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3章 紅炎の巫覡
7.5_2 神子の呪い 真相編
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親のラブレターは後でシャルロットにも見せてやるとして、だ。
一番大事な目的を忘れてはならない。
鉄の箱にはラブレター以外にも入っていたものがある。
兄弟が視線を落とした先には、一冊の古びた本がある。鉄の箱の中、多くのラブレターに埋もれるようにして入っている分厚い本。その表紙には小さな翡翠が埋め込まれていた。
それを拾い上げたのは兄弟ではなく、もう一人の同行者だ。
「あ、殿下。それは」
「……うん、これが例の資料で間違いない。はい、セラフィ」
「は、はい」
数ページを流し読みしてからフェリクスはセラフィに向けて本を手渡す。呆気なく返された物を手にしばらく固まっていれば、フェリクスはちらりとルシオラへ視線を向けた。
「一応、今回の外出と機密事項にあたる資料の閲覧は、俺からセラフィに向けて許可を出しているという形になっているから。セラフィも邪魔をされずに読んだ方が良いかなって。余計なお節介かもしれないけど」
許可の話は建前だ。フェリクスは単にセラフィが集中して読めるようにルシオラに釘を刺しているだけだ。
今のルシオラはシアルワ王家の客人ではなく、これまでの暗躍に対する重要参考人、というよりは罪人という立場で王家に縛られている身だ。セラフィやシャルロットとの面会が出来るのは完全にフェリクスの温情であり、彼の一言で完全に幽閉状態にされることだってあり得る。故に、家族を大切にしたいルシオラは彼の機嫌を損ねることだけはしないはずだ。
要するに、フェリクスはセラフィのために立場というものを利用して贔屓してくれたのである。
「ありがとうございます、殿下。それでは早速で悪いのですが……その辺で読んできても?」
「もちろん。俺もルシオラさんに話したいことがあるし。何かあったら近くにいるから呼んでくれるか? こっちもそうするから」
「はい。風よりも速く駆けつけますよ」
主と兄から少し離れた位置――視認できる程度ではある――に移動して、セラフィは適当な瓦礫に腰掛ける。
見た目通りずっしりと重い本を膝に置き、表紙を捲る。
その瞬間だった。
「え」
ページが勝手にぱらぱらと勝手に捲れ、白く発光する。反射的に飛び退くが、本は宙に浮遊したまま発光を続ける。不可思議な現象に、フェリクスたちの安否を確認するよりも早く光が辺りを包み込み、視界に映る全てを掻き消していく。
真っ白な世界にたった一人で放り込まれたかのような感覚。空も大地も音すらない、自分が本当に立っているのかも定かではない。
背負っていた槍は無事だったようで、そっと柄を握りしめる。
こういう時こそ冷静でいなければならない。ただ、辺りに殺気も異様な気配もなく、仄かに温かで安心させるような空気だけが流れていた。
『そこに居たのか、ロゼ』
「!? ――殿下?」
ふいに声が聞こえ、振り返ればそこには見慣れた金赤色の髪を持つ男が立っていた。しかし、男はセラフィの知る人ではなかった。
長い金赤の髪は優雅に結い上げられ、太陽を模した髪飾りで留められている。切れ長の目は慈悲深そうに見えながらもどこか冷徹な光を宿していた。その視線の先に居るのはセラフィではなく、さらに遠くを見ているようだった。
『あらぁ、ザーラッハじゃないのぉ。集合場所ってここじゃなかったのかしらぁ?』
続いて別の声が響く。セラフィの数歩分後ろ、立っているのは波打つ桃色の髪が可愛らしい女性だ。丸い翠玉の瞳が楽しげに細められる。
『いや、迷子になっていたのは俺の方さ。この神殿広いから』
『それもそうねぇ。私だってカルディナちゃんがいなかったらここまでたどり着けなかったわよぉ』
ザーラッハ、そしてロゼ。聞き覚えのある名だ。
そして、彼らの容姿にも既視感がある。二人の髪色も瞳の色も、シアルワ、ラエティティア両家が代々引き継いできた色のままだ。
(――もしかして、この人達が最初の神子……)
もう一人、カルディナと言う名は聞き覚えがなかったが、流れからしてもう一人の神子に違いないだろう。
『やっと来たか、ザーラッハ。いくらシュミネ様が慈悲深いからと言って、無礼を働くことは許さないぞ』
その推測は確信へと至る。
