久遠のプロメッサ 第二部 誓約の九重奏

日ノ島 陽

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2章 誰が為の蛇

23 ひとかけらの星

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 薄暗く不気味な村の中を黄金の蝶は迷うことなく飛んでいく。
 ラルカは同じ色の軌跡を追いかけながら耳を傾ける。
 謳うように声が聞こえるのだ。「こっちだよ」と、温かな声は彼女を導いてくれていた。
 迫りくる手はノアとシェキナが退けてくれている。
 蝶が止まった先は、ボロボロに崩れ落ちた廃墟の一つだった。力尽きたように霧散する蝶に礼を言い、ラルカは地面を軽く探す。

「ない……」

 見ただけでは流石に見つからない。
 蝶が――彼女が導いてくれた場所なのだ。この近くに探し物のヘアピンがあるはずだ。
 ラルカは膝が汚れるのも構わず、地面にすがりつくようにして小さな瓦礫をどかし始めた。もしかしたらどこか狭い隙間に落ちてしまったのかもしれない。諦めずに探せばきっと見つかるはずだ。
 ノアとシェキナもラルカの行動を見て頷き合い、彼女を守るため瘴気へと向かっていった。


 数分経った頃。
 あの金色の輝きが見つけられないことにラルカは焦りを隠せずにいた。早くしないと大切な人も、自分を助けてくれた人も助けられない。指先に傷ができようと気にしてはいられない。次々と瓦礫を押しのけ、泥だらけになりながらひとかけらの星を探し続ける。
 元は花瓶であっただろう陶器の欠片を捨てる。元は机だっただろう天板をなんとか引きずってどかす。一部崩れた床板があれば無理やり引き剥がし、その反動で後ろへと転がる。
 それでも諦めるわけにはいかなかった。

「どこにあるの……!?」

 思わず泣いてしまいそうだった。
 早く見つけないといけないのに。時間は掛けていられないのに。
 一分、二分と過ぎていくことへの恐怖が積もり続ける。胸が糸で締め付けられているかのように苦しい。焦りで息も上手く出来なくなってきたし、視界も涙で滲んでよく見えない。

「痛……!」

 窓ガラスの破片を投げ飛ばした際、手を切ってしまったらしい。人間らしく赤い血が流れるのを見てラルカはついしゃがみ込んでしまった。

「やっぱり私にはできないよ……! 出来損ないの私なんかにあの人を救う権利なんてないんだ」
『そんなことはない。大丈夫だよ』
「え……?」

 不思議と耳になじみのある声がラルカを包み込んだ。
 誰か温かな人に後ろから抱きしめられ、耳元で囁かれているような気がする。その声はどこまでも優しくて、それでいて悲しいものだった。

『どうか彼に届けてあげて』

 白く滑らかな腕が伸び、ある一点を指さす。存在は不確かなくせに確かに温かなそれは蜃気楼のように頼りなく霞んでいた。
 ラルカは導かれるままにそちらへ歩み寄る。
 本棚だろうか。最早読める状態ではない本と焦げて崩れた棚の下。そこに、目的のものがあるような気がした。何の確信もないのだが、不思議と他の場所は目に入らなかったのだ。
 墨と化した本を手に取るとボロボロと砂のように崩れゆく。小さな山のようになっているその一角を無心でかき分けていく。少しばかり乱暴な仕草だったせいで、側にあった柱だったものがぐらりと傾いだことも気付かないほどに。

「ラルカ!!」

 ふと叫び声が聞こえた。
 我に返ってその声の主を見れば、ノアが柱を受け止めていた。そのまま倒れていたなら、柱はラルカに直撃していただろう。彼はもう超人的な身体能力は持たない。支える腕が震えていた。

「うお……りゃ!」

 自身の横へ柱をなぎ倒し、ノアはラルカを振り返る。

「そこにあるんだろ? 頼んだ!」
「……! は、はい! ありがとうノア!」

 ノアはふっと微笑んで、放り投げていた片手剣を拾い上げた。そして再びシェキナの元へと戻っていく。
 気を取り直してラルカは目の前のものに向き直る。今度は慎重に、かつ急いで進める。
 やがて、大体の本を片付け終わった頃。最後の本を手に取る。闇に溶けそうな暗い緑色の表紙には蝶の文様が描かれていた。
 その下を覗き込むと、闇夜に浮かぶひとかけらの星のような金色がそこにあった。
 丁寧に手入れされてきたのだろう。小さな傷はあれど、その輝きは損なわれていなかった。
 ラルカは両手を使いそっと拾い上げ、じっと目を凝らして確認する。
 間違いない。
 これこそ、彼の大切なものだ。

「あった――!!」

 ヴェレーノによって投げ捨てられていたヘアピンは、運の悪いことにわかりにくい場所へ転がり落ちてしまっていた。
 それを見つけることができたのは、彼女の執念が手助けをしてくれたのかもしれない。

