
不気味な空気が漂う階段を下り、目的の部屋へ。
ゆっくりと扉を押し開ければ、やはりそこには彼がいる。
不気味な手とともに真っ赤な池を眺めるその男へと静かに歩み寄った。
「兄さん」
彼はゆっくりと振り返った。深碧の髪には目障りだったものがない。
いつもの笑みはそこになく、人形の目にはめられるガラスの瞳を連想させる紫色がヴェレーノを無感情に捉えた。
「先に言っておく。俺は謝らないよ」
ヴェレーノは池の縁に立って見下ろした。錆びた鎖がゆるく波打つ赤色から伸びている。
なんと悪趣味な見た目だろう、と皮肉げに笑む。
「兄さんはさ、俺が『神のゆりかご』に来てから散々世話を焼いたな。何度俺が拒絶しようが、傷つけようが、嗤ったまま諦めようとしなかった」
「……」
「それが俺には酷く憎らしかった。あそこに来るまでの人生も散々だった俺に対する哀れみなのか、と憤った。でも違ったな。あれは俺に対する哀れみなんかじゃなかった」
「……」
「兄さんの自己満足だったんだろ? 可哀想な人間に施しを与えて救ってやるのが役目なんだと……」
シトロンに命じられてクローロン村について調べるにつれ、ヴェレーノはセルペンスについてあるひとつの仮説を立てていた。
何を考えているか分からないセルペンスの心情についてだ。彼の人生はヴェレーノが思った以上に泥まみれで陰惨としたものだった。村を生かすために突き出されたイケニエで、村人の代わりに痛みも苦しみも普通の人生も何もかも差し出さなければならなかった、少なくとも幼少期のうちは人間として生きることができたヴェレーノよりも哀れなものだったのだ。
人間とは、自分の生まれた意味を求める生き物だ。そんな暗い過去を持つセルペンスの場合はどんな意味を求めているのだろうか。
ヴェレーノは考えた。セルペンスが誰彼構わず世話を焼き、怪我をすれば治療していることからも――彼は『誰かを助けること』を自分の生きる意味だと思っているのではないかと。
「でもな、無理だよ」
嗤った。
セルペンスが軽く目を瞠る気配が心地よく伝わってくる。
「兄さんは誰も救えない。大切だと感じた人は悉く兄さんの目の前で死んでいく。止めようとしたって無駄だ。だって兄さんに誰かを救うなんて傲慢な願いは叶えられない」
そう言ってヴェレーノはナイフを持ってセルペンスと池の間に立った。
「何を……するつもりだ」
僅かに震えている問いに答えるつもりはない。
分かっている。今からすることは残酷だ。これ以上ないくらいに酷いことだ。
それでも止められない。
少し前、ソフィアの絶望する顔を見て自覚してしまったのだ。
自分はあんなに恐れていたシトロンと同類の存在であると。誰かの恐怖に、絶望する顔に悦を覚えてしまう。そんな狂った人間なのだ。やはり血は争えない。
自覚してしまえば早かった。
箍が外れた今、とびきりの絶望が見たいという欲望が抑えきれなくなった。ヴェレーノが求める絶望に、目の前にいるセルペンスほど適任はいないだろう。
まずはケセラに擬態しようとして……それは止めた。
その方が残酷だ。より魅力的な絶望顔が見られるかもしれない。――だが、それよりも自分を見て欲しい欲が勝ってしまった。
「兄さん、よぉく見てろよ。俺が証明してみせる。兄さんは誰も救えない。兄さんが必死に抱いてきた願いは今――砕かれる」
銀色のナイフが赤い光を反射して不気味に輝いた。
ヴェレーノは見せつけるかのようにゆっくりゆっくり持ち上げる。それと同時に骨が砕かれて不自由な手で器用に紫色のマフラーを緩め、首元をさらけ出した。そしてそっと押し当てる。
その先は、普段はマフラーに隠れているはずの、自らの首。
「――!? 止めろ!!」
思わずセルペンスの顔が強張る。しゃがんでいた彼が手を伸ばすよりも前に――ヴェレーノは腕を横に引いた。
その動きにためらいなど一切なかった。
「――」
彼は見た。
今まで見てきた中で最も心躍る光景だった。
紫紺の瞳が大きく見開かれ、影の宿る白き相貌が一瞬にして絶望に呑まれる瞬間のなんと甘美なことか。
ヴェレーノは最早声も出せぬ喉に息を通して嗤い続けた。
首を掻き切った痛みも感じず、ただ求めていた絶望を暗く成り行く視界に最期の瞬間まで映し続けていた。