もう一人、セラフィの視界外から現れたのは真っ赤な髪と瞳が美しい女性だった。美しいながら厳しげな表情はどこか彼女を連想させた。
『良いのです。むしろ謝るべきなのはわたくしの方。……貴女方と、子孫たちに絶えることのない犠牲を強いることになるのですから』
最後に登場したのは、妹シャルロットによく似た女性だった。
そこで思い出す。
今朝見たあの夢に出てきたのは、彼女だったのかもしれない。ただ、その時とは違い、彼女の肌は白く汚れは一切見当たらなかった。
『良いのですよ、シュミネ様。元はと言えば我々人間が出来損ないだった故の、受けるべき罰なのですから』
『出来損ないなんて、そんな』
『いいえ。勝手にいがみ合い、勝手に殺し合い、瘴気を生み出す我らは世界にとって毒に他なりませぬ。衰退する世界を元通りにする責任を負うのは人間です』
『そうですよぉ。何回でも言いますけど、私たちは望んでここにいるんですからぁ。ねー、カルディナちゃん?』
『……その通りです』
恐らくこれは、三人の人間が神子になる前の光景だ。
本に記録されたものが、どういう原理かセラフィの前に具現化しているらしい。
自分に対して害を与えるわけでもないらしい。ならば傍観に徹しても問題ないだろう。
『シュミネ様。もう一度お聞かせください。瘴気を浄化することは本当に可能なのですか? ――正直に申し上げると、私には不可能にしか思えないのです』
数秒の沈黙の後、空気を切り裂くかの如く口を開いたのはカルディナだ。些か冷ややかな響きを孕む声に、残りの二人が小さく息を呑んだことが窺えた。
女神シュミネはそれを受け止め、華奢な装飾で飾られた両手を組む。僅かに震える手は、彼女の悲しみと恐怖を滲ませていた。しかし、白皙の相貌に浮かぶのは凪いだ湖のように穏やかな微笑みだ。
『大丈夫です。わたくしは皆の母ですから。瘴気となってしまった苦しみも、悲しみも……全て浄化してみせましょう。いえ、浄化します。たとえわたくしの命が尽きようと、必ず』
『……』
『わたくしは浄化に専念することになるので、皆さんには世界の在り方を導いてもらう役割を担ってもらうことになります。精霊たちのことも、本当はわたくしが全てできたら良いのですが……申し訳ありません』
『……シュミネ様』
これ以上の謝罪は不要、とばかりの視線がシュミネを射貫く。
ザーラッハとロゼの二人は言葉もなく跪く。数瞬遅れてカルディナも続く。
前者二人とは違い、カルディナの表情に清々しさがなかったのは気のせいだろうか。
『わたくしは罪を犯した。そのせいで貴方たちの未来が曇ってしまわぬように、力を与えます。彼らが暴走してしまったときは、どうか止めてあげてください』
『御意』
『御心のままに』
『お任せを』
次第に白んでいく世界の中、シュミネは涙を流す。
『どうか許して。残酷な使命を貴方たちとその子供たちに押しつけてしまうことを。死という逃げ道を奪ってしまうことを。どうか、どうか……』
最後に呟かれた言葉に、セラフィの肩がピクリと跳ねる。
反射的に女神の方へ視線を向ければ、自分と同じ翡翠の瞳がこちらを捉えていた。
一瞬にして姿が消えた原初の神子達。そしてセラフィを見るシュミネの身体は、じわじわと黒く染まりつつあった。
「貴方はわたくしの血を引く者ですね」
「えっ……あ、はい。多分……」
「今のわたくしは異空間を造り、瘴気を集めて浄化に努めています。けれど、それも限界が近い。故に、わたくしに縁がある物を通してしか言葉を届けることができないのです。それも、神の因子を持つ者――神子でないといけません」
セラフィは、瘴気に関して詳しいことはあまり知らない。人間の負の感情から生まれ、全てを蝕む毒であるということしか知らない。
その浄化という行為がどのようなものなのかはさっぱり分からないが、少し前にセルペンスが行っていた“他人の感情を取り込んで別のものにする”という行為に近いものだろうか。彼の場合は取り込んだ瘴気を凝縮させて“手”を作りだしていたが、浄化という名称からシュミネは無害な何かに変えているのだろう。
セルペンスでさえ精神が壊れかけた行為だ。世界中の瘴気を、さらに何千年という時間を続けていたのだ。彼女の忍耐力は恐ろしいくらいに強いようだった。
「本当は沢山伝えたいことがあるのですが、あまり時間がありません。忠告したいことを簡潔にお伝えします」
「……はい」
「レガリア、という者はご存じですね?」
