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2章 誰が為の蛇
後日談2 同類
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開け放たれた窓から吹き込む風が心地よい午後のこと。
セルペンスはベッドの上でガラスのコップを両手で包みながら空を見上げていた。その中には冷たい水が陽光を反射していた。
ここはクローロン村の民家、その二階の一部屋だ。憑きものが落ちたような村人達が体調の悪い彼のために、と部屋を用意してくれたのだ。身体的にも精神的にも無理を重ねてきたセルペンスはあの後見事に倒れ、数日間ベッドでほぼ寝たきり状態となっている。
世話を名乗り出たのはシェキナだったが、ラルカとノア、そしてアングも残って一日に何度も顔を出してくれている。ソフィアとセラフィは報告があるとシャーンスへ戻り、クロウは挨拶もなしにいつの間にか村を去っていた。
数日寝て漸く体調も安定してきたところだ。そろそろ身体を動かした方がいいかもしれない。
水を飲み干し空になったコップをベッド脇のサイドテーブルに置き、立ち上がろうとした時だった。
「あ、起きてたんだ。返事がないから寝てるのかと思った」
シェキナが部屋に入ってきた。ノックをしたようだが、気がつかなかった。
「ごめん、ぼんやりしてた」
「ま、こんな暖かい日だもの。眠くなるのも分かるよ」
眉を下げて謝るセルペンスにシェキナはカラカラと笑う。以前彼女に仕事は良いのか、と聞いたところ有給をたっぷり取ったそうだ。仕事が楽しくてため込んでいたものだという。それを聞いて彼女らしいな、と心から笑ったことを思い出す。
シェキナはサイドテーブルに置かれた食器を一瞥して満足そうに頷く。
「うん、今日も完食だね。良かった良かった。もっと太りたまえよ」
「はは……。味覚がないのは相変わらずだけどね。でも食べやすかったよ、ごちそうさま」
セラフィの血を飲まないという選択をしたセルペンスにはまだイミタシアとしての能力、代償がともに残っている。死ぬまで引きずっていくと決意したのだ。
いつの日か、ケセラと同じ場所に行くために。
そんな彼を気遣ってシェキナは食べやすい料理を研究していた。最初は申し訳なく思っていたセルペンスだが、彼女が楽しそうに書きためているレシピノートを見せられた時からはその気持ちを改めることにした。シェキナは料理を作ることが好きなのだ。彼女の楽しみになっているのなら、別にいいかと気にしないことにした。
「そういえばさ、前から気になってたことがあるんだけど」
「……?」
ついさっき外から取り込んだばかりらしいタオルを畳みながらシェキナは口を開いた。
「セルペンスってソフィアのことどう思ってるの?」
「どうって」
「恋愛的な意味で好き?」
「へ」
予想外な質問にセルペンスはこきんと固まった。
思い出すのはあの夜。ケセラと想いを交しあったあの瞬間を二度と忘れることはないだろう。
これまで沢山助けてくれたソフィアには感謝の気持ちが絶えないことは事実だ。だが、何故そんな質問をするのだろうか。
「なんでそんなこと」
「今だから言うけどね、八年前――まだ私たちが離れ離れになる前にね? ケセラが私に相談しに来たんだよ。『セルペンス君ってソフィアのこと好きなのかなぁ』『彼、視線でソフィアのこと追いかけてる気がする』ってね」
「え」
「君の態度を見るにそうじゃなさそうだなーって思ったから、ケセラには心配ないよって言っておいたけど。実際のところどうだったのかなって気になってさ」
いくら思い返してもセルペンスにはそういった感情を抱いた経験が一切ない。ついこの間ようやく理解したばかりだ。
ケセラもそんなことを微塵も口にしなかった。
しかし、女同士でしか話せないこともあるだろう。
セルペンスは自分の知らないケセラの一面を見たような気がして、微苦笑した。
「そっか。そんなことがあったんだ」
「うん。で、どうなの?」
ニヤニヤと楽しげに笑うシェキナに対して手をひらひらと振りながら答える。
