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2章 誰が為の蛇
後日談3 画用紙の青
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この大陸には、大きな城と呼ばれる類いの建造物が三城存在する。
ひとつは西の大国シアルワの王城。ひとつは東の大国ラエティティアの王城。最後のひとつは、精霊が住まう隠れた城――神のゆりかごである。
そこは長い長い廊下だった。
飾り気など一切ない、機能性を重視した造りの城の一角。
漆黒の髪と深紅の耳飾りを揺らしながら歩く存在が一柱。
彼は、厳重に封じられた扉の一つの前に立つ。僅かに目を眇めた瞬間、真っ白な扉は音も立てず開いた。迷わず中に入る。
その一室も城にしては無機質な空間だった。白いベッドに白い丸テーブルと対の椅子。白いキャビネット、白い本棚。
窓はひとつとしてないため、光源は天井から下がるシンプルで小ぶりなシャンデリアだけだ。
全てが白色に飲み込まれているかのように見えるこの部屋には、たったひとつだけ色を持つものがある。それは、壁に掛けられた一枚の絵だった。
絵の具で塗りたくった青と、申し訳程度に塗られた白。その下にちょこんと並ぶ人間を模した黒い影が二人分。子どもだろうか、双子のように瓜二つな影はしっかりと互いの手を握っている。
青空の下に立つ子ども二人を描いた落書きだ。
この絵の作者はこの部屋にはなく、無人と化した部屋の中で人がいた唯一の痕跡となっている。
彼は絵を見つめながら、近づいてくる気配に小さくため息をついた。
「何の用だ、アクア」
「あら、相変わらず気配には敏感なのですね。流石我らの同朋、女神によって生み出されし最初の一柱ですわね――テラ」
彼――大精霊テラは振り返り、無感情な視線を背後のアクアに向けた。
大精霊アクアは豪奢なドレスをわざとらしく揺らしながら腕を組む。あちこちに飾られた銀の装飾がしゃら、と涼やかな音を響かせた。
艶然と微笑んだ同僚に向けてテラは一言も発さない。まだ質問の答えを得ていないからだ。
それに気がついたアクアは青いルージュを引いた唇で弧を描く。
「少し、聞きたいことがありまして。レガリアのことです」
「なんだ、言ってみろ」
「その前に、少し世界の現状をお話しておきましょう。ほとんどこの城以外で姿を見ない貴方が本当に理解できているのか怪しいですからね」
アクアは青く塗られた爪が美しい指を一振りする。
その真上で、白い靄が立ち上りスクリーンとなる。映し出されたのは彼らの同期であるビエントだ。女神を抱きしめる形でうずくまる彼の表情はうかがい知れない。
「少し前、ビエントが女神様の元へ向かいました。その理由は、女神様の力を持ってしても瘴気が世界に可視化し始めてしまったからです。彼はあのお方の力となるために自ら表舞台から姿を消したのです。――けれど」
靄の中のビエントが掻き消える。代わりに映し出されたのは真っ黒な靄と数人の人間達。テラにも見覚えのある面子だ。
「瘴気の可視化は止まりません。彼らが内包した濃い瘴気が溢れ出ているのです。彼ら自身で瘴気の源である人間を落ち着かせているようですが、それもいつまで持つか分かりませんし……それに、彼ら以外でも瘴気を可視化させる人間が現れるかもしれませんわ」
「……」
「世界の限界は近いのです。早く女神様の代わりとする者――レガリアを目覚めさせなくてはなりません。貴方しかかの者の居場所を知らないでしょう。貴方が仕事をしないのならば、私が目覚めさせるつもりです。場所を教えなさい」
自分がイミタシアを突いて瘴気を暴発させたことは棚に上げ、アクアは笑みを消して目の前の存在を見据えた。
レガリアという神を生み出したのはテラだ。アクアとビエントも多少協力したとは言え、主導権を全て握り、彼と話し続け、思惑を知るのはテラだけなのだ。
テラは無感情に口を開く。
「世界のことなら案ずるな。お前が何もせずとも、レガリアは勝手に降臨するだろう。あのお方に代わる神として、瘴気など存在しない世界に変えてみせるだろうな。あいつにはそれだけの力がある」