レガリア。精霊が新しい神をつくり出すイミタシア計画で生まれた、謎に包まれた存在だ。ソフィア以外、イミタシアたちと関わることはしなかった。同じ犠牲者であるはずなのに、セラフィとしては仲間意識など一切なかった。むしろ何を考えているのか定かではない不気味な存在として認識している。
「はい。と言っても、ほとんど知る情報はないのですが」
「大丈夫です。彼は最も神に近い因子を持ちますが、それでも人間。大きな力に身体が耐えきれなくなり、その力と意識を身体から切り離して眠りについていたはずでした」
「はず?」
「彼は少しずつ目覚めつつあるのです。彼は自らの野望のために、あの少女を利用しようとしているのです」
「少女って……」
「今代の炎姫。名をソフィアと言いましたか」
「――」
言葉にならなかった。
女神の言葉が容赦なく心を貫いていく。
「神子はその血を絶やさぬよう、子が生まれるまでは何があろうと死ぬことができない呪いを背負っています。身寄りのないあの子は死ぬことはできません。子を残さない限り身体は生き続ける。私が言うのもなんですが、地獄でしょうね。そんな彼女の苦しみにつけ込んで動かしているのがレガリアです……全て私の責任です。それなのに何もできないことが、とても悔しい」
シュミネが唇を噛んで血を流していることにも視線がいかない。
ふつふつと湧いてきたのは、純粋な怒りだ。
ソフィアが何かに苦しんでいることは察していたが、それが一体どんなものであるのかまでは知らなかった。
「……ですから、どうか炎姫を止めてあげてください。レガリアを目覚めさせてはいけません。彼の狙いはよく分からないのですが、少なくとも正しいものではありません」
「……」
『セラフィはセラフィのなすべきことを』
敬愛する親友の言葉が心の中に響く。
これではっきりと目的が定まった。
セラフィのなすべきこと。それは。
「僕がレガリアを止められるかは分からない。でも、ひとつ言えることがあります」
あの憂い顔を、本当の笑顔に。
「ソフィアを奴の手から解放します」
風が吹く。
溶けるかのように消えていく女神の顔には、寂しげな笑顔が浮かんでいた。
***
ふと意識が戻った時には、何事もなかったかのように瓦礫に腰掛け、膝の上に本を置いた姿勢のままだった。
夢だったのだろうか。
しかし、胸に抱いた怒りはそのままだ。夢で見た光景もはっきりと思い出せる。
表紙に埋め込まれた翡翠が少し前と比べて曇って見えた。
一番大事な目的を忘れてはならない。
鉄の箱にはラブレター以外にも入っていたものがある。
兄弟が視線を落とした先には、一冊の古びた本がある。鉄の箱の中、多くのラブレターに埋もれるようにして入っている分厚い本。その表紙には小さな翡翠が埋め込まれていた。
それを拾い上げたのは兄弟ではなく、もう一人の同行者だ。
「あ、殿下。それは」
「……うん、これが例の資料で間違いない。はい、セラフィ」
「は、はい」
数ページを流し読みしてからフェリクスはセラフィに向けて本を手渡す。呆気なく返された物を手にしばらく固まっていれば、フェリクスはちらりとルシオラへ視線を向けた。
「一応、今回の外出と機密事項にあたる資料の閲覧は、俺からセラフィに向けて許可を出しているという形になっているから。セラフィも邪魔をされずに読んだ方が良いかなって。余計なお節介かもしれないけど」
許可の話は建前だ。フェリクスは単にセラフィが集中して読めるようにルシオラに釘を刺しているだけだ。
今のルシオラはシアルワ王家の客人ではなく、これまでの暗躍に対する重要参考人、というよりは罪人という立場で王家に縛られている身だ。セラフィやシャルロットとの面会が出来るのは完全にフェリクスの温情であり、彼の一言で完全に幽閉状態にされることだってあり得る。故に、家族を大切にしたいルシオラは彼の機嫌を損ねることだけはしないはずだ。
要するに、フェリクスはセラフィのために立場というものを利用して贔屓してくれたのである。
「ありがとうございます、殿下。それでは早速で悪いのですが……その辺で読んできても?」
「もちろん。俺もルシオラさんに話したいことがあるし。何かあったら近くにいるから呼んでくれるか? こっちもそうするから」
「はい。風よりも速く駆けつけますよ」
主と兄から少し離れた位置――視認できる程度ではある――に移動して、セラフィは適当な瓦礫に腰掛ける。
見た目通りずっしりと重い本を膝に置き、表紙を捲る。
その瞬間だった。
「え」