***
ばしゃん、と弟分の体躯が血の池に沈む姿がやけに遅く見えた。跳ねた血が熱を持ちながら頬に飛び散る。
あんなに深く首を切ってしまったらもう助からないだろう。どこか冷静な脳がそう告げる。そんなことは分かり切っていた。だが、放っておけなかった。
セルペンスは迷いなく池に飛び込んだ。
赤ん坊の頃から身を沈め続けてきた池だ。どれほど触れようが、痛みを感じることはない。本当は痛いのかもしれないが、もう慣れすぎて麻痺してしまったのだろう。
手探りで沈むヴェレーノの身体を見つけ、引き上げる。大量の血を含み重い身体を必死に持ち上げる。
助けなければならない。もう二度と目の前で人が死ぬ姿を見たくない。
――何のために生まれてきたのか、何のために息をしているのか分からなくなってしまうから。
しかし。
もう少しで引き上げられると思ったその瞬間だった。
ふっと腕の中の重さが一瞬にして消え去った。
黄金の粒子が血の池を突き破るように上へ舞い上がり、そして消えていく。美しくも残酷に。まるでセルペンスを嘲笑いながら昇華する。
「あ……」
これはイミタシアの命の光であると。
これが消えた瞬間は、命が消えた瞬間と同義であると。
彼は身をもって知っていた。
目の前にいたのに止められなかった。
あの時もそうだった。
目の前にいたのに、彼女を助けてあげられなかった。
誰も救えない。
誰も救えない。
誰も救えない。
自分は何のために生まれてきたのかと何度自問したことだろう。そしてそのたびに自分自身で答えるのだ。
――誰かを救うためだ。
最初は村人を救うため精霊に差し出された。村が燃えてからは怪我人や病人を救うために旅をしてきた。それで気味悪がられたりもした。
それでも良かった。誰かを救うことが、自分が生まれた――存在意義なのだから。
しかし、リコもヴェレーノも命を落とした。セラフィも寿命は短いという。ソフィアを除き、クロウもシェキナももうイミタシアではない。ノアもそうなるのだろうという予感があった。皆
セルペンスが救う前に救われた。
ならば自分は何のためにここで息をしているのだろうか。
考えれば考えるほどに苦しくなる。今までにこんなに息苦しくなったことはなかった。
ふいに、彼女を思いだした。エメラルドグリーンの髪を引っ張られて泣いていた彼女。前髪が目にかかっているからとヘアピンをくれた彼女。今まで誰も助けてはくれなかったあの血の池から唯一助けようとしてくれた彼女。離ればなれになってしまう直前まで寄り添ってくれた彼女。そして目の前で消えていく彼女。
「あぁ――」
目頭が熱くなる。
苦しい。息ができない。どうしたら良いのかも分からない。何故か知らないが無数に生えてきた黒い手が頬を撫で、腕を撫で、脚を撫でていく。
「ああああああああああああああああ!!」
その夜、一人の男の慟哭とともに――爆発した瘴気によって、その村は闇へと閉ざされた。
鉄の味はまだ口内に残っている。
なんだかすっきりと心が晴れていくような心地がした。今までこんな気分になったことはなかったな、などと穏やかな顔を浮かべながら瞼を開いた。
ノアがゆっくり身体を起こす様を見て、ソフィアはホッと息をついた。表情を見ても彼はもう落ち着いたらしい。
セラフィの血を飲んだため、あの身の丈ほどもある大剣を持てなくなっているかもしれない。しかし、問題ないだろう。この少年はまだやり直せる。それだけの未来が彼を待ち構えているのだから。
「ごめん、ありがとう」
「君が無事で良かった」
そう言って嗤うセラフィの腕の傷からはまだ血が滴り落ちている。浅い傷とは言え、刃物で切ったものだ。近いうちにセルペンスの元へ向かい、治療を頼んだ方が良いかもしれない。
軽く応急手当を施し、ヴェレーノの様子を見に行くことで意見が一致し、その場へ向かった……のだが。
「嘘でしょ」
ヴェレーノを運んだ場所はもぬけの殻だったのだ。周りを見ても彼の姿はどこにもない。あんなにぐっすり気絶していたのだから、しばらく目覚めないと高をくくっていたのが裏目に出たようだ。
「ごめんなさい……謝るのは私の方だったみたいね」
「仕方ないよ、こんな状況だし。また探そう」
肩を落として落ち込むソフィアをセラフィが励まそうとしていたその時だった。