「ソフィアには感謝してる。こんな俺を諦めずに助けてくれたんだから。でも、恋愛的な意味で好きかと言われればそうじゃないね。俺はずっとケセラのことが好きだったから……正直彼女以外考えられないね」
「うわぁ、自覚した途端これかぁ」
「でも……」
彼は視線を逸らし、窓の外を見た。
清々しいほど青い空が広がっている。今日と似たような空をたまに見上げていた幼い少女の寂しい姿を脳裏に思い浮かべながら、セルペンスは目を眇めた。
「似てるとは思ってた」
「似てる?」
「そう。俺とソフィアが、少しだけ」
あの冷め切った瞳に。どこか遠くを見ていた瞳に。
恋ではないにしろ、親近感を抱いていたのは事実なのだろうとセルペンスは思う。
「覚えてる? 彼女が初めて俺たちと出会った日のこと」
「あー……あんまり」
「そっか。彼女、酷い火傷を負っていたんだよ。それを俺が治療したんだ。その時に痛みと共になんとなくの感情まで伝わってきちゃってさ」
今考えればあの時点でセルペンスの中には感情を吸い取る力も芽生えていたのだろう。
そして感じ取ったソフィアの闇を見て無意識のうち安心してしまったのだ。
彼女も自分と同類なのだと。
「……ソフィアも多分俺と同じで、血に縛られた生まれをしたんだなって。反抗することもできず受け入れるしかない道を進まされてきたんだなって思ったんだ。それをケセラは勘違いしちゃっていたのかもしれないね。そんなところも彼女らしいかも」
詳しいことは分からない。しかし、イミタシアになる個体を生むために愛のない結婚をさせられた両親のもとに生まれ、赤ん坊の頃から運命に雁字搦めにされて生きてきたセルペンスにとって初めての同朋だったのだ。
その胸の内を話したことはない。互いに知らない方が身のためだと思っていたためかもしれない。
「もしかしたらクロウならソフィアのことを知っているかもね。勝手に読み取ってそう」
「あいつの前じゃプライベートもあったもんじゃないものね」
「俺と同じだなって感じているのは今でも変わらないよ。だから一つ心配なことがあるんだ」
今は見えない彼女の顔は今どうなっているのだろうか。陰ってしまっているだろうか。
自分の言葉を待つシェキナを振り返り、セルペンスは困ったように微笑んだ。
「彼女もいつか爆発してしまいそうだなって思っている。それも、そう遠くないうちに」
「……それは確かに否定できないかも」
自分が抱え込みすぎて耐えきれなくなったように、彼女もまた器に限界があるはずだ。少しずつ、しかし確実に注ぎ込まれている黒く淀んだ想いが溢れてしまえばどうなってしまうのかは分からない。
シェキナも作業をしていた手を止め、不安げな顔でセルペンスを見上げる。
「正直ソフィアが敵になったら太刀打ちできる気がしないよ」
「君がそうなら俺なんてもっと駄目だよ。対抗できるのはセラフィぐらいかな。でも――」
その先は言えなかった。
以前喀血した彼を治療したセルペンスだからこそ分かる現実が不安を更に掻き立ててくる。万全な状態のセラフィならばソフィアと上手く渡り合うことができるだろう。しかし、彼にも限界というものが徐々に迫っているのだ。元気に振舞っているあの騎士が、裏でどれほど身体の不調に悩まされているのか想像ができない。
彼らの限界がいつ訪れるかは予想がつかない。明日かもしれない。何十年も先かもしれない。
そんなことを考えつつ、セルペンスは瞼を閉じる。
自分は物理的な傷しか癒やすことができない。それも一時的なもので、セラフィのように継続的に、それも絶え間なく傷ついていく身体を完全に元通りに治すことは不可能と言って良い。
「そんな日が来なければいいんだけどね」
「そうだね」
今できることは祈ることだ。
それはシェキナも変わらない。
ふいに彼女が両手を叩いた。軽い音が響く。暗くなってしまった雰囲気を変えるためだ。顔に笑顔を浮かべ、髪をかき上げる。
「ま、とりあえず今は体力を付けるのが先だよ。これから君にはムキムキになってもらうんだから。回復したらシアルワ式トレーニングやってもらうからね」
「え、なにそれ聞いてない怖い」
一瞬にして引きつった顔を浮かべたセルペンスを見てシェキナは声をあげて笑った。