ページが勝手にぱらぱらと勝手に捲れ、白く発光する。反射的に飛び退くが、本は宙に浮遊したまま発光を続ける。不可思議な現象に、フェリクスたちの安否を確認するよりも早く光が辺りを包み込み、視界に映る全てを掻き消していく。
真っ白な世界にたった一人で放り込まれたかのような感覚。空も大地も音すらない、自分が本当に立っているのかも定かではない。
背負っていた槍は無事だったようで、そっと柄を握りしめる。
こういう時こそ冷静でいなければならない。ただ、辺りに殺気も異様な気配もなく、仄かに温かで安心させるような空気だけが流れていた。
『そこに居たのか、ロゼ』
「!? ――殿下?」
ふいに声が聞こえ、振り返ればそこには見慣れた金赤色の髪を持つ男が立っていた。しかし、男はセラフィの知る人ではなかった。
長い金赤の髪は優雅に結い上げられ、太陽を模した髪飾りで留められている。切れ長の目は慈悲深そうに見えながらもどこか冷徹な光を宿していた。その視線の先に居るのはセラフィではなく、さらに遠くを見ているようだった。
『あらぁ、ザーラッハじゃないのぉ。集合場所ってここじゃなかったのかしらぁ?』
続いて別の声が響く。セラフィの数歩分後ろ、立っているのは波打つ桃色の髪が可愛らしい女性だ。丸い翠玉の瞳が楽しげに細められる。
『いや、迷子になっていたのは俺の方さ。この神殿広いから』
『それもそうねぇ。私だってカルディナちゃんがいなかったらここまでたどり着けなかったわよぉ』
ザーラッハ、そしてロゼ。聞き覚えのある名だ。
そして、彼らの容姿にも既視感がある。二人の髪色も瞳の色も、シアルワ、ラエティティア両家が代々引き継いできた色のままだ。
(――もしかして、この人達が最初の神子……)
もう一人、カルディナと言う名は聞き覚えがなかったが、流れからしてもう一人の神子に違いないだろう。
『やっと来たか、ザーラッハ。いくらシュミネ様が慈悲深いからと言って、無礼を働くことは許さないぞ』
その推測は確信へと至る。
もう一人、セラフィの視界外から現れたのは真っ赤な髪と瞳が美しい女性だった。美しいながら厳しげな表情はどこか彼女を連想させた。
『良いのです。むしろ謝るべきなのはわたくしの方。……貴女方と、子孫たちに絶えることのない犠牲を強いることになるのですから』
最後に登場したのは、妹シャルロットによく似た女性だった。
そこで思い出す。
今朝見たあの夢に出てきたのは、彼女だったのかもしれない。ただ、その時とは違い、彼女の肌は白く汚れは一切見当たらなかった。
『良いのですよ、シュミネ様。元はと言えば我々人間が出来損ないだった故の、受けるべき罰なのですから』
『出来損ないなんて、そんな』
『いいえ。勝手にいがみ合い、勝手に殺し合い、瘴気を生み出す我らは世界にとって毒に他なりませぬ。衰退する世界を元通りにする責任を負うのは人間です』
『そうですよぉ。何回でも言いますけど、私たちは望んでここにいるんですからぁ。ねー、カルディナちゃん?』
『……その通りです』
恐らくこれは、三人の人間が神子になる前の光景だ。
本に記録されたものが、どういう原理かセラフィの前に具現化しているらしい。
自分に対して害を与えるわけでもないらしい。ならば傍観に徹しても問題ないだろう。
『シュミネ様。もう一度お聞かせください。瘴気を浄化することは本当に可能なのですか? ――正直に申し上げると、私には不可能にしか思えないのです』
数秒の沈黙の後、空気を切り裂くかの如く口を開いたのはカルディナだ。些か冷ややかな響きを孕む声に、残りの二人が小さく息を呑んだことが窺えた。
女神シュミネはそれを受け止め、華奢な装飾で飾られた両手を組む。僅かに震える手は、彼女の悲しみと恐怖を滲ませていた。しかし、白皙の相貌に浮かぶのは凪いだ湖のように穏やかな微笑みだ。
『大丈夫です。わたくしは皆の母ですから。瘴気となってしまった苦しみも、悲しみも……全て浄化してみせましょう。いえ、浄化します。たとえわたくしの命が尽きようと、必ず』
『……』
『わたくしは浄化に専念することになるので、皆さんには世界の在り方を導いてもらう役割を担ってもらうことになります。精霊たちのことも、本当はわたくしが全てできたら良いのですが……申し訳ありません』
『……シュミネ様』
これ以上の謝罪は不要、とばかりの視線がシュミネを射貫く。
ザーラッハとロゼの二人は言葉もなく跪く。数瞬遅れてカルディナも続く。
前者二人とは違い、カルディナの表情に清々しさがなかったのは気のせいだろうか。
