上 下
66 / 89
3章 紅炎の巫覡

5.5_2 神子の呪い

しおりを挟む
6.5_2 神子の呪い

 ゆっくりと階段を上る。螺旋状になっているそこは薄暗いが、どういう仕組みなのか、両壁に据えられた燭台に順に小さな火が灯っていく。
 王の間は手入れをする者がいるが、ここから先は王家の許可なしに立ち入ることはできない場。少しばかり埃っぽい空気が特別な雰囲気を醸し出していた。
 先ほどは罠がどうとか聞いたが、どんな罠が襲ってくるのだろうか。壁から矢? 毒のガス?
 そんなことを考えながら歩みを進めれば、階段の終わりへ辿り着いた。先には似たような扉が二つ。どちらにも古びた鍵がかかっている。

「禁書庫は……ええと、たしかこっち」

 フェリクスは左側の扉へ歩み寄り、鍵の内のひとつを手に取る。かちゃん、と軽い音をたててあっけなく禁じられた扉が開かれる。
 迷うことなく入っていくフェリクスの後ろからセラフィも顔を覗かせれば、階段と同じように燭台に火がついた。
 思ったよりも小さな部屋だ。執務室くらいの広さだろうか。そこに古びた木製の書架が規則正しく並び、これまた古そうな本が詰め込まれている。

「俺も詳しくは見たことないけどさ、多分王家のもみ消したい歴史とか隠された情報がここに保管されているんだと思う。もしかしたらビエントとの契約に関してもあるかもしれないな」
「そうですねぇ……。精霊と王家が民に内緒で民の命をかけた契約なんて、とんでもないことですからね。今となっては終わったことですが」
「そうだな」

 苦笑しつつ二人は背表紙に視線を滑らせていく。
 かろうじて読めるが、古い言葉が用いられている本も何冊もある。気にならないと聞かれれば嘘になるが、今は目的以外のものを求める必要なない。ただでさえフェリクスに協力してもらっているのだ、早急に答えを得るべきだ。
 ふと、一冊の本が目に留まる。
 赤銅色の背表紙が美しい本だ。許可をもらって手に取ると、とても薄い。
 傷つけないよう慎重にページを捲っていけば、独特のニオイと共に『神子』の文字が飛び込んでくる。


 女神より託された使命を背負わせてしまった我が子たちのため、この手記を残す。
 まず最初に、生まれながらにして呪いを背負わせてしまったことをここに詫びる。女神が――皆が思い描く未来へ辿り着くのに、私の命だけではどうにも足りない。故に、後に託すほかない。俺の夢を押しつけるようで悪いが、許せ。


「呪い……」
「何か見つけたか? ――あぁ、これはザーラッハ様の手記か。流石に現物は残っていないから写しではあるんだけど」
「なるほど。殿下、ここに書かれた『呪い』についてご存じですか?」

 セラフィの問にフェリクスはゆるゆると首を振る。

「いや、詳しくは分からない。俺に思い当たる節はないんだよな。何か書いてあるか?」
「ええと」

 ぱらぱらとページを捲っても、それらしき記述はなかった。辛うじて書かれていたのは当時の情勢くらいか。
 この国がシアルワとして成立する前の、大陸中に多くの国が乱立していた時代がどれだけ酷いものであったか。ザーラッハが見聞きしたと思わしき惨劇が簡潔にまとめられていた。探せば詳しい記述もあるのだろうが、読むのも気が引けるので止めておく。

「……呪いについては、なんとも」
「そうか。あ、そういえば目録を持ってきたんだ」

 僅かに肩を落としたセラフィへ、フェリクスは手にしていたそれを示す。

「ここに保管されているものと、ラエティティアに保管されているものの一部、失われてしまったもの……ぜーんぶ載ってる、らしい。見てみるか?」
「是非。ありがとうございます」

 手記を慎重に書架へ戻し、差し出された目録へざっと目を通す。
 ザーラッハ、もしくは神子、どちらかの単語があれば良いのだが……。ザーラッハについては手記の写しがいくつか残されているようだ。しかし、神子について書かれた本はないらしい。

