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3章 紅炎の巫覡

6 銀灰色のポエタ

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 ミセリアが次に向かう地は、ポエタという街だ。
 シアルワ王国の中でも湿地に存在し、観光名所としても人気がある。
 そんなことが書かれた従者から渡された資料――もといパンフレットを眺めつつ、ソフィアは向かいに座るレイとシャルロットをなんとなしに見やる。

「洞窟の中に街があるんだって! どうやって造ったのかな」
「ええと……洞窟自体は天然のものって書いてあるね。あ、滝もあるんだって。俺、見たことない」
「外の滝は見たことあるけど、洞窟内は私も初めて! きっと綺麗だよ! 着いたら見に行こうね」
「もちろん」

 完全にカップルのやりとりである。
 道中を共にして知ったことなのだが、彼らはお互いの好意にとことん無自覚らしい。今のところは特別な立ち位置にいる友達、もしくは側に居て当たり前の存在というところか。どちらにせよ互いに良い関係が築けているので問題ない。むしろソフィアから見れば安心できるのだが。
 隣に座るミセリアもパンフレットに視線を落とし、薄く笑んでいる。
 ソフィアにとっても、ポエタは初めて行く場所だ。心の中では好奇心が渦巻いている。
 そんな平和な空気が流れる一行を乗せて、馬車はのんびりと道を行く。


***


『そうして現実に目を瞑って、ただ息をするだけでいいのかな?』

 ――。

『あは。そんなの分かってるって? そうだよね。君はずっと自分の未来について思い悩んできたんだ。もう考えたくもないよね。この幸せを傍受していたいよね』

 ――。

『ずっと瞼を閉じていればそれでどうにかなるとでも? ……あぁ、ほら。耳を傾けて。お目覚めの時間だよ』

 ――。

『つかの間の幸せを、どうか楽しんで』
「――ア、ソフィア、起きて」

 軽く肩を叩かれる気配。ぽんぽんと心地よい。
 浅くうたた寝をしていたソフィアは、微かに睫毛を震わせて紫色の瞳を顕わにした。
 起こしてくれたのはレイのようだ。ぼんやりとしていた視界がクリアになり、セピア色の髪を揺らした青年が微笑む姿を映す。

「おはよう。今ちょうど着いたみたいだよ」
「ごめんなさい、寝てしまっていたようね」
「あぁ。とても気持ちよさそうだった」

 ばつの悪そうな表情を浮かべれば、くすくすとからかい混じりの笑いが返ってくる。

「さ、行こう。俺も到着を楽しみにしていたんだ」
「えぇ」

 何の躊躇もなく手を引かれ、ソフィアは馬車を降りた。
 ミセリアとシャルロットは既に外へ降り立っており、ソフィア達が出てくるのを今か今かと待っていた。
 彼女たちの向こうには、初めて見る景色が広がっている。
 洞窟の中に広がる街というだけあり、全体的に薄暗いのだが――。
 その暗さを照らす、青白い光がなんとも幻想的な光景を生み出していた。今まで見てきたような木造の家屋はほとんどなく、代わりに流麗な銀色の金属と思わしき素材で街が構成されている。
 ――銀と青、水流の街ポエタ。
 シアルワ王国の最西に位置し、最も変わった構造の街である。

「ミセリア様でいらっしゃいますね?」

 言葉も忘れて景色に見とれていた一行の元へ、ゆったりとしたシルエットの服を纏った男性が近寄ってくる。周りにはその従者と思わしき者達が何人か。
 一目見てこの街で上の立場に居る者であると分かる佇まいだ。

「あぁ。私がミセリアだ。わざわざ挨拶に出向いてくれたのだな、感謝する」
「いえ。シアルワの未来を背負うお方なのです、最大限もてなすというのが礼儀でしょう。申し遅れました、わたくしはポエタの長、リカード。以後お見知りおきを」
「よろしく頼む。……後ろの彼らは私の友人であり、同時に儀式を見届ける役割を担う、フェリクスの友人だ」
「フェリクス殿下はシアルワの太陽であらせられる。そのご友人ともあらば、更に丁重にもてなさなければなりませんな」


***


「ポエタの燭台は、中央に位置する滝の中にございます」
「滝の中?」
「えぇ、そうです。滝は滝でも、水が円形になるように落ちていましてね。外から見れば水で出来た柱のようなんです。なかなか見物ですよ」

 外見は銀と青の涼しげなものだったが、リカードの屋敷の内装は白を基調としており、ほんのり暖かかった。
 客室へ通されたソフィアたちはリカードと相対しながら話を聞いていた。
 マグナロアでもそうであったように、ポエタでも民衆の前で聖火を灯すことになっている。炎の美しさを際立たせるためにも、二日後の夜の帳が下りた後に祭りが行われることになっている。

「今日はお疲れでしょうから、どうぞゆっくりお休みください。明日のことも、何か聞くことはあるやもしれませんが、準備の方は我々で進めておきます故……皆様にはポエタを楽しんでいただきたく思います」

 その後、屋敷についての説明と雑談を少し受け、それぞれに与えられた部屋へ案内するために使用人が入ってくる。
 ミセリアたちが部屋を出ようとしたとき、リカードが口を開いた。

「あの、ソフィアさん」
「……なんでしょう?」

 目配せをして、ミセリアたちには先に戻ってもらう。
 ソフィアは二人きりになった部屋の中、リカードは彼女の顔を控えめに覗き込む。

「聞きたいことがありまして。……貴女がレオナ殿のご息女、ですよね。彼女は元気にしておりますか?」
「そく、じょ」

 思いもしなかった名前を呼ばれ、ソフィアはすぐにそうであると返事をすることが出来なかった。
 それもそうである。
 少し前まで、ソフィアにとって母親はあまり良い存在ではなかった。どうしても娘を愛していたとは思えず、炎の中で狂気の笑みを浮かべていた姿はぼんやり覚えているだけの存在だ。
 しかし、自分を抱きしめてくれたあの温かさは――レオナの抱擁は、その認識を上塗りするものだった。
 彼女は師匠であり、ソフィアの母親だ。

「はい。……は、母は変わらず。その、貴方はどのような関係で?」
「あぁ、失礼。私は彼女の旦那、その弟なんですよ。今でもたまに文通してやりとりしていましてね。その手紙の中に貴女の名前をよく見るものですから、つい」
「そうだったんですか」

 ということは、血は繋がっていないものの叔父ということになるのか。
 ソフィアはレオナの夫について知らないのだが、人格者であったのだろうということは察している。理由はレオナのパートナーであること以外にない。

「兄が亡くなり、甥っ子と姪っ子も亡くなり――彼女は一時期、酷く憔悴していましたから。手紙に貴女の名前が書かれるようになって、文体もかなり穏やかになりまして。貴女が彼女の希望になったのだと、ずっと思っていました」
「母は、私をすごく大切にしてくれています。強く、気高く、綺麗な……私の憧れです」

 今度はするりと言葉が出る。
 最初は驚いたものの、レオナからの愛は確かなものであると確信している。そしてソフィアはそれを受け入れた。
 自分は幸せ者の娘だ。
 自然と零れたソフィアの笑みに、リカードは穏やかに笑んだ。

「良かった。レオナは良い娘に出会えて幸運ですね」
「いえ。私の方が幸運なんです。……そう、私は」

 恵まれている。
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