『わたくしは罪を犯した。そのせいで貴方たちの未来が曇ってしまわぬように、力を与えます。彼らが暴走してしまったときは、どうか止めてあげてください』
『御意』
『御心のままに』
『お任せを』
次第に白んでいく世界の中、シュミネは涙を流す。
『どうか許して。残酷な使命を貴方たちとその子供たちに押しつけてしまうことを。死という逃げ道を奪ってしまうことを。どうか、どうか……』
最後に呟かれた言葉に、セラフィの肩がピクリと跳ねる。
反射的に女神の方へ視線を向ければ、自分と同じ翡翠の瞳がこちらを捉えていた。
一瞬にして姿が消えた原初の神子達。そしてセラフィを見るシュミネの身体は、じわじわと黒く染まりつつあった。
「貴方はわたくしの血を引く者ですね」
「えっ……あ、はい。多分……」
「今のわたくしは異空間を造り、瘴気を集めて浄化に努めています。けれど、それも限界が近い。故に、わたくしに縁がある物を通してしか言葉を届けることができないのです。それも、神の因子を持つ者――神子でないといけません」
セラフィは、瘴気に関して詳しいことはあまり知らない。人間の負の感情から生まれ、全てを蝕む毒であるということしか知らない。
その浄化という行為がどのようなものなのかはさっぱり分からないが、少し前にセルペンスが行っていた“他人の感情を取り込んで別のものにする”という行為に近いものだろうか。彼の場合は取り込んだ瘴気を凝縮させて“手”を作りだしていたが、浄化という名称からシュミネは無害な何かに変えているのだろう。
セルペンスでさえ精神が壊れかけた行為だ。世界中の瘴気を、さらに何千年という時間を続けていたのだ。彼女の忍耐力は恐ろしいくらいに強いようだった。
「本当は沢山伝えたいことがあるのですが、あまり時間がありません。忠告したいことを簡潔にお伝えします」
「……はい」
「レガリア、という者はご存じですね?」
レガリア。精霊が新しい神をつくり出すイミタシア計画で生まれた、謎に包まれた存在だ。ソフィア以外、イミタシアたちと関わることはしなかった。同じ犠牲者であるはずなのに、セラフィとしては仲間意識など一切なかった。むしろ何を考えているのか定かではない不気味な存在として認識している。
「はい。と言っても、ほとんど知る情報はないのですが」
「大丈夫です。彼は最も神に近い因子を持ちますが、それでも人間。大きな力に身体が耐えきれなくなり、その力と意識を身体から切り離して眠りについていたはずでした」
「はず?」
「彼は少しずつ目覚めつつあるのです。彼は自らの野望のために、あの少女を利用しようとしているのです」
「少女って……」
「今代の炎姫。名をソフィアと言いましたか」
「――」
言葉にならなかった。
女神の言葉が容赦なく心を貫いていく。
「神子はその血を絶やさぬよう、子が生まれるまでは何があろうと死ぬことができない呪いを背負っています。身寄りのないあの子は死ぬことはできません。子を残さない限り身体は生き続ける。私が言うのもなんですが、地獄でしょうね。そんな彼女の苦しみにつけ込んで動かしているのがレガリアです……全て私の責任です。それなのに何もできないことが、とても悔しい」
シュミネが唇を噛んで血を流していることにも視線がいかない。
ふつふつと湧いてきたのは、純粋な怒りだ。
ソフィアが何かに苦しんでいることは察していたが、それが一体どんなものであるのかまでは知らなかった。
「……ですから、どうか炎姫を止めてあげてください。レガリアを目覚めさせてはいけません。彼の狙いはよく分からないのですが、少なくとも正しいものではありません」
「……」
『セラフィはセラフィのなすべきことを』
敬愛する親友の言葉が心の中に響く。
これではっきりと目的が定まった。
セラフィのなすべきこと。それは。
「僕がレガリアを止められるかは分からない。でも、ひとつ言えることがあります」
あの憂い顔を、本当の笑顔に。
「ソフィアを奴の手から解放します」
風が吹く。
溶けるかのように消えていく女神の顔には、寂しげな笑顔が浮かんでいた。
***
ふと意識が戻った時には、何事もなかったかのように瓦礫に腰掛け、膝の上に本を置いた姿勢のままだった。
夢だったのだろうか。
しかし、胸に抱いた怒りはそのままだ。夢で見た光景もはっきりと思い出せる。
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