「父さんから王位を継ぐにあたり、この血筋が背負うものに対して聞いたことがある。でも、父さんも、神子は特別な力を持っているんだということぐらいしか伝えられてなかったようなんだ。だから、ここにない情報だとするとラエティティアに――シエルさんに頼るしかないかな」
「そこまで殿下の手を煩わせるワケには……ん?」
「どうした?」
「殿下、無知で申し訳ないのですが『フィアンマ』という単語をご存じですか? 『フィアンマの血の行方』という資料があったらしいのですが」

 フェリクスはすぐさま頷いて答える。

「あぁ、それなら数百年前に滅んでしまった国の名前だよ。ほら、セラフィのお兄さんが確保されたあの遺跡。あの辺りとシアルワの一部は元々は国だったんだよ。炎姫と呼ばれる人が治めていたとかなんと……か……そういえば炎って」
「炎姫?」

 そういえばその遺跡に赴いた際、現地の老婆からそんな話を聞いた気がする。
 ソフィアとクロウが意味深な反応を見せていた記憶がある。その時は深く考えはしなかったが、炎という単語と言い、あの場が神子の遺跡であったことと言い、どうにもソフィアを連想させる。

「赤き髪、赤き瞳の麗しき姫――か」
「それは?」
「現地の方が炎姫について確かそう言っていました。瞬間記憶力は良い方なんです。――そしてソフィアも、元々は赤い髪と赤い瞳の持ち主です。いつの間にか色がすっかり変わっていましたが。すごく印象に残っていたので間違いないかと。……すごく、綺麗だったんです」
「じゃあ、フィアンマの炎姫の子孫が彼女だっていう可能性があるわけか。でも情報はそれだけか」
「いいえ、目録に手がかりが一つだけ残されています」

 表の端に小さく注記が書かれているのを見逃しはしない。『フィアンマの血の行方』は失われてしまった資料らしいが、希望は捨てきれない。

「『大神子の家系が任を引き継いだため、資料を引き渡す』。つまり、僕の家系がその資料を持っていたわけですね。家はことごとく燃えたので残っているかは定かではありませんが……彼女の憂いについて、何か分かるかもしれません」
「重要な資料だ。厳重に保管されていても可笑しくはないよ。……そうだ、せっかくだし行ってみようか、セラフィの家」

 翡翠の瞳が同様に揺れた。
 その発言は、まるで自分も着いていくかのようにとれる。
 自分の生家。記憶は一切残っていないが、幼い頃は焦がれたものだが……文字通り焼け落ちて無残な姿になっているはずだ。探しに行っても無駄足になるかもしれない。
 やるべきことが山積みになっている彼に、そんな無駄な時間を。
 フェリクスはふっと微笑む。

「ちょっと王家として申し訳ないけど、精霊によって焼かれてしまった村はそのまま放置されている場所が多い。残骸を片付けて復興させるだけの予算も人手も足りないんだ。だけど、今はそれを幸運と思おう。それと、神子に関しては俺も知りたい。だから着いていくよ」
「殿下……」
「場所は知ってるか?」
「いえ、詳しいことは……すみません」
「ならルシオラさんに聞けば良い。彼ならきっと知っているはずだよ」

 てきぱきと予定を組み立てていく主を見て、罪悪感と共に心強い気持ちになる。
 セラフィが連れ攫われた時は、兄妹三人とも幼かった。だから重要な資料を両親から引き継げなかった可能性が高い。
 それに、どこに住もうが精霊に襲われる可能性がある世界だ。保管方法に関してもある程度対策はしているはずだ。……と、信じたい。

「はい。ご厚意、痛み入ります」
「だって親友の頼みだし、協力したいよ」

 ここまで言ってくれているのだ。断ることも脳裏に過ぎったが、彼の思いやりを踏みにじることになる。それはそれで嫌だった。
 セラフィは心から笑む。

「親友、かぁ」
「え、違う?」
「はい、違います」
「嘘!?」

 ショックを受けたようにのけぞるフェリクスに向けて、ケラケラ笑い飛ばしながら正解を口にする。

「“大”親友、でしょう?」
「あはは、確かに!」
しおりを挟む

処理中です...