「随分と余裕があるのですね」
「……誰もあいつには叶わない」
「そうですか。分かりました。邪魔をしましたわね」
テラはレガリアについて話す気がないようだ。髪の毛一本たりとも。
それを感じたアクアは再び笑顔を貼り付けて、優雅に一礼をしてみせた。刹那、彼女の身体は蜃気楼のように消えてゆく。別の場所に転移したのだろう。
一人残されたテラはもう一度壁に飾られた絵を見た。
精霊にとって時というものは一瞬で過ぎゆくものだ。だからこそ細かい記憶はほとんど覚えていない。しかし、この絵を描く美しい少年のことははっきりと思い出せた。
青い絵の具が欲しい、と少年は言った。特に問題はないと判断したテラは彼に望むように絵の具と画用紙を与えた。
できあがったのは一面の青色と二人の子ども。
なんだそれは、と訪ねたテラに少年は微笑んでみせた。子供にしてはどこか遠くを見ているような、あまりにも完璧であまりにも美しい笑顔だった。元々繊細な彫刻のように整った顔立ちも相まって作り物めいた印象を与える。
そんな彼の薄く色づいた唇から、背筋が凍るかのように恐ろしく――それでいて無邪気な声音が言葉として紡がれる。
『未来図』
絵だけ見れば人間の子どもが描く良くある落書きだっただろう。
しかし、テラにはそう感じることができなかったのだ。
白金の髪と血のような紅い瞳が美しすぎるせいだろうか。その声音に恐ろしいものを感じたからだろうか。
『協力してくれるよね、テラ?』
こてん、と首を傾げた少年の顔を忘れられない。
逆らってしまえば終わってしまう気がしたのだ。この世の全てが塵と化すような気がしたのだ。
それだけは嫌だった。女神が愛した世界をなかったことにするなど、そんな愚行だけはやりたくなかった。
愚かなことに最早自分は大精霊などではなく――間違えて生まれてしまった邪神にとって都合の良い小間使いとなってしまったのだ。自業自得だという自覚は誰よりも持っている。
彼が思い描く未来図。そこに辿り着くまでにはもう少しだけかかるようだ。
(哀れだな)
少年が語る夢の中には何人もの犠牲者が存在する。
次の標的である存在を思い浮かべ――テラは憐憫の光を深紅の瞳に宿した。
ひとつは西の大国シアルワの王城。ひとつは東の大国ラエティティアの王城。最後のひとつは、精霊が住まう隠れた城――神のゆりかごである。
そこは長い長い廊下だった。
飾り気など一切ない、機能性を重視した造りの城の一角。
漆黒の髪と深紅の耳飾りを揺らしながら歩く存在が一柱。
彼は、厳重に封じられた扉の一つの前に立つ。僅かに目を眇めた瞬間、真っ白な扉は音も立てず開いた。迷わず中に入る。
その一室も城にしては無機質な空間だった。白いベッドに白い丸テーブルと対の椅子。白いキャビネット、白い本棚。
窓はひとつとしてないため、光源は天井から下がるシンプルで小ぶりなシャンデリアだけだ。
全てが白色に飲み込まれているかのように見えるこの部屋には、たったひとつだけ色を持つものがある。それは、壁に掛けられた一枚の絵だった。
絵の具で塗りたくった青と、申し訳程度に塗られた白。その下にちょこんと並ぶ人間を模した黒い影が二人分。子どもだろうか、双子のように瓜二つな影はしっかりと互いの手を握っている。
青空の下に立つ子ども二人を描いた落書きだ。
この絵の作者はこの部屋にはなく、無人と化した部屋の中で人がいた唯一の痕跡となっている。
彼は絵を見つめながら、近づいてくる気配に小さくため息をついた。
「何の用だ、アクア」
「あら、相変わらず気配には敏感なのですね。流石我らの同朋、女神によって生み出されし最初の一柱ですわね――テラ」
彼――大精霊テラは振り返り、無感情な視線を背後のアクアに向けた。
大精霊アクアは豪奢なドレスをわざとらしく揺らしながら腕を組む。あちこちに飾られた銀の装飾がしゃら、と涼やかな音を響かせた。
艶然と微笑んだ同僚に向けてテラは一言も発さない。まだ質問の答えを得ていないからだ。
それに気がついたアクアは青いルージュを引いた唇で弧を描く。