「ノア、シェキナさん! ありました! 早くセルペンスさんの元へ行きましょう!」

 見つけられさえしたらやるべきことは一つだけ。
 ラルカは自分を守ってくれていた二人の元へと一目散に駆けだした。


***


 気を失った男と言えど、セルペンスは体重が軽い方だ。ソフィアでも背負えないわけではない。
 しかし、その状態で俊敏に動けるかと言われれば首を横に振るしかない。
 こちらへと伸びる黒い腕を避けつつ村長家から外に出る。
 地下から伸びていた階段を駆け上がったところで目の前に突然湧き出た腕に重心をずらして直撃を免れる。しかし、慣れぬ体勢のせいでソフィアはセルペンスごと倒れ込んだ。
 舌打ちをしつつ急いで起き上がり、周りに湧く腕共を一掃する。銀色の軌跡が綺麗な弧を描いた。

「こんなものが私たちを救えるわけないじゃないの……」

 これからどこに行けば良いのだろうか。
 まずはセラフィ達と合流するべきなのだろうが、彼らがどこにいるのかも分からない。
 短い思考の後、ソフィアはふと思い出した。
 セルペンスの思い出の地である丘の上。そこならば視界を邪魔するものはない。

「もう少し耐えて、セルペンス」

 幾人もの感情を吸い取りすぎたせいで瘴気を抑えきれなくなってしまった青年を一瞥する。
 彼は誰かを救いたいと願った。
 彼は自分が救われることについて特に考えていなかった。
 ならばとソフィアがやったこと――弱っていた彼という自我を奮い立たせるため、とケセラとの優しい記憶を思い出して貰うこと――は裏目に出てしまったようだ。完全に失策だった。少し考えれば分かったのかもしれないが、どうやら相当焦っていたらしい。
 ソフィアではセルペンスを本当の意味で救うことはできないのかもしれない。

「ごめん……」
「なんで貴方が謝るのよ、馬鹿」

 小さく呟かれた言葉に一瞬驚くが、声の主であるセルペンスはまだ気絶をしているままだ。
 ソフィアは苦笑しつつもう一度彼を背負い、歩みを再開した。

 脚を止めては進路を切り開き、少し進んではまた邪魔なものを蹴散らすことをしばらく続ける。ソフィアの疲労も蓄積されていた。
 汗が地面に落ちる。
 一歩踏み出した時、つい脚がもつれた。

「あ」

 地面が近づく。

「おっと、間に合った」

 前後から気配がする。
 前からソフィアの肩を支える一人、後ろでセルペンスを支える一人だ。
 疲れていたせいで気がつかなかったのだが、助けに来てくれていたようだ。ソフィアは無意識のうちに息をついた。

「……ありがとう、セラフィ、クロウ」
「一人にしてごめん」

 ソフィアはセラフィの手を借りてきちんと立ち直す。彼女を支えてくれたのがセラフィだ。
 クロウは「よっこらせ」と間の抜けた声を出しつつセルペンスを肩で担ぐ。後ろに回り込んでいたのは彼と――。

「貴方も来ていたのね」

 クロウに隠れる形だったが、もう一人来ていたようだ。
 気まずい顔をしている少年アングだ。

「あの子……ラルカっていうんだっけ……にガツンと言われてちょっと考えた。俺も兄ちゃんに謝りたいこと沢山あるから、あんなところで立ち止まっちゃいられないって。……この場にケセラがいたのなら、あいつもきっと諦めなかった」

 少し視線が宙を彷徨い、遠慮がちに兄へと向けられていく。真っ青な顔で血まみれの有様を見て首をすくめたが、アングの言葉を聞いたクロウがニヤリと笑う。

「んじゃ、こいつ頼むわ。俺はソフィアの手助けをするから」
「えっ」

 クロウはさっさとアングの後ろへ回り、アングの背にセルペンスを背負わせる。

「なんか痛いとか感じるか? 服の血は乾いてるから触っても大丈夫だとは思うが。間違っても口とか傷口に入れるなよ」
「いや、特に。気を付けます……」

 背中に確かな重みと温かさを感じてアングは歯がみをした。
 兄は確かに生きているのだ。
 身体に温かな血が通っているのだ。
 生きてさえいれば、この先兄弟の関係を修復していくことも、兄が幸せへの道を歩む手助けをすることもきっとできるだろう。それなのに簡単に諦めそうになっていた自分が恥ずかしいとアングは思う。
 ふいに泣き出したくなった表情をなんとか引き締めて、彼は兄を落とさないよう腕に力を込めた。

「ソフィア、これからどうするつもりだ?」

 クロウの問いかけにソフィアはある方向を指さした。

「あの丘へ行こうと思うわ」
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