駆け寄ってくる一人分の足音がした。
エメラルドグリーンの髪を揺らしながら駆けているのはラルカだ。近くに隠れていたらしい彼女だが、何かあったのか必死の形相で走っている。
「あ、あの……!」
「どうしたの? 何か……」
ソフィアは気がついた。彼女の瞳が金色に染まっている。
「何か視たのね?」
そう問えば、ラルカは泣きそうな表情で頷いた。
「セルペンスさんが――!」
***
どれほど歩いただろうか。
ヴェレーノは口の端に歪んだ笑みを貼り付けながら暗い森を抜け、あの村へと足を踏み入れた。
ソフィアは思っていた以上に単純だった。気絶したふりをして簡単に騙されてくれたのだから。道具がなかったことに加え、ヴェレーノの身体が触れれば溶ける毒であったことも幸運だったと言えよう。直接触れて気絶しているかどうか確かめられることもなければ、拘束されることもなかったのだ。
彼らはノアにかかりきりで、しばらくの間はヴェレーノが消えたことにも気がつかないだろう。
それに、自分の従兄弟から押しつけられた任務――クローロン村の調査――を受けて良かったと心から思う。こんな日は二度と訪れないだろう。
廃墟の間を抜けて、一際大きな屋敷だったものに向かう。道中、いつの間にか握りしめていたゴミを投げ捨てていく。それはカランと乾いた音を立てながら瓦礫の隙間に転がり込んでいった。
不気味な空気が漂う階段を下り、目的の部屋へ。
ゆっくりと扉を押し開ければ、やはりそこには彼がいる。
不気味な手とともに真っ赤な池を眺めるその男へと静かに歩み寄った。
「兄さん」
彼はゆっくりと振り返った。深碧の髪には目障りだったものがない。
いつもの笑みはそこになく、人形の目にはめられるガラスの瞳を連想させる紫色がヴェレーノを無感情に捉えた。
「先に言っておく。俺は謝らないよ」
ヴェレーノは池の縁に立って見下ろした。錆びた鎖がゆるく波打つ赤色から伸びている。
なんと悪趣味な見た目だろう、と皮肉げに笑む。
「兄さんはさ、俺が『神のゆりかご』に来てから散々世話を焼いたな。何度俺が拒絶しようが、傷つけようが、嗤ったまま諦めようとしなかった」
「……」
「それが俺には酷く憎らしかった。あそこに来るまでの人生も散々だった俺に対する哀れみなのか、と憤った。でも違ったな。あれは俺に対する哀れみなんかじゃなかった」
「……」
「兄さんの自己満足だったんだろ? 可哀想な人間に施しを与えて救ってやるのが役目なんだと……」
シトロンに命じられてクローロン村について調べるにつれ、ヴェレーノはセルペンスについてあるひとつの仮説を立てていた。
何を考えているか分からないセルペンスの心情についてだ。彼の人生はヴェレーノが思った以上に泥まみれで陰惨としたものだった。村を生かすために突き出されたイケニエで、村人の代わりに痛みも苦しみも普通の人生も何もかも差し出さなければならなかった、少なくとも幼少期のうちは人間として生きることができたヴェレーノよりも哀れなものだったのだ。
人間とは、自分の生まれた意味を求める生き物だ。そんな暗い過去を持つセルペンスの場合はどんな意味を求めているのだろうか。
ヴェレーノは考えた。セルペンスが誰彼構わず世話を焼き、怪我をすれば治療していることからも――彼は『誰かを助けること』を自分の生きる意味だと思っているのではないかと。
「でもな、無理だよ」
嗤った。
セルペンスが軽く目を瞠る気配が心地よく伝わってくる。
「兄さんは誰も救えない。大切だと感じた人は悉く兄さんの目の前で死んでいく。止めようとしたって無駄だ。だって兄さんに誰かを救うなんて傲慢な願いは叶えられない」
そう言ってヴェレーノはナイフを持ってセルペンスと池の間に立った。
「何を……するつもりだ」
僅かに震えている問いに答えるつもりはない。
分かっている。今からすることは残酷だ。これ以上ないくらいに酷いことだ。
それでも止められない。
少し前、ソフィアの絶望する顔を見て自覚してしまったのだ。
自分はあんなに恐れていたシトロンと同類の存在であると。誰かの恐怖に、絶望する顔に悦を覚えてしまう。そんな狂った人間なのだ。やはり血は争えない。
自覚してしまえば早かった。