「少し、聞きたいことがありまして。レガリアのことです」
「なんだ、言ってみろ」
「その前に、少し世界の現状をお話しておきましょう。ほとんどこの城以外で姿を見ない貴方が本当に理解できているのか怪しいですからね」
アクアは青く塗られた爪が美しい指を一振りする。
その真上で、白い靄が立ち上りスクリーンとなる。映し出されたのは彼らの同期であるビエントだ。女神を抱きしめる形でうずくまる彼の表情はうかがい知れない。
「少し前、ビエントが女神様の元へ向かいました。その理由は、女神様の力を持ってしても瘴気が世界に可視化し始めてしまったからです。彼はあのお方の力となるために自ら表舞台から姿を消したのです。――けれど」
靄の中のビエントが掻き消える。代わりに映し出されたのは真っ黒な靄と数人の人間達。テラにも見覚えのある面子だ。
「瘴気の可視化は止まりません。彼らが内包した濃い瘴気が溢れ出ているのです。彼ら自身で瘴気の源である人間を落ち着かせているようですが、それもいつまで持つか分かりませんし……それに、彼ら以外でも瘴気を可視化させる人間が現れるかもしれませんわ」
「……」
「世界の限界は近いのです。早く女神様の代わりとする者――レガリアを目覚めさせなくてはなりません。貴方しかかの者の居場所を知らないでしょう。貴方が仕事をしないのならば、私が目覚めさせるつもりです。場所を教えなさい」
自分がイミタシアを突いて瘴気を暴発させたことは棚に上げ、アクアは笑みを消して目の前の存在を見据えた。
レガリアという神を生み出したのはテラだ。アクアとビエントも多少協力したとは言え、主導権を全て握り、彼と話し続け、思惑を知るのはテラだけなのだ。
テラは無感情に口を開く。
「世界のことなら案ずるな。お前が何もせずとも、レガリアは勝手に降臨するだろう。あのお方に代わる神として、瘴気など存在しない世界に変えてみせるだろうな。あいつにはそれだけの力がある」
「随分と余裕があるのですね」
「……誰もあいつには叶わない」
「そうですか。分かりました。邪魔をしましたわね」
テラはレガリアについて話す気がないようだ。髪の毛一本たりとも。
それを感じたアクアは再び笑顔を貼り付けて、優雅に一礼をしてみせた。刹那、彼女の身体は蜃気楼のように消えてゆく。別の場所に転移したのだろう。
一人残されたテラはもう一度壁に飾られた絵を見た。
精霊にとって時というものは一瞬で過ぎゆくものだ。だからこそ細かい記憶はほとんど覚えていない。しかし、この絵を描く美しい少年のことははっきりと思い出せた。
青い絵の具が欲しい、と少年は言った。特に問題はないと判断したテラは彼に望むように絵の具と画用紙を与えた。
できあがったのは一面の青色と二人の子ども。
なんだそれは、と訪ねたテラに少年は微笑んでみせた。子供にしてはどこか遠くを見ているような、あまりにも完璧であまりにも美しい笑顔だった。元々繊細な彫刻のように整った顔立ちも相まって作り物めいた印象を与える。
そんな彼の薄く色づいた唇から、背筋が凍るかのように恐ろしく――それでいて無邪気な声音が言葉として紡がれる。
『未来図』
絵だけ見れば人間の子どもが描く良くある落書きだっただろう。
しかし、テラにはそう感じることができなかったのだ。
白金の髪と血のような紅い瞳が美しすぎるせいだろうか。その声音に恐ろしいものを感じたからだろうか。
『協力してくれるよね、テラ?』
こてん、と首を傾げた少年の顔を忘れられない。
逆らってしまえば終わってしまう気がしたのだ。この世の全てが塵と化すような気がしたのだ。
それだけは嫌だった。女神が愛した世界をなかったことにするなど、そんな愚行だけはやりたくなかった。
愚かなことに最早自分は大精霊などではなく――間違えて生まれてしまった邪神にとって都合の良い小間使いとなってしまったのだ。自業自得だという自覚は誰よりも持っている。
彼が思い描く未来図。そこに辿り着くまでにはもう少しだけかかるようだ。
(哀れだな)
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