午後の穏やかな風が吹き込み、彼らに宿りかけた不安を静かに外へと連れ出していった。
セルペンスはベッドの上でガラスのコップを両手で包みながら空を見上げていた。その中には冷たい水が陽光を反射していた。
ここはクローロン村の民家、その二階の一部屋だ。憑きものが落ちたような村人達が体調の悪い彼のために、と部屋を用意してくれたのだ。身体的にも精神的にも無理を重ねてきたセルペンスはあの後見事に倒れ、数日間ベッドでほぼ寝たきり状態となっている。
世話を名乗り出たのはシェキナだったが、ラルカとノア、そしてアングも残って一日に何度も顔を出してくれている。ソフィアとセラフィは報告があるとシャーンスへ戻り、クロウは挨拶もなしにいつの間にか村を去っていた。
数日寝て漸く体調も安定してきたところだ。そろそろ身体を動かした方がいいかもしれない。
水を飲み干し空になったコップをベッド脇のサイドテーブルに置き、立ち上がろうとした時だった。
「あ、起きてたんだ。返事がないから寝てるのかと思った」
シェキナが部屋に入ってきた。ノックをしたようだが、気がつかなかった。
「ごめん、ぼんやりしてた」
「ま、こんな暖かい日だもの。眠くなるのも分かるよ」
眉を下げて謝るセルペンスにシェキナはカラカラと笑う。以前彼女に仕事は良いのか、と聞いたところ有給をたっぷり取ったそうだ。仕事が楽しくてため込んでいたものだという。それを聞いて彼女らしいな、と心から笑ったことを思い出す。
シェキナはサイドテーブルに置かれた食器を一瞥して満足そうに頷く。
「うん、今日も完食だね。良かった良かった。もっと太りたまえよ」
「はは……。味覚がないのは相変わらずだけどね。でも食べやすかったよ、ごちそうさま」
セラフィの血を飲まないという選択をしたセルペンスにはまだイミタシアとしての能力、代償がともに残っている。死ぬまで引きずっていくと決意したのだ。
いつの日か、ケセラと同じ場所に行くために。
そんな彼を気遣ってシェキナは食べやすい料理を研究していた。最初は申し訳なく思っていたセルペンスだが、彼女が楽しそうに書きためているレシピノートを見せられた時からはその気持ちを改めることにした。シェキナは料理を作ることが好きなのだ。彼女の楽しみになっているのなら、別にいいかと気にしないことにした。
「そういえばさ、前から気になってたことがあるんだけど」
「……?」
ついさっき外から取り込んだばかりらしいタオルを畳みながらシェキナは口を開いた。
「セルペンスってソフィアのことどう思ってるの?」
「どうって」
「恋愛的な意味で好き?」
「へ」
予想外な質問にセルペンスはこきんと固まった。
思い出すのはあの夜。ケセラと想いを交しあったあの瞬間を二度と忘れることはないだろう。
これまで沢山助けてくれたソフィアには感謝の気持ちが絶えないことは事実だ。だが、何故そんな質問をするのだろうか。
「なんでそんなこと」
「今だから言うけどね、八年前――まだ私たちが離れ離れになる前にね? ケセラが私に相談しに来たんだよ。『セルペンス君ってソフィアのこと好きなのかなぁ』『彼、視線でソフィアのこと追いかけてる気がする』ってね」
「え」
「君の態度を見るにそうじゃなさそうだなーって思ったから、ケセラには心配ないよって言っておいたけど。実際のところどうだったのかなって気になってさ」
いくら思い返してもセルペンスにはそういった感情を抱いた経験が一切ない。ついこの間ようやく理解したばかりだ。
ケセラもそんなことを微塵も口にしなかった。
しかし、女同士でしか話せないこともあるだろう。
セルペンスは自分の知らないケセラの一面を見たような気がして、微苦笑した。
「そっか。そんなことがあったんだ」
「うん。で、どうなの?」
ニヤニヤと楽しげに笑うシェキナに対して手をひらひらと振りながら答える。
「ソフィアには感謝してる。こんな俺を諦めずに助けてくれたんだから。でも、恋愛的な意味で好きかと言われればそうじゃないね。俺はずっとケセラのことが好きだったから……正直彼女以外考えられないね」
「うわぁ、自覚した途端これかぁ」