箍が外れた今、とびきりの絶望が見たいという欲望が抑えきれなくなった。ヴェレーノが求める絶望に、目の前にいるセルペンスほど適任はいないだろう。
まずはケセラに擬態しようとして……それは止めた。
その方が残酷だ。より魅力的な絶望顔が見られるかもしれない。――だが、それよりも自分を見て欲しい欲が勝ってしまった。
「兄さん、よぉく見てろよ。俺が証明してみせる。兄さんは誰も救えない。兄さんが必死に抱いてきた願いは今――砕かれる」
銀色のナイフが赤い光を反射して不気味に輝いた。
ヴェレーノは見せつけるかのようにゆっくりゆっくり持ち上げる。それと同時に骨が砕かれて不自由な手で器用に紫色のマフラーを緩め、首元をさらけ出した。そしてそっと押し当てる。
その先は、普段はマフラーに隠れているはずの、自らの首。
「――!? 止めろ!!」
思わずセルペンスの顔が強張る。しゃがんでいた彼が手を伸ばすよりも前に――ヴェレーノは腕を横に引いた。
その動きにためらいなど一切なかった。
「――」
彼は見た。
今まで見てきた中で最も心躍る光景だった。
紫紺の瞳が大きく見開かれ、影の宿る白き相貌が一瞬にして絶望に呑まれる瞬間のなんと甘美なことか。
ヴェレーノは最早声も出せぬ喉に息を通して嗤い続けた。
首を掻き切った痛みも感じず、ただ求めていた絶望を暗く成り行く視界に最期の瞬間まで映し続けていた。
***
ばしゃん、と弟分の体躯が血の池に沈む姿がやけに遅く見えた。跳ねた血が熱を持ちながら頬に飛び散る。
あんなに深く首を切ってしまったらもう助からないだろう。どこか冷静な脳がそう告げる。そんなことは分かり切っていた。だが、放っておけなかった。
セルペンスは迷いなく池に飛び込んだ。
赤ん坊の頃から身を沈め続けてきた池だ。どれほど触れようが、痛みを感じることはない。本当は痛いのかもしれないが、もう慣れすぎて麻痺してしまったのだろう。
手探りで沈むヴェレーノの身体を見つけ、引き上げる。大量の血を含み重い身体を必死に持ち上げる。
助けなければならない。もう二度と目の前で人が死ぬ姿を見たくない。
――何のために生まれてきたのか、何のために息をしているのか分からなくなってしまうから。
しかし。
もう少しで引き上げられると思ったその瞬間だった。
ふっと腕の中の重さが一瞬にして消え去った。
黄金の粒子が血の池を突き破るように上へ舞い上がり、そして消えていく。美しくも残酷に。まるでセルペンスを嘲笑いながら昇華する。
「あ……」
これはイミタシアの命の光であると。
これが消えた瞬間は、命が消えた瞬間と同義であると。
彼は身をもって知っていた。
目の前にいたのに止められなかった。
あの時もそうだった。
目の前にいたのに、彼女を助けてあげられなかった。
誰も救えない。
誰も救えない。
誰も救えない。
自分は何のために生まれてきたのかと何度自問したことだろう。そしてそのたびに自分自身で答えるのだ。
――誰かを救うためだ。
最初は村人を救うため精霊に差し出された。村が燃えてからは怪我人や病人を救うために旅をしてきた。それで気味悪がられたりもした。
それでも良かった。誰かを救うことが、自分が生まれた――存在意義なのだから。
しかし、リコもヴェレーノも命を落とした。セラフィも寿命は短いという。ソフィアを除き、クロウもシェキナももうイミタシアではない。ノアもそうなるのだろうという予感があった。皆
セルペンスが救う前に救われた。
ならば自分は何のためにここで息をしているのだろうか。
考えれば考えるほどに苦しくなる。今までにこんなに息苦しくなったことはなかった。
ふいに、彼女を思いだした。エメラルドグリーンの髪を引っ張られて泣いていた彼女。前髪が目にかかっているからとヘアピンをくれた彼女。今まで誰も助けてはくれなかったあの血の池から唯一助けようとしてくれた彼女。離ればなれになってしまう直前まで寄り添ってくれた彼女。そして目の前で消えていく彼女。
「あぁ――」
目頭が熱くなる。
苦しい。息ができない。どうしたら良いのかも分からない。何故か知らないが無数に生えてきた黒い手が頬を撫で、腕を撫で、脚を撫でていく。
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