「でも……」
彼は視線を逸らし、窓の外を見た。
清々しいほど青い空が広がっている。今日と似たような空をたまに見上げていた幼い少女の寂しい姿を脳裏に思い浮かべながら、セルペンスは目を眇めた。
「似てるとは思ってた」
「似てる?」
「そう。俺とソフィアが、少しだけ」
あの冷め切った瞳に。どこか遠くを見ていた瞳に。
恋ではないにしろ、親近感を抱いていたのは事実なのだろうとセルペンスは思う。
「覚えてる? 彼女が初めて俺たちと出会った日のこと」
「あー……あんまり」
「そっか。彼女、酷い火傷を負っていたんだよ。それを俺が治療したんだ。その時に痛みと共になんとなくの感情まで伝わってきちゃってさ」
今考えればあの時点でセルペンスの中には感情を吸い取る力も芽生えていたのだろう。
そして感じ取ったソフィアの闇を見て無意識のうち安心してしまったのだ。
彼女も自分と同類なのだと。
「……ソフィアも多分俺と同じで、血に縛られた生まれをしたんだなって。反抗することもできず受け入れるしかない道を進まされてきたんだなって思ったんだ。それをケセラは勘違いしちゃっていたのかもしれないね。そんなところも彼女らしいかも」
詳しいことは分からない。しかし、イミタシアになる個体を生むために愛のない結婚をさせられた両親のもとに生まれ、赤ん坊の頃から運命に雁字搦めにされて生きてきたセルペンスにとって初めての同朋だったのだ。
その胸の内を話したことはない。互いに知らない方が身のためだと思っていたためかもしれない。
「もしかしたらクロウならソフィアのことを知っているかもね。勝手に読み取ってそう」
「あいつの前じゃプライベートもあったもんじゃないものね」
「俺と同じだなって感じているのは今でも変わらないよ。だから一つ心配なことがあるんだ」
今は見えない彼女の顔は今どうなっているのだろうか。陰ってしまっているだろうか。
自分の言葉を待つシェキナを振り返り、セルペンスは困ったように微笑んだ。
「彼女もいつか爆発してしまいそうだなって思っている。それも、そう遠くないうちに」
「……それは確かに否定できないかも」
自分が抱え込みすぎて耐えきれなくなったように、彼女もまた器に限界があるはずだ。少しずつ、しかし確実に注ぎ込まれている黒く淀んだ想いが溢れてしまえばどうなってしまうのかは分からない。
シェキナも作業をしていた手を止め、不安げな顔でセルペンスを見上げる。
「正直ソフィアが敵になったら太刀打ちできる気がしないよ」
「君がそうなら俺なんてもっと駄目だよ。対抗できるのはセラフィぐらいかな。でも――」
その先は言えなかった。
以前喀血した彼を治療したセルペンスだからこそ分かる現実が不安を更に掻き立ててくる。万全な状態のセラフィならばソフィアと上手く渡り合うことができるだろう。しかし、彼にも限界というものが徐々に迫っているのだ。元気に振舞っているあの騎士が、裏でどれほど身体の不調に悩まされているのか想像ができない。
彼らの限界がいつ訪れるかは予想がつかない。明日かもしれない。何十年も先かもしれない。
そんなことを考えつつ、セルペンスは瞼を閉じる。
自分は物理的な傷しか癒やすことができない。それも一時的なもので、セラフィのように継続的に、それも絶え間なく傷ついていく身体を完全に元通りに治すことは不可能と言って良い。
「そんな日が来なければいいんだけどね」
「そうだね」
今できることは祈ることだ。
それはシェキナも変わらない。
ふいに彼女が両手を叩いた。軽い音が響く。暗くなってしまった雰囲気を変えるためだ。顔に笑顔を浮かべ、髪をかき上げる。
「ま、とりあえず今は体力を付けるのが先だよ。これから君にはムキムキになってもらうんだから。回復したらシアルワ式トレーニングやってもらうからね」
「え、なにそれ聞いてない怖い」
一瞬にして引きつった顔を浮かべたセルペンスを見てシェキナは声をあげて笑った。
午後の穏やかな風が吹き込み、彼らに宿りかけた不安を静かに外へと連れ出していった。
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